No.1196 宗教・精神世界 『宗教学とは何か』 柳川啓一著(法蔵館)

2016.02.24

 もともと1982年のテレビ朝日の実験放送「テレビ大学講座」の中の「宗教理論と宗教史」のテキストとして書かれたもので、旺文社から同タイトルで出版された後、89年に加筆修正あるいは削除を行って法蔵館から『宗教学とは何か』のタイトルで刊行されました。宗教学のテキストとしては目配りも良く、秀逸な出来栄えとなっています。

 著者は、兵庫県生まれの宗教学者です。1948年、東京帝国大学宗教学科卒業。52年、東京大学大学院修了。73年から86年まで東大文学部教授を務め、87年の定年退官後は國學院大學文学部神道学科教授。80年から82年まで日本宗教学会会長を務めました。 東京大学では中沢新一、植島啓司、中原俊、島田裕巳、渡辺直樹、石井研士、四方田犬彦、鶴岡賀雄、林淳、竹沢尚一郎、島薗進、中牧弘允といった錚々たる顔ぶれを教えています。73年には宗教学者を動員し、日本で初めての本格的な『宗教学辞典』(東大出版会)を編纂。88年、第2回東洋哲学学術賞を受賞しています。91年に逝去しています。

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

●宗教学の基礎  
1 日本人と宗教  
2 聖と俗―宗教の規定―  
3 季節の祭  
4 通過儀礼  
5 信仰治療  
6 修行―心と身体―  
7 タブーから戒律へ  
8 道徳と宗教  
9 神と法―宗教的世界観―
10 生から死への移行
11 生者と死者―死後の世界(1)―
12 天国と地獄―死後の世界(2)―
13 宗教集団の類型―宗教と社会(1)―
14 政治と宗教―死後の世界(2)―
15 現代における宗教
●宗教学の展開  
1 祭とは何か  
2 祭研究の歩み  
3 祭の宗教学
「より深く宗教学を学ぶために―参考文献一覧―」
「あとがき」
「索引」

 宗教学の基礎の1「日本人と宗教」の冒頭には以下のように書かれています。

「人類の歴史を通して、あらゆる時代、あらゆる地域にわたって、何かの意味での宗教が存在したし、また、いまも存在している。もちろん、人間はすべて宗教を信じるべきであるという意味ではない。しかし、人間の社会と文化には、宗教が普遍的に見出せるということは、1つの事実である」

 「宗教の定義―教義・教団・戒律―」には以下のように書かれています。

「宗教の定義といえば、千差万別あって困難なものだが、われわれが常識的に宗教といっているものを、仮りに3つの要素で説明してみよう。それは『教義』と『教団』と『戒律』である」

 それでは、教義とは何か。著者は以下のように説明します。

「教義とは、信仰の対象と内容を公式に規定するものである。信条といってもよい。大部分の宗教は、人間の目には見えない存在―超自然的とか超越的とかいう―を信仰の対象と認め、それと人間とのかかわりを、どう信じればよいか定めている」

 日本人の宗教における特徴について、著者は以下のように述べます。

「日本人は戒律については積極的ではなかったが、儀礼はひじょうに尊重する。儀礼を宗教のさきの三要素にさらに加えてもよいのだが、それぞれの宗教において、自らの信仰を表現するために定式化された行動のしかたをいう。初詣でも儀礼の一種であるが、葬儀、法事など、死者に関する儀礼もわれわれが守っているものであろう。 では、なぜ儀礼に執着するのか。教義、教団、戒律をあまりかえりみず、儀礼のみを行うので、日本人の宗教は形式的と非難されるが、それは、むしろ、人間関係を重視する傾向のあらわれである」 日本人の宗教とは、人間関係に立脚する宗教であるというのです。

 宗教学の基礎の3「季節の祭」では、「聖と俗をつなぐもの」として、宗教儀礼について以下のように書かれています。

「宗教儀礼も、神、仏、先祖の霊など、この世のものならぬ存在に対する敬意の表現として見れば、宗教とは関わりのない儀礼と共通の面をもっている。もっとも簡単な例は、柏手を打つ、合掌する、十字を切る、頭を深く下げるなどという、神仏に対して尊敬、敬意を表する形式である。 宗教儀礼―以下ここでは単に儀礼という―は、以上の敬意の表現に加えて、いろいろな動作を組み合わせて、全体として1つの意味を表す。声を出す。香をたく、供物を献げる、踊る、飲食をするなどなど、きめられた動作を通して、自分の心の中にある信仰を外に表現する」

