No.0907 哲学・思想・科学 | 日本思想 『人類哲学序説』 梅原猛著(岩波新書)

2014.04.11

『人類哲学序説』梅原猛著(岩波新書)を読みました。
いやあ、これほど面白い本に出合ったのは久々です。もう、知的好奇心を大いに刺激されましたね。

本書は、2011年の秋、京都造形芸術大学東京芸術学舎において行われた秋季講座「人類哲学序説」(全5回)の内容をもとにしたものです。著者は、言わずと知れた日本を代表する哲学者です。帯には著者の笑顔の顔写真とともに「日本思想は危機に立つ文明を救えるか」と書かれています。

著者の顔写真入りの本書の帯

本書の目次構成は、以下のようになっています。

第一章 なぜいま、人類哲学か
第二章 デカルト省察
第三章 ニーチェ及びハイデッガー哲学への省察
第四章 ヘブライズムとヘレニズムの呪縛を超えて
第五章 森の思想
「あとがき」

第一章「なぜいま、人類哲学か」の冒頭には、以下のように書かれています。

「人類哲学というものは、いままで誰にも語られたことがありません。人類ではじめて、私が人類哲学を語るのです。これまで、人類には人類哲学がなかった、と私は考えています。哲学はギリシャで生まれ、近代西洋で発展したものです。しばしばインド哲学、中国哲学などと言われますが、それはインドあるいは中国思想について類比的に語られたもので、厳密な意味の哲学とは言えません。哲学は、ギリシャから近代西洋にいたる地域的特性に偏していて、普遍的な人類の立場に立っているとは言えないのではないでしょうか」

著者は哲学者ですが、「哲学とは何か」の問いに対して、「歴史のなかで人間はどう生きるべきかと問い、その思索を体系化するもの」と定義します。しかも、それを自分の言葉で語る必要があるといいます。ところが、日本の哲学者たちは、その多くが自分の思想を語ることをしていないとして、著者は述べます。

「自分の思想を語る、という哲学でもっとも重要なことをせず、西洋哲学を研究し、翻訳して紹介し、その研究を一生の仕事としている方々が多い。それも重要なことですが、本当の意味の哲学とは言えません。自らの頭で一つの真理を考え、それを自らの言葉で語るような、そういう真の哲学者は、現代の日本には残念ながらほとんどいないと言っていいのではないかと思います」

しかし日本にも、自分の言葉で自分の哲学を語る哲学者が存在しました。西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎、九鬼周造といった哲学者たちです。そういう自分の哲学を語った巨人たちが日本にもいたわけですが、その中でも特に存在感が大きかったのが西田幾多郎です。著者は、西田哲学について以下のように述べます。

「私は日本の哲学者のなかでは特に西田が偉大だと思うのですが、一方で、西田哲学について、不満なところがありました。何より、使われている言葉が難しい。『絶対矛盾の自己同一』、つまり『世界は一般的限定すなわち、個別的限定、個別的限定すなわち一般限定の絶対矛盾の自己同一で存在するものであるのである』。こういう文章です。わかりませんね(笑)」

日本で一番難解であると言われている本に、曹洞宗の宗祖である道元の『正法眼蔵』があります。梅原氏はその『正法眼蔵』よりもはるかに西田哲学は難しいとして、次のように述べています。

「『難しい』ということ対して、私は『もっと哲学はやさしく語るべきだ。法然や親鸞は和文でやさしく己の思想を語っているではないか』と思いましたし、いまもそう思っています。この西田の哲学には、禅の影響が指摘されています。禅の影響を深く受けて、禅の体験を西洋哲学の言葉を使って説明したのが西田哲学であると言われる。そして、西田は自らの著作のなかで、東洋の哲学の立場『無』の立場であり、西洋の哲学の立場は『有』の立場である、と言っています」

40歳まで、主として西洋哲学を勉強してきた著者ですが、40歳以降は日本文化について研究し、『地獄の思想』『隠された十字架』『水底の歌』などの名著を書きました。著者の学問は「梅原日本学」、あるいは「梅原古代学」などと言われるようになりました。
なぜ日本研究に転向したかというと、日本文化の原理の中に、西洋文明の行き詰まりを解決し、新しい人類の指針になるような思想が潜んでいるのではないかと思ったからだそうです。日本文化の原理はなかなか見つけられませんでしたが、50年近く日本文化を研究した結果、著者は天台本覚思想に日本文化の本質を解く鍵が隠されているのではないかと思うようになったそうです。では、その天台本覚思想とは何か。著者は述べます。

