No.1276 民俗学・人類学 | 神話・儀礼 『祭祀空間の構造』 村武精一著(東京大学出版会)

2016.07.12

『祭祀空間の構造』村武精一著(東京大学出版会)を読みました。
1984年に刊行された本で、「社会人類学ノート」というサブタイトルがついています。著者は1928年広島県生まれで、早稲田大学文学部卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。東京都立大学人文学部の教授(社会人類学)を務めました。著書に『家族の社会人類学』(弘文堂)、『神・共同体・豊饒』(未来社)などがあります。

カバー、本文とも、写真はすべて著者が撮影

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

序論
第一編 祭祀空間
第一 寒川神社浜降祭の民俗象徴論
第二 沖縄の祭りにみられる始原的世界
第三 海上異界観―南島文化の祭祀的世界から
第四 神話と共同体の再生―沖縄の祭祀と神話
第二編 集落空間
第一 印旛地方の社会的・祭祀的構成
第二 奄美村落の社会的・象徴的秩序の再構成
第三 宇宙観と集落空間―ボントック族の聖樹と集会所
第四 死霊と集落空間―ボントック族のアニート霊
第三編 比較社会史
第一 八重山集落の比較(祖型)論
第二 琉球の比較(民俗文化)論
付載一 柳田国男と沖縄民俗論
付載二 沖縄民俗文化の原点を―社会人類学的断想
「あとがき」
「初出誌一覧」

「序論」の冒頭で、著者は「祭祀・儀礼・神話などがもたらした一定の社会空間あるいは祭祀空間の性格と、その内部にひそむ構造的な原理を明らかにし、可能なかぎり時間系列の枠組のなかでの説明を求めようとしたものであった」と書き、さらに以下のように述べています。

「社会構造は、家族・親族・地域社会・その他の諸組織のたんなる集合的形態ではない。つまり、日常的な諸生活をふまえて、さらに非日常的な世界をふくむような全世界の構造であるからである。だから、本書も社会人類学の視角にたつとはいえ、たんなる社会組織の記述を目的としてはいない。というよりも、儀礼およびそれがもたらす祭祀空間が、現実の社会、つまり《この世》を社会的に構造化している側面をあきらかにしたいと考えたのである。このような全体性を、《社会的・象徴的秩序》(socio-symbolic order)とよんでおこう。他方、C・レヴィ=ストロウスは、実証主義的な経験的リアリティの次元で〈社会構造〉をとらえたA・R・ラドクリフ=ブラウンその他の構造論にたいして批判を投げかけながら、自らはそれを社会諸関係の網の目総体の深層にある意味や象徴の体系としてとらえようとした」

著者は、日本の歴史学者にして民俗学者であった和歌森太郎の研究に言及しつつ、以下のように述べています。

「和歌森のぼう大な学問的業績のなかで、とりわけ私自身が前々から関心をもち、いまもなお社会人類学的視角から再考しようとしている問題がある。それは、和歌森の〈協同体論〉である。いわゆる日本史や社会経済史の諸研究において、しばしばみられるような〈共同体〉のとらえ方とは、ことなっている点が注目されるのである。つまり、物的基盤から、あるいは土地所有の形態から、共同体の類型的把握やその段階論的発展をあきらかにしていくという立場とはことなっていることである。和歌森の表現にしたがえば、それは、〈むしろ氏神のやうな、協同体の協同結合の紐帯であった神社を通路として、そこからその協同体の在りやうを追跡したい〉ということになる」

続けて、著者は〈協同体論〉の視角について述べます。

「この視角は、ふたたび和歌森の表現にしたがえば、〈神とは社会であり、社会の焦点は神である〉ということになる。つまり、〈協同体)とは、神社祭祀や氏神信仰と日本の村落共同体が不可分のかたちで統合化された存在であり、その統合化の構造自体が日本村落共同体の構造そのものであり、それを歴史的にあきらかにしてゆこうとしているのである。
共同体の社会組織的側面は、和歌森によれば、その原初的形態は、〈同族的族縁協同体〉であり、その歴史的発展形態は、のちには〈地縁乃至心縁協同体〉へと発展すると考えた。この点、19世紀流の一線的社会進化論の発想による影響がみられる」

