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2016.06.30
『ユダヤの祭りと通過儀礼』吉見崇一著(LITHON)を読みました。 1994年に刊行された本ですが、ユダヤ人の祭礼をその暦に従って、意義や背景、具体的な守り方を解説した好著です。また割礼に始まるユダヤ人の通過儀礼についても触れています。多くの貴重な写真が収載されているので、資料的価値も高いです。
著者は、1944年長崎市生まれです。 82年にイスラエル観光省公認ガイド資格取得、エルサレム・ヘブライ大学旧約聖書学科を修了しています。著書に『ユダヤ人の祭り』(エルサレム文庫)、『イスラエルの旅』(共著、昭文社)があります。
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
一 ユダヤ暦の由来
二 シャバット(安息日)
三 秋の祭り
四 冬の祭り
五 春の祭り
六 夏の祭り
七 ユダヤ人の通過儀礼など
「あとがき」
「はじめに」で、著者はイスラエルはユダヤの世界の1つの中心ではあっても、一部でしかないと述べます。ユダヤの世界は各地に散っていて、その多様性を保っているのです。アメリカはイスラエル以上のユダヤ人口を擁していますが、アメリカの保守派や改革派のことは、正統派を建て前とするイスラエルから眺めてもよくわかりません。 著者は、本書の記述が多分にイスラエル本位であることを断った上で、以下のように述べています。
「『正統派』、『保守派』、『改革派』とは、ユダヤ教の中にみられる流れのようなもので、その実践においてより根本主義的なのが正統派であり、比較的自由なのが改革派である。またその中間をいくのが保守派であると大雑把に考えていいようである。改革派の起りは前世紀のはじめである。保守派は改革派の行き過ぎを批判して生れた今世紀の運動である。共にユダヤ教の歴史の中では新しいものである」
「シナゴーグ」や「ディアスポラ」も、以下のように説明されています。
「『シナゴーグ』とはユダヤ人の礼拝のための会堂のことである。アメリカの改革派では『テンプル』と呼ぶ。『ディアスポラ』とは、『離散』と訳される概念であるが、かつてユダヤ教の中心であったパレスチナ(エレツ・イスラエル―イスラエルの地)のユダヤ社会にたいして、そこから離れて存在(散在)するユダヤ社会を指す。ユダヤ史は久しく『離散』のみの歴史を強いられてきたが、20世紀半ばの新興イスラエルの誕生は、この意味でもユダヤ史にとって重大な出来事である」
さらに、「アシュケナジ」と「スファラディ」も説明されています。
「『アシュケナジ』と『スファラディ』は、歴史的には前者が、ドイツおよび東ヨーロッパに起源するユダヤの文化と伝統を指し、後者はイベリア半島のそれである。ユダヤ文化を二分するものだが、その違いは思想というよりは『流儀』みたいなものである。ただし、この2つに含まれないユダヤ文化の枝もある。アラブ圏、あるいはもっと広いイスラム教圏にある(あった)ユダヤ社会とその文化や伝統は、スファラディに含めてはならない」
「はじめに」で、著者は「『サマリア人』はモーセ五書以外の権威を認めない宗団である。『カライ派』はタルムッドなどに代表されるラビ文献の権威を認めない一派である。『クムランの宗団』は、死海文書に見られる独自の教典を持ってはいたが、『エッセネ派』に属すとみられ、ユダヤ教から逸脱したものではなかったようである」とも述べています。このあたりのユダヤ教に関する基本的な用語については、わたしも『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)において詳しく説明しました。
一「ユダヤ暦の由来」の1「新月とその伝達」には、「古代イスラエル人は一種の陰暦を採用した。オリエント世界で陰暦を用いたのは1人イスラエルに限らない。周辺の諸民族にも見られた。太陰すなわち月はほぼ30日間、より正確には29日と12時間44分の周期で満ち欠けをくり返す。したがって陰暦の1月は必ず29日ないし30日間のいずれかとなる。のちには天文学と数学の発達によって、予め遠い将来にわたる暦を定めることが可能になる。しかし古代においては、月を肉眼で観察して、新月つまり月の始めの日を定めた。その権限は大祭司にあった」と説明されています。