「天台本覚思想は、およそ『草木国土悉皆成仏』という言葉で表現されるものです。天台本覚思想のすべてがそういう言葉で表現され得ませんが、俗にそのように言われます。天台宗においては、すべての人間には仏性があるものとされます。仏性とは仏になれる性質です。誰もが仏性を持っているから、誰もが救われ、誰もが仏になれる、という思想です。しかし、ここではまだ、仏になれるのは人間だけです。一方、真言宗においては、曼荼羅を見ていただくとよくわかるのですが、『一木一草のなかに大日如来が宿っている』という思想です。つまり、真言宗には、草木も仏性を持ち成仏ができるという思想、『草木国土悉皆成仏』の思想があるのです。ここでは動物の成仏については触れてはいません。動物が成仏するのは当たり前のことでことさらに言ってはいない。動物の成仏は当然で、草木さえ成仏します。これは、生きているものの中心として植物を考える、という思想だと思います。さらに、草木ばかりでなく、国土までもが成仏できる、と言うのです」

著者はこの天台本覚思想が鎌倉仏教の思想の共通の前提になっているとして、次のように述べています。

「鎌倉仏教は国家仏教ではなく民衆の仏教であると言えます。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などの祖師たちが新たな教えを興し、それが民衆に歓迎されたわけです。鎌倉仏教には大きく3つの宗派があります。浄土宗と浄土真宗などの浄土教、それから臨済宗や曹洞宗などの禅、そして日蓮宗すなわち法華宗。このような3宗派、これらの新しい鎌倉仏教がすべて、この天台本覚思想をその思想的前提としているのです。天台宗と真言宗が合体した天台密教が生み出し、浄土、禅、法華の鎌倉新仏教の共通の思想的前提になったとすれば、『草木国土悉皆成仏』という言葉で表現される天台本覚思想こそ、日本仏教の根本思想であると言えます」

「草木国土悉皆成仏」は日本仏教の根本思想である! このように喝破する著者は、このような思想は仏教の発祥地であるインドには見られないとして、次のように述べています。

「インドにおいては、命を持っているものは動物までで、植物は命を持っていないとされます。命を持っている者は有情、そうでないものを無情と言いますが、インドにおいて、植物は無情なのです。お釈迦さんは、命あるものを殺してはいけないからといつも下を向いて歩いていたと言いますが、そこで言う『命あるもの』は動物までであって、植物は入りません。仏教者はベジタリアンで動物を食べません。命あるものを殺すことになりますから。しかし、植物は食べる。もし、植物も命あるもの、有情のものとしたならば、何も食べられなくなりますね」

なるほど。わたしは『慈経 自由訳』(三五館)を上梓しましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残しました。そこには、「すべての生きとし生けるものは、すこやかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように」と念じるブッダの願いが満ちています。「すべての生きとし生けるもの」を仏教では「有情」と呼びますが、これは動物までで植物は含まれないのだという事実を再認識し、軽い衝撃を受けました。

ブッダでさえも、植物にまでは思いが及びませんでした。しかし、日本には植物にまで思いを寄せる思想が存在したのです。著者によれば、日本の神道の思想も「草木国土悉皆成仏」というような思想であるといいます。ならば、まさにこれこそが日本文化の中核の思想であると言わざるを得ません。このような「草木国土悉皆成仏」という概念で日本文化を説明できるのか。著者は、鈴木大拙のように禅で日本文化を説明するよりもはるかに幅広く、この「草木国土悉皆成仏」という思想で日本文化を説明できると考えています。

植物を愛でる日本人の心性について、著者は次のように述べています。

『万葉集』では、もっとも愛された花は桜ではなく梅でした。梅は在来種ではなく外来のものとして当時はもてはやされていたのでしょうか。ところが『古今和歌集』になると桜がもっとも愛される花になります。桜は日本の在来種です。その桜や紅葉の歌には、やはり仏教的な無常観が流れていますが、そういう仏教的な無常観から見た自然の歌が1巻から6巻まで続きます。そして11~15巻までの5巻が恋の歌です。これらは恋の歌ではあるのですが、単に恋の心を詠っただけの歌ではなく、植物や情景などになぞらえて恋を表現しています。特に、女性を花にたとえている歌が、かなり見受けられます。
この発想は『源氏物語』に通じます。『源氏物語』は11世紀日本が生んだ素晴らしい大小説ですが、そこには人間も描かれているけれども、自然もまた見事に描かれている。また、本名ではありませんが、物語のうえでほとんどの女性が植物に関する名前で呼ばれています。桐壷、藤壺、葵、夕顔、紫と主要登場人物はほぼ植物か、植物に関する建物名で呼ばれますね」

