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2017.02.09
『最古の文字なのか?』ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー著、櫻井祐子訳(文藝春秋)を読みました。「氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く」というサブタイトルがついており、著者はカナダ・ビクトリア大学人類学の博士課程在学中の研究者です。帯には洞窟の中の著者の写真が使われ、「TEDトーク225万回再生!」と書かれています。
本書の帯
本書のカバー前そでには、「私たちはいつ言語を獲得し、文字を使い始めたのか?」として、以下のような内容紹介があります。
「4万年前の氷河期に残された壁画の数々。 そこには牛や馬の絵とともに不思議な記号が残されていた。 ヨーロッパ全体368箇所の洞窟に残された記号を世界で初めてデータベース化。すると記号はわずか32個に収斂された。 2400キロも離れた2つの洞窟に残された記号が一致するのはなぜか?あるいは急峻なピレネー山脈を挟んで、一致した特異な屋舎記号。 自ら52箇所の洞窟に潜って記号を採取した カナダ人女性科学者がその謎に挑む!」
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のようになっています。
はじめに 太古の人類が残した記号
氷河期に残された人類の壁画の数々。そこには牛や馬などの絵とともに不思議な記号があるのをご存じだろうか? ヨーロッパ全体368カ所の洞窟に残された記号を私は初めてデータベース化した。すると32個の記号に収斂された
第一章 何のために印をつけたのか?
膝の高さもない、ぬかるんだ穴へ。誰も寄り付かないスペインの洞窟で見つけたのはたった2つの赤い点。だが、それは太古の人々の確かなる痕跡だ。4カ国、52の遺跡を這いずり回り、幾何学記号の謎を解く手がかりを探し出す
第二章 人類のはるか以前に道具を使った者たち
ケニアで発見された世界最古の石器は330万年前のもの。ジョージアでは150万年前の手斧が見つかった。現生人類が出現する20万年前よりずっと昔に旧人類たちは道具を作り始めていた。道具の使用は意識の誕生と重なる
第三章 死者をいたむ気持ちの芽生え
死者を弔い、我が身を飾る、人間が人間たる精神的な営みはいつ始まったのか? 3万5000年前に精神性を獲得した、というこれまでの考えはデータベースの構築によって覆された。10万年前の遺跡で見つかった副葬品と火打ち石
第四章 言葉はいつ生まれたのか?
南アの遺跡で見つかったダチョウの卵殻には、格子のような幾何学模様が刻まれている。たった5つのパターンが繰り返し現れる、その意味は所有を表すのではないか。そうした慣行をもつ種族はすでに言語を獲得しているはずだ
第五章 音楽の始まり
アフリカを出て氷河期のヨーロッパに到達した人類。彼らは寒冷な生活様式に素早く適応する。やがて最古の定住集落が形成され、余暇を楽しむ時間も生まれた。欧州中の洞窟遺跡で、骨や象牙のフルートが見つかっている
第六章 半人半獣像とヴィーナス像
氷河期の芸術家は動物と人間の半人半獣像を数多く残した。また人間を象った〝ヴィーナス像〟も盛んに出土している。その目的を解釈することには限界があるが、彼らは信仰や起源神話に突き動かされていたのかもしれない
第七章 農耕以前に布を織っていた
3万5000前に生まれた最初の村。マンモスの骨を使った家に住む彼らは布を織り、かごをつくっていた。発掘された土器についた指紋以外の模様は、最古の布地やかご細工に使われていた模様だった。農耕を始めるはるか前の話だ
第八章 洞窟壁画をいかに描いたか?
スペインのラ・パシエガ遺跡には2万7000年前に赤い顔料の調合に用いられた砥石が残されている。過去の芸術家はいかに壁画を描いたのか。彩色と線刻の技術を紐解くと、現代人に匹敵する知識とスキルの高さが浮き彫りになる
第九章 欧州大陸に到達以前から描いていた
半減期を利用した年代測定によって壁画の年代が、さらに古く書き換えられている。このことは人類がヨーロッパに到達したその瞬間から壁画をすでに描いていたことを意味する。いずれアフリカにおける洞窟壁画も発見されるだろう
第十章 唯一の人物画
氷河期の芸術家にとって、動物は何より重要なモチーフだった。地域と年代に関係なく、躍動感に溢れたウマやバイソンたちが描かれ続ける。反対に人物画は少なく、写実性も薄かった。ただしシチリアのアッダウラ洞窟だけは例外だ
第十一章 遠く離れた洞窟に残される共通の記号
シチリアとスペインの洞窟では同じ幾何学記号を使っていた。あるいは非常に特異な屋舎記号もピレネー山脈が隔てる二つの地域、今のフランスとスペインで使われている。羽状の記号は、今のフランス、スペインの多くの洞窟にある
第十二章 それは文字なのか?