新月は峰火によって、ユダヤの各地に伝えられました。当時バビロニアには有力なユダヤ社会がありましたが、そこにも峰火によって新月の始まりを伝達したそうです。月の最初の日を「ローシュ・ホーデッシュ(月の初め)」あるいは単に「ホーデッシュ」といいますが、この日は古代においては重要な聖日だったようです。
しかし捕囚期以降になると、新月が労働を休んで祝われた形跡はなくなりました。著者は、以下のように述べています。
「祝日としての新月の地位は、相対的に後退したといえる。今日、新月の直前の安息日に特別の祈りを唱えるシナゴーグがある。また『キドゥーシュ・レバナ』という月を祝別する祈りが、新月から数えて3日目から満月の日の間にとなえられることがある。月の見える夜に野外でおこなわれる。また、古い習いではないが、新月の前日を『ヨム・キプール・カタン(小さい贖罪の日)』と呼び、敬虔なユダヤ人の間では、断食をして贖罪を願う習慣がある」
2「新月と祭り」では、以下のように書かれています。
「新月の日、つまり月の第1日目は全く別の事情があって重要であった。聖書に基づく祝祭日は、それぞれの月の特定の日に定められている。たとえば贖罪の日(ヨム・キプール)は月の10日目に、過越しの祭り(ペサハ)と仮庵の祭り(スコット)の第1日目は両方とも、月の15日目に来る。新月の日が定まらないと、その日がわからない」
六「夏の祭り」では、付記として、キブツについて説明しています。
「イスラエルの特異な共同体であるキブツは、もともと非宗教的な社会である。今でこそ若干の宗教的キブツをみるが、大部分のキブツの基本理念は無神論的な社会主義である。それにもかかわらずキブツでは、ユダヤの祭りを盛大に祝う『伝統』がある。非宗教的であるから、キブツの祝祭はラビやシナゴーグ、また『祈り』なしで進行する」
続けて、著者はキブツについて以下のように述べています。
「今世紀の初頭に生まれたキブツも、30年代になると安定してくる。その中に家庭が生まれ、子供が成長してくると、キブツ流の祭日の祝いかたを考えざるをえなくなる。その際もっとも腐心したのは、祭りの宗教性からの解放と、民族の伝統との均衡であったようだ。そこで、もともと宗教的な性格をもつ伝統的な祭日を非宗教化し、民族的視点で説明する試みがなされた。当然に、果たして全ての祭日を守るべきか否かも問題となった」
さらに続けて、著者はキブツの祭日について、「過越しの祭り、七週の祭り、仮庵の祭り、プーリム、トゥ・ビシュバットやラグ・バオーメルなどの農事的また民族的祭日は選ばれた。新年は後になってこのグループにはいるが、贖罪の日は除外された。また独立記念日などの新しい祭日を、どう古い祭日と一体化するかについても腐心した。さらに、祭日ではないが成人式(バル・ミツバ/バット・ミツバ)や結婚式などの個人的な通過儀礼に伴う祝い事を、いかに共同体全体の祝いの中に組み入れるかも思案された。結局、過越しの祭りがキブツ最大の祭りとなっていく」と述べています。キブツの祭日が共同体の絆を強める役目を果たしているのは事実のようです。
七「ユダヤ人の通過儀礼など」では、「ブリット・ミラ」と呼ばれる割礼の儀式、「バル・ミツバ」という一種の成人式、そして結婚と葬儀の4つがユダヤの代表的な通過儀礼であると説明されています。このうち、前の2つは男性に限られており、伝統的にはきわめて男性本位であることに気づきます。
ユダヤの婚姻について見てみましょう。 結婚に先立つ習慣として、伝統的には「シドゥヒン」というものがあります。結婚の日取りや持参金の額など結婚の条件を決めたりする習いです。これはしばしば「婚約」と訳されることがありますが、むしろ「取り決め」、あるいは「約束」と意訳されるべきもののようです。
結婚式について、著者は以下のように説明しています。