和歌森のいわゆる〈協同体史観〉は、従来の社会経済史的なとらえ方にきわめてユニークな肉付けを与えました。それと同時に、民俗学的・宗教学的側面と社会組織的側面とを分離しないで全体的にとらえなおそうとしたところに大きな特徴が見られます。著者によれば、この点が和歌森の発想の秀抜さであったといいます。

第一編「祭祀空間」の解説では、著者は洞穴について述べています。

「川・湖沼・海などの《水界》は、しばしば暗黒の《洞穴》世界と結びついていることがある。日本本土にもしばしばそのような洞穴のシンボリズムが、暗黒の《地下界》や《水界》とかかわって、固有の民間信仰を生成している。琉球文化においては、そのような異界観をあちこちの祭り・民間伝承・神話などにみることができる」

著者は、水界からもたらされる豊穣と幸が、共同体の、つまり《この世》の活性化の根源であることを明らかにし、次のように述べます。

「いまひとつ注目すべきことは、水界は、暗黒・混沌・反秩序などのシンボルをともなった異界であり、かつ《女性原理》の支配する世界であった。つまり、女性原理が共同体の活性化に寄与してきた、ということである」

第二「沖縄の祭りにみられる始原的世界」では、「始原的世界の再来」として、久高島のイザイホー神事が以下のように紹介されます。

「久高島のイザイホー神事のなかで選ばれた女性たちが先輩の神人たちに導かれながら小さな橋(天の橋)をわたって草ぶきの小屋に籠り、その後ふたたびあらわれて、そして再生の喜びにひたる儀礼がまず注目される。またわたくしが直接見聞したものに話をかぎれば、八重山地方の結願祭(〈シツ〉ともよぶ)の前夜、女性司祭者たちが聖地に籠もる儀礼は有名である。また沖縄本島北部地方にみられるシヌゲ祭でも、村落の男性たちが山に入って籠り、そして《山》を象徴する神として里に下ってきたり、子供たちが《山》をあらわす木の枝を打ちふりながら集落のなかを祓いまわることなどもおなじように一種のお籠りの神事であろう」

続けて、著者は儀礼のもつ意味について以下のように述べます。

「これら諸儀礼は、世俗的世界をたちきって、人びとを聖なる存在にきりかえるという意味があるとともに、世俗的世界の表現である日常生活を共同にする集落自体を、聖なる空間にきりかえる意味をもつものである。そして、それら儀礼の根底には、始源的世界の再来を希求する目的があったのではあるまいか」

そして、著者は「籠り」のための空間について以下のように述べるのでした。

「つまり、日常的秩序としての集落をたちきって、暗い世界に籠るわけである。籠りのための、小屋のなかや聖地は一種の分離された世界であり、反秩序の世界であると考えられる。そこは、年齢や身分などいっさいからときはなたれ、日常的秩序から開放された世界となる。これは一種の儀礼的死を意味するのかもしれない。その意味は、暗い洞穴とか土中とか墓などに埋葬される場合の葬送儀礼と構造的に一脈相通ずるものがある」

さらに、著者は沖縄の祭りにおける諸儀礼について述べます。

「私は沖縄の祭りにおける混沌・反秩序としての始源的世界をもとめながら、それから立ちなおって、あるいは再生して《この世》の祝福と豊穣をかちとるという、いわば生きるための《活力》の源泉を祖型世界への回帰を通して獲得していることに注目したいのである。こうしてみると、沖縄の祭りにおける諸儀礼のなかには、いままで述べたような《暗黒願望》や《地下願望》を思わせるような習俗がたくさんあるように思われる」

