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No.1527 プロレス・格闘技・武道 『U.W.F.外伝』 平直行著(双葉社)
2018.01.17
『U.W.F.外伝』平直行著(双葉社)を読みました。
この読書館でも紹介した『1984年のUWF』、『証言UWF』、そして『前田日明が語るUWF全史』が話題になっていますが、いずれもプロレス・格闘技業界のドロドロした人間関係を明かした内容です。 そんな中で、本書は非常に爽やかな読後感がありました。
著者は1963年宮城県出身。10代半ばで極真空手に入門し、その後大道塾に移りました。高校卒業後に上京し、プロ格闘家の道を志します。佐山聡率いるタイガージムに入門したのち、シーザー武志率いるシュートボクシングに移籍し、メインイベンターに成長。その後、正道会館、リングス、K-1などのリングに上がりました。自身の道場・ストライプルを中心に、総合武術や健康維持の指導を全国で行っています。板垣恵介氏の格闘技マンガ『グラップラー刃牙』の主人公・範馬刃牙のモデルとしても有名です。
本書の帯
本書のカバー表紙には、左からシーザー武志、佐山聡、前田日明、石井和義、ヒクソン・グレイシーといった格闘家たちのイラストが描かれています。帯にはスーパータイガー(佐山聡)と前田日明がガッチリと手を組んだ写真とともに、「それがすべての始まりだった―。UWFからUFCへ『2つのU』をめぐる物語」「『無限大記念日』を客席から見つめたあの日。マエダがいて、タイガーがいて、激しい闘いがあった」「プロレスと格闘技の狭間で”本物の闘い”を追い求めた者たちによる日本格闘技史」と書かれています。
本書の帯の裏
さらに、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「UWFから日本の総合格闘技の歴史は始まった―。プロレスであったはずのUWFが切り拓いた格闘技の扉。シューティング、シュートボクシング、リングス、K-1、そしてUFC。のちに迎えるPRIDE全盛期に至る前に、 その舞台裏で何があったのか。そしてそのキーマンであった佐山聡、前田日明、石井和義。”流浪の格闘家”としていくつものリングを渡り歩いた平直行が初めて明かす実体験総合格闘技史」
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「プロローグ」
第1章 『無限大記念日』~第一次UWFという転換期
第2章 新しい格闘技~天才・佐山聡とスーパータイガージム
第3章 歪んだ愛情~シュートボクシングから見たUWF
第4章 まだら色の季節~正道会館・石井和義館長の先見性
第5章 金魚を食べるシャーク~「何でもあり」UFCの衝撃
第6章 グレイシー旋風~総合格闘技「第2章」の幕開け
第7章 確立されたルール~技術を競う時代へ
「エピローグ」
著者は挌闘家です。では、格闘家とはどういう存在か。 「プロローグ」で、著者はその本質について述べています。
「挌闘家は練習を重ね、対策を練り、リングに上がる。何の怨みもないのに、喧嘩の何倍も激しい闘いをする。喧嘩は突然、その場で始まるから案外誰でもできるものだが、試合は何ヶ月も前から準備をして観客の前で闘う。長い時間トレーニングで体をいじめ抜いて、対角線上に立つ相手と命を懸けて本気でやり合う。この緊張感は、やった人にしかきっとわからない。だから、闘い終わると相手と凄く仲良くなる。自分の全部を出せれば出せるほど、仲良くなれる。試合が終わると、何十年も一緒に過ごしたような関係になることも珍しくない」 なんと爽快な文章でしょうか。とかく殺伐とした印象のみの格闘技が対戦相手と「すごく仲良くなる」関係を築けるとは、著者の人間性もあるのでしょうが、なんだか救われる思いがします。
対戦相手と「凄く仲良くなる」はずの格闘技ですが、現在の総合格闘技が日本に根付くまで、そこには「不信」や「裏切り」の連続ともいえるドロドロした人間関係の歴史がありました。著者は以下のように述べています。
「時代が動いている時は、みんな一緒に仲良くやってもうまくいかないのかもしれない。新しい何かが生まれる瞬間には、大きな力が必要になる。それぞれの才能が反発したり、意地を張り合ったりしながら、目の前のことに全力を注ぎ込んだほうが巨大なエネルギーが放出されるのかもしれない。きっと、みんな同じ仲間だったんだと思う。それぞれがそれぞれの役割を必死に果たしたから、今の日本に総合格闘技が存在する」
