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2015.06.10
『死の哲学』田辺元著、藤田正勝編(岩波文庫)を読みました。
「田辺元哲学選4」として刊行され、晩年の田辺元が構想した「死の哲学」に関する論考が4篇収められています。わたしは『唯葬論』の中に「哲学論」という一章を設けましたが、その参考文献として読んだのです。
本書の目次構成は、以下のようになっています。
メメント モリ
禅源私解
マラルメ覚書―『イジチュール』『双賽一擲』をめぐって
1 詩と哲学
2 『イジチュール』『双賽一擲』の関係
3 アウグスティヌスの時間論
4 『イジチュール』の由来と帰結
5 『イジチュール』の構想
6 『イジチュール』の限界
7 イジチュールの絶体絶命
8 イジチュールの転回
9 生死相関自覚の逆説
10 『双賽一擲』の解釈の立場
11 『双賽一擲』の真実
12 『双賽一擲』試訳附註
生の存在学か死の弁証法か
「注解」
「解説」(藤田正勝)
「略年譜」
「人名索引」
この読書館でも紹介した『存在と時間』の著者であるハイデカーは「20世紀最大の哲学者」とまで呼ばれ、その哲学は「死の哲学」と呼ばれました。それを果敢にも批判し、自らの「死の哲学」を打ち出した勇気ある哲学者が日本にいました。西田幾多郎に次ぐ日本の「第二の哲学者」と評された田辺元です。田辺はハイデガーに多大な影響を受けつつも、ハイデガー哲学における「他者の不在」を批判しました。ハイデガー70歳記念論文集のために、田辺は「生の存在学か死の弁証法か」という論文を書いています。「生の存在学」とはハイデガーの立場であり、自身は「死の弁証法」という立場に立って、この「生の存在学」と対決しようとする並々ならぬ田辺の決意がこの表題に込められています。
この「生の存在学か死の弁証法か」で、田辺は次のように書いています。
「ハイデッガー教授は『講演と論文』(一九五四)に収められた講演『物』において、人間が死を死として死することのできる唯一の生類であり、死こそ無の秘匣として存在の本質を蔵するが故に、人間は存在そのものの秘密として現存するのである。その自ら死を死する能力を有することが人間の可死性と言われる本質を成すのであって、単に現世の生が終熄することを可死的というのではないという深い思想を発表せられた。しかし教授の説かれる死の能力があくまで能力に止まる限り、それは観念論を超え得ないから、死の決断実行が即復活還相に転ぜられる死復活の秘密は、なお未だ具体的に実現せられることはできぬのではあるまいか」
ハイデガーの記念論文集で、祝われている当事者を批判することに田辺もためらいを覚えたようですが、それでも永遠の真実を求めることこそが哲学の目的であるという信念に基づいて、この論文の発表を決意したのです。
また、田辺は「『死の哲学』への要求」という論文で述べています。
「哲学は永遠の探究であること、古今東西を問わず一様である。しかし有限可死的なる人間にとっては、永遠の探究は探究の永遠より外にあり得ない。これは単なる理想主義の直線的向上の極限でもなく、さりとて神秘主義の円環的超限でもない。正に実存主義の透視画的遠近法的位相における渦動転換行為の自覚に外ならない。その方法が実存弁証法である。永遠は理想主義の分析論理に依って思惟せられず、さりとて神秘主義の超論理的直観に依っても学問化せられない。ただ死を媒介として死の突破(永遠)即死の突破(復活)において弁証法的に思惟せられるのみである。それは理念でもなく、直観でもなくして、自覚実存協同を象徴とする絶対無でなければならぬ。その死復活の実存協同的自覚が『死の哲学』というべきものである。『死の哲学』において始めて永遠は、逆説的に思考せられる。これが『思考と存在とは同一である』という弁証法的真実に外ならない」
哲学者の藤田正勝氏は、「解説」で次のように述べています。
