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2016.04.22
『儀礼としての相互行為〈新訳版〉』アーヴィング・ゴッフマン著、浅野敏夫訳(法政大学出版局)を読みました。「対面行動の社会学」というサブタイトルがついています。著者は現代アメリカの代表的な社会学者です。1967年に刊行された本書のほか、『行為と演技─日常生活における自己呈示』(59)、『出会い─相互行為の社会学』(61)、『アサイラム─施設被収容者の日常世界』(61)、『スティグマの社会学─烙印を押されたアイデンティティ』(63)、『集まりの構造─新しい日常行動論を求めて』(63)などの著作があります。
著者はカナダに1922年に生まれ、1982年にアメリカで亡くなっているます。トロント大学社会学科を卒業後、1945年にシカゴ大学社会学部大学院に進学し、1949年に英国エディンバラ大学に助手として赴任しました。同年、シェトランド州(スコットランドの北東に位置する諸島)でフィールドワークに従事、1953年にその成果をまとめた論文でシカゴ大学から博士号を得ました。1954年から合衆国精神衛生研究所の研究員として研究するかたわら、精神病病棟で参加観察を行いました。以後、カリフォルニア大学バークレー校教授、ペンシルヴァニア大学ベンジャミン・フランクリン記念講座文化人類学・社会学教授、等を歴任し、1982年にはアメリカ社会学会会長に選任されています。
出版社の公式HPには以下のような「内容紹介」があります。
「人と人との対面的状況における行為のパターンを詳細に分析・体系化し、相互行為の場における儀礼的要素を抽出しつつ、その社会的機能を究明する。デュルケームの影響の下に独自のコミュニケーション研究を行ない、フィールド・ワークに基づく日常生活の微視的分析をもとに、社会的存在としての人間の行動原理を儀礼(習慣)の観点から基礎づけたゴッフマン社会学の主著」
本書の「目次」は以下のようになっています。
凡例
謝辞
序文
第一章 面目―行為─社会的相互行為における儀礼的要素について
各種の基本的面目-行為
点をかせぐ─面目-行為の攻撃的利用
適切な面目-行為を選ぶ
面目―行為における協力
自己の儀式的役割
会話の相互行為
面目と社会的関係
儀礼的秩序の性質
第二章 敬意表現と品行の性質
初めに
敬意表現
品行
敬意表現と品行
儀礼的冒瀆
結論
第三章 当惑と社会的組織
当惑という言葉
当惑の原因
当惑の領域
当惑の社会的機能
第四章 相互作用からの心的離反
1 序論
2 かかわり合いの義務
3 心的離反の形態
4 かかわり合いにともなう侵害がもっている連鎖する性質
5 かかわり合っているという見せかけ
6 枠組みの一般化
7 結論
第五章 精神的症候と公序良俗
第六章 アクションのあるところ
1 チャンス
2 結果性
3 運命性
4 実際的なギャンブル
5 適応
6 アクション
7 アクションのあるところ
8 性格
9 性格の競争
10 結論
原注
訳者あとがき
人名索引
訳語対応表・事項索引
「序文」には次のように本書のテーマが書かれています。
「研究の主題ははっきりしている。複数の人が対面していることによって生じるさまざまな出来事の全体、それが主題である。ある状況のなかで人びとは、意識してか否かは別にして、ちらっと見る、身ぶりを見せる、立場を決める、発言する、といった動作を連続的に行なうわけで、それらの動作こそが、この研究の素材としての行為にほかならない。それらの動作は、適応と関与―普通には、社会の編成と関連させて考察されない心身の2つの状態―とが外にあらわれた表象である。
こうした『ささいな行為』をつぶさに系統的に考察する仕事が始まっている。動物や言語をめぐる昨今のめざましい研究に刺激を受け、『小さな集団』における相互行為研究や心理療法にも利用できるいろいろな素材をふまえて、その仕事が始まっているのだ」
第二章「敬意表現と品行の性質」の「初めに」では、著者は以下のように述べています。
「社会的行為に個人が参加することをわたしたちが考えるさいに、その人はひとつの全体的人格として参加するのではなく、ある意味で特定の資格ないし特定の立場でもって参加するのだと考えるべきである。たとえば、患者が女性である場合、男性の精神科医の前でも恥ずかしさを見せずにふるまわなければならないだろう。医療行為は性的関係とは異なり、公的な意味合いをもっているからである。わたしが観察した病院では、患者にも医療スタッフにも黒人がいたのだが、黒人という少数派集団の立場はそこでは、その黒人たちが個々人として公式に(概して、非公式にでも)活動するときの立場とは異なるものであった。もちろん、対面で出会いをしているときは、個々人は複数の資格でもって公式に参加する可能性がある。さらに、公式には不適切と見なされるいろいろな資格に、ほとんどかならず非公式の重みがある程度加えられる。そして、ある資格にまわりから与えられた評価が溢れ出して、その評価が、その人の他の資格においてその人が獲得する評価をある程度決定することがあるだろう」
