No.1857 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『さらば闘いの日々』 谷津嘉章著(宝島社)

2020.04.14

このたびの「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
『さらば闘いの日々』谷津嘉章著(宝島社)を読みました。
著者は1956年群馬県生まれ。足利工大附属高校でレスリングを始め、日本大学レスリング部時代、1976年のモントリオール五輪に出場(8位)。1980年のモスクワ五輪でも日本代表に選出されましたが、日本のボイコットにより出場できませんでした。同年、新日本プロレスに入団。その後、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSを経て1993年にSPWF(社会人プロレス)を設立。その後、総合格闘技PRIDEや長州力の新団体WJのリングにも参画。2010年に現役を引退。2019年6月、糖尿病のため右足を切断する手術を受けました。

本書の帯

本書のカバー表紙には右足に義足を付けて立つ上半身裸の著者の写真が使われています。帯には、「右足切断! 借金3億5000万円! プロレスは本当に難しかった。”ガチ”だったらどんなに楽か――新日本、全日本、ジャパン、SWS、WJ……猪木、長州、馬場、鶴田、天龍、三沢まで、流浪のレスラーが語ったリングの収支決算」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には、「どうして俺はこうなっちまったのか」として、以下のように書かれています。
●「すぐに切断です」
――考える間もなくストレッチャーに乗る
●人生観を変えた1980年
「モスクワ五輪ボイコット」の回想
●アマレスエリートが初めて知った
「プロレスの仕組み」
●選手としての絶頂期となった
ジャンボ鶴田との「五輪コンビ」
●長州との確執と市場最悪のスキャンダル団体「WJ」の真実
●問題続きの会社経営と残された3億5000万円の借金

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第1章 右足切断
第2章 新日本プロレス入団
第3章 ジャパン、全日本、
そしてSWS

第4章 モントリオール五輪
アマレス代表

第5章 モスクワ五輪ボイコット
第6章 SPWF、アマレス復帰、
PRIDE参戦

第7章 ”ど真ん中”WJ入団
第8章 義足の人生最終章
「谷津嘉章年表」

第1章「右足切断」では、「人生で初めて『恐ろしい』と感じた」として、以下のように書かれています。
「『明日、足がなくなるよといわれるのと、突然事故で足がなくなるのと、どっちがいいんだろう』考えてもつらくなるだけの自問自答を繰り返した。なくなることを予告されたほうがいい、こんなことを考えられるだけでも、まだ幸せなのだ。自分にそう言い聞かせたが、結局はため息しか出てこなかった」
「恐ろしい。プロレスラー時代、『俺は強い』と思うことが心の支えだった。裏切者と呼ばれても、『ガチなら誰にも負けない』と声なく自分に言い聞かせることで痛くもかゆくもなかった。修羅場をくぐり抜けた谷津が今、人生で初めて『恐ろしい』と感じていた」

さまざまなプロレス団体を渡り歩いた著者ですが、同じアマレス出身者である長州力やジャンボ鶴田とのとの関わりが深く、両者とはタッグも組みました。85年11月4日、大阪城ホールで長州力vsジャンボ鶴田の一騎打ちが行われ、結果は60分フルタイムドロー。革命戦士が疲労困ぱいのなか、鶴田はリング上に残り、コーナーポストに上がって「オー!」と叫びましたが、長州はこの一戦で長州はひざを痛めました。著者は、「あの時、長州はプロレスの内容よりも、ジャンボより体力がなかったことにガックリしたって言ってました。ジャンボは淡々とやっているし、身長も大きいから、長州のほうが相当へばった。60分フルタイムでやったのにジャンボは平気で『オー! オー!』って言いながら帰ってったね。よだれ垂らしながらね。ジャンボはいつもよだれを垂らしてるんですよ。試合の時、馬みたいに、ちょっと口元が緩いんですよ(笑)」と語っています。