甲骨文字、楔形文字など文字の成立は約6000年前と考えられている。ではそれ以前の例えばラ・パシエガ遺跡に描かれた複雑な抽象記号は文字だったのか? 私は視覚の世界を抽象的な記号に置き換える文字の始まりだと考える
第十三章 一万六千年前の女性の首飾りに残された記号群
フランスのドルドーニュ地方で副葬品として見つかったシカの歯の首飾り。歯には幾何学記号の組み合わせが刻まれており、周辺の洞窟の記号パターンに一致する。図形は記数法もしくは物語を記憶する手段に使われたのかもしれない
第十四章 壁画は野外にも残されていた
祖先にとって洞窟だけが芸術の場所だったのか。ポルトガルのコア渓谷には野外の岩壁画が今も残る。そこに刻まれた曲折模様は目の前の川にそっくりだ。幾何学記号は身近な世界のものごとを描いていたものも多いのかもしれない
第十五章 最古の地図か?
点や羽状記号など、多くの洞窟に見られる記号の解釈について、星座、記数法など様々な説が提起された。スペイン北東部の洞窟で見つかった1キログラムの石に刻まれた1万3500万年前の模様は、洞窟周辺の地図のようだった
第十六章 トランス状態で見える図形なのか?
神経心理学の研究からトランス状態にある人は一定の抽象図形が見えることが判明している。渦巻き、ジグザグ、格子などは、儀式の際に人間が見る図形だったのか? 構築したデータベースによってこの仮説を検証してみる
おわりに データベースを世界の遺跡に広げる
私が作ったデータベースは氷河期のヨーロッパの洞窟の記号が中心だ。が、このデータベースを今後、中国やオーストラリアなどの洞窟に広げていけば何がわかるだろう? 具象から抽象へ、その記号の違いから新たな発見もあるか?
はじめに「太古の人類が残した記号」の冒頭、著者は述べています。
「私はパターンが大好きだ。たぶん、それは血筋によるものなのだろう。私のイギリス人の祖母は、第二次世界大戦中にブレッチリー・パークで行われていた、ドイツ軍の暗号『エニグマ』の解読プロジェクトに関わっていた。パターン認識に優れていたため、MI6に特別にスカウトされたそうだ。 科学者はパターンを認識することによって、小さな規模や局所レベルでは見えづらい、大規模な現象を把握できることが多い。このようなパターン化は、医学(たとえば新しい世界的流行病の発生源をつきとめるなど)やマクロ経済学(中国のある省での製造業の減速が、アメリカのある州の失業率に与える影響を分析するなど)といった分野でも役立っている。パターンを通して、何も関連性がないと思われていたものごとに意味を見出せることは多いのだ」
また、太古の人類史を振り返りながら、著者は以下のように述べます。
「現代的思考の兆しがかすかに見え始めるのは、12万年前のアフリカである。彫刻が施された骨や、赤いオーカー(赤鉄鉱)や首飾りが入れられた墓などが散見されるのはこの頃だ。10万年前以降になると、幾何学模様(線、格子形、山形など)が刻まれたポータブルアート(もち運びのできる芸術品)が現れ始める。ロックアート(岩壁画)の前触れとも考えられる、こうした抽象的なイメージは、時を経るごとに複雑さを増し、人類がアフリカを出て世界中に拡散し始めた5万年前になると、突如として岩壁画や小像、首飾り、複雑な埋葬、楽器が大量に出現し始めるのだ」
このあたりは拙著『唯葬論』(三五館)や『儀式論』(弘文堂)でも詳しく言及しています。さらに、第一章「何のために印をつけたのか?」では、著者は「ヤコブ永眠の地での”別の”巡礼」として、以下のように述べています。
「芸術品は、ほかの遺物にはできない方法で、太古の人々の心のなかをのぞかせてくれる。私たちは芸術を通して彼らの世界や文化、信念体系を知り、彼らの抽象的思考とシンボルを扱う能力、図形によるコミュニケーションの発達について、興味深い手がかりを得ることができる。どんな芸術もこうした能力の存在を示唆するが、とくに人間特有の能力の高度な発達を示すのが、幾何学イメージなのだ」
そして、著者は第一章の最後に、著者のすべての研究の根底にある疑問に迫ることができるとして、以下のように述べるのでした。
