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No.1734 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『証言 長州力「革命戦士」の虚と実』 前田日明+ミスター高橋+大仁田厚+藤原喜明+金本浩二ほか著(宝島社)
2019.06.19
『証言 長州力「革命戦士」の虚と実』前田日明+ミスター高橋+大仁田厚+藤原喜明+金本浩二ほか著(宝島社)を読みました。カバー表紙には、ポロシャツ姿の長州力と上半身裸の佐々木健介の写真が使われ、帯には「因縁の19人が告白――”カテエ”男のベールを剥ぐ!」と書かれています。
本書の帯
「正直、すまんかった」という健介のセリフではありませんが、「正直、もうプロレス本はいいかな」と自分でも思っていました。しかし、一条真也の読書館『証言UWF』、『証言UWF最終章』、『証言UWF完全崩壊の真実』、『証言1・4橋本vs.小川 20年目の真実』、『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』が予想外の大反響で、未だに毎日のようにアクセスが集中しています。それで、宝島社「証言」シリーズ最新刊の本書をブログで取り上げることにしました。長州力に関しては、一条真也の読書館『真説・長州力 1951-2015』、『長州力 最後の告白』で紹介した本も話題となりました。
本書の帯の裏
また帯の裏には、「沈黙の『最強レスラー』を知る19人が語った」「噛ませ犬発言、名勝負数え唄、ジャパンプロ、UWFとの暗闘、Uインター対抗戦、幻のヒクソン戦、”ど真ん中”WJ・・・・・・の深層!」「前田日明/藤原喜明/船木誠勝/新倉史祐/キラー・カーン/ミスター高橋/宮戸優光/ターザン山本/西村修/大仁田厚/田山正雄/谷津嘉章/高田龍/永島勝司/越中詩郎/金本浩二/田中ケロ/上井文彦/金沢克彦」
本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」ターザン山本
第1章 ”革命戦士”の目撃者たち
前田日明
「長州さんが『プロレスラーは何回引退してもいいんだよ』って」
藤原喜明
「予定調和じゃない、札幌で長州を襲ったのは本気だった」
船木誠勝
「『いとこ連れてってやるよ』と金玉を触ってきた長州」
第2章 ジャパンに”夢”を抱いた男たち
新倉史祐
「ジャパン分裂は、会社が長州さんのものにならないと気づいたから」
キラー・カーン
「長州のここでは言えない話を聞きたかったら、店まで来てくれよ」
第3章 長州政権に”翻弄”された男たち
ミスター高橋
「長州を”金の亡者”扱いしていた私は間違っていた」
宮戸優光
「『墓にクソぶっかけてやる!』言われて抱いた嫌悪感と達成感」
ターザン山本
「俺の墓にクソぶっかけないと、俺と長州の物語は完結しない」
西村修
「反長州イズムがあったからこそ、私はここまでこれた」
大仁田厚
「WJをダメにしたのは、『長州力で稼げる』と思わせた俺」
田山正雄
「長州さんが新日本を去ってから、現場はグチャグチャに」
第4章 地獄の”ど真ん中”WJの男たち
谷津嘉章
「経費の使いっぷりだけは”目ン玉が飛び出る”ほどだったWJ」
高田龍
「リキちゃんと永島のオヤジに最初から深い結びつきはなかった」
永島勝司
「ミツオは、『カネ関係は永島だから』って、押しつけてきた」
越中詩郎
「自分は決断して行ったんだから、WJの悪口を言うのも嫌」
第5章 出戻り長州を”嫌悪”した男たち
金本浩二
「出戻ってきた人間に指図されるのは面白くなかった」
田中ケロ
「『自分は新日本で歓迎されてない』と感じていた長州」
上井文彦
「復帰させましたが、新日本の選手全員が長州力を嫌いだった」
金沢克彦
「長州の現場監督復帰は、どん底状態の新日本を救った」
「詳細 長州力完全年表」
「はじめに」で、ターザン山本はこう述べています。