その後、長州力は全日本プロレスを離脱し、古巣の新日本プロレスに帰っていきました。「長州はジェラシーの塊」として、長州が全日本から離れた原因のひとつに、元横綱の輪島の存在があったそうです。自分がトップでなければ気が済まなかった長州は、86年4月に全日本に入団した輪島の存在がどうしても許せなかったというのです。著者は、「長州はジェラシーの塊なんですよ。新日本のスタイル(ハイスパート)だから、全日本の馬場さんとはスタイルが合わなかった。ジャパンの選手で馬場さんのスタイルに合ったのは馳浩。馳は馬場さんにかわいがられていたんです。俺もどっちかっつたら、かわいがられたかな。だけど、長州はもう、異端児だから」と語っています。

第5章「モスクワ五輪ボイコット」では、「俺はやっぱり役者にはなれない」として、著者はこう語っています。
「やっぱり、自分にはプロレスラーとしてのスター性がない。アマチュアの実力はスター性と関係ないけれど、プロにはスター性も必要なんですよ。強い弱いの実力ではなく、エンターテインメントの力量。それはそれで、また奥深いんですよ。めちゃくちゃ深いですよ。ただ強ければいいってのは簡単だけど、やっぱりお客さんからカネをもらって支持されて、名前をコールされながら拍手を受けるということは、なかなか難しい。強ければいいっていう世界ではないから」
さらに第5章の最後には、「プロレスがエンターテインメントだろうと、のちに人間関係がこじれて団体が分裂しようと、谷津にとっては一大事ではなかった。他の当事者にとっては人生を決める大きな決断だが、谷津にとってはモスクワ五輪が目の前から消えた衝撃に勝るものはなかったのだ」と書かれています。

第8章「義足の失敗人生」では、「俺の人生は失敗人生」として、著者は以下のように語っています。
「いろんなことを思い出してると、俺が何かやったのって、全部失敗じゃんって思うよね。そう、全部失敗してんの。だから俺の人生は失敗人生だと思ってる。中途半端なんだよ。谷津嘉章ってのは、人生がズレていますから。生まれたのも後悔しています。本当に、後悔っていったらそこまでいってしまいますよ。いつも二番煎じで、中間なんですよ。プロレスもアマレスもどっちも大事にすれば、もっと極められたんですよね。でも、大事にできなかったところも谷津嘉章なんですよね」

この著者の発言を読んで、わたしは悲しくなりました。
思えば、モスクワ五輪を日本がボイコットしたために、著者の人生は大きく狂いました。出場できるはずのオリンピックに出れなくなるというのは大変な喪失感だと思います。プロレスラーになっても、デビュー戦では半殺しの目に遭いました。対戦相手は、ブログ『日は、また昇る。』で紹介した本の著者である”不沈艦”スタン・ハンセンと、悪役中の悪役として知られた”黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーでした。スパルタ教育を目指したアントニオ猪木の指示で、黄金ルーキーであったはずの谷津のデビュー戦は血だるまで完敗を喫したのです。その後も、プロレスラーとしては不遇続きで、所属した団体は次々に消滅。仲間もいなくなりました。「ならば、リアルファイトを!」と参加した総合格闘技でも惨敗。ついには右足まで失うということで、著者の人生は「喪失」の連続であることがわかります。その意味では、本書はグリーフケアの書という側面があるかもしれません。

最後に、「プロレスって何なんだろう?」として、著者は以下のように語っています。「維新軍に入らなきゃよかったんですよ。長州にふざけるなって言われそうだけど。プロレスって何なんだろうかねって思いますよ。自分が右足を切断したのが19年の6月25日、長州が引退試合をやったのが6月26日。俺は基本、長州のことは嫌いじゃないんですよ。プロレスに対する情熱、かける気持ちにおいて彼はプロだから。自分をいかにして売るか。いかにして商品価値を高めるか。そういうことをいつも追究していた。俺にはできないなあと。でも、何のために俺はプロレスに入ったかって考えれば、長州が正しい。そうなんだよね、あの人はいつでも青春。長州はかわいらしい人だなと。思い出がいっぱいあるからこそ、この野郎! と思いますね」
長州を憎んでいるレスラーは多く、著者とともに維新軍団に参加したキラー・カーンなどは「長州の野郎を殺してやる」と広言しています。でも、著者のこの言葉を読んで、少し救われた気になれました。ぜひ、いつの日か、長州と著者が再会して和解する日が訪れることを願っています。

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