なぜ「草木国土悉皆成仏」という思想が日本文化の原理になったのでしょうか。著者は日本の古層は「縄文文化」にあるとして、次のように述べます。

「『草木国土悉皆成仏』という思想が生まれたのは10~11世紀です。日本に仏教が伝えられたのが6世紀ですから、それから4世紀という時間が経過したことになります。6世紀に輸入された仏教が、10世紀にこのように展開したのはなぜなのか。私は、伝来した仏教に、それまでの日本の伝統思想が影響を与えたからだと考えます。ここでいう日本の伝統思想とは何か。これは、神道です。神道をどのように考えればよいかという問題ですが、そのためには、縄文文化というものを考えなければならない。日本の基層文化は縄文文化である、というのが30年来の私の信念です」

縄文文化が日本の基層文化として存在しており、それが源流となって「草木国土悉皆成仏」という思想を生み出したのではないか。それが著者の考えです確かに、縄文文化は日本の基層文化です。これは疑いがないところでしょう。それが6世紀に輸入された仏教に大きな影響を与え、「草木国土悉皆成仏」という日本独特の思想を生み出した。この仮説はシンプルであり、説得力に富んでいます。この著者の意見には、わたしも大賛成です。

著者は、縄文文化をほぼそのまま伝えている文化が日本に存在していると言います。それは「アイヌ文化」です。著者は次のように述べています。

「昔、蝦夷と呼んでいた人びと、その子孫がおおよそアイヌの人たちだと考えればよいでしょう。日本という国をつくったのは弥生人でありますが、この弥生人というのは、渡来した稲作農耕民と土着の縄文人との混血と考えたほうがいい。われわれは、縄文人と渡来した弥生人との混血の民だと考えて間違いない。その弥生人が、まず西日本を占領した。でもまだ東日本には縄文人が残っていた。それが東夷と言われるのですが、だんだん追いつめられ、そして北海道の一部に残った。それがアイヌの人たちだと考えて差し支えないと思います」

さらに、著者はアイヌの人びとについて、次のように述べます。

「アイヌの人びとは稲作農業を受け容れず、狩猟採集の生活を続けていました。彼らは文字を持ってはいませんでしたが、言霊を信仰していた。文字は言霊とは関係ないのです。言霊信仰がなくなったから文字ができたというふうに考えられるのですが、彼らは口から発した言葉に魂がある、と考えていたわけですね。約束を破ったら、言葉に背いたら、その言葉には魂があって、その言霊に罰せられるという信仰を持っていた。この言霊信仰をアイヌの人びとは長く保持していました。そのような言霊信仰ゆえに、嘘をつかない、約束を守る土着の縄文人を、言霊を信じない大和民族は騙したのです。『古事記』や『日本書紀』を読みますと、神武天皇にせよ、ヤマトタケルにせよ、騙して土着人をほろぼした話が多いのです」

著者は、縄文文化とアイヌ文化の関係について、以下のようにまとめます。

「自然人類学的にも文化人類学的にも、さらには言語学的にも、アイヌと日本の文化はよく似ている。アイヌというのは縄文文化の遺民であると言える。それに対し倭人の文化は、縄文文化が根底にありながら、弥生=稲作民の文化との、混合文化だった。そんなふうに考えられるのです」

アイヌの文化は、「魂」の再生を願う文化でした。著者は述べます。

「イオマンテはクマの再生を祈り、貝塚は貝の再生を祈る。貝を丁寧に葬り、次の年も貝がたくさん獲れることを祈る、そういう再生の祭りなんです。
そして、不思議なことには、その貝塚のなかに土器も、見つかっています。土器も祭られている。土器にも命が宿っていると考えられたのでしょう。だから再生を願い、土器を葬っている。ここに、『草木国土悉皆成仏』の思想が見えてきます」

著者は、日本古層の文化を保つアイヌの人びとの「死の概念」について言及します。日本人は、死んだら「あの世へ行く」と考えてきましたが、アイヌの人びとも「死ねば必ずあの世へ行く」と言うとして、著者は次のように述べます。

「死んであの世に行ったら、あの世で暮します。死後の世界ですね。この世と同じような暮しをするのですが、なにもかもこの世とあべこべなのがあの世です。この世の朝はあの世の夜で、この世の夜はあの世の朝。この世の夏はあの世の冬で、この世の冬はあの世の夏。すべてあべこべになっている。死者には左前に着物を着せますね。私はよく着物を左前に着て母に死人の真似をすると言って叱られました。また『水にお茶を入れて』と叱られました。お茶を水でうめるのはふつうですが、水をお茶でうめるのはあべこべだ、と言って、母に『また猛は死人の真似をする』と叱られました。そういう信仰がつい最近までありました」

