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2016.05.09
『人はなぜ戦争をするのか』フロイト著、中山元訳(光文社古典新訳文庫)を読みました。「エロスとタナトス」というサブタイトルがついています。 この読書館でも紹介した『幻想の未来/文化への不満』に続くフロイト文明論集の第二弾です。中山元氏による新訳で、2008年に刊行されました。
著者のジークムント・フロイトは、オーストリアの精神分析学者にして精神科医です。1856年、東欧のモラビアにユダヤ商人の長男として生まれました。幼くしてウィーンに移住し、開業医として神経症の治療から始めました。人間の心にある無意識や幼児の性欲などを発見し、精神分析の理論を構築しました。1938年、ナチスの迫害を逃れてロンドンに亡命しました。39年に癌のため死去しています。
本書のカバー裏には、以下のように書かれています。
「人間には戦争せざるをえない攻撃衝動があるのではないかというアインシュタインの問いに答えた表題の書簡と、自己破壊的な衝動を分析した『喪とメランコリー』、そして自我、超自我、エスの三つの審級で構成した局所論から新しい欲動論を展開する『精神分析入門・続』の2講義ほかを収録」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「人はなぜ戦争をするのか」
「戦争と死に関する時評」
「喪とメランコリー」
「心的な人格の解明」
「不安と欲動の生」
「解説」(中山元)
「年譜」
「訳者あとがき」
最初の「人はなぜ戦争をするのか」(1932年)は、フロイトとアインシュタインの往復書簡です。アインシュタインの「人間には戦争せざるをえない攻撃衝動があるのではないか」という問いに答えながら、フロイトの後期の欲動理論を展開したものです。 たとえば、フロイトは戦争について以下のように述べています。
「戦争は大きな統一を作りだすことができます。そして統一された領土を支配する強力で中央集権的な支配者が、その後は戦争が起きないようにすることもできるのです。しかし実際にはそうはなっていません。というのは、征服によって生みだされた状態は、原則として長続きしないものだからです。新たに統一された領土もやがて瓦解します。暴力で統合された領土は、つなぎとめておけないことが多いからです」
フロイトによれば、共同体を構成するには2つの条件が必要です。暴力による強制と、成員の感情的な結びつきです(心理学の用語ではこれを同一化と呼びます)。ただし片方が欠けていても、残りの条件で共同体を維持することはできるといいます。 フロイトは子供が両親と同一化することで人格を形成し、集団では成員がその指導者に同一化することで、人格審級の代用物をみいだすなど、同一化が個人の人格の形成において中心的な役割を果たすと考えました。主体が理想化された対象と同一化すると、理想自我などの審級が形成され、主体は豊かになるとされるというのです。
ここで理想的な理念というものが重要になります。 これまでの歴史で、実際に理想的な理念が強い効力を発揮した例があるとして、フロイトは以下のように述べます。
「たとえば汎ヘラス的な理念というものがありました。古代のギリシア人たちは、周囲に住む異民族(ギリシア人たちはバルバロイと呼びました)よりも自分たちは優れた存在だと考えていたのでした。そしてこの理念が、隣保同盟、デルフォイの神殿の神託、そして祝祭劇などにきわめて強く表現されたのです」
フロイトは「タナトス」と呼ばれる破壊の欲動について述べます。
「わたしたちは、人間の欲動には2種類のものしかないと考えています。1つは、生を統一し、保存しようとする欲動です。プラトンの『饗宴』ではこの欲動をエロスと呼んでいるので、わたしたちもこれをエロス的な欲動と呼びます。性的な現象についての一般的な考え方を敷衍して適用すれば、これを性的な欲動と呼ぶこともできるでしょう。もう1つの欲動は、破壊し、殺害しようとする欲動で、これを攻撃欲動や破壊欲動と総称しています」
欲動(Trieb)は、人の心を駆り立てる力動的なプロセスであう。フロイトによれば、欲動は源泉、心迫、対象、目標の4つが重要な要素であるといいます。欲動の源泉は心的な刺激であり、その源泉における緊張(心迫)を解消することが欲動の目標であり、欲動の目標は対象によって、または対象を通じて実現されます。前期のフロイトは欲動には大きく分けて性欲動と自己保存欲動があると考えていました。性欲動は性感帯における緊張を解消することを目指すものであり、自己保存欲動は、飢えや渇きなどの欲求を満たそうとするものです。
