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No.0930 プロレス・格闘技・武道 | 人生・仕事 『心との戦い方』 ヒクソン・グレイシー著(新潮社)
2014.05.24
『心との戦い方』ヒクソン・グレイシー著(新潮社)を読みました。
本書では『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』という自著に続いて、著者のこれまでの歩みや考え方を率直に述べています。
著者は、総合格闘技の世界を変えた「グレイシー柔術」における最強戦士として知られ、なんと400戦無敗を誇ります。すでに現役引退を表明していますが、高田延彦や船木誠勝など、日本人の強豪も倒してきました。わたしは、それらの試合を東京ドームで実際に観戦しました。著者のたたずまいは、同じく生涯無敗を誇ったという宮本武蔵のイメージに通じていました。
著者の写真入りの帯
表紙カバーには、上半身裸の試合姿の著者の全身写真が掲載され、無駄な贅肉のついていない、さりとて無駄な筋肉もついていない、見事な肉体を晒しています。帯には著者の顔写真とともに、「『私が強かった理由―それは”心”が強かったからだ』彼はいかに戦い、どう生きてきたのか? いま初めてすべてが明かされる!」と書かれています。
本書の目次構成は、以下のようになっています。
第一章 ”心の力”こそが私の強さの秘密
―レイ・ズールとのプロデビュー戦
第二章 恐怖心に打ち克つ
―パニックを再現するトレーニング法
第三章 感情をいかにコントロールするのか
―”無我の境地”と安生洋二の道場破り
第四章 目標達成までの心の道すじ
―ヒクソン流の柔術を完成させるまで
第五章 心の準備の整え方
―自然から力を得て、流れる水のように戦う
第六章 アクシデントにも静かな心で
―高田延彦戦前の生涯最大のピンチ
第七章 あなたの進むべき道はどこにあるか
―わたしが柔術家になるまで
第八章 心が命じるところに従う
―12歳で学校をドロップアウト
第九章 人生をリセットするとき
―引退の真相と全財産を渡した離婚
第十章 敬愛する日本に思うこと
―中井祐樹と船木誠勝のスピリット
第十一章 絶望の先にもまた光は見えてくる
―長男の死をどう乗り越えたのか
本書は、そのタイトルからもわかるように、「心」について書かれた本です。第一章「”心の力”こそが私の強さの秘密」の冒頭には、「超一流アスリートに不可欠な”心の力”」として、以下のように書かれています。
「あらゆるスポーツで、身体性が重要なのは言うまでもない。
もしあなたに先天的な才能があり、身体能力も高ければ、テクニックを磨いていくと、おそらく標準以上の成績を残すことができるだろう。
ただし、トップレベルの選手になるためには、それだけでは不十分だ。超一流のアスリートになるために最も重要なファクターは、才能でも身体能力でもテクニックでもない。
それは、”心の力”だろうと私は考えている。
偉大なアスリートは、例外なくメンタルが強い。もし強いメンタルを備えていなければ、せっかく高い身体能力を持っていても、そのパワーやテクニックを十分に発揮できないのだから、それも当然のことだろう」
著者は、高いプライドを持って、以下のように述べています。
「私が”一流”のレベルにとどまらず、”超一流”の格闘家になることができたのは、メンタル面の強さによるところが大きいと考えている。具体的に言えば、それは”感情をコントロールする能力”であり、また”プレッシャーに打ち克つ能力”である。私は、自分自身が冷静さ、集中力、メンタル・シャープネスを保つことによって、適切なタイミングで、適切な判断をすることができると思っている」
著者のメンタル・コントロールのレベルは尋常ではありません。なんと、脈拍数も自在にコントロールできるそうです。また、試合直前であっても眠ることさえできたといいます。この超人的なテクニックを得るために、著者は動物の動きを真似るトレーニングで「無我の境地」に入ったり、氷点下に限りなく近い極寒の水に飛び込んだとか。常人には真似できない手法ですね。
著者は「考え方ひとつで未来は変わる」と断言します。そして、具体的に次のような例をあげています。