 しかし、儀礼には儀礼の果たす役割があります。 著者は、2つの役割をあげています。1つめは以下の通りです。

「1つは、聖と俗をつなぐ媒介となっていることである。前章で述べたように、聖と俗の間には深い断絶がある。両者は互いに隔離され、容易に接触を許されない。接触するためには、厳重な手続きが必要なのである。その手続きが儀礼である」

 また、著者は以下のようにも述べています。

「聖なるものは、遠ざけられただけならば、人間とは没交渉になる。人間は、聖なるものに、たとえ危険があっても近くに進んで、聖のもつ力を自分の中にとり入れ、生命力を更新したいのである。それを行うのが儀礼である」 聖と俗とのコミュニケーションをはかる重要なチャンネルが、儀礼だというのです。

 それでは、儀礼のもつもう1つの役割は何でしょうか。 著者は、以下のように述べています。

「単に心の中で思い浮かべるというのではなく、外に向かって表現することにより、身体を含めた人間の全存在が開かれることである。心で思っていればよいというだけでは、人間の肉体を軽視した、あるいは、心と身体が不可分に結びついていることを認めない立場である。 祭は、外面に向かって表現する儀礼の中でも、もっとも多彩なものであって、神仏を崇拝するしかたの中に、色彩、音楽、舞踊、競技、饗宴など、見る、聞く、かぐ、ふれる、味わうという5つの感覚と、運動感覚を、いわば総動員している。ときには、あまりに感覚的、快楽的であるとして、非難されるほどである」

 著者は、さらに祭について以下のように述べます。

「祭には、いくつかの意味があって、まず、『冠婚葬祭』というときの祭がある。中国における儀礼の分類であって、冠は成人式、婚は結婚式、葬は葬式、そして祭は、祖先の祭祀で、われわれのいう法事にあたる。死者の記念は、淋しい、しめやかなものであるが、日本語の『まつり』に、漢字の『祭』をあてたので、字は同じながら、中国語と日本語では、意味が異なっている。 日本語のまつりの第2の意味は、神道においては、一定の方式によって神に敬意を表する儀礼をすべて指す。日本の神道においては、神社に鎮座する神だけではなく、天にも地にも、野にも山にも、多くの神を想定するから、多くの祭が、いかなる場所でも、いかなる時でも行われ得る」

 宗教学の基礎の4「通過儀礼」では、その冒頭で「通過儀礼の段階」として以下のように述べています。

「われわれのまわりには、二系列の儀礼が認められる。1つは、季節にまつわる儀礼であり、また1つは、人間の生涯の各段階に伴う儀礼である。 前章で見たような、季節に関する祭のほかにも、季節の折り目、節にあたるときに、年中行事とよばれる儀礼が行われる。節句(供)、物日などが、1年の暦を彩っている。 もう一方で、人間の一生、誕生から死亡にいたるライフ・サイクルの折り目折り目に、儀礼が存在する。現行の成人式、あるいは七五三の行事のように、年中行事に組み込まれているものもあるが、その当人にとっては、自分の一生の1つの節目である、誕生、幼児期、成人、結婚、厄年、還暦など、そして死去にいたる各段階において行われる儀礼を「生涯儀礼」とよび、季節儀礼と並んで、タテ糸とヨコ糸のように織りなし、儀礼のネットワークをはりめぐらしている」

 「通過儀礼」という言葉を作ったのは、ドイツ生まれの民族学者・宗教学者のヴァン・ジュネップ(ファン・へネップ)です。この読書館でも紹介しましたが、彼は1909年に『通過儀礼』を著しました。 ジュネップが唱えた「通過儀礼」について、著者の柳川啓一は以下のように述べます。

「子供から成人、未婚から既婚、壮年から老人というような立場の変化を、ヴァン・ジュネップがいうように、部屋を移る比喩でとらえると、儀礼は、古い部屋を出る→敷居を越える→新しい部屋に入る、という3つの段階に分けられるはずである。それぞれの段階におけるモチーフは次の通りである。 (A)分離 古い自分の集団から別れる(古い部屋を出る) (B)移行 古い自分の集団から新しい自分の集団へ行く途中(戸ロ、敷居を通る) (C)結合 新しい自分の集団に結びつく(新しい部屋に入る) 分離を示す儀礼、移行を示す儀礼、結合を示す儀礼の3段階は、いわば芝居の各場面のようで、3場面を統一して、通過儀礼の全体が構成されるという」