そして、フロイトは、アインシュタインへの往復書簡の最後に述べます。
「だれもが平和主義者になるまで、あとどのくらい待たねばならないのでしょうか。それはまだ分かりませんが、この2つの要素、すなわち文化的な姿勢と、将来の戦争のもたらす惨禍にたいする根拠のある不安という要素があいまって、近い将来に戦争はなくなると期待するのは、ユートピア的な希望ではないのかもしれません。それがどのような道や迂回路を通って実現するかは、予測もつきません。しかしいまのところ、文化の発展がもたらすものはすべてが、戦争を防ぐように機能すると主張することはできるでしょう」
「戦争と死に関する時評」(1915年)は、第一次世界大戦勃発の翌年という「大量死の時代」が幕を開いた頃に書かれていますが、そこでフロイトは「死者への態度」について以下のように述べています。
「成人した文明人は、他人の死を思いだすことも好まず、思いだした場合には自分のことを残酷な人だとか、悪い人だとか思い込むのである―医師や弁護士のように、職業的に死とかかわる必要のある場合は別であるが。他人が死ねば、自由がえられるとか、財産をうけ継げるとか、地位がえられるという場合にも、文明人であれば、他人の死を後ろめたさなしに思いうかべることを自分に許すことはないのである」
また、フロイトは「死者への態度」について述べます。
「わたしたちは死者にたいしては、きわめて困難なことをなし遂げた人にたいする崇敬の念を感じるかのような、ある特別な姿勢をとる。そして死者は批判しないようにする。死者が何か悪しきことをしていたとしてもそれを見逃し、『死者については善きことのみを語れ』と命令するのである。弔辞を述べたり、墓前にぬかずいたりするときには、死者をできるかぎり褒めたたえるのがふさわしいとされているのである。死んでしまった者は、もはや他人の顧慮を必要としないのに、死者に顧慮することは、真実よりも大切なこととされている。わたしたちは多くの場合、生者にたいするよりも大きな顧慮を死者に払うのである」
続いて、フロイトは「死の必然性」について以下のように述べます。
「死にたいするこの文化的で伝統的な姿勢もあって、近親者、父親や母親、夫や妻、兄弟や姉妹、わが子、親友が死んだりすると、わたしたちはまったくの虚脱状態に陥る。愛する者を葬るとき、わたしたちは自分の希望、欲求、喜びも一緒に葬る。もはや何者によっても慰められようとせず、失われた者を諦めて手放すことを拒む。こうした場合のわたしたちのふるまいは、愛する者が死んだときにはともに死ぬと言われた、かのアスラ族と同じようなものになるのである」
死によって失われたものは何か。フロイトは述べます。
「わたしたちは、死によって失われたものの代償を生のうちで探し求めるには、文学や演劇などの虚構の世界に頼るしかないのである。虚構の世界には、死ぬことをわきまえている人物や、他人を殺すことのできる人物が登場する。わたしたちが死と和解することのできる条件が満たされるのはこの虚構の世界だけである。ここでのみ、生のさまざまな浮き沈みにもかかわらず、不可侵の生というものを維持することができるのである」
前年に始まった第一次世界大戦を意識してか、フロイトは戦争についても以下のように述べています。
「戦争ではもちろん、この伝統的な死への姿勢は完全に放棄せざるをえない。もはや死を否定することはできず、死の訪れを信じなければならなくなる。人間はほんとうに死ぬのであり、しかも個人としてではなく、多数の人々とともに死ぬ。1日だけで数万の人が死ぬことも珍しくないのである。そして死はもはや偶然ではなくなった。たしかにこの弾丸がどの人に当たるかは、偶然に思える。それでもこの弾丸に当たらなかった人にも、すぐ次の弾丸が当たるかもしれない。この積み重ねのうちに、死が偶然であるという印象は消え去ってしまう。そして生がふたたび興味深いものとなり、その完全な中身をとり戻したのである」
「死にたいするアンビヴァレンツ」では、興味深い論考が展開されます。 まず、フロイトは原始人の死について以下のように述べています。