「たとえば、Aという人が狭くて暑苦しい場所に閉じ込められたとしよう。彼の頭がこう判断を下したら、どうなるだろうか。『こんなに狭くて暑苦しいところは初めてだ。ずっといたら、窒息してしまう』おそらく、彼はその考えに凝り固まって、思考停止に陥ってしまう。その先に待っているのは、パニックだろう。一方、Bという人が同じ場所に閉じ込められたとする。彼の頭はこう考えた。『確かに、ここは狭くて暑苦しい。でも、落ち着いてゆっくり呼吸したら、何とか生き延びることはできそうだ』そして、『俺は絶対にあきらめないぞ。粘って粘って、何とか生き延びるんだ。時間を稼いで救援を待つか、自分で逃げ出す方法を見つけよう』と自らを励まし続ける。
このように考え、このように行動することで、彼が生き延びるチャンスは格段に高まるはずだ」
この文章は非常に説得力があります。さすがは、超一流の格闘家ですね。著者の言っていることは、つまるところポジティブ・シンキングということでしょう。続けて、著者は次のように述べています。
「何かの問題に直面した場合、『これは絶対に解決できない』と考えたら、必ずその通りになる。なぜなら、その問題を本気で解決しようとはしなくなってしまうからだ。ネガティブな判断は的中するわけだが、もちろんそれは褒められたことではない。しかし、その反対に『必ず解決できるはずだ』と信じて死力を尽くしたとしたら、極めて困難な問題であっても、それは解決可能かもしれない」
第四章「目標達成までの心の道すじ」も興味深かったです。特に「”自信”を手にするには一歩一歩」という項の中に書かれている以下の内容には考えさせられました。
「麻薬常習者が依存症から抜け出すための最初の一歩となるのが、自分が常習者であり、依存者であることを認めることだそうだ。自分が依存症であることを認めないうちは、治療を始めようがないと聞いた。もしあなたが現在の状況から抜け出したいと思ったら、まず自分が抱える問題、自分の欠点、自分の弱さを認めることから始めねばならない。これらすべてを冷静になって見つめた上で、初めて具体的な解決方法を考えることができる。
多くの人が、自分の問題を解決する以前に、自分が問題を抱えていること自体を認めようとしない。気づかないのかもしれないし、気づいてはいるのだが、それを認めるのが怖いのかもしれない。我々は、自分自身を冷徹な眼で見つめ、課題を直視するだけの賢さと勇気を持たなければならない」
そして、著者のポジティブ・シンキングは以下の文章で極まります。
「ブラジルには、こんな諺がある。『何か悪いものを食べても、それで死ぬことがなければ、結局は自分の栄養になっているのだ』大きな困難に直面して、ひどく苦しむことがあるだろう。しかし、それで自分が命を取られるのでなければ、長い目で見れば、そのようなつらい経験も、自分の肥やしとなるはずだ。人生では、色々な問題が起きる。小さな問題なら、さほど気にする必要はない。共存しながら、徐々に解決できるはずだからだ。しかし、大きな問題には、勇気を持って立ち向かわなくてはならない。あらゆる可能性を考えた上で、決断を下し、新しい道を切り開くべきだろう。そして、自分自身を信じ、問題が解決できることを信じなければならない」
メンタル・コントロールの書として名著だと思いますが、著者がこれまで実際に戦ってきたファイターたちについてのコメントも興味深かったです。いわゆる「何でもあり」のリアル・ファイトを「バーリ・トゥード」と呼びますが、120戦116勝4分のバーリ・トゥードの強豪レイ・ズールとのプロ・デビュー戦であやうく負けそうになったこと、「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン1995」の一回戦でリングスの山本宜久のロープを掴んだままの戦法を卑怯だと感じたこと、その決勝戦で対戦した修斗の中井祐樹のことを「勇敢な戦士」だと思ったこと、道場破り来たUWFインターナショナルの安生洋二を返り討ちにしたことなどが赤裸々に述べられています。
そして、著者の対戦相手といえば、忘れられないのが二度にわたって東京ドームで戦った高田延彦です。著者は、以下のように述べています。
「リアル・ファイトは、ショーとはまったくの別物だ。何が起きるかわからないから、試合前に受けるプレッシャーがまるで違う。試合中も何が起きるかわからないから、とっさに起きたことへの対応力が必要だ。しかし、長年プロレスをやってきた男に、このような能力があるはずがない。高田に、格闘家としての素質がなかったわけではないだろう。しかし、リアル・ファイトの経験が乏しいのが、彼の致命的な問題だったと思う」