「すなわち、私たちが私たちになったのはいつだろう? 道具をつくる知性をもった祖先たちは、いったいいつの時点で最後の飛躍を遂げ、完全に現代的な精神をもつようになったのか? 私たちはそこからここまで、どのようにしてたどり着いたのだろう? 今では人類は周囲の世界にかつてないほど大きな影響をおよぼすようになっている。技術や医薬品を使って自然の災厄から身を守り、テクノロジーや数学、科学を用いて問題を解決し、あらゆる障害を克服してきた。これらのスキルを駆使して人類の歴史をひもとき、宇宙を旅してきた。そして、人類のすべての偉業の礎である言語と創造性は、記号を使って考え、意思疎通を図る能力のうえに成り立っている。言語と創造性がなければ、私たちがこれまで成し遂げたことは何1つとして可能ではなかった。本書は、この旅の始まりについての本なのだ」
第二章「人類のはるか以前に道具を使った者たち」では、「特大の斧はなぜ未使用なのか」として、著者は以下のように述べています。
「初期の現生人類は(例は少ないがネアンデルタール人も)死者を副葬品とともに埋葬していた。このことから、特定の品が特定の人の『所有物』と考えられていたこと、つまり自意識が芽生えつつあったことが、少なくともうかがえる。自意識は、それ自体とても抽象的な概念だ。また副葬品を入れたのは、見えざる世界や死後の世界を信じていたことの表れとも考えられる。そうした世界で使用するために、道具や宝飾品、食物の供え物などを入れたのだろう。死後の世界という概念をもつには、想像力と、現在にとらわれず過去や未来を思い描く能力がなくてはならない(この能力は「メンタル・タイムトラベル」と呼ばれる)」
第三章「死者をいたむ気持ちの芽生え」では、「次々と覆される人類学の定説」として、著者は以下のように述べています。
「私が氷河期について学び始めた頃、世界最古と考えられていた洞窟壁画は、約3万5000年前のものだった。今では4万1000年前近くのものが発見されている。当時はまだ、ネアンデルタール人は知性的な種ではあるが、芸術を生み出す能力はないと考えられていた(ネアンデルタール人による洞窟壁画が初めて確認されたのは、2014年のことだ)。また現生人類がネアンデルタール人と交配したとは考えられていなかったし(実際には6万年前頃に交配が起こった)、氷河期のヨーロッパにデニソワ人と呼ばれる第三の人類が住んでいたことや、現代人のなかに彼らの遺伝子を受け継ぐ人たちがいることも、当然知られていなかった(ちなみに私は、母方の系統にネアンデルタール人の遺伝子が4%、父方の系統にデニソワ人のDNAが3%強だけ含まれている)」
また、「イスラエルのスフールとカフゼーの洞窟」として、著者は以下のように述べています。
「副葬品を伴う埋葬は象徴的行動を示唆し、さまざまな抽象的思考プロセスが可能な、完全に現代的な精神の存在を示す、重要なシグナルである。人間にとって死は、肉体の終わりというだけでなく、象徴的なできごとでもある。私たちは大切な人が亡くなったとき、生活空間から離れた場所に亡骸を移して、そのままその人のことを忘れてしまうわけではない。記憶や想像、メンタル・タイムトラベルなどに関わる脳の部位を通してこの経験をとらえ直し、死にまったく新しい意味を与える。亡くなった人を思い出し、彼らが暮らしているであろう見えざる世界の存在を信じ、未来に思いを馳せ、自分や周りの人たちの死が避けられないことを思い知る。副葬品の入った墓からは、このような思想をもつ文化の存在がうかがえる」
続けて、著者は葬送儀礼について以下のように述べています。
「人類史を通じて、あらゆる文化が独自の葬送儀礼を発達させてきた。人の生命や魂、精神が、死後もかたちを変えて残るという信念は根強く、埋葬の方法はそれぞれの文化の死後の世界観を映し出している。愛する人が行く死後の世界という概念は古くからあり、太古のさまざまな文化がこの世界への移行を記念するための複雑な儀式を執り行っていた。貴重品(金など)と実用品(食物の供え物など)を亡骸と一緒に墓に入れるのも、そうした儀式の一環だ」
スフールで発見された遺体について、著者は以下のように述べています。
