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No.1399 宗教・精神世界 『釈迦一日一言』 ひろさちや編著(致知出版社)
2017.03.13
『釈迦一日一言』ひろさちや編著(致知出版社)を再読しました。
「仏教が教える人生の智慧」というサブタイトルがついています。
わたしのブログ記事「曹洞宗フューネラル講演」、「曹洞宗グリーフケア講演」で紹介したように、昨年10月、曹洞宗の僧侶の方々を前にお話しました。それ以来、仏教の開祖である釈迦の教えについて考え続けています。
最近、わたしの名前をネットで検索すると、なぜか仏教系の某宗教団体名が補助ワードで表示されます。その教団の信者ではないかなどと誤解されて困惑していますが、わたしは特定の宗教団体の信者でも会員でもありません。日本仏教でいえば空海をリスペクトしていますが、さらにはその源流たるゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えを人生の指針としています。
「まえがき」で、著者は以下のように述べています。
「本書は、多数の『原始仏教聖典』のうちから、現代に生きるわれわれが学ぶべき教えを抽出して、『一日一言』の形にまとめたものです。『原始仏教聖典』は、そのほとんどが出家者である弟子たちを対象に説かれています。だから、在家の生活をしているわれわれには、それを教わってもなかなか役立たないものが多いのです。わたしは、できるだけわたしたちがそれを教わって、毎日の生活に役立てることのできる言葉を選んで編集しました」
特に、わたしの心に印象深かった言葉を以下に紹介したいと思います。
◇ただ現在あるのみ
過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、
現在においてよく観察し、
揺ぐことなく動ずることなく、
よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。
(『マッジマ・ニカーヤ』131)
◇最上の人
「釈迦世尊にお尋ねしたい。いかなる人が”最上の人”ですか?」
「怒らず、恐れず、威張らず、猜疑心を持たず、よく考えて語り、そわそわせず、言葉を慎む者である。
未来を願い求めず、過去をくよくよせず、偏見を持たず、
偽ることなく、貧欲ならず、物惜しみせず、傲慢にならず、他人を中傷せず、
快楽に誘惑されず、高慢ならず、柔和で、弁舌たくみな人・・・・・・、
このような人が最上の人である」
(『経集』848~859)
◇無常
朝に出会う人は大勢いるが、そのうちの何人かは夕方には会えない。夕方に会う大勢の人々のうち、何人かには翌朝に会えない。
「わたしはまだ若い」と思っていていいのだろうか。人間は死すべきものであって、若者でも死ぬのである。男でも女でも、次から次へと。
(『ウダーナヴァルガ』1)
◇寒すぎる
「きょうはあまりにも寒すぎる」「あまりにも暑すぎる」「タ方で遅すぎる」と、このように言って、若者が業務を放棄するならば、機会は空しく過ぎ去ってしまう。
(『長老偈』231)
◇死ぬはずのもの
「われらは、この世において、死ぬはずのものである」という。
この道理を人々はわきまえていない。人々がこの道理を知れば、争いはしずまるのに。人々がこの道理をはっきりとわきまえていないならば、あたかも自分が不死なる人間であるかのごとくに振舞う。
(『長老偈』275・276)
◇盲亀浮木
大海に1匹の盲目の亀が住んでいる。この亀が百年に1度、海面に浮かんでくる。そこに風のままに流木が流されてくる。その流木に1つの孔があいている。ちょうどその孔に、亀が首を突っこむようなことは、滅多にない。
だが、それよりもなお希有なることがある。それは、われわれが人間としてこの世に生をうけるということである。
(『相応部経典』56・47)
◇死
この世において、人々の命は定めなく、はかりがたく、みじめで、短く、苦悩をともなう。生まれた者に死を遁れる道はない。老いては死ぬ。これが生れた者の定めである。青年も壮年も、賢者も愚者も、すべて死に屈服する。すべての者が死に終る。彼らは死に征服されてあの世に去るが、父もその子を救えず、親族もその親族を救えない。泣き悲しんでも心の平安は得られぬ。いっそう苦痛が増すばかりである。
(『経集』574~584)
◇偏愛
喧嘩口論・論争・悲嘆・憂苦・物惜しみ・慢心・傲慢・悪口は、すべて偏愛より起こる。喧嘩口論と論争とは物惜しみに伴い、論争から悪口が起こる。