《地下=暗黒願望》の典型的なかたちは、八重山の〈アカマタ・クロマタ〉祭祀にみられる男女二神〈アカマタ=男神、クロマタ=女神〉が〈ナビンドゥ〉とよぶ集落はずれの洞穴から出現し、村人に幸と豊饒を授ける儀礼にみられます。著者は、さらに同じような習俗や儀礼が沖縄本島南部などにもみられます。つまり、この地方では、あちこちに複雑な迷路となっている地下水路と洞穴があるのです。

著者は、この地方の洞穴について以下のように述べています。

「あの鉄の嵐といわれた沖縄戦のなかでこの地下迷路が、おおくの人びとを救ったことには、沖縄の人びとの無意識の願望と対応するものがあるように思われてしかたがない。この地方では、そういった洞穴をガマとよんでいるが、集落のはずれにあるガマがじつは《この世》の人びとに五穀の種(稲を中心とする)をもたらしてくれた場所なのである。だから農耕儀礼のある時期には、その共同体の宗家および、女性司祭者たちによって丁重に祈願されている。そしてまた他のところでは、そういったガマが、〈弥勒ガマ〉とよばれ、共同生活にとって重要な聖地になっている。
人間世界の根源をもたらしてくれる地下の行き止まりのない世界、つまり《迷路世界》が戦時の際、《この世》の人びとを救ったという事実は、偶然の符合にしてもわたくしにとってきわめて感銘ぶかいのである」

まだ一部の祭りには、アルカイックな意味世界を細々ながら生かし続けているものもあります。その典型的な例として、一般に〈アカマタ・クロマタ〉と宮古島の〈ウヤガン祭り〉などが有名ですが、著者は以下のように述べます。

「なぜ〈アカマタ・クロマタ〉祭祀が研究者や観光客を拒否して、その儀礼生活の完全性を追求するかといえば、祭りを担う人びとは、自分たち共同体の始源的世界に回帰することによって、来たるべき1年の《活力》を真に獲得できるということを体得しているからである。つまり、真の《力》は、自分たちの《この世》をもたらしてくれた祖型世界への回帰を、何びとにも邪魔されたり犯されたりすることなく遂行することによって、はじめて真の《力》が得られるものであることを人びとは本能的とよんでよいほどよくしっているからである。もともと、祭りとは、《よそもの》のためにあるものではなく、真に連帯できる人間のためにあるものであることを、はっきりしっているからである。
《この世》に幸と豊穣の《力》を授けてくれるものとして、具体的には来訪神としてあらわれてくるし、ときには、《この世》の人の目にはみえない霊的存在としてあらわれてくるのである。このような広義の神々の訪れによって人びとは祝福をうけ、豊穣を授かる。こうして共同体祭祀においては、《祝祭》の性格が強調されるのである」

第三「海上異界観―南島文化の祭祀的世界から」では、「琉球文化にみられる海上異界観」として、著者は以下のように述べます。

「琉球文化には、海のかなた、または海底を異界とする信仰や民俗がきわめてゆたかにみられるのが大きな特徴であろう。もちろん日本本土における神社祭祀や盆行事の精霊流しなどにも、川・水・湖沼・海などの水界にかかわるさまざまな行事があるが、それらを異界とする思考は、かならずしも明確にうかびあがってくるとは限らない。
この点、琉球文化にみられる民俗としての異界観のひとつの特徴は、海底や海のかなたをはっきり意識して、そこにこの世とは隔絶された異界を認識しようとしていることである。さらに注目すべきことは、海のかなたの異界と天に神々の世界を想像する異界観とが、ときには分離しがたくひとつの全体的な異界観を構成していることである」

沖縄本島あたりでは、旧5月4日に通称ハーリーという爬龍船競漕を行います。土地の人々は、「ハーリーの鉦が鳴ると梅雨があける」と言っています。いよいよ稲の結実の時期というわけですが、八重山地方では、ハーリーは旧7月の豊年祭その他のときなどにおこなわれ、稲収穫の感謝と予祝の儀礼的性格をもっています。
このハーリーについて、著者は以下のように書いています。

