- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
2015.09.13
12日の土曜日、小倉駅から「のぞみ14号」に乗って京都へ来ました。
13日の日曜日、朝から京都ホテルオークラで開催される第1回京都こころ会議シンポジウム「こころと歴史性」に参加します。わたしは「京都大学こころの未来研究センター」連携研究員を務めていますが、同センターの主催イベントです。ここで稲盛財団の稲盛和夫理事長にお会いする予定です。
稲盛理事長といえば、わたしがこの世で最も尊敬するお二方のうちの1人です。もう1人は、上智大学名誉教授である渡部昇一先生です。京都へ向かう新幹線の車中で渡部先生の『日本興国への道』(致知出版社)を再読しました。「歴史に学び、時流を読み、未来を開く」のサブ・タイトルがついています。本書は「現代の賢人」である著者が「日本の進むべき道」を説いた一冊ですが、致知出版社が運営するWEB「昇一塾」のニュースレターに加筆・修正し、新たな原稿を加え再編集したものです。
著者の顔写真入りの本書の帯
帯には物思いに耽っているような和服姿の著者の写真が使われ、「従軍慰安婦問題で長年虚偽の報道を続けた『朝日新聞』がその非を認めた。日本の真の再生はここから始まる。」「この国に生まれてよかったと思える日本を取り戻したい。」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章 陰謀渦巻く国際関係のなかで国益を守るために必要な特定秘密保護法
第二章 「朝日」から「夕日」に変わる姿を見るのは感無量。
マスコミを頭から信用してはいけない
第三章 エネルギーを奪われた国家がいかなる運命を辿るか。
それはすべて歴史が明らかにしている。
第四章 隣国と付き合うにはまず相手がどういう国か、その本質を知らねばならない。
第五章 アメリカが日本を見捨てるかもしれないという覚悟も必要になってきた
第六章 日本よ、真の独立国となるべく立ち上がれ
第七章 いま日本が大きく変わる兆しが見え始めた。
日本人よ、覚醒せよ
第二章で、著者は万感の想いをこめて次のように書いています。
「私にとって『朝日新聞』はまったく反省を知らない傲慢極まりない、まるで巨大な黒い岩石のような存在でした。それでも私はハイエク博士の言葉を思い出しては小さな金槌で、この岩石を20年、30年と懲りもせずにコツコツ叩き続けてきました。そして、とうとう強固な岩石がパカッと割れる日がやってきました。言うまでもなく、木村伊量社長や編集担当役員による謝罪会見です。長年、『朝日新聞』と闘ってきた身としては、『朝日』が『夕日』へと変わっていく様子を見るのはまさに感無量といったところです」
個人的に深く考えさせられたのは、第四章の「中国=孔子や儒教の国といった誤った認識に惑わされてはならない」のくだりでした。著者は「孔子を利用しながら、精神面でも世界を牛耳ろうと画策する中国」として、以下のように述べています。
「中国共産党がいまことさらに孔子や儒教を賞賛し、持ち上げているのは、拡大路線に走る共産主義政権の正体を覆い隠すための方便であり、隠れ蓑にすぎません。一国の文化や精神的土台を根底から破壊し尽くし赤一色に染める、しかもそのための手段を選ばないのが共産主義という思想です。文化大革命では孔子廟や孔子像などが多く破壊され、それを崇拝する人々もまた多く粛清、抹殺されました。そういう危険思想をベースに持っているという実情を知れば、中国が儒教の伝統国などとは口の端にものせられないはずです。
ところが、中国はいま、孔子学院を通して中国が世界の中心、それ以外は野蛮な民族であるとする『中華思想』を着々と世界に浸透させているのです。それは一方で、日本がいかに野蛮で残酷な侵略国であるか、という根拠なきでたらめな情報を拡散させていることを意味します」
また著者は「現代のシナ人と孔子が生きた当時の聖人とはなんの繋がりもない」として、以下のように述べています。
「つまり、孔子が生きた当時の聖人たちはいまのシナ人とは民族的、学問的に何の繋がりもないのです。その事実は明確にしておく必要があります。これはギリシャ文明についても似たことが言えます。アリストテレスやプラトンなどのアテネの哲学はその後のギリシャとは学問的にも血統的にも何ら関係がありません。その哲学の学統はむしろ西欧のパリ大学やオックスフォード大学、ボン大学などに受け継がれたといっていいでしょう。エジプトについても然り。高度なエジプト文明を発達させたエジプト人と、いま暴動を起こし、社会を騒がせているエジプト人とは何ら関係がありません」
『永遠の知的生活』(実業之日本社)
著者はけっして『論語』や孔子を否定しているわけではありません。
それどころか、著者ほど『論語』の真髄を理解されている方もいないと思います。わたしとの対談本である『永遠の知的生活』(実業之日本社)を一読すれば、それがよくわかると思います。第五章「日本人を語る―心学とカミ文明圏」では以下のような対話が展開されています。
一条 わたしは先生の近著である『自立国家への道』(致知出版社)や『渡部昇一、靖国を語る』(PHP研究所)などを読んで、先生の「豪胆さ」というか、日本を良くしたいと真剣に考えておられるがゆえの「真摯さ」と本当に感心しました。ここまでストレートに自分の考えを述べることができる先生の気概には感服いたしました。
渡部 「七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」。「70歳になってからは、自分のやりたいことをやっても、道から外れないようになった」という意味です。
一条 『論語』ですね。まさに、「もはや何も怖れるものはない」ですね。靖国問題はもちろん、原発再稼動、領土問題、改憲、自衛隊の軍隊化といった、左寄りの連中が見たらヒステリーを起こしそうなテーマばかりです。
渡部 昔から人間にとって、「知」「仁」「勇」の三つが大切だといわれています。「知」を司るのは頭脳です。「仁」は思いやりの心であり、それは心臓です。「勇」は肚が据わっていること、胆が太いことであり、腹部のことです。これは、リーダーに最も必要なものです。知の足りないトップを助ける参謀役は見つけることができます。情の足りないトップを補佐する人はいくらでもいるでしょう。しかし、肚の据わらないトップ、ガッツのないトップはどうしようもないのです。思えば、戦後約七十年の教育は、知能の啓発と、情け深い心の養成には十分力を尽くしてきたと思われますが、ガッツを鍛えるということは教育の主流からはずされてきたように思います。
(『永遠の知的生活』より)