No.0122 国家・政治 『日本辺境論』 内田樹著(新潮新書)

2010.07.27

日本辺境論』内田樹著(新潮新書)を読みました。

日本人とは何ものか?

現代日本を代表する「知」のフロントランナーである著者は、「日本人とは何ものか」という大きな問いに、「日本人とは辺境人である」と正面から答えます。

常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人であるというのです。そして、辺境人には国民としての「初期設定」がありません。2009年1月20日、バラク・オバマはワシントンで歴史に残る感動的な就任演説をしました。著者は、このオバマ演説について、次のように述べます。

「どこが感動的かというと、清教徒たちも、アフリカから来た奴隷たちも、西部開拓者たちも、アジアからの移民たちも、それぞれが流した汗や涙や血はいずれも今ここにいる『私たちのため』のものだというところです。人種や宗教や文化の差を超えて、『アメリカ人』たちは先行世代からの「贈り物」を受け取り、それを後代に伝える『責務』をも同時に継承する。アメリカ人がアメリカ人であるのはかつてアメリカ人がそうであったようにふるまう限りにおいてである。これがアメリカ人が採用している『国民の物語』です。」

著者によれば、アメリカ人の国民性格はその建国のときに「初期設定」されているというのです。だから、もしアメリカがおかしくなったら、それはその初期設定からの逸脱です。アメリカがうまく機能しなくなったとしたら、誤作動したコンピュータと同じで、初期設定に戻せばいいわけです。

ここが正念場というときには「私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という起源の問いに立ち戻ればいいというのです。これは、国家のみならず企業においても通用することだと思います。

そもそも企業というものは創業者の使命感や志を反映したものであり、会社がおかしくなったら創業時の理念を思い起こす必要があります。わが社が「天下布礼」とともに「創業守礼」の旗を掲げているのも、そのためです。企業にも国家にも初期設定というものがあるのです。

しかし、日本という国には初期設定があるでしょうか。著者は、「私たちは国家的危機に際会したときに、『私たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか』という問いに立ち帰りません。私たちの国は理念に基づいて作られたものではないからです。私たちには立ち帰るべき初期設定がないのです」と述べています。

日本人の初期設定について考えたときに司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた「明治という国家」が思い出されます。NHKの大河ドラマスペシャルにもなりました。

しかし、「健全な」ナショナリズム賛歌として見られがちな『坂の上の雲』という物語、あるいは日露戦争までの明治という時代は、それを高く評価する人とともに、逆に批判する人も多く、けっして日本人の初期設定にはなりえないと思います。

いっそ『古事記』の世界を初期設定にすべしという考え方もあるかもしれません。しかし、わたしは、やはり聖徳太子の時代こそ、日本人の初期設定になりうる可能性を持っているような気がします。

そもそも、太子が「世界の中心」である隋の皇帝に対して「日出づる処の天子、書を、日没する処の天子に致す」という親書を送ったことこそ、日本が辺境であることを逆説的に告げたわけですし、日本が太陽の生まれる国、つまり「日の本」であることの宣言でもありました。そして、何よりも太子は神仏儒を平和的に共存させた日本人の「こころ」のデザイナーでした。その平和的精神の最大の表現でもある「憲法十七条」が発布された604年を「日本人が誕生した年」にすればよいのではないかと思います。

辺境人としての日本人の国民性格とは、何よりも「何でもあり」であり「いいとこどり」です。そして、著者も指摘するように、辺境人の「学び」は効率がいい。日露戦争から太平洋戦争までは、「日本こそ中華」と錯覚し、辺境人としての立場を忘れた特異な時期だったのかもしれません。日本人は今後も辺境人を自覚して、その道を堂々と貫くべきです。そして、ジャンルを問わず海外の良いものは何でも貪欲に吸収していけばいいと思います。

さて、鎌田東二さんとの往復書簡「ムーンサルトレター」の第53信で、本書『日本辺境論』が話題になりました。わたしは、ここまで書いてきたような考えを述べたところ、鎌田さんからは次のような返信が来ました。

「わたしは『古事記』と『日本書紀』と『風土記』と『万葉集』は日本人にとっての『立ち帰るべき初期設定』だと考えています。少なくとも『日本』という『国』や『文化』の連続性は、それをどう考えるかは別にして、そこを一つの中継ダムとして担保されてきたからです。」

「『初期設定』を聖徳太子に求めるShin(一条真也)さんの見解に反対ではありませんが、しかし、その典拠となるテキストが定かではない今、わたしは上記四書と大宝律令や養老律令がとにもかくにも日本の初期設定であると言いたいのです。そこから、どのような思考と吟味や批判と可能性を汲み出すことができるのかが問われていると考えます。」

ここで、鎌田さんは次のような大胆な提言をされます。

「わたしは、中国を『史の国』だとすれば、日本を『詩の国』だと位置づけたいと思います。別の言い方をすれば、それは歴史よりも神話が優先するということです。そしてその神話とはいにしえの詩であります。イザナギ・イザナミのミコトは、『みとのまぐはひ』をして国生みする際に、互いに詩を投げ掛け合います。『あなにやしえをとこを』『あなにやしえをとめを』と。これが歌であり、詩でなくてなんでしょうか?」

スサノヲのミコトは「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」と、日本最初の短歌=和歌を歌いました。そう、それはイザナギ・イザナミよりスサノヲに伝承されたのでした。そして、さらにスサノヲの詩心は、雄略天皇の第1番歌に始まり、大伴家持の第4516番歌で閉じられる『万葉集』へと伝承されます。

鎌田さんは、「日本は確かに辺境の国ですが、辺境の国であるが故の溜めを持っています」と述べています。その溜めは詩・歌・神話として保持されており、それがいわゆる「冠婚葬祭」の元となったと考えているとも。非常に興味深い問題だと思います。

このように、内田樹氏から発せられた「日本の初期設定」という問題は、冠婚葬祭を業として営み、歌詠みとして詩心を求めるわたしにとっても大きなテーマです。今後も、わたしなりに、「日本の初期設定」について色々と考えてみたいと思います。

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