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No.1126 オカルト・陰謀 | プロレス・格闘技・武道 | 人生・仕事 『人生で大切なことはオカルトとプロレスが教えてくれた』 大槻ケンヂ・山口敏太郎著(KADOKAWA)
2015.09.30
『人生で大切なことはオカルトとプロレスが教えてくれた』大槻ケンヂ・山口敏太郎著(KADOKAWA)を読みました。
サブカルの大御所である1966年生まれの二人がタッグを結成し、ロックミュージシャンとオカルト研究家による抱腹絶倒の異種格闘雑談が実現しました。
本書の帯
本書の帯には大槻・山口両氏の顔写真が使われています。
そして「とにかく笑える! 昭和のあるある。」と大書され、続いて「UFO、UMA、ツチノコ、ネッシー、ノストラダムス、ユリ・ゲラー、仮面ライダー、ウルトラマン、特撮、梶原一騎、タイガーマスク、アントニオ猪木、ジャイアント馬場、宇宙人、SF、陰謀論、都市伝説、心霊現象、超能力・・・など、怪しくも輝いていたあの頃をプレイバック」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は以下のような構成になっています。
「大槻ケンヂのまえがき」
第1章 僕たちの子供時代は怪しいものだらけで輝いていたんです
第2章 90年代は混沌とアンチオカルトの時代になりました
第3章 いま僕たちはいい感じでオカルトと付き合えています!
「山口敏太郎のあとがき」
「昭和オカルト・プロレス年表1071-1995」
「大槻ケンヂのまえがき」には、以下のように書かれています。
「僕ら昭和40年代世代は、ノストラダムスやユリ・ゲラーのオカルト大ブームの直撃を受け、アントニオ猪木の異種格闘技戦、初代タイガーマスクの出現に熱狂。とてもガチなビリーバーとしての幼少期を過ごしました。しかし大人になって、大予言の終末の年を生き延び、オウム事件によるオカルトバッシングも体験。さらにプロレスでもUWFからアルティメット大会の登場、MMA(総合格闘技)の台頭によって、大げさにいえば、培ってきた人生の価値観を根本から覆されてしまった」
では、何を信じて生きればいいのか。大槻氏は言います。
「信じていたものに裏切られ、裏切り、一度はその対象を憎みさえして、否定しようとも試みたけれど、今、気がつけば『でも、やっぱ、離れられないんだよなぁ~』と、そのいかがわしさ、まやかしの部分も含めて愛している自分に気づく。大きな意識の転換期があったからこそ、受け入れる、人生のあらゆる局面に必要な、寛容、という心構えを、昭和に育った者たちはオカルトとプロレスを中心に学んできたのだと思います」
本書で取り上げられているテーマは以下の通りです。
◎特撮番組はイスラム国や拉致問題を予言していた?
◎「それはウソでしょ」という話が本当だった時代
◎みんな1999年に人類は滅びると思っていた
◎オカルトでもプロレスでも、世の中の真相に気づく段階は同じ
◎芸能人の都市伝説が続々と生まれた時代
◎収録後、ユリ・ゲラ-と矢追純一さんがトンデモないことを始めた
◎これ以上ハマるとヤバいと思ってUFO断ち
◎ヤオも悪くない、と思ってしまったプロレス体験
◎芸能人が小さいおじさんを見てしまう理由
◎オカルトやプロレスを疑いだした時期
◎世の中には結論を出さなくてもいいことだってある
◎イタコの口寄せは強烈なラップだった
◎ネタ元の話をしよう
◎オーケン、ネット陰謀論を語る
◎ジミヘンの大予言!?
◎オカルト版「引き寄せの法則」
◎ドリフターズ陰謀論
◎宇宙人はジャムおじさんだった!?