「原始人は、きわめて奇妙な姿勢で死に立ち向かっていた。この姿勢は一貫性のあるものではなく、矛盾に満ちたものだった。一方では死を正面からうけとめ、死とは生の終わりであることを認め、その意味で活用した。しかし同時に他方では死を認めようとせず、死は無にひとしいものだと考えていた。このような矛盾した姿勢をとることができたのは、原始人は自分自身の死を、他者の死、敵や異邦人の死とは根本的に違うものとみなしていたからである」
続けて、フロイトは原始人における死について述べます。
「原始人にとっては他者の死は当然のものであり、憎しみの対象を滅ぼすものだった。そしてみずから他者の死をもたらすことに、まったく躊躇しなかった。原始人の気性は激しく、ほかの動物よりも残酷で、悪意に満ちていた。好んで、ごく当然のことのように他者を殺したのである。他の動物は、同じ種の生き物を殺し、これを食い尽くすことは避ける本能をそなえているが、人間にはこのような本能はなかったのである」
そして、フロイトは人間の歴史について述べるのでした。
「人間の原史は殺害に満ちた歴史だった。現在でも子供たちが学校で学ぶ世界史は、本質的に民族の殺害が連続する歴史である。人類は原初の時代からというもの、ある暗い罪悪感を感じつづけてきたのであり、これは多くの宗教において原初的な罪、原罪が存在するという想定として凝縮されている。この罪悪感はおそらく、原始の人類が負ってきたある流血の出来事にたいする罪の感情の表現なのだろう」
原始人は、死をどのように考えていたのか。フロイトは述べます。
「原始人にとって、自分の死というものが想像することができない非現実的なものであったのは、現在のわたしたちと変わらない。しかし原始人には、こうした死にたいする2つの対立する態度が直接に衝突し、たがいに矛盾に陥る特別な事例があったのである。この事例は非常に重要なものであり、しかも長続きのする結果をもたらしたのだった。それは現代のわたしたちと同じように、原始人が身内の人の死を迎えたとき、妻、わが子、友人のように、愛する人を喪ったときである。愛情は殺人願望と同じように古くからあるものと考えられるのである」
死は人類最大の謎ですが、原始人はこの謎をどのように探究したのか。 このテーマについて、フロイトは以下のように述べます。
「原始人が死の謎の探求を始めるきっかけとなったのは、死という知的な謎でも、どうでもよい人の死でもなく、自分が愛していながら、それでいてどこか、見知らぬ人でもあり、憎んでいた人物の死に直面して、感情的な葛藤が起きたことだったに違いない。この感情的な葛藤から、まず心理学的な考察が生まれてきた。もはや人は死を自分とは無縁のものとすることはできなくなった。死者への悼みにおいて、死の味を知ったからである。しかし自分が死ぬことは思い描くこともできなかったので、死というものを認めることは望まなかったのである」
死の問題は宗教と切っても切り離せませんが、フロイトは述べます。
「のちにさまざまな宗教が登場して、この死後の生をより価値の高いもの、完全に意味のあるものとする一方で、死によって終わりを告げた現世の生の価値を低めて、死後の世界のための準備にすぎないものとしたのだった。そうなると、生を過去にまで延長して、前世における存在とか、魂の輪廻や再生などを考えだすようになるのは、必然的なこととなる。それもすべて死に、生の終焉という意味を与えないようにするための工夫だった。このように死の否定は伝統的で文化的なものと考えられやすいが、ごく早い時期からこうした営みは始まっていたのである」
続けて、愛する人をなくした人について、以下のように述べられます。
「愛する者の屍に直面して生まれてきたのは、このような霊魂の理論だけでも、不死にたいする信仰や、人間の罪の意識の深い根だけではない。最初の道徳的な掟もそこで誕生したのである。目覚めた良心の最初の重要な掟は、汝殺すなかれというものだった。愛する者の死にたいする悲哀の念の背後には、憎しみの充足が潜んでいたのであり、この掟はそれにたいする反応として定められたものだった。これがやがて愛しているわけでもない見知らぬ他者にまで、そして最後には敵にまで敷衍されていったのである」
フロイトは、「戦争と死に関する時評」で展開した議論をまとめます。