「1982年10月8日、後楽園ホール。藤波辰爾に対する”噛ませ犬発言”がなかったら長州というレスラーは、日本プロレス史にあれだけ大きな足跡と実績を残すことは、まずありえなかった。どう見てもスターになっていなかったし、中堅で終わっていた。あの瞬間、長州は歴史の表舞台に一気に駆け上がっていったのだ」
また、ターザンは以下のようにも述べています。
「日本人同士の対決が、日本人vs外国人の対決に取って代わる一大転機を長州が演出。そのことで誰もが主役になれるという土壌ができた。現在の超多団体時代、オールインディーズの世界をつくったのは、実は長州である。元祖、パイオニア。もちろんその功罪は功罪は当然ある。それにしても長州は、時代を自分のほうに引き寄せた大成功者なのだ。だから本人の思惑とは別に、この本が出ることは第三者的には勝利宣言に近いものがある。『お前ら勝手に俺について語っていろ!』である」
そして、ターザンはこのように述べるのでした。
「アントニオ猪木は人々が無制限かつ自由に猪木論ができてしまう圧倒的存在だった。長州はその域にはない。しかし今回、その猪木を横に置いて人物論としての長州論を可能にしたのは改めてすごいというしかない。それだけ長州のプロレス人生が波乱に満ちていたということである。
物語なき時代に突入してしまったプロレス界。そんななか、泥臭い生き方への憧れは、まだ我々にはある。長州力からなにが見えてきたというのか? あの時、あの頃、俺たちはみんな本気だったと、最後はもうそれを言うしかないのだ」
これまでのプロレス証言シリーズと同じく、本書もいろんな選手の発言集(証言集)です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。
新日本プロレスに入門したばかりの前田日明は、箱根の会場から東京に帰るハイエースの中で、長州、木村健吾、星野勘太郎らと一緒だったそうです。そこで星野から「お前、”ヨッチョン”か?」と聞かれ、「そうです」と答えたら、「俺らもそうだよ」と言われて、「あっ、そうなんだ」と思ったとか。前田いわく、レスラー仲間のなかでは、在日であることは全然関係なかったそうです。
その前田が、「在日とプロレス」について語っています。
「在日の持つ特性はプロレスにぴったりなんだよ。どういうことかというと、長州さんは2世で、俺は3世なんだけど、やっぱ血は韓国人だよ。韓国人ってね、周りに『いかに俺が正しいか』っていうことをしゃべりながらケンカするんだよ。いまの韓国政府も同じだけど、良くも悪くもそういうカラーがあるんですよ。わざと論点をずらして、そして強く言う。言ったもん勝ちでさ。それってマイクアピールでも一緒じゃん。自分の都合のいいように論点ずらしをするっていうのがプロレスの社会ですよ」(前田日明)
「長州さんがUWFに対してアレルギーを持っていたのは嫉妬でしょ。『俺は頑張ってやっとこの位置にまで来たのに、アイツらはこの世界でしちゃいけないことを全部やってて、おかしいじゃないか』っていう。すなわちUというよりも俺に対してのアレルギーだよね」(前田日明)
「いまから思うと、あの頃の長州力と前田日明って、結局は藤波辰爾っていう名プレイヤーがいたから名前を残せたんだよ。長州力には相手を光らせるまでの力量がなかったし、俺もそれ以外のところに目がいっていて、尖りまくってたし」(前田日明)
1984年2月3日、札幌中島体育センターで、その事件は起きました。WWFインターナショナルヘビー級選手権試合、藤波vs長州の試合前、藤原喜明が突如、入場時の長州を花道で襲撃したのです。いわゆる「雪の札幌・藤原テロ事件」です。当事者である藤原はこう語っています。
「予定調和でもなんでもない。本気で襲ってるんだから、いまの時代だったら警察が出動しているよ。でも、プロレスのリングっていうのは、それくらいの非日常で、なにが起こるかわからない世界なんだ。サラリーマンが、お金を払ってサラリーマン同士の試合を見に行かない。一般社会とは別世界だから、お客が来るわけであってさ。長州は、会場入りしたら常にピリピリしているだろ? あれが本当なんだよ」(藤原喜明)