「浜に船が全部帰ってくると、浜辺にたつ大きな聖なる石に全員漕ぎ手たちが祈願する。この聖なる石は、沖縄のあちこちにあるニライカナイの石またはニーラン石とおなじ性質のものである。つまり、この石を通して海のかなたの異界に通ずるのであり、ときには《内》としての集落と《外》としての異界の境の可視的表現であると考えられる。やがて人びとは台地上にある集落に入り、その村落の宗家(大殿内または国元)やハーリーの宗家で祝いの踊りをすます。午後になると、若者が地先の海で投げ網によって小魚をとり、これを神々に捧げる。この魚自体が〈世〉の象徴である。東アジアや東南アジアにおける魚のシンボリズムからみて、魚には永生や豊穣の意味がかくされている」

著者は、海上の異界について述べています。

「海のかなたの異界は《自然》そのものであり、《文化》と相対立する世界であって、文化の表現である《この世》が《秩序》の世界であるとすれば、《あの世》である海のかなたの異界は《混沌》の世界であって、自然のままの世界であるといえる。海のかなたの異界には、《この世》的な秩序も、昼夜の区別も、直進的な時の流れもない世界であるということになる」

爬竜船競漕と同じく、沖縄本島や奄美地方にひろくみられるウンジャミ(一般に海神祭ともいう)も、海のかなたの異界と深いかかわりをもっています。沖縄本島北部の国頭村比地では、毎年旧7月初亥の日に、付近の奥間・浜・桃原・鏡地とともに海神祭を行います。祭りの当日は、比地側からシバとよぶ根神および別の父系氏族からアマンガミという海神が出ます。さらに、奥間側からも何人かの女性司祭者がでることになっています。その朝、神アシャゲという祭場に各女性司祭者が集まって新米の酒と米を神に捧げ、彼女たちもそれを頂きます。さまざまな儀礼の後、2条の綱をもって船に見立て、その中にすべての女性司祭者を乗せるのです。そして囃し詞をうたい、1人の女性司祭者がだんごを人びとに投げ与えます。

この海神祭について、著者は次のように述べています。

「比地の海神祭にみられるように、神の船によって海のかなたのニライカナイから〈世〉が運びこまれ、そしてまた浜での神送りのとき、害虫などを海のかなたの異界へ送り出す虫送りの行事の性格もみられる。いずれにせよすでに述べてきたように、海のかなたのニライカナイは豊穣や幸の根源でもあり、悪しき存在を許容する世界でもある」

先に紹介した〈アカマタ・クロマタ〉祭祀ですが、著者は以下のように説明します。

「アカマタ・クロマタ男女2神は、旧7月のプールまたはプーリとよばれる通称豊年祭りに出現する神々である。今期の作柄を感謝し、来期の豊作を予祝するための祭りである。男女2神は、旧7月の壬・癸の日に出現するのであるが、神々は太陽が没して夜の世界になってはじめてあらわれる。神は集落の外にあるナビンドゥとよぶ洞穴から出現する。つまり神々は暗い洞穴の世界から、また夜の世界にあらわれてくるのである」

続けて、〈アカマタ・クロマタ〉祭祀が詳しく説明されます。

「出現した男女2神は村人の歓喜と畏敬に迎えられて集落に入り、アカマタ祭祀集団とクロマタ祭祀集団のそれぞれの宗家を訪れ、神詞をとなえ、そしてアカマタ神はアカマタ組の家々を、クロマタ神はクロマタ組の家々を訪れ、〈世〉を授ける。しかしこの1年、共同体の掟を犯したり、秩序を乱したものは、神々の怒りにふれ、神々が右手にたずさえている杖で打たれたものである。その神の杖に打たれたものは、1年以内に死亡したり不幸な目にあうといわれている。神々による家まわりがおわると、日の出前に集落のはずれで両神がおちあい、村人の感謝と別れの悲しみのなかをふたたび洞穴のなかへ去っていく。やがて、日の出を迎え、夜の世界がおわりを告げ昼の世界がはじまると、共同体は新生し、新しい秩序を回復して新しい生活がはじまるのである」

