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No.1669 人生・仕事 『一切なりゆき』 樹木希林著(文春新書)
2019.03.19
17日の午前33分、ロックンローラーの内田裕也(本名・内田雄也)さんが、肺炎のため東京都内の入院先で死去されました。79歳でした。「K.K」こと内田さんの最愛の妻が樹木希林さんです。ベストセラーの『一切なりゆき~樹木希林のことば~』樹木希林著(文春新書)を読みました。著者は、1943年東京都生まれ。女優活動当初の名義は悠木千帆、後に樹木希林と改名。文学座附属演劇研究所に入所後、テレビドラマ「七人の孫」で森繁久彌に才能を見出されました。61歳で乳がんにかかり、70歳の時に全身がんであることを公表しました。長女にエッセイストの内田也哉子さん、娘婿に俳優の本木雅弘さんがいます。2018年9月15日に逝去、享年75。
本書の帯
表紙カバーには生前の著者の笑顔の写真が使われています。映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」のポスター用に撮影された写真で、生前の著者はこの表情を自ら「顔施」と呼ぶほど気に入っていたそうです。
帯には「『演技もすごいが生きかたもすごい。圧倒されるままこの人を見ていた』林真理子」「『この喝采、受ける本人がもういない。希林らしいね』山崎努」「『死を受け入れて生を全うした人の言葉は重い』下重暁子」「希林流生き方のエッセンス!」と書かれています。なお、「60万部突破!」とも書かれていますが、現在すでに100万部を突破しています。
本書の帯の裏
カバー裏表紙には若い頃に日傘を差した着物姿の著者の写真が使われ、帯の裏には「私は、いつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。『おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』ーー内田也哉子 喪主代理の挨拶から」と書かれています。
また、アマゾンの「内容紹介」にはこう書かれています。
「2018年9月15日、女優の樹木希林さんが永眠されました。樹木さんを回顧するときに思い出すことは人それぞれです。古くは、テレビドラマ『寺内貫太郎一家』で『ジュリー~』と身悶えるお婆ちゃんの暴れっぷりや、連続テレビ小説『はね駒』で演じた貞女のような母親役、『美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに……』というテレビCMでのとぼけた姿もいまだに強く印象に残っています。近年では、『わが母の記』や『万引き家族』などで見せた融通無碍な演技は、瞠目に値するものでした。まさに平成の名女優と言えるでしょう。
樹木さんは活字において、数多くのことばを遺しました。語り口は平明で、いつもユーモアを添えることを忘れないのですが、じつはとても深い。彼女の語ることが説得力をもって私たちに迫ってくるのは、浮いたような借り物は一つもないからで、それぞれのことばが樹木さんの生き方そのものであったからではないでしょうか。本人は意識しなくとも、警句や名言の山を築いているのです。それは希林流生き方のエッセンスでもあります。表紙に使用したなんとも心が和むお顔写真とともに、噛むほどに心に沁みる樹木さんのことばを玩味していただければ幸いです」
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
【第1章】生きること
【第2章】家族のこと
【第3章】病いのこと、カラダのこと
【第4章】仕事のこと
【第5章】女のこと、男のこと
【第6章】出演作品のこと
「喪主代理の挨拶」内田也哉子
「樹木希林年譜」
「出典記事一覧」
本書のタイトル『一切なりゆき』は、著者が生前、色紙に書いていた「私の役者魂はね 一切なりゆき」から選んだそうです。それでは、本書に掲載されている著者の多くの言葉の中で、特にわたしのハートにヒットしたものを紹介したいと思います。
私のことを怖いという人もいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があると、それが弱みになって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。(「『私』と『家族』の物語」2015年6月)
人間は50代くらいから、踏み迷う時期になるでしょ。若いままでいるのは難しい。だからといって、アンチエイジングというのもどうかと思います。年齢に沿って生きていく、その生き方を、自分で見つけていくしかないでしょう。100歳まで長生きしたいという風潮も、どうなのかしらねえ。自分が楽しむためなのだろうか、と考えちゃいますね。
「人生でやり残しはないですね。この先はどうやって成熟して終えるか、かしら」2015年6月)
みんないずれ死ぬんだけど、死ぬまでの間に、残したくない気持ちを整理しておくといいですよね。会っておくとか、話しておくとか
(「家族というテーマは無限大です。」2008年7月)
がんになったことで、人生観も変わりました。がんにならなければ、心のありようが収まらなかったかもしれません。”人はかならず終わる”という実感を自分の中に持てたことは大きかったです。命の限りを実感できてよかったのは、心の整理ができること。がんという病気は、たいていいくらか残された時間があって、その用意が間に合うんですよ。