この世において、偏愛と貧りは欲望を縁として起こる。この欲望を縁として起きたものが、人を来世に導くことになる。快と不快という二面性があるとき、怒りと虚言と疑惑が生じる。疑惑のある人は、智慧の道を学べ。
(『経集』862~868)
◇儲け
手段が正しかろうと不正だろうと、おかまいなしに儲けようとし、嘘をつき、平気で盗んだり、人を騙したりしながら、富を増やすことに巧みで、しかも快楽ばかり追求している人、彼は地獄に堕ちる。
(『増支部経典』3・3)
◇友
どのような友をつくろうとも、どのようにその友と付き合おうとも、やがて人はそのようになる。付き合いとは、そのようなものである。
(『ウダーナヴァルガ』25・1)
◇飲み友だち
飲み友だちなるものがある。「きみよ」「きみよ」と呼びかけて、「われらは親友だ」と言う。しかし、何かことが起こったときに助けてくれる人こそが、真の友人なのである。
(『長部経典』31)
◇老・病・死
釈迦は弟子たちに次のように語った。
「比丘たちよ、出家する前のわたしは、幸せな生活をしていた。その生活の中で、わたしはこう考えた。愚かな者は、みずから死ぬ身であり、死を免れることはできないのに、他人の死を見て、おのれのことは忘れて、死を厭い嫌う。考えてみれば、わたしも死ぬ身であり、死を免れることはできない。それなのに他人の死を見て厭い嫌うというのは、わたしとしてはふさわしいことではない。そう考えたとき、わたしの生命の驕りは断たれてしまった」
(『増支部経典』3・38)
◇貨幣の雨
たとえ貨幣の雨を降らせても、欲望を満足させることはできない。「快楽を味わうことは短く、そして苦痛である」と知る者が賢者である。
(『発句経』186)
◇正しい道
正しい道を歩んで損失をこうむることがある。不正な道を歩んで利益を得ることがある。不正な道による利益よりも、正しい道による損失のほうがすぐれている。
(『長老偈』666)
◇誹謗に耐える
戦場において象が、射られたる箭を耐え忍ぶがごとく、われは誹謗を耐え忍ぼう。世に邪悪なる者が多いからである。
(『発句経』320)
◇縁起
比丘たちよ、縁起というのは、どのようなことだろうか。たとえば、生があるから老死がある。このことは、わたしがいようと、いまいと、きまったことである。存在の法則として定まり、確立している。その内容は相依性である。そのことをわたしは覚ったのである。
(『相応部経典』12・20)
◇なにもしない
悪いことをするよりは、なにもしないほうがよい。悪いことをすれば、後悔し、憂いが生じ、死後に地獄に堕ちる。
善いことはしたほうがよい。善いことをすれば、後悔がなく、喜びがあり、死後に天界に再生する。
(『ウダーナヴァルガ』29)
◇満足
無病は最上の利にして、満足は最大の財産である。信頼は最高の知己であり、涅槃は最上の安楽である。
(『発句経』204)
◇心の安定
いくら他人から称讃されても、彼自身、心の安定を得ていないならば、その称讃は空しい。心の安定を得ていないのだから。
いくら他人から非難されても、彼自身、心の安定を得ているならば、その非難は空しい。心の安定を得ているのだから。
(『長老偈』159・160)
◇夜は長い
眠れない人には夜は長く、疲れた人には1里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。
(『発句経』60)
◇愛するな
愛する者と会うな。愛しない者とも会うな。愛する者に会わないのは苦しい。また、愛しない者と会うのも苦しい。それ故に、愛する者をつくるな。愛する者を失うは禍いである。愛する者と憎む者とを持たぬ者には束縛がない。愛欲から憂いが生じ、愛欲から怖れが生ず。愛欲を離れたならば、憂いは存在しない。どうして怖れがあろうか。
(『発句経』210~213)
◇飲酒
酒は人を怠けさせる。酒におぼれる者には6つの禍いがある。財産が失われ、口論が増え、病気のもととなり、評判が悪くなり、性器をあらわす(といった恥知らずの行為をなし)、(ものを考える)知力がおとろえる。
(『長部経典』31)
◇妻への奉仕
夫は5つの方法で妻に奉仕せねばならない。
1 尊敬する。
2 軽蔑しない。
3 道から外れたことをしない。
4 権威を与える。
5 装飾品を与える。
(『長部経典』31)
◇報い
自分の幸せだけを願う人は、笑いながら悪いことをする。しかし、彼らはのちに苦しみ、泣きながらその報いを受けねばならない。
(『ウダーナヴァルガ』9)