第四「神話と共同体の再生―沖縄の祭祀と神話」の冒頭では、著者は沖縄の神話について以下のように述べます。

「全沖縄、つまり琉球文化がかかえている神話は、小さな地方ではあるがきわめて奥深く変異に富んでいる。琉球神話でまず注目されるのは、旧琉球王国レベルで記載された神話と、《民俗村落》または《民俗共同体》レベルで伝承されている神話との間の共通性とその差異の問題である。とくに、琉球王国の首都・首里の所在地であった沖縄本島およびその周辺と、沖縄本島からはるか南西に隔たった宮古群島ならびに八重山群島との間にも、上のような問題があるのであろう」

続けて、「旧琉球王国の宇宙開闢神話」として、著者は有名な『おもしろそうし』第10巻(512)に収録されている神話を紹介します。これは、〈昔初まりや てだこ大主や 清らや 照りよわれ〉、つまり昔、宇宙のはじまりのころ天(太陽)の神のみが輝いていた、にはじまり、下界をみると何もないので天神は〈アマミキヨ・シネリキヨ〉を召し給い、島・国造りを命じ、多くの島を造らせた。そして人びとを生み栄えさせた、というものです。

さて、琉球文化の構造的特性のひとつは、神話と王国体制・民俗村落などの〈共同体〉などがふかく結びついて、ひとつのコスモロジー、または世界観を構成していることです。特に、八重山地方の神話の基本的特性は、混沌の世界から島づくりがなされ、土中・洞穴=地下界から《神の介在》によって男女2人が出現し、《この世》がつくられたり、あるいは洪水その他の大災害による混沌の状態から《神の介在》によって《再生》したりすることです。著者は、以下のように述べています。

「これらのモチーフのなかには、混沌の始源的世界というイメージがあり、その世界は《地下=暗国》の世界である。その始源的世界から男女2神、ときには兄妹2人が誕生するわけである。また男女2神が海の彼方(=洪水イメージ!)から出現することもある。
このような神話と儀礼が結びつく典型的な事例は、八重山地方の西表島・古見・小浜島・石垣島・宮良・新城島などにみられるいわゆる〈アカマタ・クロマタ〉祭祀、または石垣島の川平その他でみられる〈マユンガナシ〉などの来訪神信仰であろう」

また、著者は以下のように述べています。

「ここに興味あることは、異界を示す言葉、〈ニール〉とか〈ニーラン〉その他の語およびそれに通ずる入口である洞穴、〈ナビンドゥ〉などがすべてN音であることである。いわゆる〈根の国〉である。とくに、八重山の人びとの感覚によれば、このような言葉は、畏敬・暗・じめじめした陰湿さなどのイメージがまとわりついているという」

さらに、著者は〈アカマタ・クロマタ〉祭祀について以下のように述べます。

「アカマタ・クロマタ男女2神が、別れてそれぞれの祭祀組(アカマタ組とクロマタ組)の家々をめぐって豊穣と幸を与え、日の出前の未明の時期に集落の外の洞穴近くでふたたび遇い、男女の性的結合を表現する儀礼の後、人びとの別れの哀しみの声におくられて、洞穴に入って異界へと去っていく。その後にしばらくして日の出を迎え、共同体=《この世》は、再生の姿をさらすのである。この点、海の彼方から出現するといわれている川平の〈マユンガナシ〉の神々についても、基本的モチーフは共通していると思われる。つまり《土中より男女2人の誕生・出現→性的結合→繁栄》というモチーフは、八重山におけるアカマタ(男神)・クロマタ(女神)信仰(またはその類似)をともなう稲米の収穫祭において儀礼化されているように思われる。これは、八重山の儀礼的・神話的表象の基調的特質の1つのようにみえる」