格闘技団体「パンクラス」を興した船木誠勝は、新日本プロレスの若手時代に、マサ斎藤、長州力、谷津嘉章というアマレス出身の3人のスパーリングを目撃した思い出を次のように語っています。
「若手時代、長州さんとマサさんと谷津嘉章さんがレスリングのスパーリングをしてるところを見たんです。最初の2~3分はマサさんがいちばん強かったですね。で、長期戦になったら谷津さん。途中で長州さんとマサさんが2人とも疲れてきて、最後は谷津さんが転がし始めるです。『こういう順番なんだな』と思って。だから『マサさんがいちばん強いんだな』と思いました(笑)」(船木誠勝)
2000年5月、「コロシアム2000」で船木はヒクソン・グレイシーと闘って敗れました。のちに長州もヒクソンとの対戦が取りざたされたことがあります。これについて、船木が次のように語っています。
「2人は体重が30キロくらい違うので、ヒクソンは長州さんをテイクダウンできないはずです。試合になったら、四つに組んでコーナーでずっと長州さんが押さえてると思います。ただ、スタミナがどこまで持つかだと思うんですね。ヒクソンはすごくスタミナありますから。途中で長州さんのスタミナが切れた瞬間を待ってグラウンドに引き込んでくるかもしれないですね。なので、最終的にはヒクソンなのかなという感じはします」(船木誠勝)
「長州さんがヒクソン戦用に訓練を積み、時間制限がある試合だったら拮抗した勝負になると思いますけど、ヒクソンの試合は時間無制限じゃないですか。だから、たぶんヒクソンが勝つ。鍵はスタミナです。なんでかって言うと、谷津さんとスパーしてる時に長州さんは途中で疲れてしまいますから。でも、面白い試合だと思いますよ。いままでの誰とやった試合よりも違ったヒクソンが見られると思います」(船木誠勝)
キラー・カーンといえば、維新軍団、ジャパンプロレスで長州と共闘しましたが、現在は大の長州嫌いで知られています。両者が全日本プロレスに参戦したとき、1986年7月31日、両国国技館でシングルマッチが組まれました。カーンが流血するなど荒れた展開になりましたが、終盤にカーンの必殺技であるトップロープからのダイビング・ダブル・ニードロップが炸裂するも、長州がカウント2でキックアウト。息を吹き返した長州は、バックドロップからリキラリアット3連発によりカーンにフォール勝ちしました。
「負けたけど、俺はいい試合をしたと思って満足してたんだけど、この時長州はプロレスラーとしていちばんやっちゃいけないことをやった。俺がニードロップを決めてフォールの体制に入ったとき、長州は手を振って『効いてない』って観客にアピールしたっていうんだよ。これは俺に対して失礼というか。いちばんやっちゃいけないことだよ。こういっちゃなんだけど、プロレスっていうのは持ちつ持たれつで、お互いの信頼があって成立するもの。自分だけカッコつけるなんてのはいちばんダメ。長州っていうのはそういう男。俺たちは、ジャパンプロレスってことで長州をかついだけど、アイツはそれをなんとも思ってなかった。自分だけカッコつけて、カネ稼ごうとしか考えてなかったんだよ」(キラー・カーン)
新日本プロレスのレフェリーとして、多くの長州の試合を見てきたミスター高橋は次のように語っています。
「長州のファイトは、外国人レスラーたちには不評だったんです。それはもう、デビュー戦を終えて、海外修行から帰って来た時(77年)からです。攻めに力が入りすぎるんですよ。海外でそう多くの試合経験をしたわけじゃないので、外国人選手いわく、『Stiff』、いわゆる『硬い』と。たとえば、キラー・カール・クラップに長州の生の蹴りがガツンと入った時は、その夜、激怒したクラップから私の部屋まで抗議に来ました。アンドレに生の蹴りが入った時は、あの野球グローブのような手で顔面を張り倒されて、長州は鼻血を流していましたよ。逆に、藤波さんの蹴りがアンドレの腹を狙ったのに下腹部に入って、どうなることかとヒヤヒヤしたんですが、藤波さんがアンドレの耳元で『Sorry』とささやいたから、アンドレは不問にしたんです。アンドレからの信頼度の違いが2人にはあったんです」(ミスター高橋)