 こうした各段階の儀礼の総合体が、結婚式・成人式・葬式です。 この三大通過儀礼について、著者は以下のように述べています。

「結婚式の場合は『結合』に、成人式の場合は『移行』に、葬式の場合は『分離』にとくに重点がおかれるという。そう解すれば、わが国の現代の風習においても、結婚式において、披露宴がもっとも人を集める盛大な部分であるのはふしぎではない。私の聞いた外国人は感想として、日本人がなぜ厳粛な神前の式を、ごく内輪で閉鎖的に行い、それに続く豪華すぎるともいえる宴会に大勢の人を招くのかと疑問をもっていた。これは、もともと伝統的な日本の結婚式は宗教色が薄く、饗宴が『結合』の儀礼として重要であったことのつながりであろうか。 葬式においても、『葬儀』のほかに、『告別式』の部分があって、ここにできるかぎり多数の人が参加することが要請されるようになったのも、『分離』の儀式の肥大化といえる」

著者は、ジュネップに続いて、この読書館でも紹介した名著『儀礼の過程』を著したターナーの考えを以下のように紹介します。

「ヴァン・ジュネップの議論を受けついで、さらに、「移行」のもつ象徴的な意味を考察しようとしたのは、スコットランド出身の人類学者ヴィクター・ターナーである。この移行の段階では、若者たちはすでに子供ではなく、いまだ大人ではないという、中途半端な地位にある。これをBetwixt and Betweenといっている。若者は名前をとられたり(大人になると別の名前が与えられる)、衣服から飾りまでとり去られる。人間にとって衣服は、単に防寒防暑の実用だけではなく、社会的地位を示す象徴的意義ももっているから、もはや人間ではなくなったことを示すものかもしれない」

 このターナーの儀礼論を受けて、著者は以下のように述べます。

「イニシェーションにおける『裸』の意味はここにある。日本の祭にも、裸祭とよばれる若者を中心としたものが各地にある。これは、イニシェーションと結びついている。現代の世相ではいざ知らず、普通には、人間が他人の前で裸となるのは、生まれたときの産湯を使うときか、死んだときの湯灌を行うときであった。ターナーによれば、どっちつかずの状態にあるから、若者たちは、生者でもなければ死者でもない。また一方、生者でもあり、死者でもある。赤ん坊でもあり、また、遺体でもあるという、両方の地位を示すものが裸である。象徴的には、若者たちは、一度死んで、またよみがえるのである。儀礼の実際では、本当に死ぬことはない。しかし、イニシェーションを下敷きにした物語では、死ぬか、少なくとも死に瀕する」

 宗教学の基礎9「神と法―宗教的世界観―」では、その冒頭で「日本人の世界観の背景」として、以下のように述べています。

「世界観はまた、宇宙観、宇宙論(コスモロジー)といってもよい。天地自然がいかにしてできあがったのか、それはどういう構造をなしているのか、神や霊はどこにいるのか、人間は宇宙の中でどのような位置を占めているのか、といった疑問は、古くから人々を悩ませたであろう。いまならば、人は、宇宙科学のような自然科学にその解答を求めようとするが、かつては、神話、伝説、宗教の中に、それが表されていた」

 また、「輪廻思想」として、著者は以下のように述べています。

「世界という言葉は、もともと仏教から出た語であるという。世とは、中世、近世というように時代を指し、前世、現世、来世というように、人間の過去、現在、未来を表している。すなわち、「時間」にかかわる。一方、界とは、天上界、下界、俗界など、拡がり、『空間』を示している。釈迦の説いたそのままではないが、当時のインドの世界観もとり入れ、時間観と空間観をあわせた、複雑で精密な仏教の世界観がつくられるようになった」

 宗教学の基礎10「生から死への移行」では、その冒頭で「死と現代」として、著者は民俗学者の折口信夫を、その生涯を通じて、日本人における常世、他界の考え方を研究し続けた学者であると論じ、折口が晩年の論文「民族史観における他界観念」に書いた次の一文を紹介しています。

「なぜ人間は、どこまでも我々と対立して生を営む物のある他界を想望し初めたか。其は私どもには解き難い問題なるが故に、宗教の学徒の、将来の才能深い人を予期する必要があるだらう。私などは、智慧も短し、之を釈くには命も長くはなからう。だが此までの経歴から言ふと、はじめからの叙述が、ほのかに示してゐるやうに、人が死ぬるからである」

 また、「人間と死」について、著者は以下のように述べています。

「人間は死を避けることができないという事実は変わらないが、これを見ないようにするという風潮が生まれた。フランスの社会史学者であり、中世以来現代までのヨーロッパにおける死への態度の変遷を研究したアリエスは、『人類史上、初めての現象』といっている。その特徴は、大きく2つある。  1つは、人は自分の死とそれをめぐる状況の中での主役であったが、いまはそうではなくなっていること、2つには、生きている人間が、家族をも含めた他者の死に、深くかかわることが禁じられていることである」

