No.1488 人生・仕事 『ヤオイズム』 矢追純一著(三五館)

2017.09.21

『ヤオイズム』矢追純一著(三五館)を読みました。「頑張らないで生き延びる」というサブタイトルがついています。著者は1935年、満州国新京に生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。60年、日本テレビ放送網入社。「11PM」「木曜スペシャル」などの名物ディレクターとして、UFO、超能力、超常現象をテーマにした話題作を数多く手がけました。同社を退社後も、テレビ、ラジオ番組の制作・出演、執筆、講演など多方面で活躍中です。「宇宙塾」主宰、宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」名誉館長。

本書は昨年1月4日に刊行されています。編集者である「出版界の青年将校」こと中野長武さんから献本されていたのですが、なかなか読めずにいました。それが、この読書館でも紹介した『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』を読んだことがきっかけで、矢追純一氏の本を読んでみたくなったのです。なんといっても、「昭和のオカルト仕掛人」といえば、中岡俊哉と矢追純一が二大巨頭ですから・・・・・・。

 本書の帯

本書のカバー表紙には、満州国の首都であった新京の街並みと現在の著者のコラージュ写真が使われています。帯には「なぜ、私には一切の恐怖が存在しないのか?」「UFO番組を作ったのは、空を見上げてほしかったから」「何が起こるかわからない時代を生き延びる思考法」とあります。

本書の帯の裏

また帯の裏には、「究極のサバイバル思考『ヤオイズム』からあなたへ」として、以下のように書かれています。

「本書を手に取ったあなたは運がいい。なぜなら、本書はこれからの時代をあなたが生き延びるための本だからである。私はこれまでたくさんの修羅場を経験してきたので、人々をパニックに陥れる恐怖の心理や、その正体がよくわかる。頭で恐怖に対するシミュレーションをいくらしたところで、本当の危機に立ち向かうことはできない。いざというときの備えはもちろん大切に違いないが、恐怖の中でも自分を失わないことが大切だ。本書はそのためのものだ」

さらにはカバー前そでには、以下のように書かれています。

「なぜ、終戦直後、10歳で放り出された満州を生き抜けたか?
なぜ、目の前で狙撃されたソ連兵の頭が吹き飛ぶのを見て感動したか?
なぜ、急流に呑み込まれ絶体絶命になったときワクワクしたか?
―この謎が解けますか?―」

このコピー、とても重要なのですが、満州国新京の写真とかぶってよく判読できないのが残念です。

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

はじめに―あなたが生き延びるために
第一章 なぜ私には一切の恐れがないのか?
第二章 あなたは本当に生きているか
第三章 ネコは悩まない
第四章 じつはあなたが宇宙そのもの
第五章 思いどおりに生きるコツ
第六章 一子相伝を起こそう!
エピローグ―私があなたに伝えること
「おもな参考文献」

第一章「なぜ私には一切の恐れがないのか?」では、1976年に南米ベネズエラのギアナ高地の巨大な縦穴に降りて行ったエピソードからはじまって、数々の危険な体験を振り返って、著者は次のように述べています。

「私はこれまでの人生で何度も死にかけた経験があるが、そのたびに力を抜いて、すべてを流れに任せて生きてきた。すると、なぜか物事はうまく進み、私は窮地から逃れることができた。なぜ、そんな幸運を手にすることができるのか、言うまでもなく、私は何も怖くないからだ」

続けて、著者は以下のようにも述べています。

「だからといって、誤解をしてはいけない。私は怖いもの知らずの無鉄砲な人間ではない。強い人間でもない。このあと述べるが、生まれつき怖がりで、虚弱な人間である。自分ほどの怖がりは他にいないと思っていた。その私がある日を境にして、まったく違う人間に変わってしまった。すべての恐れが消えてしまったのだ」

第二章「あなたは本当に生きているか」では、著者が幼少時代を過ごした満州時代が生き生きと描かれます。著者の父親は、名古屋大学の建築科を主席に次ぐ成績で卒業後、満州に渡り、建設省で満州国の建設に関わっていました。母親は、東京・九段にあった、かつては乃木将軍も訪れるような名門書店の娘でした。両親はともにファッション雑誌からそのまま抜け出してきたような洗練されたモダンボーイ&モダンガールで、共通する趣味もテニスと乗馬という、当時の時代の先端を走っている人たちでした。

その二人が恋に落ち、満州の地で結婚。長男である著者が誕生。
その後、二人の妹も生まれ、一家は何不自由のない豊かな暮らしを送っていました。しかし、父が病死し、日本が戦争に敗れると、事態は一変します。「天国から地獄へ」と表現したくなるような過酷な日々が一家を待っており、新京の街では殺人、掠奪、強姦が日常茶飯事でした。このような満州の極限の世界を体験している点で、著者と中岡俊哉は共通しています。あまりにも非現実的な「現実」は、そこにいる人間をUFOや超常現象という「超現実」へと誘うのかもしれません。