また著者は、以下のような日本人の「あの世」観についても言及します。

「ご先祖がみんな、亡くなってからはあの世で暮していて、この世の子孫の女性が妊娠すると、すぐあの世へニュースがとどき、あの世の先祖のなかから1人が選ばれて、胎児となってまたこの世に還ってくると考えられていました。良い行いをしたら早くこの世に戻ってくる。悪いことをしていると、長い間あの世に止められます」

この先祖が子孫となって還ってくるという信仰をバリ島の風習の中にも見つけた著者は、このような「あの世」観こそ縄文時代の信仰であり、それがアイヌには残っているというのです。

著者は、人類の原初的文化としての「狩猟採集文化」に注目します。狩猟採集文化には、自然には霊があり、いたるところ自然が生きているという信仰がありました。それをイギリスの人類学者エドワード・B・タイラーは「アニミズム」と名づけました。著者によれば、このアニミズムこそは狩猟採集時代の世界共通の文化ではないかと推測します。著者は「狩猟採集文化」の重要性について、以下のように述べています。

「最近私は、人類というのを考えるときに、まず狩猟採集文化があった、ということの意味をもう一度深く考えないといけないと思っています。この狩猟採集文化の時代は、10万年ぐらい続きました。その後に農業文化になり、牧畜文化なり、そこに工業文化が加わった、そういう流れで人類文化を考えなくてはならないと思います。まず狩猟採集文化があって、それから農耕牧畜文化が生まれ、工業文化がある。そう考えなければならないのに、いまは狩猟採集民族や狩猟採集の文化というものを、非常に疎かに扱っている」

さらに著者は、「狩猟採集文化」についての考察を続けます。

「マルクスの理論にしても、農耕民の考察からはじめ、そこから富の集中をとらえるわけです。しかし、狩猟採集文化においては、一種の共産主義が成立している。つまり、獲物があればみんなで分ける。狩りに参加できない老人や子どもにもちゃんと食べ物が行き渡るように、平等に分けるという、一種の共産社会であり、思いやりの社会です。そのような社会を営んでいた狩猟採集民は実はかなり高度な文化を持っていたということが、最近だんだん明らかになってきました。アイヌやアメリカの先住民族、オーストラリアのアボリジニーの文化がそれに当たります。つまり、狩猟採集民が精神的文化としても高いレベルの文化を持っていたことは間違いないと思うのです」

第一章「なぜいま、人類哲学か」の最後で、著者は次のように述べます。

「結論として『草木国土悉皆成仏』が日本文化の根本思想ですが、それは日本の思想にとどまらず、同時に世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通の思想ではないかということです。そして、そのような原初的文化の思想から、現在の西洋文化の思想をどう見るかということを、私は問わなければなりません。それはつまり、人類の原初的な文化の原理から見て西洋文化はどのような長所と欠点を持っているかという問いです。そしてそれは、人類存続の危機と言われる現代において、どうしても問わなければならない問いであるように思うのです」

第二章「デカルト省察」では、哲学者デカルトについて次のように述べています。

「自然科学および医学の飛躍的発展。デカルトはその大いなる予言者でありました。これによって人類には大変な幸福がやってくる、とデカルトは予言した。そのとおりでした。しかし、自然世界は、あるいは物質世界は、機械的な法則にただ従うものでしょうか。そこには何か見落としがないでしょうか。私は、この自然に恵まれた日本に生まれたせいなのかもしれませんが、『自然は生きている』と強く思うのです。人間とともに、動物も植物も生きている、あるいは地球そのものが生きている、と思うのです。いろんな植物がいて、いろんな動物がいて、生きている世界。その生きた命の世界を、単なる自然科学的法則に従う物質世界とみなしてよいのでしょうか。私は大いに疑問を感じざるを得ません」

わたしは拙著『法則の法則』(三五館)において、「法則の追求が科学を生んだ」と述べました。そして、西洋における「科学」とは「自然の征服」という野望を秘めていました。これが後々、人類にとって問題となります。

梅原氏は、第二章「デカルト省察」の最後で次のように述べています。

「自然を征服することは大変難しいことであったにもかかわらず、デカルト哲学のおかげで人類は自然を征服することができた、と言っていいでしょう。しかし、征服した今、その征服がやがて人類そのものを滅ぼす危険性を持っていることが明らかになってきたのです。
このような時代に、生きとし生けるものすべてと共存する哲学が、人類の哲学の根本にならなければならない、と強く思います。その人類哲学こそが『草木国土悉皆成仏』の思想であると確信しています。生きとし生けるものの命の世界を尊重する思想が蘇らないと、人類の末永い存続は不可能だと考えるのです」