また、「儀礼ルール」について、著者は以下のように述べます。
「儀礼的ルールとは、それ自体としてはつけ足し的にしか重要でないとかまったく重要ではないと感じられる事柄において行為を導くルールである。個人が自分の性格を表現したり、その場にいる他人たちに対する自分の評価を伝えるための慣習的なコミュニケーション手段としての一義的な重要性を―少なくとも公式には―もってはいるとはいえ、その場にいる人たちからは重要ではないと感じられる事柄との関連で行為を導くのが儀礼的ルールである。儀礼という概念をわたしのように用いるのは普通の用法とは異なっている。普通に用いられる「儀礼」は、宗教的情緒が感じられる厳粛な機会に、威厳ある執行者がとり行なう象徴的な行為の高度に特殊な連続、という意味をもっている。かぶっている帽子をちょいと持ち上げる行動と冠を戴く行為とに共通する事象を強調することによって、わたしはその2つの違いをやむをえず無視することにする。文化人類学者ならたぶんそういう無視はとてもできないだろうけれど、わたしは2つの違いを無視する立場で論を進めることにする」
また、「敬意表現」について、著者は以下のように述べます。
「敬意表現の儀礼行動は、社会的交渉にめりはりをつける軽いあいさつ、おせじ、言い訳などにおいてたぶん鮮明に見えてくるだろうし、『身分儀礼』とか『相互個人的儀礼』と言われるのがその儀礼行動であるだろう。わたしが『儀礼』という言葉を用いるわけは、その儀礼的行動がどれほど非公式で世俗のものであっても、その人にとって特別の価値をもっている対象を面前にして、自分の行為の象徴的意味合いをその人が意図的に保持する手だてに、やはりその行動がなるからである」
精神病病棟で参加観察を行った著者は、その経験をふまえて以下のように述べています。
「儀礼的距離とその他の距離との以上の相関関係は典型的なものであるけれど、それ以外の関係もいろいろとあるのもまた事実である。たとえば、地位が同等でありながらたがいにあまり面識のない人たちは相互的親密さではなく、相互的敬意の関係にある。さらに、地位の違いがその社会の均衡にとっての大きな脅威と見られているがゆえに、行為の儀礼的側面が、それらの差異を記号として表現する手だてとして機能するのではなく、それらの差異を慎重に埋め合せる手だてとしてそこでは機能する、そんな組織がアメリカにはたくさんある。わたしが考察した病棟では、精神科医、心理学者、社会学者たちが、ファーストネームで呼び合う集団を形成していて、その対称的な親密さがどうやら、心理学者と社会学者たちの、自分はそのチームの対等のメンバーではないのではないかという思い、事実のとおりその思いを軽減する働きをしているようだった。同じように、小規模ビジネスの管理職の調査をしたさいにわたしが気づいたのは、ガソリンスタンドの従業員たちが管理職を制止したり、背中をたたいてからかったり、かれの電話を使ったり、と勝手きままにする権利をもっていて、その儀礼的容認によって、管理職が従業員たちの意欲を高め正直にもさせることができるようになっていたことである。構造的にまったく似ているいくつかの組織が敬意表現のスタイルでそれぞれにまったく異なり、敬意表現のパターンが流行の変化につながっていることにわたしたちは気づくべきである」
さらに、「品行」について、著者は以下のように述べています。
「わたしの言う品行とは、身のこなし、着衣、ふるまい、を通じて伝えられる個人の儀礼的行為という要素を指している。その場にいる人たちに対して、自分がまわりから見て望ましい性質をもっている人間であること、あるいは望ましくない性質をもった人間であること、を表現するのがその品行である。わたしたちの社会では、「りっぱに」あるいは「正しく」ふるまう人とは、次のような性質を示す人を意味する。すなわち、分別ある誠実さ、自己主張の慎み、言葉と物腰の自制、スポーツ精神、感情・嗜好・願望の抑制、緊張状態での落ち着き、などを示す人である」
著者は「品行」についての自説を述べた後、以下のようにまとめています。
「品行について要点を述べるべきだろう。動機がなんであれ、他人たちの前で良い品行をする人は自分の意思でそうする。あるいは、その人が品行を行なうのにだれかにどうしても手伝ってもらわなければならないときは、すなおに手伝ってもらうだろう。わたしたちは自分で髪に櫛を入れていても、髪が長くなったら理髪店にゆき、髪をカットしてもらっているあいだは理容師の指示に従う。この自発的な服従はたいへん重要である。というのも、整髪のような個人サービスは個人の領域を侵してはいけないぎりぎりのところで行なわれ、境界侵害は簡単に生じうるからである。侵害が生じないためには、サービスをする人とサービスを受ける人とが密接に協力しなければならない」