No.1845 プロレス・格闘技・武道 | 書評・ブックガイド 『書評の星座』 吉田豪著(集英社)

2020.03.19

『書評の星座』吉田豪著(集英社)を読みました。
「吉田豪の格闘技本メッタ斬り2005-2019」というサブタイトルがついており、その通りの内容です。著者は1970年、東京都生まれ。プロ書評家、プロインタビュアー、コラムニスト。編集プロダクションを経て「紙のプロレス」編集部に参加。そこでのインタビュー記事などが評判となり、多方面で執筆を開始。格闘家、プロレスラー、アイドル、芸能人、政治家と、その取材対象は多岐にわたり、「ゴング格闘技」をはじめさまざまな媒体で連載を抱え、テレビ・ラジオ・ネットでも活躍の場を広げています。著書に一条真也の読書館『吉田豪の空手☆バカー代』で紹介した本をはじめ、『人間コク宝』シリーズ(コアマガジン)、『聞き出す力』『続聞き出す力』(日本文芸社)、『サブカル・スーパースター鬱伝』(徳間書店)などがあります。

本書の帯

表紙カバーには本書に登場する格闘技本の表紙画像が使われ、帯には「この一冊でわかる、格闘技『裏面史』!」「『ゴング格闘技』人気連載の待望の書籍化!」「ベストセラーから超マニア本まで名言・迷言揃いの計165冊にプロ書評家・吉田豪が迫る!」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には、登場する本の書名と著者名が並んでいます。
「★『幸福論』須藤元気★『大山倍達正伝』 小島一志・塚本佳子★『風になれ』鈴木みのる・金沢克彦★『蘊蓄好きのための格闘噺』夢枕獏★『ぼくの週プロ青春記』小島和宏★『芦原英幸伝 我が父、その魂』芦原秀典・小島一志★『U.W.F戦史』塩澤幸登★『完本1976年のアントニオ猪木』柳澤健★『空手超バカ一代』石井和義★『青春』魔裟斗★『男の瞑想学』前田日明・成瀬雅春★『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也★『覚悟の言葉』高田延彦★『平謝り』谷川貞治★『野獣の怒り』ボブ・サップ★『あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ』菊地成孔★『芦原英幸正伝』小島一志・小島大志★『哀しみのぼく。』桜庭和志★『格闘者~前田日明の時代~』塩澤幸登★『真説・長州力 1951-2015』田崎健太★『1984年のUWF』柳澤健★『ストロング本能』青木真也……」

「はじめに」によれば、本書は2005年から始まった「ゴング格闘技」の書評連載をまとめたものです。「プロ書評家」を名乗る著者ですが、意外にも、書評の本を出すのはこれが初めてだとか。全部で485ページもありますが、面白くて一気に読みました。そして、著者の毒舌ぶりに驚きました。著者は、「とにかく徹底した個人攻撃。プロだと思えない書き手は容赦なく糾弾するし、事実誤認も指摘せずにはいられないし、めんどうくさいことこの上ない。自分がこんな人間だったとは、自分でもすっかり忘れてた! そう、僕は基本的に平和主義者で喧嘩も好きじゃないはずなのに、プロとしてどうかと思う人間に対してだけは昔から厳しかった。おそらく、この仕事を始めたばかりのとき、まだ年齢的にも若くて出版の仕事を初めて数年ってぐらいで、プロレスや格闘技を学習し始めてからも日が浅かったからこそ、自分がそれほど詳しくないジャンルでデタラメなことを書いている年上の人間が許せなかったんだと思う」と書いています。

著者が特に厳しく追及している相手は、”Show”大谷泰顕、小島一志、塩澤幸登といった人々ですが、「ちょっと、ここまで言わなくても」と、読んでいるほうがハラハラするような箇所も多かったです。実際、空手家で作家の小島一志氏、小島大志氏の父子とはトラブルにまで発展しています。おそらく、著者は「闘う書評家」を目指しているのでしょうね。著者が取り上げる本にはムックなども含まれていますが、須藤元気の著書が異様に多く、終盤は青木真也の著者がやけに多い印象です。それは、格闘技というジャンルが冬の時代に突入して、格闘技本がほとんどリリースされなくなったことが原因でしょう。

また、著者が「あとがき」に書いているように、「プロレスの暴露系ムックから格闘技的な要素を抜き出したり、やむなく全然知識もないボクシングや相撲の本を紹介したり、堅苦しい学術書やAV監督の自伝、関東連合本にパソナについてやヤクザについてのノンフィクションを紹介したり、新刊がないときは過去の犯罪ノンフィクションを紹介したこともあった。どんな本だって、格闘技の話が載っているのならそれで良し!」と述べています。ただし、連載媒体がプロレス雑誌である「紙のプロレス」から格闘技雑誌である「ゴング格闘技」に替わったことから、ネットなどによれば、プロレスの本を多く取り上げていることが格闘技ファンの不評も買っているようです。