第三章「ニーチェ及びハイデッガー哲学への省察」では、著者は次のようにヨーロッパ哲学の本質に触れます。

「私は、ヨーロッパ哲学の伝統に根強く人間中心主義があると思います。このような人間中心主義、人間の自然支配を無条件に認めた思想ではもはや人類はやっていけないと思っています。ニーチェの『権力の意志』の哲学は、デカルトの理性の哲学より人間中心主義が強いと思います。その意味で、ニーチェ哲学はヨーロッパ哲学の通弊である人間中心主義をまぬがれてはいません」

ニーチェは42歳ぐらいの時、「イエス・キリストの思想は、若気の至りの思想である」と書き残しました。キリストが自分の年齢まで生きたら、あのような思想を採らずに人生肯定の思想を説いたであろうというのです。キリストは30歳ほどで亡くなりますが、87歳まで生き長らえた著者は次のように述べています。

「四聖人(キリスト、釈迦、孔子、ソクラテス)のうち、西洋のソクラテスは毒を飲んで死に、イエス・キリストは磔にされて死にました。一方、東洋の釈迦と孔子は2人とも一生を全うしました。そういえば、狂気に陥った聖人は、日本にはあまりいませんね。日本には、長生きすることはいいことである、という思想もあります」

そして、著者は大いなる「死の哲学」を説いたハイデッガーについて述べます。

「私は、子どもの頃に、人間が死ぬということに大きな不安を持ちました。皆さんも経験がおありかと思います。どことなく不安が襲ってきて、そういうよるべない不安のなかに引き込まれることが、人にはある。それを彼はアングスト、すなわち『不安』であると言っています。
ハイデッガーは、ダーザインの本質は死への存在であると言っています。しかし、死は日常の世界では隠されています。しかし人が死んでも、それを人はダスマンの死として自分の死として自覚しません。しかし時あって、人は不安に陥れられます。それは、良心の声に呼びさまされたものであると言えます。不安は人間の隠された存在を露わにします。不安によって、人間存在の本質は死への存在であることが明らかになると、ハイデッガーは言います。この死を先駆的に自覚した人間観を実存と名づけるのです。ハイデッガーの実存哲学は、死の哲学の性格が強いのです」

著者は、ニーチェやハイデッガーといった偉大な哲学者たちにも見えなかったものがあるといいます。それは、自然破壊の運命です。彼らは、「原始の森」というものを知りませんでした。しかし、日本の森にはまだ原始の森が残っているとして、著者は次のように述べています。

「『草木国土悉皆成仏』の思想は、豊かな森から生まれたとも言えます。そういう森が、鳥も蛙も歌を詠むという思想を生んだと思います。自然との共生・循環を考える、自然の声もまた歌であるというような哲学でないと、これからの人類哲学とはとうてい言えないのではないか、と考えています」

第四賞「ヘブライズムとヘレニズムの呪縛を超えて」では、著者は旧約聖書の『創世記』に触れながら、次のように述べています。

「人間は神の似姿であり、神は自らに似せて人間に理性を与えた。そして、理性を与えることによってすべての動物の支配権を与えた。この思想は、まさに近代西洋の基となったデカルトの思想を先取りするものなのです。つまり、『創世記』において、すでにデカルトの思想が暗示されているのではないか。
デカルトはそういう人間理性を絶対視して、自然科学・技術文明を基礎づけ、人間の自然支配を全面的に肯定した。まさに創世記の動植物に対する人間支配を徹底せしめたのだと言えるでしょう。そういう意味において、デカルトもまた、ヘブライズムの思想的影響を受けていると言うことができます」

著者は、古代ギリシャ哲学を代表するソクラテスとプラトンの師弟こそが「人間中心主義」の祖であるとして、次のように述べます。

「プラトンは、人間の魂を不死としました。それがイデアの思想であり、それによって人間は不死という永遠の存在となりました。このように人間を不死とすることによって、人間はすべての動植物よりはるかに優位を獲得しました。その人間優位はまさに西洋哲学の主張となりました。ハイデッガーが、プラトンを存在の最初の隠蔽者とするのも、無理からぬことです。
プラトンはソクラテスの弟子ですが、イデアの哲学というものをつくりました。これはソクラテスの哲学とは異なります。イデアとは何か。たとえば、本には本のイデアがある。机には机のイデアがある。人間には人間のイデアがある。すべてのものにはイデアがある。個々の人間は死んだり、物は壊れたりしますが、イデアは不滅である。そういうイデアという存在をプラトンは考え、そのイデアについての思想体系を確立していくのです。そのイデア論・イデア哲学が、中世のキリスト教学を合理的に説明するために用いられたのです。そして、古代ギリシャに発するこのような理性の哲学から、デカルトに始まるあのような近代の理性の哲学が生まれてきたのは間違いないことです」