高橋は、リーダーとしての長州の姿勢にも疑義を示します。
「WJの頃、K-1の石井和義さんから、長州はボブ・サップ戦をオファーされていたらしいんです。それこそ破格のギャラでね。でも、長州は受けなかった。彼はWJという団体の長だったわけだから、そこは、団体を潤すためとか、若手を食わしていくためには、受ければよかったのにとは思いますね。つまり、本物の親分気質ではなかったと思うんです。そう考えるとね、新日本には真の意味で親分気質だった選手は、誰一人いなかったと言えるでしょうね、よく伝え聞く、天龍源一郎さんのような、度量のでかい選手がね。だから、離合集散を繰り返したのかもわかりませんよね」(ミスター高橋)
維新軍団、ジャパンプロレス、そしてWJと長州と行動を共にしたにも関わらず、その後は完全に袂を分かった谷津嘉章は、長州との思い出を語ります。
「楽しいこともあったよ。独身時代はいつも2人で六本木へ飲みに行ってね。そらあ、モテました。とにかく維新軍はなぜかモテたんですよ。たいしていい男はいないんだけど(笑)、とにかく長州はモテました。長州が結婚を決意した時めね、3人の女性が『違う人と結婚するなら自殺する』って女の子が3人出て来て、長州から露払いしてくれって頼まれて、俺が止めに行きましたよ。『「私、結婚式に出ていいかな」『駅のホームから飛び降りる』って言うのをなだめて、すかして……。あいつ、俺に絶対頭が上がらないはずなんだよ(笑)』(谷津嘉章)
蛇足ですが、自ら”露払い”をこなした長州の結婚式に谷津はご祝儀を10万円包みました。しかし、谷津の結婚式には何のお返しもなく、長州からは祝電すら届かなかったそうです。当時の両者は袂を分かってはいましたが、谷津は「なにかリアクションがあるのではないか」と期待していたそうですが、見事に裏切られたとか。谷津は、「しょうがねえ。そういう人だよって流したんだけど。次から次へといろんなことが起こるから、長州とは絶対合わないなと思うようになった」と述べています。
長州とともにプロレス団体WJを旗揚げした永島勝司は、当時の思い出を次のように語っています。
「長州がマッチメイクをしてたんだけど、アイツがやると第1試合からメインまで全部同じスタイルになっちゃうんだよ。俺はさすがにマズいなと思って、いろんなアングルを考えたし、天龍や越中(詩郎)、大仁田(厚)だっていろいろなアイデアを出してくれたけど、長州が全部断った。アイツにはプロレス的な頭がないというか、ファンに対するサービス精神がない。試合だって、自分のやりたいことしかやらないでしょ? ”ハイスパート”っていうけど、アイツは早く試合を終わらせたいだけだから」(永島勝司)
長州といえば、「破壊王」橋本真也と犬猿の仲で知られていました。しかし、新日本プロレスのリングアナウンサーだった田中ケロは以下のように語ります。
「長州さんと橋本がダメってことはないと思いますよ。ある意味、煽りじゃないかと思って。藤波さんの”ドラゴンストップ”ってありましたけど(長州vs橋本、2001年1月4日、東京ドーム)、本人たちは危ないと思ってないのに『これ以上試合させたら危ねえ!』って周りがびびっちゃったのかもしれない。でも、それって逆に言うと殺気があるということですよね。そういう試合を長州さんと橋本はやりたかったのかもしれない。個人を恨むとかは絶対ないと思います。あったら、絶対にカードを組めない。どんなスポーツもそうですけど、『この人はルールを守る』っていう信頼関係がないと絶対試合はできないですよ」(田中ケロ)
長州力は、6月26日に引退します。本書は、長州の盟友、ライバル、フロントなど濃密な関係にあった19人が語る、タブーなしの証言集でした。長州は「革命戦士」と呼ばれました。アマレス時代に天下を獲った男が雌伏の時を経て、”噛ませ犬発言”でブレイクし、時代の寵児となりました。その後も紆余曲折されど、プロレス界の「ど真ん中」に立ち続けた不世出のレスラーが関係したエポックな事件の真実は興味深ったです。黙して語らない”最強レスラー”の「虚と実」を堪能しました。