「式はラビの立会いで行うのが、問題がなくて望ましいが、ラビがいない場合でも正しく行われる式は有効であった。ただし15世紀以降は習慣的にラビが司るようになった。また結婚の儀式が最大限に知られるようにと、『ミンヤン』すなわち公的祈りに必要な最小限10人の成人男子の臨席というものが一般に受入れられている」
続けて、著者は結婚式について以下のように述べます。
「式そのものは2つの部分からなる。前半は『エルシン』、あるいは『キドゥシン』と呼ばれる婚約の儀式である。エルシンという言葉は申命記20章17節にある『エラス』(婚約する)から来ている。一方、キドゥシンは『奉献する』を意味する『ヘクデシュ』から来ている。これはちょうど神殿に捧げられた品物を他の用途には用いてはならないように、花嫁もまた夫以外の男性には禁じられたものとなったことを示唆している」
式の後半は「ニスイン」(結婚)といい、以下のように説明されます。
「ニスインの最後に、ガラスのコップを花婿が踏み砕くという見せ場がある。結婚の喜びの時においても、神殿の崩壊以来ユダヤ人が味わってきた悲しみを忘れないためにする仕種であると説明されるのがもっぱらである。しかしガラスのコップは結婚の脆弱性、あるいは今なお贖いを必要とする世界を象徴するともいわれる。この花婿によるコップ割りは、式の前半(エルシン)の最後に行われる場合もある。 式の後には宴があり、最後に再び7つの祝福が唱えられる。 安息日や祝日における挙式は禁じられている。喜びを混ぜてはならないからである。また新月とラグ・バオーメルを除くオーメルの期間、また畏れの日々にも式は行わない」
そして、葬儀です。葬儀に関する色々なしきたりは各ユダヤ社会によって、さまざまなようです。一般的に言って、アシュケナジよりもスファラディのほうが、タルムッドのしきたりに近いそうです。ユダヤにおいては一言でいって「葬儀とは埋葬なり」といえます。 ユダヤ人の葬儀・埋葬といえば、わたしは1つの映画を思い出さずにはいられません。第88回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した、ハンガリー映画の「サウルの息子」です。アカデミーの外国語映画賞といえば、第81回で日本の「おくりびと」が受賞しましたが、「サウルの息子」は「おくりびと」と同じく、葬儀をテーマにした作品です。第68回カンヌ国際映画祭でもグランプリに輝き、世界中で感動を巻き起こしました。
「サウルの息子」は、次のような映画です。 1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ハンガリー系のユダヤ人であるサウルは、この地獄のような場所でゾンダーコマンドとして働いています。ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜した、同胞の死体処理に従事するユダヤ人の特殊部隊のことです。収容所には連日、列車で多くのユダヤ人が移送されてきます。彼らは労働力になる者とそうでない者に振り分けられ、後者はガス室に送られます。サウルの仕事は、後者となった同胞たちの衣服を脱がせ、ガス室へと誘導するというものです。さらには残された衣服を処分し、金品を集めます。扉が閉ざされたガス室は阿鼻叫喚に包まれます。その声も途切れると、ゾンダーコマンドたちはガス室の床を清掃し、死体を焼却場に運びます。そして、殺されたユダヤ人たちの遺灰を近くの川に捨てるのでした。
ゾンダーコマンドたちがそこで生き延びるためには、人間としての感情を押し殺すしかありません。ある日、サウルは、ガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見します。少年はサウルの目の前ですぐに殺されてしまうのですが、サウルはなんとか息子を正しい儀式で弔ってやりたいと考えます。このままでは息子の遺体は解剖されて焼却される運命にあります。しかし、ユダヤ教では火葬は死者が復活できないとして禁じられているのです。サウルは、ユダヤ教の聖職者であるラビを捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって息子を手厚く埋葬してやろうと収容所内を奔走します。