そして、著者は人類の普遍信仰である「太陽信仰」に行き着きます。エジプトを訪れたときの様子を、著者は次のように述べています。

「エジプトに行くと、灼熱の太陽が輝いているのですが、あれを見ると感動します。あの大きな太陽は、毎日日暮れとともに西の空に沈み、そして再び翌朝、蘇る。われわれは、夜眠りますね。太陽も同じです。つまり、太陽もわれわれと同じ命を生きているのです。死は永遠の眠りと言いますが、眠りは、『ひとときの死』なのです。太陽は夜になると死ぬわけです。そして翌朝、死から復活します。そういう死と復活の世界観がエジプトにはあるのです。スフィンクスはギリシャの謎かけの神になりますが、ギザのピラミッドの隣、ナイル河西岸に立つ巨大なスフィンクスは、人間とライオンとの混血のような存在です。これが、巨大な力で沈みゆく太陽を復活させる。そういう力の神様なのだそうです。だから、その力によって死した太陽が、復活する」

そして、著者は「自然に帰れ」という言葉から、古代エジプトの太陽信仰を思い浮かべ、次のように述べます。

「古代ギリシャで発生した自然哲学の『自然が大事だ、自然に帰れ』という気持ちが、ニーチェやハイデッガーにはある。ところが、その源流となったイオニアの自然哲学には、太陽の神が存在してはいない。『自然に帰れ』と言うならば、エジプトの太陽の神ラーやイシスの崇拝にまで帰らなくてはならなくなります」

最近、ギリシャ文明もユダヤ文明も、エジプト文明の大きな影響のもとにあったということが明らかになってきました。エジプト考古学者の吉村作治氏によれば、プラトンのイデア論はエジプトが源流である可能性が高いそうです。エジプトにおいては、魂には「カー」と「バー」の2つがあります。人間が死ねば、バーはあの世へ行きますが、カーはこの世に残ります。この世に留まっているカーを大切にしなければなりませんが、肉体がなかったらカーは行き場を失ってしまうので、「ミイラ」という肉体保存の思想が生まれたわけです。

ミイラづくりの背景には、カーの存在があったのです。著者は、このカーこそが、プラトンのイデアの原形なのではないかというのが吉村説を紹介しつつ、次のように述べます。

「プラトンは、若い時にこそソクラテスの哲学を語ったのですが、途中で思想的に転機を迎えイタリアやエジプトへ旅行し、独自の思想を形成するようになります。そのときにイデアの思想が出てきたとみられています。すべてのものに宿るというイデアの思想は、すべてのものに宿るエジプトのカーの思想から来ているのではないか。イデアはカーなのではないか、と吉村は言うわけです。非常に興味深い説です」

それから、吉村説でもう1つ、興味深いものがあります。一神教の起源説です。ユダヤ教は一神教ですが、エジプトもギリシャも多神教として多くの神々を崇拝しているのに対して、1つの神様しか認めません。この一神教の起源がエジプトにあるのではないかというわけです。

本書のもとになった講座は3・11の以後に行われたものですが、現在の日本人を含む人類にとって、原子力をはじめとしたエネルギー問題が最大の問題の1つであることが明らかになりました。そのエネルギー問題について、著者は次のように述べています。

「エネルギー問題でもっとも大事なことは、エネルギーを自然エネルギーに替えなくてはならない、ということです。いま、滔々と世界中で動いているのは、自然エネルギー開発への動きです。地熱、火力、水力、風力などが今、原子力エネルギーに対して開発されようとしているエネルギーです。それはつまり『地水火風』ですね。『地水火風』に空を加えれば、空海の思想です。五輪塔はこの地水火風空の自然を表したものです。空を太陽と考えれば、これは自然エネルギーを示します。この空海の思想である『地水火風空』の自然エネルギーの開発が、今、人類にもっとも必要なことだと思います」

そして、人類最古の太陽信仰に行き着いた著者は、エネルギー問題においても太陽エネルギーに注目します。第四章「ヘブライズムとヘレニズムの呪縛を超えて」の最後で次のように述べます。