「わたしたちは無意識のうちに、自分の死という考えを拒否し、見知らぬ人の死を願い、愛する人にたいしでも分裂した(アンビヴァレントな)感情を抱くのである。これは原始人と変わらない。死にたいするわたしたちの伝統的で文化的な態度は、太古の時代の原始人とどれほど違うというのだろうか」
そして、戦争の廃絶について、フロイトは以下のように述べるのでした。
「戦争は廃絶することができないものである。さまざまな民族の存在条件がこれほどに異なり、さまざまな民族のあいだの反感がこれほどに強いかぎり、戦争はなくならないだろう。ここで1つの疑問が生まれる。わたしたちは戦争が存在することに諦めの念を抱き、戦争に自分を合わせていくべきではないのだろうか。死にたいする文化的な態度は、心理学的には人間の現在の状態にふさわしいものではなく、むしろ前に戻って、真実を告白すべきではないのだろうか。現実においてもわたしたちの思考においても、死にふさわしい場所を与え、死にたいする無意識の態度を、これまでのように抑圧することに心を配るのではなく、もっとはっきりと示したほうがましなのではないだろうか」
そして、わたしにとって最も重要な内容をもつ「喪とメランコリー」(1917年)です。まさに、この論考は第一次世界大戦で大量の死者が生み出された直後に書かれたものです。「喪の仕事」(モーニングワーク)について書かれた世界初の論考です。冒頭で、フロイトは「喪とメランコリーの共通性」として、以下のように述べています。
「夢とは、正常な形でナルシシズム的な精神障害が現れる現象であり、これまでわたしたちはこの現象について分析してきた。そこでここでは、喪という正常な情動と比較しながら、メランコリー(鬱病)の現象の本質を解明してみたいと思う。ただし、この分析で大きな成果がえられるという過大な期待をもたないようにしよう。鬱病という概念は、精神医学においても明確に規定されていないし、臨床的にもさまざまに多様な形式で表現される。鬱病を1つの統一のとれた疾患として規定するのは困難にみえるのである。そして鬱病の中には心因性の病気というよりも、身体的な病と思われるものも含まれるのである」
フロイトは、以下のように鬱病と喪を比較します。
「鬱病と喪を比較して考察するのは、この2つの情動の全体像に共通するところが多いことからも、適切なことだろう。まずこの2つの情動はどちらも、生活におけるある特定の出来事をきっかけとして生まれる。明確に認識できるかぎりでは、いずれも同じ出来事の影響から生じるのである。喪の営みが必要となるのは、愛する人を失った場合とか、愛する人に匹敵する抽象的な概念、すなわち祖国、自由、理想などを失った場合である。そして病的な素質の疑われる人物においては、この同じ出来事の影響のもとで、喪ではなく鬱病の症状が発生するのである」
メランコリー(鬱病)の特徴について、フロイトは以下のように述べます。
「メランコリー(鬱病)の心的な特徴をあげてみると、深刻な苦痛に貫かれた不機嫌さ、外界への関心の喪失、愛する能力の喪失、あらゆる行動の抑止と自己感情の低下などがある。この自己感情の低下は、自責と自己への軽蔑として表現され、ときには妄想的に自己の処罰を求める欲求にまで高まることもある」
メランコリーに続き、喪について、フロイトは述べます。
「喪もまた同じような症状を示すのであり、ただ自己感情の障害が起こらないことが鬱病との違いである。他のすべての特徴は鬱病と共通しているのであり、喪と比較して考察することで、鬱病を理解しやすくなるのである。たとえば愛する人を失った後では重い喪の仕事が行われるが、この喪においては、苦痛に満ちた気分、外界にたいする関心の喪失(外界が愛する人を思い出す手掛かりとなる場合を除く)、新しい愛の対象をみつける能力の喪失(新しい対象は、失われた愛する人の代わりになるかもしれないのだが)、そして死者の思い出とかかわりのないあらゆる行動の回避などがみられる。どれも鬱病と共通する特徴である」
鬱病とは何か。どんなときに鬱病になるのか。 フロイトは、それについて、以下のように述べます。
「鬱病に陥るきっかけとなるのは、[愛する対象の]死による喪失という分かりやすい出来事だけではない。侮辱されたり、無視されたり、失望を味わうなど、愛と憎しみという対立が忍び込んだり、すでに存在していたアンビヴァレンツが強められるようなあらゆる状況がきっかけとなりうるのである」
そして、フロイトは鬱病について以下のように述べるでした。
