No.0724 読書論・読書術 『立花隆の書棚』 立花隆著、薈田純一写真(中央公論新社)

2013.05.14

『立花隆の書棚』立花隆著、薈田純一写真(中央公論新社)を読みました。
この本、とにかく分厚い! ハードカバーでページ数は650ページですが、その厚さは5センチ以上もあります。これまでで分厚い本といえば、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が思い浮かびますが、同書は700ページ近くありました。でも2冊を並べてみると、本書のほうが厚いのです。50ページも多い本よりも厚いというのは、中に膨大な書棚を撮影した写真の折込ページが挟まれているからです。

 この分厚さを見よ!

本書の黒地の帯には「圧倒的な知の世界」と黄色で大書されています。続いて、次のように書かれています。

「書棚を見ると自分の『メイキング・オブ』が見えてくる。本の背中を見ただけで、その本を買って読んだ時期の思い出が次々によみがえってくる。自分の怒りや苦悩が、本とともにあったことを思い出す。どうしようもなく汚れた、きたない本ほど捨てがたいのは、その本を繰り返し読んで、線を引いたり書き込みをした思い出がそこにいっぱい詰まっているからだ」
さらには、「決定版! 立花隆自ら全書棚を解説」とも記されています。

書棚の写真は、人の書棚というものに異常なほどの興味を持つという写真家の薈田純一氏が開発した「精密書棚撮影術」によって撮影されたものだとか。これは、まず書棚の一段一段を、レーザー墨出し器を使って精密に撮影し、すべての棚の写真を最後に面合わせして完全な平面を再構成するというものです。それによって、書棚全体の一冊一冊の本がクリアに見えるわけです。

これまで『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』および『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』(ともに文藝春秋)などを読んで、立花隆氏の「知の要塞」というべきネコビルの存在は知っていましたが、その全貌が本書によって明らかになったわけです。

本書には、膨大な書棚写真とともに、著者による蔵書にまつわる解説が掲載されています。そのテーマはあまりにも広く、それを追っているだけで「知の迷宮」に迷いこんだような錯覚をおぼえます。本書の「目次」は、章ごとにネコビル(一部、その他の場所も含む)のフロアを紹介しており、そこに収められた蔵書にまつわる著者の解説内容が小見出しとなっています。「目次」そのものも膨大なのですが、それぞれ非常に興味深いテーマばかり取り上げられていますので、あえて以下に紹介します。

「まえがき」
●第一章:ネコビル1階
「死」とは何か
自分の体験から興味が広がる
日本近代医学の始まり
分子生物学は、こんなに面白い
春本の最高傑作
伝説の編集部
不思議な人脈
中国房中術の深み
フロイトはフィクションとして読む
サルへのインタビューを試みた
河合隼雄さんとの酒
アシモはラジコンに過ぎなかった
人間の脳とコンピュータをつないでしまう
医療、介護から軍事まで
原発事故現場に入ったロボットがアメリカ製だった理由
最初はアップルのMacを使っていた
ネットの辞典は使わない
汚れたラテン語の教科書
役に立つシソーラス
虫眼鏡より拡大コピー
ポパーの主著が見つからない
お坊さんで科学者の偉人
古本屋の商売
とにかく脳のことはわかっていない
壊れた脳がヒントになる
医学系の心理学と文科系の心理学がある
レポートそのものが売り物になる宇宙モノ
嘘が面白い
ブッシュの一日
アメリカにおける原発開発ブーム
最新の原発技術
東電ではなくGEに損害賠償を要求すべき
原発の安全性を証明する事件になるはずだった
太陽光発電の可能性
研究の自由は、現代社会で最も重要なもの
キュリー夫人の国
原発研究に積極的なロシア
中国が原発大国になる

●第二章:ネコビル2階
土着宗教としてのキリスト教
真言宗の護摩焚きにそっくりだと思いました
聖母像の秘密
マリア信仰
寝取られ男ヨセフ
黒いマリア
日本とイエズス会宣教師の深い関係
現地人と親しくなるコツ
殉教者の歴史
インカの血統
偽書を楽しむ
途切れた天皇の系譜
自著はあまり読み返さないけれど

