No.0193 ホラー・ファンタジー 『かたみ歌』 朱川湊人著(新潮文庫)

2010.10.11

かたみ歌』朱川湊人著(新潮文庫)を読みました。

先日、東京は浜松町の書店「ブッククラブDAN」を訪れたとき、文庫コーナーにこの本がたくさん並べられ、「泣ける本! 超おすすめ!」といった内容のPOP付きでした。それで興味を引かれ、立ち読みしてみると、なんだか面白そうだったので購入しました。

死者と交流できる商店街の物語

著者は、1963年(昭和38年)生まれとのことで、わたしと同じです。ということは、リリー・フランキーとか酒見賢一とか重松清といった人々とも同級生です。わたしは、つねづね才能ゆたかな同年齢の書き手の存在に励まされているのですが、本書の著者も2005年に『花まんま』で直木賞を受賞しています。しかも、彼の描く小説世界は、わたしの好むホラーやファンタジーの分野だとういうので、非常に楽しみに読みはじめました。

物語の舞台は、今から30年から40年ほど前の東京の下町にあるアカシア商店街。この町には、さまざまな店が軒を並べています。芥川龍之介似の主人がいる古書店、看板娘がGSのタイガースに夢中な酒店、路地裏のスナック、恐ろしい殺人事件が起こったラーメン店、そして、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」ばかりを流し続けるレコード店。

「アカシア商店街」という名前からレコード店の主人は、「アカシアの雨がやむとき」が商店街のテーマ曲と思い込んでいるようです。そのアカシア商店街とその周辺の町に住む人々にふりかかった7つの不思議な出来事を描く、ノスタルジックホラー連作集が本書です。

「ノスタルジックホラー」というだけあって、けっこう怖い話なのだけれど、たまらなく優しい気分になってきます。それは、本書の時代背景が昭和40年代だからです。まさに、わたしが小学生だった時代と完全にマッチするのです。

映画「ALWAYS~三丁目の夕日」の原作となった西岸良平の「三丁目の夕日」シリーズの時代は昭和30年代半ばですが、本書は40年代半ばです。この昭和40年代という新しい「時代」を開拓したことは、本書を魅力あふれる本にした大きな理由ではないかと思います。

内容そのものは、もともと幻想文学には少々うるさいわたしには軽いというか、読みやすさゆえのライト感覚に物足りない部分はありました。読み始めて、すぐ「浅田次郎の小説に似ているなあ」と思ったのですが、『鉄道員(ぽっぽや)』とか『地下鉄(メトロ)に乗って』などの浅田ワールドに明らかに通じています。

また、フジテレビの「世にも奇妙な物語」の原作にふさしいような短編が多いとも思いました。しかし、けっして貶しているのではなく、それだけ読みやすく、わかりやすく、本格的な幻想小説を好むマニアよりも一般的な読者を広く得やすい小説だと言えるでしょう。(その後、本書所収の「栞の恋」が、先日放映された「世にも奇妙な物語 20周年スペシャル・秋~人気作家競演編~」で本当にドラマ化されたことを知りました。)

それに、ストーリーはけっして単純ではなく、最初は結末が予想されるのですが、最後にはその結末が見事に裏切られます。いわば、著者が描くストーリーには「ひねり」があるのです。読者に結末を予想させながら、必ずその予想を裏切るなど、なかなかの筆力の持ち主だと思います。

本書に出てくる7つの物語には、いずれも死者と生者との交流が描かれています。「ひかり玉」という作品では、死んだ動物と生きている人間との交流が描かれており、最近ハリーを亡くしたばかりのわたしは、しんみりしてしまいました。でも、どの作品の主人公も、死者すなわち幽霊に会ったからといって怖がったり、騒いだりしません。死んだ人々だって、この町の立派な住人なのです。そんな不思議なことが、ごく当たり前に思えてくる、これはアカシア商店街の魔力だと言えるでしょう。

なぜ、この町には次々に不思議な出来事が起こるのか。その秘密は、覚知寺という妖しい雰囲気を漂わせる寺にありました。この寺は「あの世」と通じている場所であり、その境内には石灯籠があるのですが、それを覗くと死に別れた人にもう一度逢えると信じられているのです。死者は消滅したのではなく、ただ「あの世」で暮らしているだけなのであり、「あの世」はわたしたちのすぐ身近にあるのです。本書の「解説」を担当した作家の諸田玲子氏は、次のように書いています。

「私の子供の頃は、そんなふしぎが入り込む場所が町のそこここにあった。路地裏の庇合や、大木の洞や、防空壕の跡や、天井裏や縁の下や、草茫々の空き地や・・・・・・。商店街には老人も若者も子供も行き交い、互いに声を掛け合って、日々、新たなドラマが生まれていた。今はふしぎが入り込む場所も、他人同士が言葉が交わす商店街さえぐんと減って、物語が生まれる余地がなくなってしまった」

たしかに、「ふしぎが入り込む」場所はおろか、「他人同士が言葉が交わす商店街」さえ消えつつある現在、新しい物語など生まれようがないでしょう。いま、日本は「無縁社会」などと呼ばれていますが、このような事態を招いたのは全国各地における商店街の衰退も大いに影響していることは間違いありません。いつか、わたしは『商店街は必要!』という本を書きたいと思います。いや、ほんとに。

最後に、本書には数々の懐メロが登場します。いつも「アカシア雨がやむとき」を流しているレコード店は「陰気くさい歌ばかり流す」などと言われています。でも、最終話の「枯葉の天使」のラストには、「ふとどこかから、チューリップの『心の旅』のメロディーが聞こえてくる。きっと、いつも陰気な曲を流しているレコード屋が、ちょっと目先を変えて新しいものをかけているのだろう」と書かれています。そして、「アーケードの突き当たりの向こうには、眩しい春の光が満ちている」という最後の一文を読んで、わたしは「心の旅」はぴったりの曲だと思いました。

それにしても、良い作家とめぐりあうことができて、わたしは嬉しくて仕方がありません。昨年、やはり同級である重松清の小説を初めて読んだときと同じ幸福を感じています。

重松清の小説は、すべて読み尽くしてしまいましたが、朱川湊人はまだ本書しか読んでいません。これから、『花まんま』だって、『都市伝説セピア』だって『いっぺんさん』だって、面白そうな本がたくさん控えているのです。

絶対に面白くて、まだ読んでいない本がたくさんある。人生で、これほど幸福なことが他にあるでしょうか。わたしは、いま、ウキウキしています。ドキドキ、ワクワクしています。

「あ~、だから、今夜だけは~」と、「心の旅」を歌い出したくなるような気分です。

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