そのユダヤ人にとっての正しい葬儀・埋葬とはいかなるものか? 本書には、その詳しい内容が以下のように説明されています。
「ほとんどが土葬である。死者の尊厳のためには埋葬は早いほどいい。したがって葬儀は死亡のその日か、翌日に行われる。 しかし、安息日と贖罪の日は避ける。 アシュケナジにおいては『へブラ・カディシャ』(アラム語で「聖なる組合」の意)といういわば互助組織があり、これが一連の作業を担う。埋葬に先立って行われるのは『トホラ』という『遺体の清め』である。へブラ・カディシャの成員がこれを行う。遺体は清めのための特別の台の上に置かれ裸にされる。ぬるま湯で洗ったあと水で清める。遺体が乾いてから『きょうかたびら』とでもいうべき包みで体を巻く。また髪に櫛を通したり、爪を整えたりする。近年、トホラは病院の遺体仮置き場で行われることが多い」
ユダヤの葬儀・埋葬について、続けて著者は以下のように説明します。
「遺族は葬儀に先立ち、着ている上着の襟の一部を裂く。これを『クリア』(裂くことの意)といい、深い悲しみを象徴する仕種である。創世記37章34節で、ヤコブはその子ヨセフが死んだと思い『衣を引き裂いた』、などとあるところから来る習慣である。クリアは喪の期間ずっとそのままにする」
さらに、以下のように説明されています。
「墓地の中で、埋葬の場所へ遺体を移動するとき、少なくとも3度立ち止まって詩篇91篇を唱える。棺を墓穴に降ろすとき、参列者は『安らかに彼(彼女)の所に行くように』と唱える。遺族は『カディッシュ』という頌栄歌をとなえる。埋葬のあと参列者は2列に並び、その間を遺族が進む。参列者は遺族にたいし『シオンとエルサレムを嘆くもののなかで、特に皆様に神の慰めがあるように』という。墓地を去るとき、参列者は手を洗う習慣がある。また、そのままその手を拭かないという習慣もある。改革派は火葬を認める」
埋葬後の作法についても、以下のように紹介されています。
「埋葬が終わり遺族は喪に服す。最初の1週間すなわち7日間を『シヴア』というが、これは『7』の意である。これはヨセフが父親ヤコブの死を嘆いて『父の追悼の儀式は7日間にわたって行われた』(創世記50 10)とあることによる。この間遺族は労働や仕事、また入浴や散髪、革靴の使用を慎むことになっている。また家を離れることもしない。 シヴアに続く23日間を『シロシーム』という。 『30』の意であるが、先行するシヴアの期間と合わせると30日になるので、こう呼ばれる。モーセの死を悼み、イスラエルの民が『30日の間泣いた』(申命記34 8)とあることによる。この期間は、慎み事はシヴアよりは緩和されるが、娯楽施設への立入りや、散髪などは依然として禁じられている。さらに親の死にたいする喪は1年間続く」
仏教には年忌法要がありますが、ユダヤ教においても同様です。
「死者の記念日の催し、いわば年忌はイーディッシュで『ヤールツァイト』と呼ばれる。15世紀以来アシュケナジのあいだで始まったが、次第にユダヤ世界一般に広がった。カディッシュをとなえ、記念のろうそく『ネール・ネシャマ』をともす。この日の墓参りも習慣となっている。 ヤコブが愛妻ラケルのために墓石を立てたのが(創世記35 20)、聖書に記されている墓石についての最初の記事のようである。ディアスポラ(離散)においては、死後1年以内に墓を立てるのがならわしである。イスラエルでは30日目となっている」
わたしは「サウルの息子」を観て以来、ユダヤ教の葬送儀礼に関心を持っていたのですが、本書を読んでいろいろと知ることができました。そして、改めて「葬儀とは宗教を超えた、人類普遍の営為である」と思いました。 わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。 つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。
葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。そして、死者を弔う行為は「人の道」そのものなのです。