「スフールの13万年前から10万年前の地層で、大人7体と子ども3体の骨が発見された。ひどく荒らされた状態で見つかった骨もあったが(もとの埋葬場所から離れた場所に散らばり、一部の骨が失われていた)、残りは意図的に掘られた浅い墓に手つかずのまま入れられていた。そのうちの1つで、スフール5号と名づけられた成人男性の骨は、小さな楕円形の墓に胎児のような姿勢で葬られ、大きなイノシシの下顎骨を両腕で抱きかかえた状態で発見された。イノシシの骨が意図的に墓に含められていたことから、これは副葬品を伴う世界最古の埋葬と考えられている」
さらに、著者は以下のように述べています。
「スフールの住民が副葬品とともに死者を埋葬していたことと、真っ赤なオーカーを好んだこと、それをつくるために顔料を熱処理していたように思われること、最古の装身具をつくっていたようであることを考え合わせると、彼らが現代人に匹敵する認知能力をもっていた可能性は高い。しかも彼らが生きていたのは、『創造の爆発』が起こったとされる時期より6万年以上も前なのだ」
「カフゼーの3つの墓」として、著者は以下のように述べます。
「カフゼー洞窟でも、象徴性を示唆する興味深い発見があった。この遺跡からは10万年前から9万年前の人骨が少なくとも15体分出土した。珍しいことに、そのうち8体は子どもだった。これらの人骨はすべて洞窟の入口近くと、洞窟内の南側の壁の近くに集中していて、すべて同じ地層にあった。そのため埋葬が比較的短期間のうちに行われたこと、また洞窟内で子どもを埋葬するための場所が決められていたことがうかがえる」
そして、著者は以下のように述べるのでした。
「カフゼーとスフールの遺跡での意図的な埋葬、そして北アフリカと近東の広範囲で貝殻のビーズを装飾品として身につける慣習があったことを示す数々の証拠は、明らかに象徴性を示唆している。過去20年間にこれらの地域で続々と発見された、象徴的な品を含む遺跡のおかげで、現代的精神が出現した時期に関する定説がすっかり書き換えられてしまった。今では『創造の爆発』が起こった時期を繰り上げるべきかどうかではなく、どれくらい前に繰り上げるべきかが議論されているのだ。『完全に現代的な人類であるためのチェックリスト』に含まれる象徴的行動は、突然一気に発達したのではなく、アフリカと近東で長い時間をかけてゆっくり育まれたと、今では考えられるようになっている」
第四章「言葉はいつ生まれたのか?」では、著者は「アフリカの祖先たちは言葉を使った」として、「言語はいろいろな意味で、完全に現代的な存在であることの究極の証だ」と述べ、さらに以下のように書いています。
「アフリカで幾何学模様を刻んでいたホモ・サピエンスは、どのような過程を経たのかは謎だが、ヨーロッパ到達後まもなくフランスのショーヴェ洞窟などで岩絵遺跡を描くようになった。3万7000年も前の遺跡の芸術家が、あのすばらしい動物の壁画を描くことができたのだ(ヴェルナー・ヘルツォークの映画『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』でも紹介されている)。私にとってさらに興味深いのは、ショーヴェの住人がすでに17種類もの幾何学記号を使っていたことだ。17種類といえば、後期旧石器時代に使われていた全記号の半数近くにあたる。これは始まったばかりの慣習にはとても思えない。むしろ、それ以前に生まれたスキルが受け継がれ、磨かれていたように思われる。実際、ヨーロッパ最古の壁画より、ブロンボスやディープクルーフといった遺跡の幾何学模様の方が、図形描写の初めての試みに近いように感じられる」
わたしは、『唯葬論』の「芸術論」や『儀式論』の「芸術と儀式」において、「人類最初の芸術とは、音楽ではなかったか」と書きましたが、本書の第五章「音楽の始まり」では、著者は「2万5000年前の暮らしぶり」として、古代人たちが音楽を好んだことを指摘し、以下のように述べています。
「ヨーロッパ中の遺跡で骨や象牙製のフルートがつくられ、今日のリコーダーと同じような方法で演奏されていた。一部の遺跡には壁から突き出た岩にくり返し叩かれた跡があり、太鼓として使われていたと考えられている。地下の洞窟で叩く太鼓の音は全身に響いたことだろう。 彼らは死というものにとらわれ、愛する者たちを手厚く弔った。石器や宝飾品、ビーズや貝殻を散りばめて美しく飾った衣服などの思い出の品とともに埋葬した。墓に食物の供え物を入れ、真っ赤なオーカーの顔料を遺体に振りかけた。母子が出産時に亡くなれば、死後の世界でも一緒にいられるように、抱き合ったかたちで二人一緒に埋葬した」