続けて、著者は日本の総合格闘技について、以下のように述べます。
「UWF、シューティング、シュートボクシング、リングス、K-1、UFC、そして迎えた総合格闘技の隆盛。その大きな流れを、なぜか僕はいつも泳いでいた。何も知らずに水に飛び込んだあの日。時には濁流におぼれそうになりながら、ときには流に乗って快調に水をかきながら、ときには岩の上で一休みしながら・・・・・・」
著者は挌闘家であると同時に、プロレスラーでもあります。
「格闘技は危険だが、プロレスは危険ではない」という通念が一般的にあります。しかし、著者はそれを否定し、新日本プロレスとUWFの提携時代に前田日明がプロ空手のドン・ナカヤ・ニールセンと対戦したときのエピソードを例にあげて、以下のように述べます。
「格闘技の試合よりも怖いのが、プロレスの試合中に相手が急に仕掛けてくることだ。自分が加減をしている時、相手が突然、本気で仕掛けてくるのが一番怖い。始めから本気なら対応できても、何の前触れもなく仕掛けられたとしたら、あるいは、偶然のふりをして首から落とされたら。プロレスのセメントは格闘技とは別の恐ろしさが隠れている。当時の新日本プロレスとの関係を考えれば、当然前田さんはその可能性を常に意識して試合に臨んでいたはずだ。だから、わざわざシーザージムまで出稽古に来ていたのかもしれない」
一方、総合格闘技がすべて真剣勝負かというと、本質がプロレスのUWFはもちろん、シュートボクシング、リングス、PRIDEなど、グレーな試合も存在しました。このへんを、著者は以下のように述べています。
「総合格闘技が誕生する過渡期には、怪しい試合がたくさんあった。あらためて見てみると、いくらでも突っ込みどころがある。だが、今の選手があの時代にリアルな試合をやっても観客はついてこられず、総合格闘技の火は消えてなくなっていたかもしれない。僕は当時の格闘家がズルや楽をしていたとはまったく思わない。それぞれが真剣に考えた格闘技の夢を実現するために考え、努力していた。結果として過渡期に怪しい試合やリアルファイトではない試合があったから、今の総合格闘技は存在する」
第4章「まだら色の季節」の最後に、著者はこう述べています。
「UWF、シューティング、シュートボクシング、リングス、正道会館・・・・・日本で総合格闘技の舞台が整うまでの大きな流れのそばになぜか僕はいつもいた。泉から湧き出た水が、他の小さな流れを吸収してやがて川へとなっていく。多くの格闘家の情熱が注ぎ込まれた流れは大きなうねりとなって、総合格闘技の時代へと突入しようとしていた」
第5章「金魚を食べるシャーク」では、それぞれの格闘技団体を興したレジェンドたちについて、著者は述べています。
「前田さんだけでなく、佐山さんにもシーザーさんにも石井館長にも、雑誌やテレビでは見せない顔がある。格闘技が大好きで、憧れを抱いた少年時代の顔。ふとした瞬間にそれを見せることがある。幸運にも格闘技界のレジェンドたちのそばにいた僕は、何度もその顔を見ている。そんな時、僕は不思議な気持ちになった。こんな凄い人でも始まりは同じだったんだな、と」
1993年は、日本の格闘技界にとって忘れない年となりました。 この年は海の向こうのアメリカでUFCが開始されるという大事件がありましたが、日本でもK-1とパンクラスがスタートしています。パンクラスはUWFルールの総合格闘技団体でした。その旗揚げ戦について、著者は以下のように述べています。
「第1試合から、見慣れた攻防が成立しない試合の連続だった。あの時代のパンクラスは、選手がリアルファイトで技術を競い合うレベルではまだなかった。そのため、試合は短時間であっけなく終わる。勢いに任せて攻撃をし、相手を飲み込んだ試合に勝った。メインの船木誠勝vsウェイン・シャムロックは、リアルファイトの残酷さが浮き彫りになった。6分15秒、スリーパーホールドでシャムロックの勝利。団体のエースが旗揚げ戦で、何もできずに負けた。興行を重ねるうちにパンクラスは選手にダメージが蓄積し、名勝負が生まれにくい状況になった。リアルファイトでは興行のペースが頻繁なほど、コンディション確保が難しい課題として出てくる。現代においても同様の問題があるのだから、ひと月に1回のペースで試合を行っていたあの時代のパンクラスはなおさらだったはずだ」
この文章は、パンクラスという格闘技団体の本質や問題点を見事に衝いています。さすがプロの格闘家の目は違いますね。