●第三章:ネコビル3階
西洋文明を理解するには聖書は必読
個々の文章を読み込んでいくこと
神の存在を素朴に信じるアメリカ人
アーサー王伝説
本は総合メディア
イスラム世界を「読む」
神秘主義
井筒俊彦先生との出会い
ルーミーの墓所
コーランの最も有名なフレーズ
『古事記』『日本書紀』以外の系譜
パワースポットの源流
神、キリスト、そして聖霊
巨石文明とヴィーナス信仰
メーヌ・ド・ビランと日本の出版文化
ソクラテス以前の哲学
フリーマン・ダイソン
地球外生命体は存在する!?
困ります、岩波さん
ファインマン最大の仕事
くりこみ理論
科学を「表現する」天才
科学は不確かなものである
サイエンスについて語ることの難しさ
現実では起きないけれども……
アインシュタイン最大の功績
レーザーの世界
日米、「光」の競争
タンパク質の構造解析

●第四章:ネコビル地下1階と地下2階
自動排水装置
取材は「資料集め」から
明治維新について書くなら必須の資料
貴重な『Newsweek』
大学は「自分で学ぶ」ところ
保存できなかった農協関係資料
本を書いた後に、資料が増えていく不思議
石油から、イスラエルと中東問題へ
モサドのスパイ、エリ・コーエン
本には書いていないエルサレム
パレスチナ報告
科学史が重要なわけ
日本の航空機製造の元祖
郷土史研究の名資料
野坂参三の秘密
重信房子に接触を試みた
ゾルゲと日本共産党
警察資料まで売っている古本屋
雑誌はなかなかいい資料
連続企業爆破事件はまだ終わっていない
機関誌へ寄稿していたビッグネーム
アメリカの新聞も危ない
西欧諸国における下水道の意味
スターリンとは何だったのか?
プーチンは帝国を作ろうとしている
旧岩崎邸の地下で起きた事件の真相
ぼくが煙草を吸わない理由
半藤一利さんと田中健五さんにはお世話になった

●第五章:ネコビル階段
ブルゴーニュからヨーロッパを知る
近代国家の枠組みを相対化する
書棚は歴史の断面である
ゲーデルの功績に有用性はあるか
アジアは単純ではない
教科書的な本をまず手にとる
宗教学者としてのマックス・ウェーバー
政治家の質を見分ける本
親父の形見
政治家の自叙伝

●第六章:ネコビル屋上
コリン・ウィルソンの多面的世界
男はみんなスケベだ
埴谷雄高の思い出
転向者の手記
共産党から連日のように批判記事を書かれた
火炎瓶の作り方
ワイン作りの思い出
その「赤い本」の日本語版

●第七章:三丁目書庫+立教大学研究室
お気に入りはバーン=ジョーンズ
ロンドン風俗のすべてが描かれている
日本にも大きな影響を与えたラファエル前派
死ぬ前に見ておきたい絵
今、アメリカで最も有名な中国人画家
人間が人間を表現するということ
一休と森女の謎
日本の三大バセドウ病患者
「汝の欲するところをなせ」というタイトルのビデオ
携帯の電波が届かない執筆スペース
大学の教養課程で教えるべきは、「脳」について
どうしようもない人のどうしようもない本
特別な写真家土門拳
春画でも最高峰の葛飾北斎
錦絵なしに歴史は語れない
原書房の独特なラインナップ
角栄について新しいことが書かれた本はもう出ない
もう一度音を鳴らしてみたい
学生時代は映画館に入り浸っていた
河出書房の意外な姿
ヨーゼフ・ボイスの不思議な仕事
日記からわかる明治維新
新聞凋落!?
彼らにはたしかに「勢い」があった
古書店の在庫目録
昭和史の資料と戦闘詳報
伏字だらけの日本改造法案
盗聴と二・二六事件
ブーガンヴィルと啓蒙思想
キリスト教の歴史を知るための基礎資料
歴史は「今」から逆戻りで学ぶべき
時代が変われば、本を置く場所も変わる
「索引」