「欝病には3つの条件があった。対象の喪失、アンビヴァレンツ、そして自我へのリビドーの退行である。そして最初の2つの条件は、対象が亡くなった後の強迫的な自責の念のうちにみいだすことができる。この場合にもアンビヴァレンツが葛藤の原動力となるのは疑問の余地がないし、これまでの観察から、こうした葛藤の後には、躁病の場合のような凱歌の状態はなにも残されない。だから鬱病の後に躁病が発生するために効果を発揮する唯一の要因は、第三の条件、すなわち自我へのリビドーの退行にあると考えることができるのである」
「喪とメランコリー」の訳注では、訳者の中山氏が以下のように説明します。
「フロイトは神経症を、身体的な素因によって発生する現実神経症と、心的な葛藤の表現である精神神経症に分類した。そして精神神経症を大きく2つの類型で考えた。ナルシシズム的な神経症と転移神経症である。ナルシシズム的神経症は、リビドーが自我に撤収される形の神経症であり、鬱病(メランコリー)をその代表とする。転移神経症は、リビドーが対象から自我に撤収されるのではなく、現実の対象や想像上の対象に向けられている。不安ヒステリー、転換ヒステリー、強迫神経症などが代表的な疾患である」
また、「あとがき」でも中山氏は『喪とメランコリー』について説明します。
「1917年に発表されたこの論文は、愛する者の死が与える衝撃をいかにして『喪の仕事』によって解きほぐしていくかを考察するとともに、だれもが直面するこの打撃が、病へと移行する機構を分析するものである。それと同時にこの論文は、死と自我にたいするフロイトの考察を一挙に深めることになった(日本ではメランコリーというと、メランコリックな気質のようなイメージが強いが、ドイツ語では主に鬱病という病を指す。そのため本文では基本的に鬱病と訳している)」 「喪の仕事」とは、現代日本でもキーワードになっている「グリーフケア」に通じます。グリーフケアの原点を考える上で、「喪とメランコリー」からは大いに学ぶところがありました。
「心的な人格の解明」(『精神分析入門・続』第31講、1933年)では、フロイトは、「心の3つの王国」について以下のように述べています。
「わたしたちには、自我に認識されない心的な領域を、無意識的なシステムと呼ぶ権利がないのはたしかです。無意識的であるのは、この心的な領域だけの特徴ではないからです。 ですからシステム的な意味では、無意識的なものという呼び名を使わないことにしたいのです。そしてシステム的な意味でこれまで無意識的なものと呼ばれていたものに、もっと誤解されにくい別の名前をつけることにしました。G・グロデックの示唆に基づいて、ニーチェの用語を使ってこの領域をエスと呼ぶことにします。このエスという非人称代名詞は、心的な領域の主要な特性である〈自我との疎遠さ〉を表現するのにとくに適していると思われます。こうして人間の心的な装置は3つの王国、分野、領域に分類されることになります―超自我、自我、エスです」
エスについて、フロイトは以下のように詳しく説明しています。 「エスはわたしたちの人格の暗く、近寄りがたいところなのです。エスについては、夢の分析と神経症の症状の形成の研究によって、わずかなことが知られているだけです。しかも多くはエスの否定的な性格について知られているにすぎず、自我との対比でしか説明できないのです。比喩で語るとすれば、エスはカオスであり、沸騰する興奮で満ちたボイラーのようなものです。エスはその末端において、身体的なものに開かれており、そこから欲動の要求を内部にとりこみ、その欲動の要求はエスのうちで心的なものとして表現されるのだと思われます。しかしそれがどのような基質のうちで行われるのかは、分からないのです」 さらに、哲学には「人間の心的な行為には、時間と空間という形式が必要である」という命題がありますが、これはエスにはあてはまらないといいます。
「不安と欲動の生」(『精神分析入門・続』第32講、1933年)では、フロイトは「去勢不安」について以下のように述べています。
「最近のことですが、不安ヒステリーに分類されるいくつかの恐怖症において、不安がどのように発生するのかを研究した結果、こうした恐怖症では、エディプス・コンプレックスによる願望の動きが抑圧される状況が典型的に観察できたのです。わたしたちは最初、母親という対象にリビドーが備給され、それが抑圧されて不安に変わったのであり、それが父親[への恐怖]という症状に置き換えられて表現されるのだと予測していました。この研究の詳しい内容をお話しすることはできませんが、予想とは反対の意外な結論が出されたとだけ、申し上げておきましょう。抑圧が不安を作りだすのではなく、まず不安が生まれて、その不安が抑圧を作りだすのです」