本書に登場するすべての書評のリード文の最後には「書評とは名ばかりの引用書評コーナー」と書かれています。これには苦笑しました。じつは、わたしも当ブログで書評を書きますが、やはり「引用書評」が多いです。というのも、わたしは基本的に自分が勉強になった本、 面白いと思った本、感動した本しか取り上げないので、なるべくその本の内容を正確に紹介したいと思うのです。それで、帯のコピーや目次なども必ず紹介しますし、どうしても本文の引用も多くなってきます。もちろん、その本の商品価値を損なわないように細心の注意を払っていますし(というか、版元の回し者みたいに、なんとかこの本を買ってほしいという想いが強いです)、小説などは絶対にネタバレしないように気をつけています。

というわけで、本書についても引用書評を書きます。本書に掲載されている書評の中でも、わたしは著者のプロレス観が浮き彫りになる文章に心をときめかしたのですが、たとえば『別冊宝島U.W.F.伝説』(宝島社)の書評では、UWFブームの当時を振り返って、著者はこう書いています。
「当時、プロレスラーからは『同じプロレスなのに格闘技ぶりやがって!』と疎まれ、格闘家からは『真剣勝負の振りをして大金を稼ぎやがって!』と疎まれていたUWF。元はと言えば『プロレスラーたるもの、プロレスが八百長呼ばわりされたら怒るべし』だの『プロレスラーたるもの、リングで使わない技術も学んで強さを求めるべし』だのといった新日本プロレスの教えを守ってきただけのことなのに、なぜ疎まれる存在になったのかといえばファンが妄信的過ぎたせいなんじゃないかとボクは思う。『UWFは他のプロレスとは違って真剣勝負だ!』とか『UWFは他の格闘技よりも強い!』とか真顔で言われたら、そりゃあ頭にくるのも当然だろうし」

また、『1993年の女子プロレス』柳澤健著(双葉社)の書評では、著者は「プロレス」に真正面から対峙し、以下のように述べています。
「プロレスという言葉が何かの比喩で使われる場合、代替『茶番』とか『八百長』的な意味でしかないのが、ボクにはどうにも納得がいかない。プロレスとは本来、もっとややこしいものなのである。筋書きのあるショーのはずなのに強さを求められたり、試合が突然ガチになったりもするし、ただ強いだけでも演技が上手いだけでも駄目な、説明しにくい特殊なジャンル。そういうものの言い換え語として使うべき代物なのだ。たとえば、ボクが『近頃のアイドル界は対抗戦時代のプロレスみたい』と言っているのは、ショーの中に内包されたガチの要素を意味しているのであって、ただの茶番だったらこんなにも熱くなれるわけがない。ただのガチでもただのショーでもない複雑さが面白いわけである」
著者の意見に同感です。短い言葉で、見事にプロレスの本質と魅力を表現していると思います。

本書には書籍だけでなく、DVDブックも取り上げられているのですが、『燃えろ!新日本プロレス エクストラ――至高の名勝負コレクション 猪木vsアリ 伝説の異種格闘技戦!』(集英社)の項では、「世紀のビッグマッチ猪木vsアリ戦がDVD化 格闘家も絶対に見るべき!」として、著者は以下のように述べています。
「ボクがモハメド・アリの魅力にやられたのは、猪木vsアリの試合以外の映像を見たときからだった。日本に到着し、羽田空港のロビーに出た瞬間からサービス満点でちゃんと表情を作り、テレビカメラに向かって吠えながら歩いて行ったりと、アリの『プロレスラーでもここまではやらないよ!』感がとにかく異常で、これだけのエンターテイナーがボクシングの世界で頂点に立ったら、そりゃあ人気も出るに決まっている」

続いて、たまらなくプロレス的なアリについて、著者は以下のように述べています。
「一瞬でもダレた空気になるのが嫌なのか、公開調印式でもエキサイトしまくって、かと思えば女性に日本人形を手渡されれば分かりやすいぐらいにデレデレし、また一瞬で真顔になって猪木に向かっていこうとしたり、猪木が無反応だったら近くにいる新日本軍団(坂口征二、木村健吾、荒川真ほか)を挑発しに行ったりで全く飽きさせないアリ、アリの高額なファイトマネーを捻出するため、この調印式は参加費5万円のディナーパーティー形式で行なわれ、テレビ朝日の『水曜スペシャル』枠で放送されたんだが、これだけで元が取れるレベル。そもそも調印式がゴールデンタイムにテレビ中継して成立するコンテンツになるのなんて、確実にアリぐらいだと思われる」
この文章からは、アリの魅力がプンプン伝わってきます。