この敗戦後の満州での著者一家の苦闘には感銘を受けました。
そこで目の前で狙撃されたソ連兵の頭が吹き飛ぶのを見て、少年だった著者は「スイカが割れて、飛び散ったみたいだ」と感動します。著者は「自分は本当に生きている」という実感を得たといい、 「『本当に生きている』のと、『生きていると思っている』のとではまったく違う。何が違うのか。感動が違うのだ。本当に生きていれば、生きているだけで素晴らしいのだ。うれしいのだ。楽しくてしょうがないのだ」と述べています。

続けて、著者は「では、『生きていると思っている』あなた、あるいは『生きていると錯覚している』あなたとは、いったいなんなのか」と読者に問いかけ、次のように述べます。

「じつは、頭の中に知識が詰っているだけだ。その知識が『生きている』と思わせているだけなのだ。知識があなた自身だと思い込ませているのだ。だから、感動がないのである。生きている実感がない。生きていれば、感動がある。実感がある。そこには経験に裏打ちされた事実があるのからだ」

「感動」を肯定する著者は、「恐れ」を否定します。そもそも、「恐れ」とはいったい何なのでしょうか。第三章「ネコは悩まない」で、著者は「恐れ」について述べています。

「単純に分類するなら、恐れには二種類あるだろう。1つは危機を知らせる恐れ。これは肉体が故障したときなどに生じる痛みのような、一種の危険信号としての役割を持つものだ。もう1つは、思考が作り出す恐れである」

さらに著者は、人間の「恐れ」について以下のように述べます。

「生命にとって、もっとも根源的な感情は『恐怖』だといわれている。これがないと危機を回避できないからだ。しかし、人間が抱く『恐怖』はいつのまにか新皮質によって『妄想』になってしまった。つまり、新皮質が作り出す架空の世界の中にしか存在しないものが恐れの正体なのである。危機的状況の中にいなくても、映画を見るだけも怖がることができるのはそのせいだ」

続けて、著者は、その場合の「怖い」という感情は前もって学習していなければ起きないのであり、インプットされた情報(記憶)がないと、怖くないのだと指摘します。そして、日本人が怖がる「四谷怪談」の映画をアメリカ人が見て笑う例をあげ、以下のように述べています。

「こうした、実際には存在しない感情を大脳生理学の世界では『クオリア』と呼ぶらしい。そう言うともっともらしく聞こえるが、『妄想』と言ったほうがもっとわかりやすい。恐怖、不安、心配、悲しみなどもすべてクオリア、つまり妄想である。これは動物たちには存在しない。だから、私たちは悩んでいるネコを見たことがないのだ」

この「妄想」というのは、本書のキーワードとなっています。
テレビゲームをしているときの感覚にたとえて、著者は「テレビゲームに熱中すると、ゲームの世界の中でハラハラドキドキしている自分がいるだろう。夢中になって我を忘れている自分に気がついたことがあるかもしれない。その夢中になっている自分が妄想なのだ」と述べています。

また、テレビのドラマを例に出して、以下のようにも述べています。

「ドラマでは『かわいそう』『悲しい』『寂しい』『苦しい』『つらい』などといった感情を刺激する。その感情の起伏が大きければ大きいほど、ドラマチックになる。しかも、視聴者はその感情をドラマの主人公と共有する。そして、そうした情報が何度もインプットされるうちに、視聴者はドラマの主人公と同じ反応をするようになるのだ」

続けて、「ここで冷静になって、よく考えていただきたい」として、著者は「たとえば、小さな子どもがつらい環境をけなげに生きるドラマがあったとしよう。もしそうしたドラマを観て、思わず涙が出てきたとしたら、その流れた涙はなんなのか?と。ドラマは役者がシナリオどおりに演じているだけだ。事実ではない。にもかかわらず、その演技を見て感情が動く。涙を流して、感情の中に溺れている自分がいる。その感情の中にひたり切っている自分は何か。妄想なのだ」と述べています。

ここまでは、わたしにもよく納得できました。
しかし、第四章「じつはあなたが宇宙そのもの」では、著者は「妄想」について、以下のような驚くべき説を展開します。

「人は誤解をしている。『宇宙の中に地球があって、その地球にたくさんの国があり、その1つが日本で、その日本のある地域で自分は生まれた。自分はなんてちっぽけで、どうしようもない存在なのか』と。本当は逆なのだ。 『自分がいるから日本が認識できて、日本が存在することになり、世界が存在し、宇宙があるのだ。なんと自分はすごい存在なんだ』。 重要なのはあなたなのだ。大切なのはあなただ。あなたがいなかったら、この宇宙の存在も認識できない。つまり、ないのと同じことだ。そう思えば、あなたが宇宙そのものなのだ。外の世界ではなく、それを内側で見ているあなたが重要なのだ。あなたの内側に本当は宇宙があるのである」

