- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.0040 読書論・読書術 『ヒトラーの秘密図書館』 ティモシー・ライバック著(文藝春秋)
2010.04.05
『ヒトラーの秘密図書館』ティモシー・ライバック著(文藝春秋)を読みました。
本書は、かのアドルフ・ヒトラーが読んだ本、アンダーライン、余白の書き込みなどについて詳細に調べた本です。
本が人をつくる
ヒトラーは読書家でした。 毎晩、少なくとも1冊を読み、ときにはそれ以上の本を読んだそうです。
彼は1万6000冊以上の蔵書を所有していましたが、その大半はドイツ敗戦の混乱の中で散逸してしまいました。 アメリカ兵やソ連兵に持ち去られてしまったのです。
ところが、散逸を免れた1300冊足らずの本が現在、アメリカ議会図書館とブラウン大学に保管されています。これまで特に調査も研究もされることがなかった、このヒトラーの蔵書に光を当てたのが本書です。
「本が人をつくる」という言葉がありますが、その愛読書を知ることによって、ヒトラーという「現代史で最も不可解な人物」(イアン・カーショー)の精神世界を掘り下げることに成功しています。
わたしは、昔からヒトラーには多大な関心がありました。
『遊びの神話』(PHP文庫)、『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)、『法則の法則』(三五館)といった著書でも、ヒトラーについて書きました。
また、『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』(PHP文庫)、『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)などの監修書でも、ヒトラーを大きく取り上げました。
彼は20世紀の人物でありながら、まるで古代の神話時代の人物であるかのような幻想を抱かせます。その神秘性はただごとではありません。
秘密は、彼の内面世界にあり、それを形作った読書にありました。本書の「はじめに」で、ライバックは、ヒトラーの読書について次のように書いています。
「彼にとって、蔵書とはピエリアの泉、つまり知識とインスピレーションの隠喩的源泉であった。彼はその泉から大いに汲み上げて自らの知的コンプレックスを和らげ、狂信的な野望を育んだ。彼は貪るように本を読んだ。(中略)『与える人間には受け取ることも必要だ。そして、私は必要なものを本から受け取っている』と彼は述べている。」
本書では、さまざまな興味を引くエピソードの数々が明かされています。
少年時代のヒトラーが、ネイティヴ・アメリカンの冒険小説に心を躍らせていたこと。
人種差別主義者の代名詞に思われているヒトラーが、なんと『アンクル・トムの小屋』を愛読していたこと。
『ドン・キホーテ』『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』を世界文学の傑作に位置づけ、「そのどれもが、それ自体壮大な理念だ」と述べていること。
ドイツ文学の巨人であるゲーテやシラーよりもシェークスピアのほうがあらゆる点で優れていると考え、『ハムレット』を熟読し、『ジュリアス・シーザー』を特に愛読したこと。
聖書に精通し、『キリストの言葉』とういう美装本を所有していたこと。
『我が闘争』には幻の”BOOK3”が存在したが、政治生命への悪影響を懸念して、ヒトラー自身がその原稿を破棄したこと。 ロマン・ロランの『ガンジー伝』を所有してはいたけれども、ヒトラーはマハトマ・ガンジーが大嫌いだったこと。
「ガンジーを崇拝することは、私の目には民族的倒錯と映る」と述べているほどです。 生来好戦的なドイツ人の性格が、ガンジーの平和主義的な非暴力的不服従とは相容れないと思っていたのです。
さらに、大ベストセラーとなったヒトラーの著書『我が闘争』に最大の影響を与えた書物は、ヘンリー・フォード著『国際ユダヤ人』のドイツ語版であったこと。 自動車王フォードこそは、最大の反ユダヤ主義者でした。
その影響を強く受けたヒトラーのプライベート・オフィスには、机の脇の壁にフォードの大きな写真が飾られ、大きなテーブルの上には何冊ものフォードの著書が所狭しと積み上げられていたと、「ニューヨーク・タイムズ」が1922年12月に報じています。
ある演説でヒトラーは、実業家フォードの天才的創造力を賞賛し、彼を「最も偉大なる人物」と呼びました。
また、フォードのことを人種的に純粋な「絶対的北方型人間」であると述べています。
人類史上最大の愚行ともされるユダヤ人のホロコーストにつながったヒトラーの反ユダヤ主義が、まさかアメリカの自動車王の影響によるものであったとは!