第七章「農耕以前に布を織っていた」では、「ヨーロッパ最古の墓と死者の埋葬」として、著者は以下のように述べています。
「初期の墓が発見されていないからといって、当時の人々が死者を手厚く葬っていなかったとは限らない。どこかに墓が眠っていて、発見されるのを待っているのかもしれない。それに、痕跡の残らない埋葬方法はいろいろある。たとえば火葬や、野外の特定の場所に死者を置く(遺体を高地に放置して鳥に食べさせる鳥葬など)、遺体を森に隠すなど。実際、2万5000年以上前のオーストラリアでは、部分火葬が行われていて、ヨーロッパの初期の現生人類も同様のことをしていたのではないかと考えられている。またエジプトでは4万年あまり前の副葬品も発見されていることから、ヨーロッパの初期の現生人類も、死者をぞんざいに処分していたはずがないと、私は考えている。3万3000年前頃に、何かが変わった。それまではまったく墓が発見されていないのが、この頃を境に突如ユーラシア大陸全体の遺跡であたりまえのように見られるようになる」
また著者は、副葬品について、以下のように述べています。
「副葬品は、最初期はほとんどが単純なものだったが、時を置かずに複雑になっていった。ドルニ・ヴィエストニッツェとパヴロフにはヨーロッパ最古の墓があり、一般的な副葬品以外に、それほど手が込んでいるわけではないが、珍しい特徴が見られるものもある。赤いオーカーがとくに頭と骨盤の周りに重点的に振りかけられた墓もあれば、石器、キツネやオオカミの歯、象牙のビーズ、それに海の貝殻さえ入れられたものもある。さらに珍しい副葬品として、体の上に置かれたマンモスの肩甲骨や、特殊な骨器、動物をかたどった土器などがある。墓がまだ開いているうちに木の構造物を上に建て、その後埋葬を行った例も2例ある」
第八章「洞窟壁画をいかに描いたか?」では、「人類に深く刷り込まれた”赤”への愛着」として、著者は以下のように述べています。
「赤という色には、なんともいえない魅力がある。赤は喜び、怒り、幸運、危険、血、太陽、生命、死などを表すのに使われる。世界中の多くの文化で、赤には特別な意味が込められている。赤が重視されていることは、現代の多くの言語にも表れている。言語のなかには多くの色を表す語彙をもたないものもあり、最も単純な言語体系では白と黒、つまり明と暗だけしか認識されない。だが3つめの色の語彙が加わるとき、それは必ず赤なのだ。 赤への愛着は、人類の潜在意識に深く刷り込まれているようだ。最初期の人類は目の覚めるような赤いオーカーをとくに好み(ただしスーダンのサイ島では黄色が好まれた)、それ以前の祖先種も、ほかの色合いより赤いオーカーを好む傾向があった。それにスペインのシマ・デ・ロス・ウエソス遺跡の『骨の採掘坑』で見つかった原初的なローズクォーツの石器(エクスカリバー)が珍しい赤色をしていたことも意味深い」
第十二章「それは文字なのか?」では、「図形記号の誕生でメッセージは時空を超えた」として、著者は以下のように述べています。
「意図的な図形記号が初めて生み出された瞬間は、道具の発明や火の制御、音声言語の発達と並ぶ、人類史上最も意義深い瞬間だった。その記号はただの線だったかもしれないが、どんな記号だったかはこの際重要ではない。重要なのは、人類史上初めて誰かが『意味を伝える』という目的をもって、物体の表面にしるしをつけたことなのだ。そのメッセージには時空を超えて存続する力があり、言語はそれを発した人の寿命を超える永遠の命を授かり、本格的に一人歩きし始めた。最初の記号が、現在世界中の人々が使っている図形によるコミュニケーション体系に進化するまでの道のりは遠かったが、いったんこの重要な第一歩が踏み出されると、記号はあたりまえのように広がっていった」
また、「ラ・パシエガ遺跡の『記号の碑』は文字なのか」として、著者は以下のように述べています。