第二編「集落空間」の解説の最後に、著者は以下のように述べています。

「日本本土や琉球のような高文明社会では、南北軸にたいする東西軸の組み合せが、いろいろな象徴性をともなって位置づけられていた。他方、無文字社会の北部ルソン島の山地民社会では、《上流》と《下流》の基軸にたいし、《山》と《谷》との方位軸がからまって、集落の祭祀的空間が構成されていた。つまり、地形とか、ときには太陽の運行にしたがって祭祀空間が生成されているのである。こうした事例は、東南アジアの諸族にひろくみられる民俗的方位観である。集落を全体的にとらえる上で、このような空間論的解読は欠かせない視角であると思う」

第二「奄美村落の社会的・象徴的秩序の再構成」では、「沖縄の集落空間」として、著者は以下のように述べています。

「沖縄本島およびその周辺離島では、一般的に1村落1御嶽であったが、宮古群島や八重山群島などの先島地方では1村落複御嶽が通常であった。後者の場合、複数の御嶽のなかで、儀礼的・宗教的格付けによる階序がみられたり、あるいはそれぞれの御嶽が信仰対象と儀礼的機能を分担したりしていた。たとえば、稲・水・旅立ちなどを各御嶽が別々につかさどるのである」

続けて、著者は「沖縄の集落空間」について述べます。

「いわゆる《沖縄本島型》の村落の祭祀的世界は、主御嶽を中心にさまざまな聖地が散在しているが、何といっても主御嶽が村落の守護をつかさどり、ときには、《地つき家筋》の神話的系譜につながる神霊が鎮座されるという信仰が支配的であった。そして、主御獄につながりがあると信じられている〈根神〉筋、あるいは〈シマモト・クニモト〉などの父系門中が、その村落の祭祀的世界の中枢であり担い手であった。その場合にも、沖縄本島の中・南部では、〈門中〉または〈腹〉つまり《氏族》が、父系的によく整備されていて村落の祭祀的統合性をたかめていた。しかし、本島北部や周辺離島などでは、父系氏族としての組織化がかならずしも十分ではなく、あちこちの村でさまざまな度合の統合性をもってあらわれており、村落祭祀の上でも複雑な信仰的あるいは社会的問題をひきおこしていた。いずれにせよ、沖縄本島型であれ、先島型であれ、北を《浄》とする方位観を基軸において聖地の空間的位置が考慮され、さらに儀礼がとりおこなわれていた」

さらに、著者は「沖縄の集落空間」について以下のように述べるのでした。

「沖縄本島では村落宗家は、主御嶽近くに位置し、その分家群は《下》の方位、つまり一般的には南に展開する。そして、村落宗家に続くつぎに古い宗家は、やや下に位置しながらも同じ原則で分家をかかえることを原則とした。南はその村落にとって儀礼上の入ロであり、悪霊や不浄なるものの侵入を防ぐためにしばしばシシなどが祀られていた。シシは村落にとっての悪しき存在である《よそもの》をチェックする機能を果していた。そして、《この世》としての集落の周辺は耕地や漁場としてのサンゴ礁水域にとりかこまれ、さらにその外にはニライカナイ、ニール、ニーロ、ニーラスクなどの《あの世》としての異界が想像され、信仰されていた。
また、集落内の地域組とか祭祀集団は、それぞれ宗家をかかえ、儀礼遂行の司祭筋となっていた。これらが沖縄各地にみられる綱曳き行事、爬龍船行事、さまざまな来訪者信仰などとかかわって、各村落の社会的・象徴的秩序の骨格を構成していた」