総じて著者は高田のことを高く評価していませんが、意外だったのは一回目の試合で、高田がリングインする前に盟友の安生と抱き合ったことへのコメントでした。東京ドームで観戦していたわたしなどは、「ああ、男の友情だなあ」とけっこう感動したものですが、著者は以下のように述べています。
「一度目の対戦で、試合前に彼がセコンドについていた安生と抱き合って、何やら話し合っているのを見て、彼が私に対して恐怖を感じているように思った。彼からは、『絶対に勝つんだ、勝てるんだ』という気持ちを感じなかった」
一方、高田と同じくプロレスラー出身であっても、船木誠勝のことは高く評価しています。著者は、以下のように述べています。
「船木は、日本刀を携えて入場してきた。その姿を見て、私と同様、彼がアスリートとしてではなく、戦士として戦いに臨もうとしているのだと思った。この試合で、レフェリーは、試合をストップする権限を与えられていなかった。そして、私も船木も、何があろうとギブアップしないという覚悟で試合に臨んでいた。実際に、私のチョーク・スリーパーに対し、船木はギブアップする素振りをまったく見せなかった。船木は、意識を失いつつあった。彼の生命は、私の掌中にあったのである」
試合後のことも、著者は次のように書いています。
「船木は、真の戦士であり、サムライだった。ギブアップすることを拒絶し、そのために死の淵まで行ったのだから。そして、試合後、引退を表明したと聞いた。私は彼に対して強い共感を覚え、敬意を抱いた。彼と比べると、高田延彦は戦士ではなく、アスリートだった。腕を極められると、いとも簡単にギブアップした。それは、スポーツマンとしての態度だった」
本書では、著者が実際に対戦しなかった格闘家の名前も登場します。たとえば、柔道の山下泰裕です。以下の文章は、柔道への著者の思いも述べられていて、興味深く読みました。
「柔道選手では、日本の山下泰裕選手がとても好きだった。
23歳のとき、柔道のブラジル代表チームの練習に加わったことがある。立ち技ではさすがにかなわなかったが、寝技では誰にも負けなかった。ただし、柔道は勝負が早く、また近年は一本を狙うよりも、ポイントを奪って判定勝ちを狙う傾向にある。しかし、私は一本勝ちで決着をつける方が好きだ。2人が試合場に入って、出てくるのは1人だけでいい。この点で、柔道よりも、柔術の方が自分に向いている」
他にも、「ボクサーでは、モハメッド・アリ、マイク・タイソン、フリオ・セサール・チャベスらが好きで、よくTVやビデオで彼らのファイトを見た」と述べています。そして、以下のように意外な人物の名前も登場するのでした。
「アスリートではないが、ブルース・リーにも興味があった。なぜなら、格闘家として本当に強いかどうかは別として、彼には独自の哲学があったからだ。自信と尊厳があり、ポジティブなメッセージを受け取った」
さて、船木戦の直後、著者はPRIDEから「桜庭和志と戦わないか」というオファーを受け、承諾するつもりだったといいます。しかし、長男ホクソンが不慮の事故で急死し、著者はリングに立てるような精神状態ではなくなったのでした。その他にも、前田日明や長州力と対戦する話などもあったそうですが、さまざまな団体から何度もオファーを受けたのが「世界最強の男」との呼び声が高かったエメーリヤンコ・ヒョードルでした。著者は、ヒョードル戦について次のように述べています。
「ヒョードルは、私よりずっと大柄で、とても屈強な男だ。ただし、際立って洗練されたテクニックを備えているわけではない。私は、自分と彼の特徴を比較検討した結果、彼に勝てるという結論を出した。ヒョードルとの試合が、私の現役最後の試合となるはずだった。長いこと、私はそのために準備していたのだ。しかし、この試合が実現しなかった以上、もうやるべきことはない。私は、現役引退を決意した」
ヒクソンvsヒョードルは多くの格闘技ファンに望まれながらも、ついにが実現しませんでした。それを今でも惜しむのは、わたしだけではないでしょう。また、正直言って、わたしは桜庭戦にはそれほど食指が動きませんでしたが、前田戦と長州戦は見たかった!