本書で語られる著者の解説も傾聴に値するものが多く、たとえば「まえがき」では次のように述べらています。

「やはり、若い才能というのはあるもので、昔のいい本にもう一度出会うのも悪くないが、若いブリリアントな才能の持ち主と出会うことは嫉妬の対象にこそなれ、なかなか賛嘆の対象にはならなかった。しかし、七十を過ぎて、素直に、何でもよいものはよい、と言いたくなった」

「現代版三位一体論を考えるなら、今こそ、神学と物理学と哲学の三位一体論をやるべきだと思う。それは、光とエネルギーと物質の三位一体論であり、これは物理学の公式で書き表せば、E=mc²のアインシュタインの相対論と、E= hνのプランクの量子力学から導き出せる。これがこの本を書きながらたどり着いた一つのことである」

「フロイトはフィクションとして読む」では、次のように述べています。

「ぼくは、フロイトの理論というのは、基本的に「フィクション」だと思っています。頭から信じている人には、『フロイト先生のウソ』(ロルフ・デーゲン著、文藝春秋、2003)という本を読むことをオススメしたい。若い頃には、『こんなものは科学の名には値しない』とバカにしていた時期もありましたが、今は『文学や芸術と同じものとして読んでみれば、けっこう楽しめる』というスタンスです。『フィクション』だと思って読んでも、面白くないものは面白くありませんからね。そういう意味で、フロイトは面白い」

わたしは、著者のこの発言に非常に共感しました。わたしも『フロイト先生のウソ』は読んでおり、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「ハートレス・ソサエティ?」でも紹介しました。

「キュリー夫人の国」も興味深く、著者は次のように述べています。

「フランスが原発分野に圧倒的な自信を持っているのは、原発を利用してきた歴史が長いこともありますが、何より放射能に関わる科学が、すべてフランスで発展してきたからです。
この点を知らない人が多いのですが、フランスは、何と言ってもキュリー夫人の国です。『ベクレル』という単位も、キュリー夫妻と共にノーベル物理学賞を受賞したアンリ・ベクレルにちなんだものです。キュリー夫人やベクレルが在籍していた研究所は現在でもソルボンヌの中にあります。それもただ保存されているだけでなく、現在も次々と研究者が輩出していることもあって、ヨーロッパ中の原子力、あるいは原子核分野の研究者はこの系統に連なっているのです」

「土着宗教としてのキリスト教」では、わたしも愛読した『黄金伝説』という本が取り上げられています。

「棚の上にある『黄金伝説』というのは、ヨーロッパに昔から伝わるさまざまな聖者たちの伝説を集めた本です。真偽が疑わしいというより、端的に『怪しい話』がたくさん混ざっているのですが、とにかく読んでみるとすごく面白い。カトリックの聖人伝説は、ギリシャ・ローマ神話が古典古代において果たしていますから、ヨーロッパ文化を本当に深いレベルで知ろうと思ったら、『黄金伝説』は欠かせない必須アイテムです。日本文化の最古層を知ろうと思ったら『古事記』の日本神話を読むことが必須なのと同じことだと理解してください」

「個々の文章を読み込んでいくこと」では、「西洋の文学やら哲学やらをかじろうと思うなら、一応は聖書は読んでおくべきです」として、次のように述べます。

「世界標準に知識を近づけるという意味では、サイエンス系のほうが簡単なんです。今の日本の大学は、トップレベルであれば、十分に世界と同じだけの知識も蓄えていますし、新しい研究も行っていますから、大学でひと通りのことを学べば、一応は世界の水準に到達します。
しかし、文科系の知識は深みがまったく違います。特に文学と哲学に関しては、よほど腰を据えて独自に勉強をしないと、大学の授業をこなしたくらいでは、西洋人のごく平均的なレベルの知識を身に付けることすらできないと思います」