このブッ飛んだ考えに衝撃を受ける読者は多いようで、アマゾンのレビューにも「運命が変わったかも?」「人生の指針」「魔法の書物」「久々に人に読ませたい本に出会いました」といった5点満点のグッドコメントが集まっています。しかし、著者の考え方はどこかで聞いたことがあるように思えました。
その答えはすぐにわかりました。哲学で「唯我論」あるいは「独我論」と呼ばれる考え方です。いわゆる「自分が死ぬと世界も消える」といった考え方です。実在するのは自分の自我だけであって、他我およびいっさいのものは、自分の自我の意識内容として存在するにすぎぬという立場です。ふつうは主観主義的認識論の理論的帰結と考えられており、ジョージ・バークリーがこの代表者とされています。彼には『人知原理論』という主著がありますが、この思想は「自我主義(エゴイズム)」にも通じます。

本書の版元である三五館から、わたしは『唯葬論』という本を上梓しました。つまり、わたしは唯葬論者なのですが、矢追氏は唯我論者というわけです。 わたし自身は、唯我論について、このように考えています。
自分が死ねば、自分が認識している世界はすべて消えます。しかし、実在している宇宙は消えません。消えるのは、妄想や幻覚や夢といった実在しないものに限られます。それらは、いずれも脳が発生させている観念世界であり、その中に存在する自我です。しかし、それ以外のもの、つまり実在するすべてのものは消滅するのではなく、その形を変化させながら、実在であり続けるのだと思います。

さて、唯我論には、きわめて危険な一面があります。
危機的状況にあるとき、「これは妄想だ。何も恐れることはない」と思うことは精神衛生上よろしいのかもしれませんが、現実的には「座して死を待つ」という状況に陥るわけで、きわめて危険です。たとえば、会社が倒産しそうなときに、社長が「これは妄想だ。倒産するかもしれないと恐れるから、倒産するのだ」などと呑気に構えていたら、その会社は確実に倒産します。このとき、社長は「倒産したら大変だ!」と大いに恐れて、金策に走ったり、経営の合理化を進めるべきなのです。

著者が展開する唯我論的思考を読んで、わたしは一冊の書物を連想しました。拙著『般若心経 自由訳』(現代書林)です。
観自在菩薩は、「空の意味がよくわかりません」と問うた舎利子に対して、「空とは永遠である。この世に存在する形あるものはすべて、永遠の世界より来ている。永遠の魂は、現象として、人の世界にあらわれる」と言いました。本書で著者が「妄想」だと呼んでいるものこそ「色」です。そして、この宇宙にはバーチャルな「色」だけでなく、リアルな「空」も存在しているのです。

人は海辺に立ちながら「海を眺めている」と言いますが、それは違います。人は「海」を見ているのではなく、その表面に表われた現象である「波」を見ているのです。「波」は独自に存在しているのではありません。「波」は「海」の水面上にあらわれて変化する現象に過ぎません。波は「仮相」であり、これが「色」です。海は「実相」であり、これが「空」です。これは、『般若心経秘鍵』を著した弘法大師・空海の考え方ですが、この考え方を知れば、本書で著者が展開している唯我論も理解しやすいと思います。もっとも、『般若心経』そのものは「永遠」の秘密を説く大いなる智慧であり、けっして唯我論ではありませんので、誤解なきようにお願いいたします。

著者は「宇宙人」というニックネームを持っているそうですが、UFOが飛来してくるような広大な外宇宙の存在を認めず、人間の精神における内宇宙の存在を説くとは意外でした。しかし、いわゆるUFO主義者のような人の中には、著者のような独我論者も多いような気もします。
UFOといえば、本当は、わたしはこんな「恐れ」や「妄想」をめぐる哲学的な内容ではなく、著者が数多くのテレビ番組で紹介してきたようなUFO・エイリアン・超常現象に関する内容を本書に期待していました。正直言って、少々肩すかしの感ありです。

しかし著者は、自身の代名詞ともなった「UFO」について述べます。

「断っておくが、私はUFOを好きだと言ったことは一度もない。また、UFOを追いかけ回して生きてきたわけでもない。また、UFOを追いかけ回して生きてきたわけでもない。私が見てきたのは、常識や科学といった思い込みの外にある、もっと広い世界だ。
人は妄想の中に生きている。それは視野狭窄の世界といってもいい。これが困るのは、放っておくとどんどん見える世界が狭まって、真実とはかけ離れた世界にいることに気がつかなくなってしまうことだ」

続けて、著者はUFOについて以下のように述べるのでした。

「私がUFO番組を作ったのは、そんな視野狭窄の状態から多くの人に目覚めてほしかったからである。じつは、UFOそのものはどうでもいいのだ。『自分の小さな足もとばかり見ていないで、ときには空を見上げて、そこに大きな宇宙があることに気がついてほしい』そう思った。極めてシンプルな動機だった」

著者が提言するように、わたしもときどき、空を見上げてみようと思います。でも、その空にもしもミサイルが見えたら、どうしましょう?北朝鮮が日本の本土に向けてミサイルを発射したり、核攻撃を仕掛けてきた場合にも、「頑張らないで生き延びる」ヤオイズムは通用するでしょうか?

Archives