パンクラスと同じ年に生まれたK-1の最大のスターはアンディ・フグでした。 アンディは人間性も素晴らしく、けっして誰かの悪口を言うことはなかったといいますが、ヒクソン・グレイシーに対してだけは「ヒクソンはあまり好きじゃない。言うことが少し偉そうで、闘う相手を尊敬していない」と批判したそうです。そのときのことを、著者は以下のように書いています。
「ヒクソンへの批判を終えると、アンディは少し恥ずかしそうな顔をして続けた。『総合格闘技でヒクソンとやってやろうって思ったことがあるんだ。でも、そのためには総合格闘技の練習時間が必要になる。今はK-1を大きくする大事な時期だろう?』」
翌96年から、K-1は全国ネットのゴールデンタイムで放送されることになります。高視聴率を連発し、テレビ業界の優良コンテンツへとのぼり詰める直前ですが、その主役の1人がアンディでした。彼はまた、著者に向かって「だから今はK-1に専念する。いいかい、タイラさんがやってやればいい。ヒクソンをやっつけてくれ。できるよ、君なら大丈夫」と言ったそうです。
第7章「確立されたルール」では、「誰もやらないこと、誰もできないこと」として、著者は綜合格闘技の歴史を以下のように総括します。
「総合格闘技は二度生まれた。綜合格闘技『第1章』と『第2章』。UWFスタイルとUFCスタイル。地続きでありながら、まったく異なるものとして。
K-1は、打撃格闘技の冬の時代に産声を上げた。現在よりも、何倍も格闘技が不遇だった時代。空手もキックボクシングも長らく日の目を見ず、同時に当時、両者は反目し合っていた。石井館長は空手とキックボクシング、そしてKを頭文字とする打撃系格闘技を集め、1つのルールとリングで誰が一番強いのかを決めるトーナメントを開催した。今では当たり前になったこの方式は、それまで誰も考えつかなかった、あるいは実現できなかったまったく新しい発想だった。だからK-1は冬の時代の打撃系格闘技シーンを生まれ変わらせることに成功した」
また、UWFについて、著者は「UWFは確かにプロレスだった。だが、そこから発せられたエネルギーは、格闘家やファンの欲望を激しく刺激した。その後生まれた格闘技は、UWFに同調したにせよ、反発したにせよ、Uの巨大なエネルギーの影響下にあったことは否定できない。(中略)UWFに始まり、本物の格闘技を追究しようとした男たちがいたこの30余年。目には見えないエネルギーが集まり、継続されたことで、現在の総合格闘技の世界が存在している」と見事に総括しています。この文章は、本書の帯裏にも使われている名文です。
そして、「エピローグ 2017年秋」で、著者は以下のように述べるのでした。
「意図しても絶対にそうならないはずのことがなぜか起こる。世の中は、理屈で説明できないことが山ほどある。UWFが生まれたことも、その後の総合格闘技の誕生に大きな影響を与えたことも、誰かが意図したことではない。おそらく、理解できないことがこの世の中を動かしている。1つだけ言えるのは、人生においては思いもよらない素晴らしいことは確かに起きる。人が夢を追いかけ、必死に努力を続けていると、想像を超えた出会いや出来事が生まれる。現実を動かす手段は、こうした個人の思いや行動だけなのかもしれない」
本書を読み終えたわたしは、非常に爽やかな読後感を持ちました。
そして、本書は著者および日本の総合格闘技の「青春グラフィテイ」であると思いました。ここに登場する格闘技界のレジェンドたちはみな人間味のある好人物として描かれており、誰一人として悪く書かれていません。これは著者の人間性によるものでしょうが、この高潔な人間性があったからこそ、著者は今でもレジェンドたちと親しい関係を続けていられるのだと思います。大道塾、シューティング、シュートボクシング、正道空手、グレーシー柔術、バーリトゥード、そしてプロレス・・・・・・著者の歴史は華々しいですが、他の格闘技に転向したり、他団体に移籍するときには、それまで在籍していた団体の長をはじめ、関係者に必ず「礼」を示したはずです。
最後に、本書のタイトルにもあるUWFといえば、UWFの真の創設者は佐山聡か前田日明かで議論が分かれているようですが、著者はこの2人について、「前田さんは下ネタを言うけど、佐山さんは言わない(笑)」と述べています。1963年生まれの著者は、わたしと同い年ですが、これからも元気で活躍していただきたいと思います。