No.1523 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『貴乃花 不惜身命、再び』 長山聡著(イースト・プレス)

2018.01.05

4日の午前11時から日本相撲協会は両国国技館で、元横綱・日馬富士関の暴行問題に関する臨時評議員会を開きました。そこで、昨年秋巡業中に起きた事件の報告を巡業部長として怠るなどした貴乃花親方(元横綱)の理事解任決議を審議し承認。史上初の理事解任が正式に決定しました。

今どき、こんな無法で理不尽な処分が下されるとは本当に驚きです。テレビ番組で、コメンテーターの落語家の立川志らく師匠は「もしこれ降格となったら、非常に不平等ですよ」と指摘し、その理由を「加害者側の伊勢ヶ浜親方は処分を受けたわけではなく自分で辞めた。日馬富士関も自分で引退した。なのに、被害者側の貴ノ岩が十両に落とされて、貴乃花親方が処分を受けるのか。なんで被害者側がこんなに処分を受けるのか。この不条理さは納得できない」と持論を展開しました。その上で「貴乃花親方が処分を受けるなら、八角理事長はお辞めになるべき。現場にいて通報しなかった横綱は休場すべき」と志らく師匠は述べましたが、まったく同感です。

『貴乃花 不惜身命、再び』長山聡著(イースト・プレス)を読みました。
著書は1956年、東京生まれ。86年より相撲月刊誌「大相撲」(読売新聞社)の取材、執筆、編集に携わってきたベテラン相撲記者です。現役時から貴乃花親方の信頼を最も厚く勝ち得ている相撲記者でもあります。

本書の帯

本書のカバー表紙には現役時代の横綱・貴乃花のおそらくは稽古の途中であろう横顔の写真が使われています。また、帯には「『こんな横綱、もう二度と出てこない』(片男波親方/元関脇玉春日)」「なぜ歴代横綱の中で貴乃花が『最強』といえるのか?」「◎対戦力士が語る『最強伝説』」「◎永久保存版・貴乃花全成績」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏にはスーツ姿で腕組みをする貴乃花親方の写真とともに、「対戦力士が語る『最強伝説』」として、「岩のような固さの精密機械」「腰から出てくるすごい力」「今やっても、勝てる気がしない」「手の中で遊ばれている感じ」「体全体の”相撲力”が強かった」「右四つになれば、あきらめるしかない」「強いからこそ型どおりに取れた」「自分の中では、間違いなく”最強力士”」「神様みたいな存在だった」と書かれています。

アマゾン「内容紹介」には、以下のように書かれています。

「日本人横綱が最後の砦を築いていた時代。貴乃花はなぜ『伝説』として語り継がれるのか。相撲道を追求する偉大なる横綱のすべてが詳らかになる。本書は、『大相撲』(読売新聞社)に連載していた貴乃花のコラムに、ベテラン相撲記者の著者が新たな書き下ろしを加えた一冊。また、『対戦力士が語る『最強伝説』」では栃東、雅山、魁皇、出島、武双山、高見盛など13力士が証言。巻末に『794勝262敗201休V22』の永久保存版・全成績表付き」

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」
一章 貴乃花、相撲道の軌跡
二章 対戦力士が語る「最強伝説」

(栃東、若の里、玉春日、雅山、栃乃洋、魁皇、土佐ノ海、出島、武双山、玉乃島、琴光喜、高見盛、安美錦)
付録「永久保存版」貴乃花全成績
「おわりに」

「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。

「平成15年初場所、”平成の角聖”貴乃花が引退した。
同じ場所に朝青龍が横綱昇進を決めると、その後はモンゴル勢を含む外国人力士が台頭する角界新時代を迎えた。
多国籍化した土俵は新たな魅力にあふれるのでは、と多くの相撲ファンが期待したが、その思いは裏切られる面が多かった。
もちろん貴乃花が貫いた真摯な相撲を継承する力士もそれなりに存在したが、特に上位陣の稽古量は激減し、相撲内容の低下も著しかった。当然、相撲人気は低迷し、その上、不祥事も続発。上位の外国人力士の中には、相撲部屋制度を理解せず、勝手な振る舞いを見せる者さえ現れ始めた」