フロイトは、「去勢不安」についてさらに以下のような説明を加えています。
「何よりも重要なのは、去勢が実際に行われるかどうかではないのです。決定的な意味をもつのは、少年がこうした外部からの危険が迫っていると信じるということなのです。少年がそう考えることにはある理由があります。男根期に、幼児オナニーをしている少年を、〈おちんちんを切ってしまいますよ〉と脅すのはごくふつうにみられることです。そしてこの処罰の暗示が、少年においてはつねに系統発生的な意味で強化されることも多いのです。というのは、人間の家族の原始時代には、嫉妬する残酷な父親が実際に、成長しつつある息子を去勢することがあったのだと考えられています。原始的な民族の成人儀礼の一部に、割礼という儀式が含まれていることが多いのですが、これは原始時代における去勢のはっきりとした名残だと思われます」
「解説―エロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)」では、訳者の中山氏が「偽善者の文明」として、フロイトについて以下のように述べています。
「フロイトは人間が本性からして善であるとは信じていない。人間はそもそも他者を犠牲にしてでも自分の欲動を充足させようと願う存在だというのが、フロイトの基本的な視点だからだ。だから善人として行動している人も、実は心の底から善人であるわけではなく、さまざまな理由から、あたかも善人であるかのようにふるまっているだけだというわけである」
また、中山氏は人間の本性に関する「幻想」について述べます。
「戦争で人々が野蛮で残酷なふるまいをしたとしても、それに衝撃を感じるのは、人間の本性が善であるという「幻想」が壊れたことを自覚していないだけにすぎない。人間はつねに幼児の段階に「退行」して、自分の欲動を満たしたがるのである。こうして第一次世界大戦で明らかになった道徳性の崩壊は、精神分析の見解の正しさを改めて裏づけるものとなったと言えるだろう。フロイトの結論は苦いが、みずからの理論の正しさを示す苦さとなったのである」
さらに中山氏は、「死の効果」という問題を取り上げます。 そして、人間の文明と文化の本質について以下のように述べます。
「フロイトは、文明の誕生が、死と深い関係にあることを指摘する。そもそも人間の文化は、見知らぬ他人の死、たんに数で報告される死ではなく、愛する者の死によって、死という冷徹な事実に直面せざるをえなくなったことによって誕生したものだったのである。愛する者の死の辛さに耐えるために、人間は霊魂というものを思いついたのだった。人間が死後の世界や彼岸や輪廻というものを考えついたのは、愛する者が完全に滅びたと考えるのが苦痛であり、どこか別の世界で生きていて、自分が死んだらまた愛する者に再会できると信じたいからではないか。人間はその意味では不死であると思い込むことによって、死の厳しさを否定しようとするのである。これが愛する者の死がもたらした第一の効果だった」
わたしは『唯葬論』(三五館)で「人類の文明も文化も、その発展の根底には『死者への想い』があった」と訴えましたが、これはフロイト説とも矛盾しません。わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。 約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、埋葬という行為には人類の本質が隠されています。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。 世の中には「唯物論」「唯心論」をはじめ、岸田秀氏が唱えた「唯幻論」、養老孟司氏が唱えた「唯脳論」などがありますが、わたしは「唯葬論」というものを提唱しています。結局、「唯○論」というのは、すべて「世界をどう見るか」という世界観、「人間とは何か」という人間観に関わっています。 わたしは、「ホモ・フューネラル」という言葉に集約されるように、人間とはつまるところ「葬儀をするヒト」であり、人間のすべての営みは「葬」というコンセプトに集約されると考えているのです。