第九章「人生をリセットするとき」では、著者は「幸福」について語ります。「愛することで自分の心は豊かになる」と訴える著者は述べます。
「愛によって、われわれはもっと能動的になり、もっと生産的に、もっと創造的になる。格闘家時代、私は柔術への愛、グレイシー一族への愛、そして自分の家族への愛を胸に戦、そして勝利を収めた。一方、憎悪はそうではない。憎しみは、人を盲目にする。人の能力を鈍らせる」
格闘家というより、まるで哲学者のような雰囲気を漂わせる著者は、「幸福を感じる条件」について以下のように述べています。
「幸福は、愛情や憎しみなどの感情とは異なる、ひとつの精神状態である。人は、誰かに対して、幸福を感じることはない。その時々に、自分が置かれた状況において、自分が幸せか不幸せかを感じるだけだ。誰かを愛するとき、人はその対象に愛情を与える。しかし、誰かを愛することが、その人に、直接的に幸福をもたらすことはない。助けにはなるだろう。高揚した気持ちになるかもしれない。多くの場合、他人を愛するという行為が、自分にも何らかの反響をもたらすからである」
また著者は、「幸福」について次のようにも述べています。
「幸福の度合いは、収入に比例するわけではない。マイク・タイソンやイヴェンダー・ホリーフィールドは、膨大なファイトマネーを稼いだが、無茶な浪費をして今では困窮していると聞く。金がどれだけあっても、使うのは至って簡単だ。すぐに消えてしまう。人間にとって重要なのは、収入の絶対額ではなくて、生活の質だと思う。何に楽しみを見出し、何を食べ、どう休息をとるのか、誰とともに暮らし、誰と一緒に時間を過ごすのか。これらの部分で満足できていれば、仮に収入がそれほど多くなくても、大きな幸福感を味わえるはずだ」
幸福論といえば、死生観と切っても切り離せません。著者は「死」について、以下のように述べています。
「私は、”死”は生と同様に、極めてナチュラルなことだと考える。死を迎えるにあたって、動揺する必要はまったくない。悲しみを感じる必要もない。また、人生は一回きりではなく、また別の生き物になって、生を受けるような気がしている。だから、死んだらすべてが終わるとは考えていない。自分が死ぬことは、怖くない」
「自分が死ぬことは怖くない」と言い切る著者も、長男の急死は大きな衝撃でした。しかし、どんな悲劇からも学べることはあるとして、述べます。
「長男を亡くしたとき、私は人生に絶望した。まったく光が見えず、生きている意味さえ見失った。『自分が幸福感を味わうことなど、もう二度とないだろう』という確信があった。しかし、現在、『俺は世界で最も幸福な人間だ』と胸を張って言うことができる。それは、短い歳月ではあったが、長男と濃密な時間を過ごせたことを神に感謝しているからであるし、長男を失って以来、他の3人の子供たちと過ごす時間を、以前より大切にするようになり、そのことに自分がとても満足しているからでもある」
著者は、長男を亡くしました。離婚を経験し、その際にすべての財産を前妻に渡しています。その後、最愛の女性と再婚しました。多くの素晴らしい経験をする一方で、多くの不幸も味わった著者は、次のように述べます。
「人生は、決して容易ではない。誰の人生にも、必ず幾多の障害が立ちはだかる。しかし、障害を前にして足踏みしていたら、いつまでたっても前へ進めない。これらの障害に勇気を持って立ち向かい、苦しみながらも乗り越え、その一方で、これらの障害を、自分が成長するための糧として利用しながら、自分が定めた目標に向かって、一歩ずつ進んでゆかなければならない。その場合には、ポジティブな考え方が、大きな援軍となる。大きな困難に直面して、ひどく苦しむことがあるだろう。しかし、それで自分が命を取られるのでなければ、長い目で見れば、そのようなつらい経験も、自分の肥やしとなるはずだ」
本書の最後で、著者は読者に対して次のように語りかけます。
「すべては、自分の頭の中にあるものなのだ。他の場所にはない。何かをする上で良い結果を出そうと思えば、まずポジティブな考え方をすることだ。自分の頭の中に、ポジティブな種をまくことだ。そのためには、自分自身を信じ、”強い心”(ストロング・スピリット)を持たなければならない。これらの力は、現状を認めたうえで、物事が良い方向へ向かうことを信じることによって生まれる。そして、ポジティブな考え方をして、ベストを尽くした上で、結果がどうなるかについては、神様に任せるしかない。結果に関しては、自分が心配をする必要はないのだ」
本書は、ポジティブ・シンキングの本、メンタル・コントロール法の本、グリーフケアの本、成功哲学の本・・・・・・じつにさまざまな読み方ができると思いますが、なによりも優れた幸福論であると思いました。著者自身が格闘家であることから『心との戦い方』というタイトルになったのでしょうが、本当は『心とのつきあい方』という方が内容にふさわしいのではないかと思いました。興味深い内容に満ちており、夢中で読了しました。