本書で取り上げられるのは、もちろんプロレス本だけではありません。柔道や空手といった武道の本も登場します。たとえば、『秋山か、チュか』朴忘一貯(G・PRESS)の書評では、「通販限定でひっそり売り出された秋山成勲の衝撃ノンフィクション なぜ解説がビッグ錠!?」として、著者は「最近、ボクは柔道で実績を残した格闘家の特徴に気付いた。それは、なぜかみんな空気が読めないということである。古くはルスカ、ヘーシンク、坂口征二辺りに始まり、最近でいえば小川直也、吉田秀彦、中村和裕、瀧本誠と、誰もがプロの世界に馴染めなかったり、もしくはプロという概念を思いっ切り勘違いしたりで、ファンのニーズに応えることができない。そんな‟空気を読めない柔道家”の頂点に立つ男こそが、この秋山成勲なのだ」と述べています。
思わずクスっと笑ってしまいますが、本質を突いていますね。

空手の場合はどうでしょうか。『空手超バカ一代』石井和義著(文藝春秋)の書評では、「世間のニーズを無視して大半が芦原秀幸の弟子時代の苦労話……だが抜群に面白かった!」として、芦原会館の創始者で‟ケンカ十段”と呼ばれた芦原秀幸とその弟子で正道会館の創始者で‟K-1の生みの親”である石井和義について、著者はこう述べます。
「芦原が『石井! 宗教は凄いな、凄い』『目指すは宗教法人だな!』『いいか、理由なんて後で付ければいいんだよ。夜中に観音様のお告げがあったとか、瞑想をしていたら後光が差して菩薩が現れて……』とか言い出したとき、『先生、それは瞑想じゃなくて迷走ではないですか』と内心突っ込みながらも『武道と宗教は共通点が多く、よく似ています』と語っているのもポイントで、空手の世界のゴタゴタはほとんどそこが原因になっているじゃないかとボクは常々思っている」

続いて、著者は同書から「そもそも経費がかからないのが武道と宗教でありまして、人件費といったって、寺の小僧や空手道場の内弟子の待遇を良くしたのでは修行にならないので、ほとんど無給」という石井館長の言葉を引用し、大山総裁と芦原について、石井館長は『強さとセコさと商魂にかけては、間違いなく空手史に残るこの御両人』とズバリ言い切っているが、それも全ては空手の世界が宗教団体システムを取っているためなのだろう」とまで述べています。これは、ちょっと笑えませんね。柔道以上に空手は本質を突いています。まあ、極真会館の大山総裁こと大山倍達の武勇伝マンガ『空手バカ一代』の内容からもよく分かるように、空手も宗教もファンタジーの世界に通じているのでしょう。

最後に、正直言って、本書『書評の星座』が刊行されたとき、わたしの胸はざわつきました。というのも、わたし自身がこういう本を書きたかったからです。わたしは、ここ20年ぐらいの間に刊行された格闘技やプロレスに関する主な本はすべて読んでいます。本書の「はじめに」の最後に、吉田豪氏が「ハッキリ言えるのは、格闘技関係者でもこれだけの本をちゃんと読み続けている人は確実に存在しないはず」と書かれていますが、わたしは格闘技関係者ではありませんが、ここに紹介されている以上の冊数の格闘技本を読み続けています。どうも、すみません。ただし、本書に異常なまでに多く登場する須藤元気とか青木真也の本は読んでいません。基本的に、ヘビー級あるいは無差別級のアスリートやプロレスラーにしか感心がないのです。これも、すみません。あと、女子の格闘技&プロレスにも興味ない。何度も、すみません。

一条真也の読書館」の「プロレス・格闘技・武道

わたしが読んできた格闘技やプロレスの本は、ブログで取り上げた後、書評サイトである「一条真也の読書館」の「プロレス・格闘技・武道」のコーナーに保存しています。現時点ですでに103冊をカウントしていますが、まだブログにUPしていないストック記事が10冊分以上あります。これらをまとめて『闘うブックガイド』という本を上梓するのが夢であります。でも、「格闘技・プロレス関連書の紹介本なんて需要もないし、誰も読まないだろうなあ」と諦めていたところ、本書『書評の星座』が出版されたことを知り、大いに驚きました。1人の読者として「こんな本を待っていた!」と非常に嬉しく思うとともに、1人の作家としては「自分もこんな本を出したい!」という強烈なジェラシーを感じてしまいます。このブログを読んだ出版関係者の方がおられましたら、『闘うブックガイド』の出版を御検討いただきますよう、何卒よろしくお願いいたします!

Archives