◎妖怪をめぐる「ホッコリする話」
◎ヒーローたちが「死の喪失感」を教えてくれた
◎トンデモ体験談には、たまに真実味があってそこがたまらない
◎オカルトで歴史を学ぶ
また、本書には二人が選ぶ○○ベスト5も収録もされています。
ずばり、以下のような魅惑のベスト5であります。
●オカルトテレビ番組ベスト5
●オカルト映画ベスト5
●オカルトマンガベスト5
●UFO・オカルト事件ベスト5
●プロレス名勝負ベスト5
●名レスラーベスト5
●オカルト小説ベスト5
●オカルト有名人ベスト5
この項目を見るだけでヨダレが出てくるような魅力的なランキングですが、詳しくは本書をお読み下さい。わたしは1963年生まれで、二人の3歳ほどお兄さんなのですが、まあ同世代ということで、非常に共感しながら読み進めることができました。
拙著『結魂論』(成甲書房)にも書いたのですが、わたしはもともと「オカルト」と「格闘技」は似たようなジャンルであると考えてきました。
ドラマや映画の「トリック」シリーズを観てもわかるように、超能力者とか霊能力者というのはフェイクだらけです。わたしも、以前よくその類の人々に会った経験がありますが、はっきり言ってインチキばかり。あのユリ・ゲラーやサイババも限りなくダークです。でも、スウェデンボルグとか出口王仁三郎といった霊的巨人は本物であったと思います。わたしが実際に会った人物では、スプーン曲げの清田益章氏やサラリーマン時代の会社の先輩であるタカツカヒカル氏のヒーリング・パワーは今でも本物じゃないかと思っています。ですから、すべてがフェイクではなく、本当にごく少数ですが、なかには本物の能力者もいるのでしょう。
次に格闘技。わたしは子どものころから格闘エンターテインメントとしてのプロレスをこよなく愛し、猪木信者、つまりアントニオ猪木の熱狂的なファンでした。でも、何千という猪木の試合のなかで、いわゆるセメント(真剣勝負)はかのモハメッド・アリ戦とパキスタンの英雄、アクラム・ペールワン戦の2回だけと言われています。だから良いとか悪いとかではなく、それがプロレスなのです。しかし、わたしは逆にその2回に限りないロマンを抱きます。また、力道山vs木村政彦、前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアント、小川直也vs橋本真也といった試合は一方の掟破りでセメントになったとされ、今では伝説化しています。
フェイクだらけの中にある少しの本物に魅せられる。オカルトも格闘技もフェイクという大海のなかにリアルという小島があるわけです。それらの世界に魅せられる人々は、小島をさがして大海を漂う小舟のようですね。
ついでに言えば、スナック、クラブ、キャバクラなどの水商売も同じです。
水商売の女性との心の交流は、はっきり言って、擬似恋愛であり、ホステスが演技をして恋人ごっこをしてくれるわけですが、時々、ホステスさんが本気で客と恋愛することがあります。この数少ないロマンを求めて、男たちは懲りもせず飲みに出かけるのですな。つまり、「オカルト・プロレス・水商売」はオールフェイクではないのです!
それらのジャンルは限りなく胡散臭くて、基本的にウソで固めています。
しかしながら、中には紛れもない「リアル」が隠れている。
霊能力者もプロレスラーもホステスも、中にはガチンコの本物が実在する。
オカルトもプロレスも水商売も「リアルさがし」のゲームであり、冒険の旅であると考えるのら、「ダマサレタ!」と腹も立たないのではないでしょうか。
本書の「山口敏太郎のあとがき」には以下のように書かれています。
「嘘と真実の狭間を泳いで渡り切る奥義は人生においても通用するものだろう。実際にこの生々しい世の中を生きていると、数々のトラップやトラブルに見舞われる。そんなとき、昭和レスラーの知恵やオカルトのギミックを使ってくぐり抜けることが可能だ。ときには馬鹿になってみたり、ときには怒ってみたり、ときには堂々と嘘をついてみたり、まさに人生に必要なことはすべて”オカルト”プロレス”が教えてくれたと言ってよい」
そして、「山口敏太郎のあとがき」の最後には「これから、僕らは愉快なおじいちゃんになっていくのだけど、1つだけ言えることがある。それは人生の最期にはプロレスラーのように華やかに、サイキッカーのように煙にまいてやろうと思っていることだ。所詮、人生は死ぬまでの暇つぶし。ならば思い切りエンタメ魂で世間を楽しませてやろうじないか」と書かれています。これを読んで、拙著『老福論』(成甲書房)の内容を連想しました。