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No.0156 読書論・読書術 『実践!多読術』 成毛眞著(角川oneテーマ新書)
2010.08.28
『実践!多読術』成毛眞著(角川oneテーマ新書)を読みました。「本は『組み合わせ』で読みこなせ」というサブタイトルがついています。
著者は、書評ブロガーとして有名な人です。2008年に出版した『本は10冊同時に読め!』(知的生き方文庫)では、「超並列」読書術というものを紹介しています。
本は「組み合わせ」で読みこなせ
本書の「はじめに」には、その「超並列」読書術について次のような説明があります。
「動物の中で人だけが本を読む。したがって、本を読まずして自身が成長し、人生に成功する方法などあるはずもない。しかし、ただ本を読めば良いというものではない。適切な本を選んで多読を心がける、そして並列に読むことが大事だ」
著者は、基本的に新刊書だけを読み、それも小説の類はまったく読まないそうです。「超並列」読書によって「多面的な物の見方」を得ることの大切さを訴えています。それならば、古典や小説も読んだほうが多面的な物の見方ができるのでは?
でも、本書を読んで、著者の考え方に共感できた部分も多かったです。まず、「書評」というものに対する著者の考え方に非常に共感しました。著者は、あくまでも自分が薦めたい本を誰かに伝えたくて書評を書いているそうです。
佐々木俊尚氏によれば、著者のような書評家を「キュレーター」と呼ぶそうです。キュレーターというのは、もともと博物館や美術館などの学芸員のことで、観客に観てほしい作品を展示します。つまり、キュレーターというのは専門家ではありますが、「評論家」でなく、あくまで「推薦人」なのです。
著者は日頃から、気に入った本を薦める書評ばかり書いています。そのため、褒める文章だけはうまくなった気がするとした上で、次のように述べます。
「これは、日常生活においても、仕事の上でも得なことだ。人間関係を円滑にするためには、褒めることが基本だからだ。少なくとも、人を蔑み、バカにするための言葉がうまくなるよりもはるかに得だ。人をバカにしてメシが食えるのはテレビの中のコメンテーターやタレントくらいなものである」
匿名ブロガーなどの中には、非常に悪意のある書評を書く者がいます。そんな人には、ぜひ、この文章を読ませたいものですね。
ここで思い浮かぶのは、哲学者の内田樹氏です。内田氏は2010年1月22日のブログで、自身のことを「『絶賛書評』家」と呼んだ上で、次のように書いています。
「世の批評家たちのなかには絶賛しないどころか、書評でひとの本の欠点を論う人がいるが、あれはどうかと思う。
書評というのは、いわば『本』の付属品である。
鰻屋の前に立って、道行く人に向かって『ここの鰻は美味しいですよ』というのは赤の他人の所業でもつきづきしいが、『ここの鰻はまずいぞ』と言い立てるのはやっぱりお店に対して失礼である。
つかのまとはいえ、先方の軒先を借りてるんだから。
そういうことは自分の家に帰って、同好の士を集めて、『あそこはタレが甘いね』とか『ご飯が硬いんだよ』とかぼそぼそ言えばよろしいのではないかと思う」
わたしは、この内田氏のブログの文章を勢古浩爾著『ビジネス書大バカ事典』(三五館)を読んで知りました。「さすが、内田樹!」と言いたくなる文章ですが、まさに「書評の本質は絶賛にあり」と、わたしも思います。
いま、大きな話題となっている電子書籍に対する著者の考え方にも共感しました。著者は「書籍は情報であることはもちろんだが、それ自体が作品でもある。装丁にも、スピンと呼ばれるしおり紐にも、版の組み方にも、ノンブルにもそれぞれの価値がある」と書いているのですが、わたしが言いたかったことをよく代弁してくれた思いがしました。これだけ多くの本を読みながら、本を消耗品として見なさずに、作品として見る。つまり、本への愛情が感じられて、好感が持てました。
それから、「これから成功するかもしれない書店のビジネスモデル」という章を興味深く読みました。著者は、専門書店をモジュール化したビジネスモデルを考えているそうで、次のように述べています。
「たとえば築地に行くと、料理の本だけに特化した書店がある。ホームセンターにはDIYやガーデニングに特化した書店コーナーがある。秋葉原には、模型専門の書店がある。じっさいイギリスには、ガーデニング専門の書店が目立つ。これに加えて、たとえば自動車専門であるとか、時代小説専門といった専門業種をセレクトして、間口一間でモジュール化する」
非常に面白いアイデアだと思います。わが社では、グリーフケア・ワークの専門ショップ「ムーンギャラリー」をオープンし、そこに「グリーフケア」の専門書店を併設しましたが、今後は「冠婚葬祭」や「人間関係」といったジャンルの専門書店なども構想しています。
さて本題の読書術では、第三章「経営者は自然科学に学べ」が興味深かったです。「仮説検証は経営の仕事、だから自然科学に学べ」「マーケッターは、把握できないものに手を出すな」「日本の軍事記録は人心掌握術を学ぶべき教科書」「ノンフィクション・ミステリーで、常識を疑う心を養う」など、どの章も説得力に富んでいます。
ノンフィクションでは、フェルナン・ブローデル著『地中海』全5巻(藤原書店)やロビン・ガーディナー、ダン・ヴァンダー・ヴァット著『タイタニックは沈められた』(集英社)など、わたしの愛読書も紹介されていたので嬉しくなりました。著者が入浴中に読むという『知の再発見』双書(創元社)も、わたしのお気に入りです。
一方、著者が推薦しているブローデル『歴史入門』(中公文庫)、グレアム・フィリップス著『消されたファラオ――エジプト・ミステリーツアー』(朝日新聞社)や瀬地山澪子著『利休――茶室の謎』(創元社)は未読なので、ぜひ読んでみたいと思いました。早速、『歴史入門』をアマゾンで注文しました。『消されたファラオ』もアマゾンの古書で注文できましたが、『利休』のほうはまったく入手不可能でした。どなたか古書店などで見つけられたら、御連絡下されば幸いです。
最後に「経済・経営編」として、著者が薦める本に、『マネジメント――務め、責任、実践』全3巻、ピーター・ドラッカー著、有賀裕子訳(日経BP社)がありました。
著者は、「ドラッカーの凄みは手法の鮮やかさだと思う」と述べます。一般に経済学者は現実を必死に理論化し、その理論の正当性を検証するという科学的な手続きを重んじます。しかしドラッカーは、直感的に現実を捕まえて表現することができるというのです。
もちろん、ドラッカーは経済学者ではありません。それどころか経営学者でも哲学者でもなく、いわば「ドラッカー」という存在としか表現できないとして、著者は次のように述べます。
「ドラッカーを語りはじめると一冊を費やしかねない。しかし、ドラッカーを解説する本を読むよりも、ドラッカーを一冊読むほうがはるかに手っとり早いのだ」
『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』(フォレスト出版)という本を書いたわたしも、そう思います。(笑)
なんだか、ドラッカーの著書をもう一度読み直してみたくなりました。