「田辺は『死』の問題を、ただ単に『私』の死の問題として扱っていない。田辺にとって死の問題は、二人称の死、つまり『汝』の死に深く関わるものであった。しかも単なる『汝』の死ではなく、私と汝との『関わり』における死が問題にされた。より正確に言えば、死せる汝と生ける私との関わりの問題として死の問題が問われた。そこに田辺の『死の哲学』の一つの特徴がある」
そして、そこには田辺の妻の死が深く関わっていました。愛妻の死による悲しみの深さは、たとえば田辺と親交のあった哲学者の下村寅太郎が、「時々のお便りの端に、亡妻の名を呼び号泣する、とあった」と書いていることからも知られます。また田辺は、「わがために命ささげて死に行ける妻はよみがへりわが内に生く」という歌も詠んでいます。
このような経験が、田辺に「死の哲学」を構想させたといいます。妻の死は彼の哲学に決定的な影響を与えたのです。「生の存在学か死の弁証法か」で田辺は次のように述べています。
「自己のかくあらんことを生前に希って居た死者の、生者にとってその死後にまで不断に新にせられる愛が、死者に対する生者の愛を媒介にして絶えずはたらき、愛の交互的なる実存協同として、死復活を行ぜしめるのである」
ここで田辺は、愛によって可能になる、生死を超えた、死者と生者との交互的な関わりを「実存協同」という独特の言葉で表現しています。藤田氏によれば、「実存協同」とは、死者の生者への愛と、生者の死者への愛を基礎として成立する関わりであるといいます。しかし、それはただ単に、愛する私と汝とのあいだの閉じた関係を意味するのではありません。田辺はそれをむしろ他者に開かれたものとして理解するのです。
そのような観点から田辺は禅、特に中国の仏教書であり、日本においては臨済宗で尊重される『碧巌録』の第五十五則「道吾一家弔慰」を手がかりにしています。それは以下のような内容です。
禅僧である道吾と弟子の漸源が檀家の弔いに出かけた際、横たわっている遺体を前に漸源(ぜんげん)が「生か死か」と問うたのに対し、師の道吾は「生とも道(い)はじ、死とも道はじ」とのみ答えたという考案である。道吾の死後、漸源は、それが生死の不可分離の関係を自ら悟らせしめるための師の慈悲であったことを知る。そのような方法で師が、死にもかかわらず弟子の内に生きて働くこと(死復活)、弟子が自ら悟った真実をさらに他人に伝えること(回施(ルビ:えせ))、それを自ら悟らせようとすること、これらを、あるいはそこに生じる関わりを田辺は「実存協同」という言葉で表現したのでした。
このような「実存協同」を田辺はまた「菩薩道」としてもとらえています。菩薩とは何か。大乗仏教において、仏になる資格を備えながら、それを断念し、むしろ他の衆生の救済に力を注ぐ存在です。田辺哲学における「菩薩道」はそのような自己否定の行為が他者の内に生かされること、さらにそれが個から個へと伝えられ、その関わりが無限に広がっていくことを意味しています。そして、そのような開かれた関わりの実現を通して、田辺は「種としての人間集団を新しくする」ことを目指し、それによって「『死の時代』を突破する」可能性を見出そうとしたのです。
哲学者としての田辺元は、西田幾多郎と同様に、永遠の真実の答を禅に求めました。やはり、宗教的思考から完全に乖離した「死」の哲学的考察は困難であるのかもしれません。これは、キリスト教的要素を哲学から拝したハイデガーの場合においても言えます。やはり「こころ」「たましい」「霊魂」といったものを抜きにして「死」について考えることはできないのではないでしょうか。ハイデガーの哲学は「死」から宗教的思考を剥ぎ取って純粋に哲学的思考のみで「死」をとらえることに成功したのかもしれません。しかし、彼の哲学には他者、愛、そして死者と生者との関わりの問題が欠落していました。一方、愛妻の死が契機となって生まれた田辺元の「死の哲学」には、死者との豊かな関係性が示されていました。
問題は「死」ではなく、「葬」なのです。