わたしは自分のことで人を煩わせるのがすごく嫌なんです。自分のことを自分で始末していくのは大人としての責任だと思うから。死を感じられる現実を生きられるというのは、ありがたいものですね。いつ死んでも悔いがないように生きたい。そう思っています。(「表紙の人 樹木希林」2015年7月)
でもやっぱり今の人たちは死に上手じゃなくなっちゃってるよね、もう、いつまで生きてるの? っていうぐらい、死なないし。生きるのも上手じゃないし。彼岸と此岸っていうじゃない。向こう岸が彼岸、彼の岸ね、こっち岸は此岸、こっち岸って書いて此岸っていう言い方があるじゃない。要するに生きているのも日常、死んでいくのも日常なんですよ。(「樹木希林からの電話」2017年1月)
ほんとに笑っちゃうような家庭で、複雑なんだけど、それも面白がるような家族でしたね。あんまり当たり前の感覚はわからないんですが、それでも夫婦が同じお墓に入っているというのは、子孫にとっては安心なんですね。もちろん子どもが離婚したら、当事者よりも親の気持ちのほうが動揺するけれども、それと同じように、子孫から見たら親がちゃんとしているほうがいいかなって。(「家族というテーマは無限大です。」2008年7月)
今回結婚式をしなさいと(娘に)言ったのも「ひとつここで自分を晒しなさい」と言ったのね。世の中に対して「こういうわけで自分たちは結婚します」という意思表示をする。儀式にはそういう意味がありますね。その意思表示をきちんとしておくと、もし、それが壊れても、壊れたことがとてもその人の成長に役に立つんだよと、言ったんですね。ズルズル~と同棲して、チャチャチャと籍を入れて、あっ、また抜けましたというのも簡単でいいんだけれども、世の中につながる結婚というのはダメになったときの責任も重大なんですよ、絶対に。その責任を背負うことによって、その人が成長するという考え方なんですね。(「母樹木希林が親友に打ち明けた”七夕挙式”までの全秘話」1995年7月)
わたしは本書を読み、著者の言葉の数々を読んで、深い感銘をおぼえました。夫である内田裕也ともども、なんとなく社会に対して「アバンギャルド」とか「ゲリラ」的なイメージが著者にはありました。しかし、誰よりも「結婚」というものを重要視し、「死」について考えた人でした。著者の言葉には哲学の香りのするものも多いですが、大いなる教養人であり、常識人であったと思います。何よりも、著者は「儀式」の持つ意味をよく理解していました。拙著『儀式論』(弘文堂)のメッセージである「儀式なくして人生なし」ということを著者は知っていたように思えます。
儀式といえば、人生で最重要な儀式とは葬儀です。
2018年9月15日に逝去した著者は、家族によって立派な葬儀を営まれました。同年5月には一条真也の新ハートフル・ブログ「万引き家族」で紹介した日本映画でカンヌ映画祭に参加されていました。この作品は同映画祭の最高賞である「パルムドール」を受賞しましたが、わたしは失望しました。というのも、樹木さん扮する老婆の初枝が亡くなったとき、彼女の家に居候をしている疑似家族たちはきちんと葬儀をあげるどころか、彼らは初枝の遺体を遺棄し、最初からいないことにしてしまったからです。このシーンを観て、わたしは巨大な心の闇を感じました。
1人の人間が亡くなったのに弔わず、「最初からいないことにする」ことは実存主義的不安にも通じる、本当に怖ろしいことです。初枝亡き後、信代(安藤サクラ)が年金を不正受給して嬉々としてするシーンにも恐怖を感じました。
葬儀の意義と重要性を見事に表現したのが一条真也の新ハートフル・ブログ「おくりびと」で紹介した日本映画です。アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」は、一条真也の新ハートフル・ブログ「おみおくりの作法」、一条真也の新ハートフル・ブログ「サウルの息子」で紹介した映画とともに、世界三大「葬儀映画」と呼んでもいいのではないかと思います。
ある意味で、「おくりびと」と「万引き家族」は対極に位置する作品ではないでしょうか。「おくりびと」で主役の納棺師を演じたのが本木雅弘さんです。樹木さんの娘婿ですが、取材などで樹木さんはいつも「わが家には『おくりびと』がいますから、死んでも安心ですよ」などと冗談を言われていました。でも、「おくる」心を知っておられる本木さんは、実際に心を込めて義母を見送られました。樹木さんは、本木さんの奥様である長女の内田也哉子さんに看取られ、同月30日に東京・南麻布の光林寺で本葬儀が営まれました。
「スポーツ報知」より
17日、樹木さんのご遺体は東京都内の自宅から出棺されました。午後1時32分に霊柩車が到着。家族らが見送った後、本木さんが集まった報道陣に一礼されました。わたしは、「万引き家族」の初枝さんは疑似家族から送ってもらえなかったけれど、樹木さんは本物の家族から送ってもらえて良かったと思いました。人は誰でも「おくりびと」、そして、いつかは「おくられびと」です。1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人生の豊かさにつながると確信します。
「デイリースポーツ」より