「本を書いた後に、資料が増えていく不思議」も面白かったです。名著『臨死体験』(文藝春秋)を書いた著者は、次のように述べます。

「実は、あの『臨死体験』を出版したことで、日本中のさまざまな人から臨死体験に関わる本が送られてくるようになったんです。本を書く前に全国各地から資料を取り寄せたことは何度もありますが、本を書いたあとに本が大量に送られてきたのは、このときが初めてでした。臨死体験って、こんなに関心が持たれているんだと、びっくりしました。
どうやら臨死体験については、実際に経験された方を含めて、みなさん独自にいろいろなことを考えているんですね。自らの経験や自説を書物の形にまとめている方もたくさんいる。それらがドッと送られてきた。だから今ここにある本も、もしかしたら、本を書くための資料として買ったものよりも、送られてきた本のほうが多いかもしれない。
これがある種のジャンルでは起こり得るのです。あることを狂信的に信じている人たちは、いわば親切心から本を送ってきてくれる。『私はこのような真理を知っているのに、あなたは知らないでしょう。この本を読んで御覧なさい』という感覚です」

「歴史は『今』から逆戻りで学ぶべき」も共感しました。『図説 世界の歴史』(J・M・ロバーツ著、創元社、2002-03)の第10巻「新たなる世界秩序を求めて」の監修は著者が務めていますが、それのみならず後半は著者自身が書いているそうです。日本の歴史教育のあり方を疑問視する著者は「本当に教えるべきは、現代の歴史です」と喝破し、次のように述べます。

「高校の世界史では、一年生の夏休みまでずっとギリシャ・ローマを教えて、三年生の最後に第二次世界大戦までたどり着けるかどうかといったところです。日本史でも同じように古いことばかり教えているから、みな縄文時代・弥生時代はよく知っている(笑)。でもそれでは駄目なのです。高校の教育改革の一つとして、『現代史』という教科を立ち上げるべきだと主張している人もいますが、これはぜひ導入するべきだと思います。現代史がわからないと、現代そのものがわからない。ぼくが歴史を教えるときは、新しい時代から順番に教えます。まず、今の世界の状況を教える。次に、その少し前の状況を伝えて、なぜ今のような事態になったのかを教える。これを繰り返して、少しずつ歴史を逆戻りしていくのです。それで、ぼくとしてはフランス革命辺りまで戻れば、十分じゃないかという気がしています。もちろん歴史が好きな人はいくらでも戻ればいい。でも縄文時代から始めてフランス革命まで進めるよりも、『今』からフランス革命まで戻るほうが、ずっと意味がある。過去200年がわかれば、『今』がわかるのです」
わたしは、著者のこの意見に全面的に賛成です。

最後に、電子書籍時代を迎えて、紙の本の危機が叫ばれていますが、「本は総合メディア」において、著者は次のように語ります。

「ぼくを含めて、オールドジェネレーションにとっては、電子本より紙本のほうが扱いやすい。心理的にフィットする。紙本じゃないと、自由自在に線を引いたり書き込みができません。電子本でも同じようなことはできることはできますが、実際にやってみると、やはり紙本のほうがずっと融通性が高い。紙本であれば、自分流のやり方で何でもできるが、電子本のそれ的な機能だとそのフォーマットに従わねばならず、自由度が低いわけです。そして、紙の本には何といっても、存在感がある。手ざわり、質感。重量感。それに、デザイン、造本、紙、印刷などなど、紙本ならではのクオリア的要素が何とも言えない。もちろん、くだらない本は、電子本でも紙本でもいいのですが、内容がいい本! これは紙本で読みたいと思います。本というのは、テキスト的なコンテンツだけでできているものではありません。いい本になればなるほど、テキストやコンテンツ以上の要素が意味を持ってきて、それらの要素がすべて独自の自己表現をする、総合メディアになっていく。そういう本の世界が好きという人が、本を一番購読する層でもあって、本の世界を経済的にも支えている。この構造が続く限り、紙本の世界はまだまだ続くと思います」

現代日本を代表する「知の巨人」のこの言葉に、勇気を与えられる出版人も多いのではないでしょうか。じつは、今からもう20年近くも前に東京は神保町の三省堂書店で著者をお見かけしたことがあります。著者は1階の入口を入ってすぐの場所にある新刊書コーナーをながめていましたが、そのときずっと表情がニコニコしていたのが印象的でした。わたしは、「ああ、この人は腹の底から本が好きなのだなあ」と思った記憶があります。本書は、そんな稀代の本好きによる書物への「愛の遍歴」を展示した博物館と言えるかもしれません。

 わが書斎の立花隆コーナー

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