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2016.09.07
わが最新刊『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)の見本が出ました。
この読書館で紹介した『死ぬまでにやっておきたい50のこと』以来、じつに半年ぶり、82冊目の「一条本」となります。なお、本書には「あなたの死生観が変わる究極の50本」というサブタイトルがついています。
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
カバー表紙には映画館の館内のイラストが描かれ、帯には「『風と共に去りぬ』から『アナと雪の女王』まで」「暗闇の中で人は生と死を考える」「さあ紙上上映会の始まりです。生きる力と光を放つ50本」と書かれています。
本書の帯
本書は、『死が怖くなくなる読書』(現代書林)の続編というべき内容です。前作では、読書という行為によって死の「おそれ」や死別の「かなしみ」を克服することができると訴えました。今回は映画です。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを集めてみました。本書の「目次」は、以下の通りです。
『死が怖くなくなる読書』(現代書林)の続編です
はじめに「映画で死を乗り越える」
第1章 死を想う
「永遠の僕たち」―死を見つめる切ないラブストーリー
「母と暮せば」―優霊映画の定番ゆえに泣ける1本
「はなちゃんのみそ汁」―大切なことを伝えたい母の思い
「そして父になる」―先祖へつながる家族の絆
「東京家族」―「東京物語」へのオマージュ
「悼む人」―「死者を忘れるな」という強烈なメッセージ
「四十九日のレシピ」―限りない家族への希望
「涙そうそう」―冠婚葬祭と家族愛を描いた沖縄の映画
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」―戦闘シーンがリアルな日本人原作のSF
「サウルの息子」―「人間の尊厳」と「葬」の意味を問う名作
コラム●映画から死を学んだ
第2章 死者を見つめる
「おくりびと」―世界に日本の儀式の素晴らしさを発信
「おみおくりの作法」―孤独死した人々へのやさしいまなざし
「遺体 明日への十日間」―何が人間にとって本当に必要か
「蜩ノ記」―「死ぬことを自分のものとしたい」
「おかあさんの木」―樹木葬をイメージする戦争映画
「ハッピーエンドの選び方」―イスラエル版「おくりびと」
「世界の涯てに」―生きる目的を探す不思議な三角関係
「バニー・レークは行方不明」―観る者に実存的不安を与える名作
コラム●ホラー映画について
第3章 悲しみを癒す
「岸辺の旅」―世界は「生者のような死者」と「死者のような生者」にあふれている
「ポプラの秋」―「死者への手紙」に託す想い
「想いのこし」―成仏するための作法
「ニュー・シネマ・パラダイス」―「人生最高の映画」「心に残る名画」への違和感
「アバウトタイム~愛おしい時間について~」―タイムベル映画の新境地
「ファミリー・ツリー」―家族の絆は別れ際にあり!を実感
「インサイド・ヘッド」―ピクサーのヒット作。葬儀で泣くということ
「リトル・プリンス 星の王子さまと私」―ハートフル・ファンタジーの力を再確認
「アナと雪の女王」―男女の恋愛話だけがアニメの世界ではない
「風立ちぬ」―最大のテーマは「夢」
コラム●SF映画について
第4章 死を語る
「エンディングノート」―「死」を迎える覚悟の映画
「オカンの嫁入り」―日本映画の王道の冠婚葬祭映画
「縁~The Bride of Izumo」―日本の美に涙する1本
「お盆の弟」―「無縁社会」を打ち破る「血縁」映画
「マジック・イン・ムーンライト」―大好きなウディ・アレンの佳作
「マルタのことづけ」―「死」を覚悟して笑顔で旅立つ姿に感動
「海街diary」―この上なく贅沢で完璧な日本映画
「クラウド アトラス」―輪廻転生を壮大なスケールで描く
「永遠と一日」―名作は必ず「愛」と「死」の両方を描く
「天国は、ほんとうにある」―臨死体験することの意味
コラム●ファンタジー映画について
第5章 生きる力を得る
「海難1890」―トルコと日本の国境を越えた大いなる「礼」の実現
「6才のボクが、大人になるまで。」―時間というのは現在のことだ
「アリスのままで」―アルツハイマー病の現実を描く
「博士と彼女のセオリー」―絶望を希望に変えてくれる名画
「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」―ホテル業ほど素敵な商売はない
「アルバート氏の人生」―自分らしい生き方を模索する姿に共感
「シュガーマン 奇跡に愛された男」―生きる希望を与えてくれる傑作
「セッション」―音楽と教育の力を実感する1本
「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」―青年を成長させてくれる漂流映画
「レヴェナント 蘇りし者」―生きることの過酷さを実感する巨編
「ゼロ・グラビティ」―死者に支えられて生きていることを実感できる
「インターステラー」―親は、子どもの未来を見守る幽霊
あとがきにかえて「最後にもう一本」
「裸の島」―『葬式は、要らない』に対する答え
「映画で死を乗り越える」というのが本書のテーマですが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。
それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。
そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしには『唯葬論』(三五館)という著書があるのですが、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘップバーンやグレース・ケリーにだって、三船敏郎や高倉健や菅原文太にだって会えるのです。
古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。
闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。
三島由紀夫著『ぼくの映画をみる尺度』には「忘我」という秀逸なエッセイが収められていますが、そこで三島は「どうしても心の憂悶の晴れぬときは、むかしから酒にたよらずに映画を見るたちの私は、自分の周囲の現実をしばしが間、完全に除去してくれるという作用を、映画のもっとも大きな作用と考えてきた」と書いています。わたしは三島と違って酒も飲みますが、どうしても現実を忘れたいときに映画を観るのは彼と同じです。そこで、わたしは現世の憂さを忘れるのですが、最も忘れている現実とは「死すべき運命にある自分」なのかもしれません。
本書に紹介した映画はDVDやブルーレイで購入あるいはレンタルできるものばかりですが、観賞の際はぜひ部屋の照明を暗くして映画館のような洞窟空間を演出されることをお勧めいたします。
『死を乗り越える映画ガイド』の発売日は9月16日です。ぜひ、ご一読を! 本書を読まれたあなたが、数々の「死を乗り越える」映画を観ることにより、心ゆたかに人生を修められることを願ってやみません。