「いま、太陽の恩恵をより受ける科学こそが先端科学です。自然の与えるエネルギーをより効率的に享受するということが、新しい科学の課題になったと思います。それは確かにエネルギーの問題ですが、私はエネルギーの問題だけではないと思うのです。第一義的に文明の問題であり、哲学の問題であると思います。もう一度、人間が太陽と水の恩恵を肌で感じ、太陽の神、水の神に対する尊敬を取り戻すことが必要ではないかと思うのです。この問題はただのエネルギーの問題のみではなく、エネルギーの問題以上に文明の問題であり哲学の問題であり、宗教の問題であると思います」

ここで著者は「太陽の神」とともに「水の神」を重視しています。これを読んだとき、わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)の内容を思い出しました。人類の歴史は「四大文明」からはじまりました。その4つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)や『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも書きましたが、孔子、ブッダ、ソクラテス、イエスの「四大聖人」は、大河の文明を背景として生まれた「水の精」ではなかったかと思います。

第五章「森の思想」において、著者は人類にとって「森の思想」と「太陽と水の崇拝の思想」が必要であると訴えます。そして、それらの思想の総合のシンボルとして富士山を取り上げます。「富士山ほど日本を象徴する山はありません」という著者は、「稲作農業に必要な太陽と水をもたらす神の山、それが富士山のイメージです。そして、そこに壮大な森があります。太陽と水と森の山、それが富士山で、まさに日本の神々そのものであるわけです。しかも富士山はときどき火を吹き、それは生きているものであることを示します。それは太陽と水の崇拝である弥生の神と、森の神である縄文以来の神を総合したものであり、それが生きているとすれば、まさに『草木国土悉皆成仏』を表す神の山と言ってよいのではないかと思います」と述べています。

日本には、「鎮守の森」という素晴らしい思想があります。著者は、「鎮守の森」について次のように述べています。

「日本の神社には必ず森(杜)があります。鎮守の森です。
これは、何を意味しているのでしょうか。縄文時代から、日本には『神様は森にいる』という考え方がありました。この思想が残って、神のいるところには必ず森があるということになったのです。神のいるところには森がある。東京のような都会の場合も同じです。大正時代に入ってから創建された明治神宮にも壮大な森があります。また、戦時中まで生き神さまであった天皇の住まう皇居には、素晴らしい森が残されています。あの森は、手をつけていない武蔵野の森だと言われています。特に、昭和天皇は自然がお好きで、皇居の森に一切、手を触れさせなかったとうかがっています。このように、首都のまんなかに豊かな森が存在している国は、世界にも他に例を見ないのではないでしょうか。これは、日本が森の国であることを示しているのです」

「草木国土悉皆成仏」という思想は「森の思想」そのものですが、この思想を素晴らしい文学によって表現した人物が宮沢賢治です。著者は、賢治について以下のように述べています。

「賢治は、仏教思想を普及する手段として、詩や童話を書きました。詩は自分の思想を述べたものでしょう。そして童話は、多くの人に仏教思想を教えるもの、言いかえれば布教の道具・手段としてつくっていたのではないでしょうか。賢治が伝えたかったその仏教思想こそ、まさに『草木国土悉皆成仏』の思想なのです。森羅万象のすべてが、星や風、虹や石といったものも、人間のように生きていて、仏に通じている、利他の心を持っていると語っているようです。争いの世界のなかにありながら、どこかに慈悲の心を持っている。
賢治は、鉱物も植物、動物もすべてのものが利他の心を持っている、おなじ生きているものとして描きます。植物では柏、柳、銀杏。動物では蛙、ヨタカ、山猫や熊などを主人公として童話が書かれています。そこは流転の世界であり、弱肉強食の世界でありながら、生き物たちはいつも他者への思いやりの心を持っていて、いつも自らを他者に捧げようとしている。
賢治の童話というのは、そういう童話です」

賢治は『農民芸術概論綱要』において、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と述べました。彼の理想は人類全体に向けられていましたが、さらには人類をも超えた「生き物全体」へと向けられていたのです。拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)で、わたしは賢治の童話を「こころの世界遺産」と表現しました。

さて、著者は「流転する森」に注目した著者は、次のように述べています。

「森の木々は必ず枯れる。草は枯れ、木は朽ちてしまう。これが自然です。年ごとに草は枯れ、木は朽ちていく。そして、草や木の死によって草や木は新しく生まれ変わり、春がめぐってくると還ってくる・・・・・・。そういう世界です。森の思想というのは、本来、流転の思想なのだと思います」

日本人の「あの世観」に大きな影響を持つものに「浄土の思想」があります。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗の存在が大きいですが、著者はこれらの根本思想としての「二種回向」を取り上げ、次のように述べます。