「すなわち、『それは文字なのか?』。私が記号について一番よく聞かれるのは、まちがいなくこの質問だ。最古の文字体系が現れるのは、氷河期が終わってからずっとあとのことだから、文字の起源や原文字の出現は、本来なら古人類学者の研究対象ではない。もちろん私は自分の注目する幾何学記号が、現代の英語や古代エジプトのヒエログリフ(象形文字)のような本格的な文字体系でないことはわかっていたが、それでも目にとまるパターンが偶然の産物のようにはとても思えなかった」
さらに著者は、旧石器時代の文字について以下のように述べます。
「言語学者は今も旧石器時代の芸術を、文字でないものの例に挙げることがあるし、古人類学者は言語学から借用した用語を使って、この時代の芸術を定義する(抽象的なしるしを『記号』と呼ぶ慣行は、言語学に由来する)。だがどちらの学問分野も、『旧石器時代の記号が意味をもつが文字でないというのなら、何と分類すべきか』という問いを突き詰めることはなかった。またどちらの分野も、私にとって最も興味深い問いに答えてはくれなかった。すなわち、『氷河期にシンボルの利用が発達したことが、のちの時代の文字体系の発明の道を開いたのだろうか?』というものだ。文字は6000年前から5000年前に、何もないところから降って湧いたのではなく、文字の起源はそれよりさらに2万年以上前にさかのぼることはできないだろうか?私はそうできると確信している」
第十三章「一万六千年の女性の首飾りに残された記号群」では、「サン・ジェルマン・ド・ラ・リヴィエールの婦人」として、著者は述べます。
「部族の人々は女性と埋葬品を墓に入れ、土で覆ったあとで、当時としてはきわめて異例なことを行った。彼女のために墓石を建てたのだ。墓を荒らされないように、4本の石の柱を立て、その上に巨大な石板を2枚置いて覆いにした。岩陰の墓石の上には火が灯された。死を弔う灯火の瞬きは、川向こうや眼下のステップ地帯からも見えたことだろう。バイソンの頭骨やトナカイの枝角などの祭具を使って儀式が執り行われ、彼女は死後の世界に送り出された。この墓に長い歳月の間静かに眠っていた女性は、1930年代にフランスの考古学者によって発見され、サン・ジェルマン・ド・ラ・リヴィエールの婦人として知られるようになった」
第十四章「壁画は野外にも残されていた」では、「祖先たちはなぜ地下深くを旅したのか」として、著者は洞窟について以下のように述べています。
「どんなときも私は畏敬の念に打たれる。何度洞窟を訪れても、1万年や2万年、時には4万年も前に描かれた壁画に初めて向き合うときの気持ちは変わらない。私たちに見かけも考え方も似た、私たちと同じくらい人間らしい誰かが描いたイメージの前に立っているのに、悠久の時間に隔てられたせいで、その意味を完全には理解し得ないことに気づいて、ショックを受けるのだ。それでも私たちは、描かれたイメージを通して彼らとつながることができる。暗く静まりかえった地下の世界では時間が収縮し、ほかのどこにいる時よりも祖先たちが身近に感じられる」
わたしは『儀式論』の中で、洞窟が身心変容の空間であることを説きました。第十六章「トランス状態で見える図形なのか?」では、「幾何学模様はトランス状態の産物?」として、著者は以下のように述べています。
「洞窟には、どこかこの世のものとは思えないところがある。洞窟は古今の多くの文化でスピリチュアルな行為の重要な舞台とされるため、氷河期の芸術とシャーマニズムとの関連がいち早く指摘されたのもうなずける。初期に提唱された説の多くは退けられ、忘れ去られたが、この解釈は1980年末に神経心理学の新たな知見の裏づけを得て、再び脚光を集め始めた。この説が再評価されたのは、人間の視覚と視神経に関する理解が進み、意識変容(トランス)状態でどのように機能するかがわかってきたことが大きい」
著者は、「シャーマニズムを実践するサン人の岩壁画」として述べます。
「幾何学的な視覚現象は普遍的に見られ、そのとき見える模様は目が映し出すことのできる形状に限定される。すると、岩壁画に含まれる幾何学記号には、スピリチュアルな意味をもつものがあるのかもしれない。それに具象イメージ、とくに半人半獣像にも、シャーマニズムに由来するものがあるかもしれない。半人半獣像は、儀式の装束を身につけたシャーマンや、霊的世界を訪れたシャーマンを導くスピリチュアルな存在、あるいは霊的世界を訪れたシャーマン自身を表している可能性がある」
