No.1157 読書論・読書術 『読む技術』 塚田泰彦著(創元社)

2015.12.14

『読む技術』塚田泰彦著(創元社)を読みました。
「成熟した読書人を目指して」というサブタイトルがついています。
著者は1952年生まれで、東京教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、博士(教育学)。現在は筑波大学人間系教授で、専門は言語教育学、国語科教育です。日本読書学会会長、全国大学国語教育学会理事長なども歴任しています。

本書の帯には「自分の読書術をつくるための本」と書かれ、カバー前そでには「ネット社会になって読書の世界は大きく変わりつつあります。自分の読書生活をまっとうするためにいまからやれることはなんでしょうか―」とあります。本書は、読書の基本をおさえながら、日本で初めて「読書科学」の成果を活用して述べた本なのです。

「目次」を紹介した本書の帯の裏

本書の「目次」は以下のような構成になっています。

「はじめに」
1章:「読む」とはどういうことか
2章:読書をいつ、どこで学んだか
3章:自分の読書術をつくる
4章:読書生活を生きる
5章:ネット時代の読書術
「参考文献」
「索引」

「はじめに」の冒頭には「読む技術とは、読もうとするための技術である―本書はそういう立場で書かれています。自らの手で読書意欲を生み出す技術と言い換えてもいいでしょう」と述べられ、さらに「読書」について以下のように書かれています。

「読書は、人間に固有の高度な認識システムと社会システムが一体となった『言語』というシステムを、最大限に機能させる文化的活動です。それは、文字コードに過ぎない字面から、一定の意味やイメージを時間的・空間的に再現する能力(とくに文学的想像力)に支えられています。この能力のために、読書は人と社会をつなぎ、『生きる力』を根幹で支えることが可能なのです。生きる力は、学力の習得(知識や技能の側面)と心の構成(倫理や情緒の側面)から成り立っています。読書はこの2つの側面を常につないでいく生産的な活動です。書物はそれを可能にする豊かな機能で溢れています。しかし、生きる力は、この『読書』という行為を通して常にエネルギーを供給されない限り、年々衰えていきます。生涯にわたって本を読むことが、生きる力の源泉であり、自らの生活をつくり続けていくための最良の方法なのです」

1章「『読む』とはどういうことか」では、「『読書科学』が明らかにしようとすること」として、以下のように書かれています。

「読書は、本を書いた人と読者との人間対人間の対話として成立するもので、近代の読書空間は、この生きたコミュニケーションの過程を多様な媒体で支えてきました。ときにはハンディな文庫本であったり、写真集であったり、浩瀚な全集であったりします。しかし、媒体は異なっていても、そこにはいつも夏目漱石や柳田国男といった生身の著者が姿をあらわすのです。いま、このような『著者』をネット上で捜すことは簡単なことではありません。ネット上に溢れる文章の大半は『匿名』のままだからです。いったい、だれと対話すればいいのでしょうか」

この著者の意見にはまったく同感です。
匿名者が書いた文章など読むに値しません。

2章「読書をいつ、どこで学んだか」では、「読むと学力が伸びる」として、読書と語彙力の関係などに触れつつ以下のように書かれています。

「1日に25分読書をすると、その子どもは年間約2万語の未知の語に出会う計算になるといいます。もちろん、いろいろな条件を省いた単純計算ですが、その20分の1が文脈から学習されるとなれば、それだけで年間約1千語を自由な読書で獲得していくことになります。小学生は、生活のなかでさまざまな形で1年間に約3千語ずつ語彙を増やしていくと推定されているため、この25分間の読書が、いかに効果的で自然に語彙を増やす方法であるかがわかります」

特に興味深かったのは、ファンタジーの読書について言及した以下のくだりです。

「たとえば、ファンタジーを読むときのことを考えてみます。ファンタジーの特徴である異次元の世界を行き来するためには、物語空間の仕組みに慣れる必要がありますが、子どもたちは、物語空間と登場人物や読者の視点との複雑な関係を、とくに学校で体系的に習う必要はありません。日ごろの読書で、人称代名詞(わたし・あなた・かれら)や指示代名詞(これ・それ・あれ・どれ)の使い方に慣れてくると、登場人物の複雑な動きや事件の起きた場所をリアルに思い描くことができるようになります。何度も読んでいるうちに、自然に物語空間の仕組みが理解できるようになるからです」

これは目から鱗でした。たしかに、空想的な物語を読めば読むほど、頭が良くなるかもしれませんね。

また「記憶にある読書」についての以下のくだりも印象的でした。

「読書経験の1つひとつが、自分の読書世界をつくり上げ、それが『生涯にわたる読書』へとつながっていきます。それは、読書が1回1回『出来事』として経験されるからだと思います。いままでに一度も感じたことがないような、あるいは考えてもみなかったような人間の心理の奥深さ、あるいは人生の不思議さ、そうした事実に直面することで、それを伝えようとした作者への信頼も生まれます。人はそれぞれ、自分なりのこうしたかけがえのない読書についての経験を出来事として深く記憶に刻んでいきます」

3章「自分の読書術をつくる」では、「新しい世界が出現する」として、「物語能力」というものに言及し、以下のように述べられています。

「読むという行為は、印字面に過ぎないテクストの文字を順に目でなぞるだけではなく、読者の脳裏にさまざまな世界が次々に現れて、登場する人物が口々に語る状況を受け入れるところから始まります。
『物語世界』ということばが象徴するように、基本的には、1つの世界が出現し、読者はそこでまるでその世界の一員であるかのように出来事を体験します。ときには傍観者となって、その事件の真相を客観的に眺めることもできます。物語世界の基本的な仕組みは、そこに出現する世界に参加するか、これを傍観するかという2つの立場を、読者が自らの役割として演じ分けることでもあるのです」

この文章を読んだとき、かつて中学生の頃に『ナルニア国ものがたり』とか『指輪物語』などのファンタジー大作を読み耽ったことを思い出しました。

いま、文章が読めるのに本を読まない人、すなわち不読者が増えています。一方、何をどう読んだらいいか迷っている人も多いようです。わたし自身は「本ほど面白いものはない」と思っています。本があるのに読まないのはもったいないですし、読むならより良い読み方で、生涯にわたって読み続けたほうがいいでしょう。本書は、そのような視点から、読書という広大な世界を楽しむ「成熟した読者」になるためにどうするかを説いています。
読書教育の第一人者が書いただけあって非常に説得力に富んでおり、わたし自身も勉強になりました。

Archives