本書は2013年の6月に刊行されたものですが、まさに現在の相撲界そのものの姿ではありませんか。

著者は「大相撲」誌の平成19年11月号から「不惜身命、再び」のタイトルで連載を開始、貴乃花親方に自身の土俵人生、相撲になける思いを語ってもらいました。著者は、以下のように述べます。

「貴乃花の相撲人生はまさに『命がけ』という言葉が当てはまる。現役時代からどうしてそこまで自分を追い込めるのだろうかと感心していたが、親方の言葉によって明かされた妥協のない精進ぶりは、想像以上だった。これほど相撲に全身全霊を注いだ力士は、長い相撲の歴史をひもといても、そう多くは見られないはずだ」

日本相撲協会は2014年1月30日に公益財団法人となりましたが、その直前の時期は負の連鎖が止まらず、不祥事が相次ぎました。
著者は、こんな時期だからこそ、貴乃花の存在感がさらに増していると断言し、以下のように述べています。

「なぜなら貴乃花こそが、伝統文化とスポーツが混然とし、どのような形態がベストなのかの方向性を見い出せない相撲界に、1つの答えを出した存在だったからだ。ところが、貴乃花に関する報道は、現役時代から現在まで、圧倒的な存在感ゆえに、プライベートにおけるスキャンダラスな話題のほうにやや傾きがちだった。力士としての本当の姿が一般に伝わっていない面は否めない」

これも現在にも当てはまる話です。「力士としての本当の姿」と同様に、「親方としての本当の姿」が伝わっていないことは残念です。

一章「貴乃花、相撲道の軌跡」の十三「今こそ貴乃花待望論」では、著者は以下のように述べています。

「もともと、相撲は五穀豊穣を願う祭りごとである。
例えば、大山祇神社(愛媛)の『一人相撲』では人間と姿の見えない精霊が相撲を取る。そして人間は、一勝二敗と必ず精霊に負け越すことになっているが、これは精霊が人を屈服させることで豊作を約束させるための行為であり、こうした相撲と豊作祈願との結びつきを示す行事は全国に数多く存在する。四股を踏むことも、地中にひそむ邪悪な醜(しこ)を踏みしめて封じこめる神事と考えられていた。横綱土俵入りも、こうした儀式の集大成と考えるほうが自然だろう」

とかく「八百長」が噂される相撲界にあって、貴乃花が一切の妥協を許さない真剣勝負のガチンコ力士であったことは有名です。
しかし、著者によれば、力士全員が貴乃花のような強靭な精神力の持ち主ばかりではないため、相撲界の現行制度をもう一度検証する必要があるとして、以下のように述べています。

「スポーツ医学の専門家やトレーナーの中には、防具を身に着けずに体と体をコンタクトさせる激しい競技で、年六場所制は苛酷すぎると指摘する声も多く存在する。厳格にスポーツ化を推進した場合、ケガ人続出や、横綱を頂点とした番付制度がうまく機能せず、逆に魅力のない興業となる危険性さえもはらんでいるからだ」

続けて、著者は以下のように述べるのでした。

「こうして見てくると、”ニュー相撲界”がどういう組織形態になるのか現時点では判明しないが、今後、この貴重な相撲文化を後世に伝えるには、明確なビジョンを持ったリーダーの存在が不可欠なのは間違いない。貴乃花は年六場所制下で、アスリートの自覚を持ちながら、横綱としてもふさわしい成績を収めた戦後唯一の存在といってもいい。それだけに不要な因習と必要な伝統をもう一度見極めるには、最適の人物と言っていいだろう」

本書を読んで、わたしは改めて貴乃花が史上最強の横綱であるとともに、不世出の力士であることを知りました。また、現在の腐敗した相撲界を改革できるのは貴乃花親方しかいないと再確認しました。わたしは、貴乃花親方の味方です。彼の相撲に対する真摯な姿勢、弟子に対する愛情、そして不器用な生き方を見ていると、あまりにも健気で涙が出そうになります。

わたしは、どんな試練に遭おうとも、貴乃花親方には最後まで信念を貫いていただきたいと心から思っています。負けるな、貴乃花!
貴乃花親方のカラオケ愛唱歌である石原裕次郎の「勇者たち」の歌詞のように、男なら、最後に勝つ者になろうじゃないか!

Archives