また、「地域ごとにスピリチュアルな実践を築いていた」として、著者は以下のように述べます。
「シャーマニズムも可能性の1つだが、何らかのかたちのアニミズム(すべての動物や植物、無生物に固有の霊が宿っているという考え)や祖先信仰、またはその組み合わせを実践していた可能性もある。ルイス=ウィリアムズらによる、意識変容状態の生理学的側面に焦点をあてるアプローチは、氷河期の文化についてわかっていることがほとんどない現状でとることのできる、巧妙な手法だ。祖先たちは確かにトランス状態に入ることはあったかもしれない。ただ、その状態で見たヴィジョンを芸術というかたちで表すことに関心がなかったのかもしれないし、洞窟の壁ではなく傷みやすい素材に記録していたのかもしれない」
続けて、著者は「シャーマン」について以下のように述べるのでした。
「言語学者によれば、シャーマンという言葉が生まれたのは2000年以上前の氷に覆われたシベリアのツンドラ地帯で、ほかの地域でのスピリチュアルな実践を指す用語としても使われ始めたのは、最近のことだという。シベリアと東ヨーロッパの旧石器時代の遺跡を研究する考古学者は、シャーマンの伝統がさらに古く、グラヴェット期のチェコ共和国から東はロシアまでの太古の村にさかのぼるのではないかと考えている」
おわりに「データベースを世界の遺跡に広げる」の最後、著者は以下のように述べていますが、感動の名文です。
「遠い祖先たちが何をきっかけに、意思を伝えるための記号を生み出したのかを、私はぜひとも知りたい。この問いへの答えを求めて、これからも洞窟を這い回り、データを集め続けるだろう。記号が長い歳月の間に使用され、発展してきたパターンを研究することで、記号を生み出した人たちについていろいろなことがわかる。幾何学記号は、抽象化と象徴的思考というすばらしい能力が備わった知性、つまり完全に現代的な知性の産物だと、私は確信している。もしも祖先たちが図形によるコミュニケーションの世界におずおずと足を踏み入れなかったなら、その子孫である私たちが今日あたりまえのように使っている文字体系を生み出す上で必要だった認知能力は存在しなかっただろう。もしもアフリカ、ヨーロッパなどの遠い祖先が、各地に散らばった人類の仲間とつながるための、この革新的な手法を編み出さなかったなら、私たちはどんな偉業もなし得なかった。それに、もしもあの最初の記号が生み出されなかったなら、あなたと記号の話を分かち合うためにこの本を書くことさえできなかったのだ」
「訳者あとがき」では、櫻井祐子氏が以下のように述べています。
「カナダ・ビクトリア大学で人類学専攻の博士課程在学中のジェネビーブ・ボン・ペッツィンガーは学部生のときに、世界で誰もその幾何学記号を研究していないことに気づく。行動力のある若き女性研究者は、カメラマンである夫とともに、ヨーロッパの52カ所の洞窟を探検。さらに、ヨーロッパ全土、368カ所の氷河期の洞窟の記号を収集。それを世界で初めてデータベース化する。その結果は世界の耳目を集めるものになった。氷河期の3万年という期間に、ヨーロッパ全体の洞窟で使われた記号は32個に収斂された。しかも、2400キロ離れているシチリアとスペインの遺跡で同じような記号群が見つかったり、急峻なピレネー山脈を挟んで特異な記号が一致したりしたことを、彼女は自らの調査から明らかにする。これらの記号が、文字によるコミュニケーションの萌芽ではないか、というのが彼女の見立てである」
そして、櫻井氏は以下のように述べるのでした。これもまた名文です。
「暗く静かな洞窟のなかで記号と向き合い、太古の人たちの息づかいをつねに感じている彼女ならではの筆致と、数々の美しい写真を通して、文化や宗教、国境によって分断される前の人類、次々と立ちはだかる難問に対処しようと努力してきた人類が、とても身近でたまらなくいとおしい存在に思えてくる。夜空を見上げ、宇宙や人類の神秘に思いを馳せたことのある方たちに本書を読んでいただければ、訳者としてこれほど嬉しいことはない」