「法然や親鸞の思想には、二種回向という思想があるのです。二種回向、つまり往還二種類の回向のことを言います。回向というのは自分の善を他人の救済にまわすということですが、ここで回向というのは人間の回向ではなく阿弥陀仏の回向です。阿弥陀仏の行った善を阿弥陀仏は人間の救いにまわすのです。そして念仏を唱えれば、阿弥陀仏のおかげで極楽往生できる。これは、阿弥陀仏の往きの回向(往相)である。しかし、極楽に長い間留まっていることはできない。なぜなら、仏教とはそもそも利他の教えだから、この世に苦しむ人がある限り、また極楽浄土から還って来てこの世の人を救わなくてはならない。これが還りの回向(還相)です。この二種回向の説が、浄土宗や浄土真宗の、根本の思想なのです」

法然や親鸞は「生まれ変わり」というものを信じていたとされていますが、この生まれ変わりの思想について、著者は次のように述べます。

「生まれ変わりの思想は、日本の縄文以来の生まれ変わりの思想と似たところが多いのですが、異なったところもあります。縄文以来の日本の伝統思想では、血の原理に従って祖先が子孫になって生まれてくるのですが、浄土教思想では、法の原理によって念仏の信者は念仏の信者として生まれ変わってくるわけです。たしかに原理は違いますが、ともに生まれ変わりの思想であることに変わりはありません。これも、縄文以来の伝統思想の仏教への影響と考えて差し支えないと思います」

なぜ、人間は生まれ変わるのでしょうか。それは、利他の徳を実践するためです。著者は、浄土教思想と縄文以来の日本の伝統思想とを対比しつつ、次のように述べています。

「この生まれ変わりの思想は、日本の縄文以来の生まれ変わりの思想と似たところも多いのですが、異なったところもあります。縄文以来の日本の伝統思想では、血の原理に従って祖先が子孫になって生まれてくるのですが、浄土教思想では、法の原理によって念仏の信者は念仏の信者として生まれ変わってくるわけです。たしかに原理は違いますが、ともに生まれ変わりの思想であることに変わりはありません。これも、縄文以来の伝統思想の仏教への影響と考えて差し支えないと思います」

著者はまた、ただ生まれ変わってこの世に還ってくるというだけでなく、「いいことをするために還ってくるんだ」と考え、残り少ない人生を生きることは「利他」を説く仏教の教えとして大変重要であると強調しています。

「生まれ変わりの思想」は、単なる「不死の思想」とは違います。著者は、「不死の思想」について次のように辛辣に述べています。

「不死の思想というものは人間中心の思想であり、それは人間のはなはだ利己的な思想ではないでしょうか。このような人間中心の利己的な思想では、もはや人類は生きていくことができないのではないでしょうか。このような文明ではいけません。むしろ、『人間は死すべきものだ、生きとし生けるものは死すべきものだ』という考え方こそが、人類の未来に繁栄を保証する思想ではないでしょうか。自分は死んでも子どもたちは生きていく。自分が死んで子どもを生かす。この思想は、動物の世界では、ごく普通の思想です。人間が動物に学ばなければならない」

著者は、いわゆる「利他の徳」を重要視し、次のように述べます。

「もっとも重要な利他の徳は、布施の徳です。布施は、他人にほどこすことです。布施には2つ種類があります。物の布施と法の布施です。困った人にお金や物を与えるのは物の布施です。これはよくわかります。税金というものは強制された物の布施かもしれません。しかし、このような物の布施以外に法の布施ということがあります。それは、人生を生きるに必要な知恵などを人に与えることです。学者や芸術家というのは、このような法の布施をしている人です。私も法の布施を職業としている人間です。学者や芸術家ばかりではありません。プロ野球の選手は人にスリルを与える法布施の人であり、吉本の芸人も人びとに笑いを与える法布施の人なのです」

最後に、著者は「私は、このような自利と他利の調和を説く思想こそが、近代西洋的な人生観に替わって、人類の思想になる必要があるのではないかと思うのです」と述べて、この壮大なスケールを持つ小著を締め括っています。

本書を読み終え、わたしは深い満足感に浸っています。本書には、わたしが『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で追求した「心の社会」のヴィジョンが見事に描かれています。惜しむらくは、「太陽信仰」とともに人類普遍の信仰である「月信仰」についても触れてほしかったです。
わたしは、『日本人の「あの世」観』など、日本を代表する哲学者である著者の本をほとんど読んできました。その中でも、本書には特に深い感銘を受けました。何よりも、スケールが大きい。こういう本をまさに「人類的視点」で書かれた本だと言うのでしょう。今後も、時々読み返していきたい一冊です。

わが書斎の梅原猛コーナー

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