付載一「柳田国男と沖縄民俗論」では、「女と子供の霊力」について、著者は以下のように述べています。

「沖縄民俗文化のなかで、あるいはかつての琉球王国体制のなかで、女性司祭者が宗教的・霊的力を保有していて神聖視され、王国レベルから村落レベルまたは家・親族レベルにまでゆきわたっていたことは、すでにひろくしられていることである。祭祀組織の上で〈ノロ〉・〈カミンチュ(神人)〉・〈ニーガン(根神)〉、〈ツカサ(司))などとよばれている女性司祭者が、さまざまな聖地や聖なる世界と交流しうる立場にあって、世俗的な世界にしかかかわりえない男性たちに宗教的・霊的力による梃入れをしてきた。この点は大きく変りつつあるとはいえ、現在も原理として生きつづけている〉

続けて、著者は「女と子供の霊力」について、以下のように述べます。

「この原理に対応するかたちでいわゆる〈オナリ神信仰〉が沖縄の民俗文化のひとつの支えであったことはあまりに有名である。すなわち、兄弟にたいする姉妹の霊的優位の信仰と儀礼である。たとえば、稲作の収穫にたいする感謝の祈願は、すでに他家に嫁いでいる姉妹が実家を継承している兄弟の家に出向いていって、その家の台所に祀られている〈火の神〉に収穫物を供え、収穫の感謝と来たる年の豊穣を祈願するのである。または兄弟の〈トシビ〉、つまり厄年にかかる不吉または不幸を事前に追いはらうために、やはり実家に赴いて床の間に祀られてある香炉を通して神々に祈願をおこなう。その他、旅立つ兄弟の安全のために、やはり姉妹やオバ(父の姉妹)が自己の頭髪や麻または綿の布をおくって旅の安全を加護する、等々」

また、「二色人」として、著者は〈アカマタ・クロマタ〉信仰を理解するために、もう2つのことに注目しておきたいと述べます。ひとつは集落の外にある海岸とか叢林の《洞穴》から神々が出現し、そこに帰ってゆくということ、2つは古見の〈アカマタ・クロマタ〉伝承によれば《子供》が山に入って神として出現するようになったこと、です。
アカマタやクロマタが出現する洞穴について、著者は次のように述べます。

「《洞穴》と《子供》の聖性は、一見別々の事象のように思われるが、どちらも沖縄文化の基底にある《女性》の聖性と奥ふかいところでつながって、ひとつの構造をなしていると考えてよい。つまり、子供のもつ未熟性と未来への可能性とが洞穴と海底のもつ暗い混沌性と結びついていることである。これはまた象徴的に《女性原理》と重複してくる。そして日常的・秩序的世界の担い手とされる男性(原理)と対置の象徴的世界を構成する」

続けて、著者は以下のような八重山地方の伝説を紹介します。

「このようなイメージの世界を端的に説明してくれる事例として、八重山地方に伝承されている《兄妹始祖伝説》がある。一種の宇宙開闘神話であるが、その形式は、洪水で生き残った兄妹が、神の導きにより性関係をもち、人びとが栄えたもの(鳩間島)と、他は、形をなさないような泥質状態の地中から最初にやどかりが穴をあけて出てきて、その泥穴から男女一対が生まれ、2人の結合によって人びとが栄えた(白保)、というものである。ここには、男と女の性的結合・水・洞穴・泥のような混沌などの要素がある。柳田が注目した八重山地方におけるひろい意味での来訪神信仰にたいする神話的基盤としてみることが可能である」

そして、著者は沖縄の祭祀空間について、次のようにまとめます。

「こうしてそれぞれの集落が、《祭祀共同体》として内部構成を性格づけ、その集落をとりまく自然・宇宙を、先述のような異界と認識しながら存続してきたということである。それだけに、沖縄文化のもとにある伝統的な共同体や社会組織は、その深層に、ゆたかな《象徴》の地下水が流れている。汲めどもつきない清冽な地下水を汲みあげ、人間とその生活のための源泉とすることこそ、柳田のいう〈新しい民俗学〉への道標の発見につながるのではあるまいか」

Archives