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No.0843 幸福・ハートフル 『ハートフルに遊ぶ』 一条真也著(東急エージェンシー)
2013.12.25
1988年5月20日に処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)が発売されて、わたし一条真也はデビューしました。その前の4月1日、わたしは版元である東急エージェンシーに入社しています。同社の前野徹社長(当時、2007年逝去)の鶴の一声で、前代未聞の新入社員の出版が実現したのでした。故・前野社長こそは「一条真也の生みの親」なのです。
同書のサブタイトルは「『ハート化』時代のやわらかな卒論」で、帯には「Super-Richな感性と行動力で数々のキャンパスビジネスを成功させたワセダの仕掛人が編む、『ハート化』時代のコンセプト・カタログ。」というリードに続いて、「『ソフト』から『ハート』へ」のキャッチコピーが大書されています。
同書の目次構成は、以下のようになっています。
『ハートフルに遊ぶ』(1988年5月20日刊行)
●マイ・プロフィール はじめに
●イベント Event
日本列島祭りざかり
こんなイベントやってほしい!
●パーティ Party
パーティはメディアである
面白パーティに出会いたい
こんなパーティやりたい!
●ホテル Hotel
アメリカ・ホテル事情
マイ・フェバリット・ホテルズ
列島ホテル・ウォーズ
「宿」から「情報発信基地」へ
21世紀のホテル
●レジャーランド Leisure Land
ディズニーランドは思想である!
ディズニーランドの秘密
次なるレジャーランドは?
こんなレジャーランドがほしい!
●リゾート Resort
最近リゾート開発事情
地中海クラブの秘密
ぼくの好きなリゾート
●コンベンション Convention
ホワッツ・コンベンション
燃えろ!幕張メッセ
ソフトが命だ
●結婚式 Wedding
セレモニーへの回帰
広告としての結婚式
チャペルと日本文化センター
ビデオに見る正しいニッポンの結婚式
●ディスコ Disco
思い出の「ナバーナ」
ディスコ・ネクスト
「トゥーリア」の悲劇はなぜ起こったか?
●芸能プロダクション Showbiz
がんばれ!ジャニーズ事務所
●ミュージカル Musical
「スターライトエクスプレス」はスポーツ・ミュージカル
ディズニーランド「ホリデー・ファンタジー」
ブロードウェイ雑感
●歌舞伎 Kabuki
ニッポン人はカブキを観るべし!
●映画 Movie
「私をスキーに連れてって」
映画館の逆襲
邦画はどこに行くのか?
●音楽 Music
マイ・ミュージック・ライフ
●ファッション Fashion
アルマーニの日本進出
DCブームと丸井
日本のデザイナーたち
「らしい」ファッションがオシャレ
●グルメ Gourmet
おいしい店、いろいろ
●カフェ Cafe
マイ・フェバリット・カフェズ
思い出の「ホット・ポイント」
●バー Bar
マイ・フェバリット・バーズ
●美術館 Museum
マイ・フェバリット・ミュージアムズ
●プラネタリウム Planetarium
星空へのインビテーション
●メディア Media
マスコミの新御三家
経済の総合情報機関、日経グループ
未知の情報武装企業、東急エージェンシー
メディアの戦闘集団、フジサンケイグループ
時代の演出者の座をめぐって
●恋愛 Love
恋愛とは何ぞや?
デートについて
『ハートカクテル』に思うこと
●ライフスタイル Life Style
はあとぴあん宣言
いま改めて目次を読み返してみると、四半世紀の時代を経たことを痛感します。たしかに、それぞれの項目で取り上げられているアイテムは古いですが、それらには「心豊かになりたい」「多くの人々を幸せにしたい」というわたしの無意識が一貫して流れているように思います。「処女作こそが、作家のすべて」とはよく言われる言葉ですが、現在のわたしのすべても、『ハートフルに遊ぶ』の中に入っているのかもしれません。
同書に収められている文章の多くは、わたしが学生時代に編集長を務めていた「はあとぴあ」(日本儀礼文化協会)という雑誌に掲載した文章です。広告代理店の出版事業部から上梓するということで、それらの文章をより時代にマッチしたスタイル、当時の言葉でいえば「トレンディ」に書き直しました。
本そのものは新入社員が書いたという話題性もあって、かなり売れました。もちろん、印税はすべて会社に入り、わたしは一銭も貰えませんでしたけど(笑)。じつは、今でもわたしは印税を会社(サンレー)に入れているのですが、それはこの処女出版のときに「本の印税は会社に入れるもの」ということを常識として刷り込まれたせいかもしれません。
本が話題になったせいで、社内には「ルーキーに学べ」などというポスターまで貼られました。「週刊朝日」をはじめ、さまざまなマスコミに大々的に紹介され、「BRUTUS」ではわたしの双六まで企画されました。双六の「GOAL」になっていた赤坂プリンスホテルは、今では消えました。すべては、今やセピア色の思い出ですが・・・・・。
「週刊朝日」1988年6月24日号
「AVANT」1988年10月号
「AVANT」1988年10月号
「ジャパン・ピープル1988-1989」(平凡社)
「Fashion YearBook’89」(マガジンハウス)
「BRUTUS」第185号
「BRUTUS」第185号
当然ながら社内では微妙な立場となり、わたしは「針のむしろ」というか、新入社員でありながら大きなストレスを抱えていました。そんなわたしを守ってくれたのは、「出版寅さん」こと内海準二さんと「一条真也の母」こと伏見貴子さんでした。このお二人には、公私にわたって本当にお世話になりました。
戸惑ったのは、「トレンド」を扱った本を書いたことで、わたしのことを流行の最先端を行く「ギョーカイ人」や「デートの達人」と見る人がたくさんいたこと。当時、田中康夫、泉麻人、ホイチョイ・プロダクションといった方々がデートスポットなどについてのエッセイを書いて高い人気だったこともあり、わたしもその系統のライターのように思われたようです。それで、「おススメのデートスポット」みたいな雑誌の連載依頼がよく来ました。わたしは、自分が軟派のように見られるのが嫌で、それらのオファーを片っ端から断りました。
あれから、もう25年、なんと四半世紀が経過しました。いろんな方々のお力を借りて、その後も多くの本を出させていただきました。今では「トレンド」にとらわれず、さまざまなテーマの本を書かせていただいています。でも、『ハートフルに遊ぶ』から生まれた「ハートフル」というコンセプトはずっと大切にしています。
やはり『ハートフルに遊ぶ』は、わたしにとって青春の思い出がたくさん詰った、忘れられない処女作なのです。