トヨタへのバッシングがエスカレートする一方のアメリカですが、ヘンリー・フォードといえば、リンカーンやエジソンらと並んでアメリカ最大の偉人の一人です。
そして、アメリカ人が最大の悪人とする人物こそ、ヒトラーその人です。 同じ思想の持ち主でありながら、フォードを崇拝し、ヒトラーを憎悪するアメリカ人。いやはや、なんとも不思議な国民ですね。
わたしは、フォードもヒトラーも同様に批判した1人の人物を思い出しました。その名は、チャーリー・チャップリン。
チャップリンは、「モダンタイムス」においてフォードが発明した大量生産方式が人間の疎外に通じることを指摘し、「独裁者」においてはヒトラーを徹底的に揶揄しました。表現者チャップリンの思想が、いかに一本筋が通っていたかがよくわかりますね。一般的なアメリカの大衆とは大違い! もっとも、アメリカはそのチャップリンを追放したわけですが。
さて、ヒトラーがオカルトに傾倒していたことはよく知られています。
長年ヒトラーの秘書を務めたトラウドル・ユンゲは、ヒトラーがよく人間や自然、、宗教や神について長々と繰り返す独り言をその耳で直に聞いたそうです。
ヒトラーは、「世界の人口は20億人、おもな宗教は170種類もあり、それぞれが違う神に祈りを捧げているのはなぜなのか」と問いかけた後、「そのうちの169の宗教は間違っていると言わざるを得ない」と宣言し、「なぜなら、正しいものは一つしかないはずだからだ」と語ったそうです。
ライバックは、「これは確かにシニカルな意見だが、確固たる無神論というよりは徹底的な不可知論に根ざした発言である。ヒトラーのモノローグにはこのような発言がしばしば現れる」と述べています。
ヒトラーの霊的なものや超自然的現象への強い関心は、モノローグだけではなく、彼の読書傾向にも表れていました。
蔵書の中には、18世紀の神秘学の古典『アヌルス・プラトニス』、パウル・マークの『神の国と現代世界』、ディカイアルコス・カルネアデスの『肉体と霊魂と生きている知性』などの本悪的なオカルト書もありましたが、ヨーロッパ各地の超常現象の実例を集めたという『死者は生きている!』などの通俗オカルト本も愛読していたようです。
特に、マクシミリアン・リーデルのタイプ打ち論文『世界の法則』に、ヒトラーは強い影響を受けたようです。
この論文は、物質世界と霊的世界の関連を説明したものですが、人知を超えた英知に到達する方法が書かれています。
ヒトラーは、自然界と霊的世界の関係についての記述に、繰り返し鉛筆でアンダーラインを引いています。
またヒトラーは、エルンスト・シェルテルの『魔術~歴史、理論、実践』にも多大な影響を受けました。
オカルティストであるシェルテルは、過去の偉大な文化は「想像力」を持った個人によって念じられた偉大な思想のたまものだと考えていました。
五感によって知覚することができる現実に「縛られることにない」個人、ある世界を想像することができるできて、その世界を個性の力で念じ出すことができる個人が過去の偉大な文化を創造したというのです。
シェルテルは、こうした創造的天才のことを「エクトロピー的な」存在と呼び、世界の進路を形成することにできるデモーニッシュな性質を持った力であると述べています。
「エクトロピー」とは「エントロピー」の反義語で、「発展」や「秩序」を意味します。 このようなオカルト思想に、ヒトラーの「こころ」は染められていったのでした。ライバックは、次のように書いています。
「ここに、ヒトラーの本質的な核の少なくとも一片をかいま見ることができる。浅薄で計算高い、弱い者いじめの虚偽に正当化の方便を与えたものは、ショーペンハウアーやニーチェの哲学の蒸留物ではなく、偏向的で安っぽいペーパーバックやオカルト本から継ぎ接ぎ細工で作り上げられた三文理論だったのである。」
わたしも、ヒトラーは知る人ぞ知るような秘密のオカルト書などからインスピレーションを得ている印象があったので、そのネタ本の安っぽさには拍子抜けしました。思ったよりも、彼は無教養な人間だったのかもしれません。
「マネジメント」という考え方の生みの親であるピーター・ドラッカーは、雑誌記者としてヒトラーを取材した経験を持ちます。
そのドラッカーは、「マネジメント」と「独裁」を反対語であると述べて、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」という言葉を残しています。
いくら大量の本を読んでも、ヒトラーに真の意味での「教養」はなかったのですね。
本書の「付録A」にフレデリック・オクスナー著『これが敵だ』(1942年刊)が紹介されていますが、その中で、ヒトラーの蔵書が主に3つのグループに分類されています。
第1に、ナポレオンの軍事作戦に関する本、プロイセン国王に関する本、軍事面で何らかの役割を果たしたことのあるすべてのドイツおよびプロイセンの支配者の伝記、歴史上有名な軍事作戦についての本など、軍事関連の書籍。
第2に、建築、演劇、絵画、彫刻など芸術に関する本。
第3に、占星術や心霊現象などについてのオカルト本。
その他、カトリック教会に関する本、推理小説を中心とする大衆小説なども、かなりの冊数を所有していました。その中に、奇妙な本がありました。オクスナーは、次のように書いています。少し長いですが、重要な部分ですので引用します。
「ヒトラーの蔵書の中に一冊、彼が常に特別な興味を示してきた分野に関する本がある。それは、手の研究である。調べられた限りの古今の有名人の手について書いてある本である。実際、ヒトラーは人物の判断についてそのかなりの部分を、その人の手を見て下していた。誰かと初めて会話する場合、それが政治家であれ軍人であれ、ドイツ人であれ外国人であれ、ヒトラーはたいていその人の手を最も注意深く観察する。その形、手入れが行き届いているかどうか、細長いかずんぐりして幅広か、爪や指の節の形などを見るのである。何人もの将軍や外交官が、どうしてヒトラーは最初は誠実で友好的な態度だったのにそのうち冷淡になったのだろう、そして、どうしてそれほどの進展もないうちに会談をそっけなく、あるいは唐突に打ち切ってしまったのだろうと不思議に思った。自分の手の形がヒトラーの気に入らなかったのだということを、彼らはあとになって知ったのだった。」
わたしは、ヒトラーという人物の本質を表現するのに、これ以上の名文を知りません。
かつて、ナチスに迫害されて服毒自殺したユダヤ系思想家のヴァルター・ベンヤミンは、蔵書を見ればその所有者の多くのこと(その趣味、興味、習慣)がわかると語りました。
その人が手元に残した本、捨ててしまった本、読んだ本、読まないことにした本・・・・・すべてが、その人の人となりの何がしかを物語るというのです。
まさに、本が人をつくるのだということを痛感する一冊でした。
わが書斎のヒトラー本コーナー