 宗教学の基礎13「宗教集団の類型―社会と宗教(1)―」では、著者は「合致的(自然的)宗教集団」を取り上げ、以下のように説明しています。

「原始宗教においては、教義を掲げ、共通の信念をもつ信者による組織という、特別の宗教のための集団はなかった。血縁、地縁を基礎とする氏族、親族、部族、村落などと、宗教との関係は、はっきりと分かれず、一体となっていた。性別、年齢別、ある程度の階層別となっているときにも、氏族とか村落が枠となっていて、自分が生まれた社会関係、人間関係の網の目の中で、当然のように、ある宗教を受け容れるのである。その宗教は、祖先から伝来されたもので、その宗教を広めた特定の開祖をもたず、また、経典、聖典という文字に記された典籍もなく、伝承された神話と儀礼によって、宗教生活が営まれる。これら、非宗教的な契機による集団が、そのまま宗教集団となっているときに、これを『合致的(自然的)宗教集団』とよぶ」

 宗教学の展開1「祭とは何か」では、以下のように宗教学誕生の背景が説明されています。

「キリスト教をふくむあらゆる宗教を、とにかく同じ眼をもって科学的に比較検討しようという宗教学が生れたのは、19世紀後半であった。『異教』とか『野蛮』とか差別語は残っていたが、とにかくそれ以前の立場に比べれば格段の進歩であるには違いない。ところが、宗教学の生まれた地盤が、イギリス、ドイツ、オランダという、どちらかといえばプロテスタントの優勢な地域であったので、祭の研究には最初から偏向がともなった。メリー・ダグラスは、儀式を無意味な形式のくり返しとする反儀式主義を、『ルターの亡霊、宗教改革の亡霊!』(『ナチュラル・シンボル』1970)とよんでいる。儀式よりも信仰、集団よりも個人を志向したプロテスタントのもとでは、祭はローラーでつぶされたようになってしまった。カーニバルの衰退、廃止もその1つである。祭は研究の対象としてもまっとうなものではなかった」

 祭の宗教といえば、日本人なら誰でも神道を思い浮かべます。 宗教学の展開3「祭の宗教学」で、著者は神道について以下のように述べています。

「1958(昭和33)年、東京および京都において開かれた国際宗教学宗教史会議において、小野祖教は『神社神道の日本に対する貢献』と題する研究発表を行っている。これは海外の学者も多数参加した会議において、神道が戦争を愛好する宗教であるかのような誤解を解こうとしたものなのだが、その一部に祭についての記述があり、短いものだが、敗戦後の祭肯定論として注目に値する。「関東大震災および第二次大戦後の破壊された日本の都市の復興に、神社の祭がめざましい役割を果した。」と小野は言っている(同会議の英文紀要から私訳。発表者自身の日本文ではない)。『祭行事の多くは、一見すればたあいのないリクリエーションにすぎないようだが、それらと、露店で売られる古風なおもちゃと食物をあわせて、輝きに満てる新しい生活の探究、再建に必要な活力の伸張、平和な世界の希求をきわめて顕著に刺激したことを見すごしてはならない。』外からみれば、論理の飛躍があるかもしれない。しかし祭の活気をも日本再興のエネルギーとして評価する生産第一主義の世相をよく示している」

 最後に著者は、「祭のあとの祭論」として、ターナーの「コミュニタス」を取り上げ、以下のように述べています。

「ヴィクター・ターナーは、社会人類学から象徴人類学を分離独立させようと試みる有力な指導者であるが、『象徴の森』(1967)、『儀式のプロセス』(1969)、『ドラマ・舞台・メタフォア』(1974)などの著書において、『コミュニタス』という用語をキー・ワードとして論を展開している。ポール・グッドマンから借りた言葉だが、コミュニティ―日常生活の行われる地理的空間―とは区別される象徴的空間であり、定型化した地位と役割が配置されている『ストラクチュア』(社会構造)と完全に対極をなす。すなわち、コミュニタスは、日常の地位と役割から解放された平等な、その意味で反構造的な社会であり、全人間的な接触が自発的に行われる。かれはこの状況の例として、祭、巡礼、修道院、ヒッピー、発生期の革命運動、コミューンなどをあげ、構造化された社会と異なることを力説する」

 なお、本書の「参考文献一覧」の作成は、著者の教え子である宗教学者の島田裕巳氏が行っています。

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