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No.1865 オカルト・陰謀 | 心霊・スピリチュアル 『日本のオカルト150年史』 秋山眞人著・布施泰和協力(河出書房新社)
2020.04.29
今回の「ステイホーム週間」を「読書週間」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
29日は「昭和の日」ですが、一条真也の新ハートフル・ブログ「UFOとパンデミック」で紹介した米国防総省が正式公開したUFOの映像がTVのワイドショーなどで大きな話題になっています。UFOといえば、日本では秋山眞人氏の名前が思い浮かびますね。
『日本のオカルト150年史』秋山眞人著・布施泰和協力(河出書房新社)を読みました。「日本人はどんな超常世界を目指してきたか」というサブタイトルがついており、明治以後、今日まで150年間の、超能力・心霊現象・UFO・UMAにまつわる出来事・人物について解説した本です。著者の秋山氏は1960年生まれ。国際気能法研究所所長。大正大学大学院博士課程前期修了。少年期から超能力者として有名になり、その後ソニーなど多数の一流企業で超能力開発や未来予測のプロジェクトに関わる。テレビ出演多数。協力者の布施氏は1958年生まれ。英国ケント大学、国際基督教大学卒。共同通信社に入社。96年に退社後、ハーバード大学ケネディ行政大学他で修士号。帰国後は国際政治や経済学以外に、精神世界や古代文明の取材、執筆を行なう。
本書の帯
本書の帯には秋山氏の笑顔の写真とともに、「千里眼」「心霊」「霊視」「催眠術」「予言」「念写」「超能力」「UFO」「宇宙人」「UMA」「前世……」「オカルト界の第一人者によって明らかにされる」「熱狂的ブームの裏に隠された意外な事実!!」と書かれています。
本書の帯の裏
カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「科学では説明できない神秘の世界『オカルト』――。
予言、超能力、UFO、心霊といった事象は、日本では案外と古くから研究されてきた。そして、1970年代には百花繚乱の様相を呈するが90年代に決定的な転機を迎え、今日に至っている。日本人は、オカルトとどのように向き合ってきたのか、真実はどこにあったのかを、本書は明らかにしていく」
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「数々のふしぎ現象から日本の過去・現在・未来を読み解く――まえがき」
序章 明治大正期
西洋文明が流入し、千里眼や霊術家が活躍
近代日本オカルティズムの始まり
釋靈海
水原實
西洋的スピリチュアリズム
催眠術
桑原天然
福来友吉
御船千鶴子
長尾郁子
超能力実験の挫折
高橋貞子
福来が残した教訓
三田光一(1)
三田光一(2)
明治・大正のオカルト
【クローズアップ1】
日本のオカルト文化を守ったラフカディオ・ハーン
1章 昭和戦前期
軍国主義の下、オカルトが統制・利用される
大本教
出口王仁三郎(1)
出口王仁三郎(2)
浅野和三郎
第一次大本事件
世界宗教を目指した大本
第二次大本事
「大本」以後の潮流
軍が頼ったオカルト
藤田西湖
オカルト軍国主義の敗北
2章 戦後期
知識人たちが空飛ぶ円盤や心霊に傾倒
焼け野原からの再興
戦後混乱期の催眠術
怪談
空飛ぶ円盤
UFO
日本のUFO報告
海外流出した日本のオカルト
電磁波兵器
丹田呼吸法とGHQ
竹内文書
科学とオカルト
四次元と超能力
聖母マリアの出現問題
識人のオカルト研究
【クローズアップ2】
1950年代の有職者のUFO意識とは
【クローズアップ3】
クルックス卿とD・D・ホーム
3章 高度成長期
オカルトが物質文明に反旗を翻す
左翼とオカルト
ヒッピーと新興宗教
政財界御用達の超能力者
物質文明への懐疑
左翼運動からオカルトへ
心霊手術
「リンゴ送れ、C事件」
「宇宙友好協会」の功績
オカルト批判とカルト
【クローズアップ4】
秋山眞人のコンタクティー体験
4章 1970年代
超能力・UFO・大予言……一億総オカルト化
「コックリさん」ブーム
ユリ・ゲラー
スプーン曲げインチキ事件
世界の超能力者
超能力者の素顔
テレビと超能力
オカルトブームの仕掛け人
エクソシストとノストラダムス
ネッシー、ツチノコ
5章 1980年代
精神世界と自己啓発が密接に結びつく
スプーン曲げのその後
マリア像の落涙
日本のピラミッドと予言者
前世と輪廻転生
前世療法
チャネリング
精神世界とビジネス
精神世界のリーダーたち
予言のメカニズム
ダウジング
CIAとユリ・ゲラー
超能力による金鉱探査
超能力者とUFO、幽霊の関係
宜保愛子とサイババ
オカルト真贋論争
妖精事件とネッシーの共通点
超能力者と手品師
手品師としてのユリ・ゲラー
オカルト現象の本質
【クローズアップ5】
19世紀の欧米で台頭したスピリチュアリズム
【クローズアップ6】
唯物論者から唯心論者に転身したコナン・ドイル
6章 1990年代
カルト教団の凶行がオカルトの転機に
超常現象批判
能力開発ブームと偽オカルト
オウム事件のオカルト責任論
コンタクティー第2世代
奇跡のリンゴと超常体験
宇宙人によるアブダクト
宇宙人からの啓蒙
大企業による超能力研究
宇宙人と韓国企業
『X-ファイル』
オカルト否定の時代
【クローズアップ7】
「UFO目撃」動かぬ証拠の数々
7章 21世紀
猛烈な批判を浴びたオカルトの復権が始まった
相次いだカルト事件
社会現象となったヒーリング
海外の最新超心理学研究
アメリカ発オカルト・ブーム
丹波哲郎と江原啓之
家族の崩壊とオカルト
岐阜・ボルターガイスト事件
陰謀論に興味を持つ女性たち
陰陽対立から和合へ
終章
情報の渦に惑わされないオカルト的生き方のススメ
ネット情報とオカルト
オカルトと人生の意味
ITと人類の未来
求められる「心の冒険」
興味の多様化・タコツボ化
精神世界と危険探知
精神世界とオカルトの役割
【日本と世界のオカルト150年史 年表】
【オカルト界人物事典】
「数々のふしぎ現象から日本の過去・現在・未来を読み解く――まえがき」には、「150年に込められた意味」として、ちょうど170年ほど前に西洋でも近代スピリチュアリズムが幕を開けたことが紹介されます。19世紀半ばにアメリカで起きた、有名な「フォックス姉妹事件(ハイズビル事件)」が端緒となったといわれていますが、著者は「インチキだとかトリックだとか、さんざんいわれたこの事件も、いまだに結論が出ていない。いっておくが、これが現実だ」と断言し、さらに以下のように述べます。「その20年後の1868年、日本では明治維新が起こり、西洋の科学文明が押し寄せてきた。当然、そのなかには西洋で生まれたばかりの近代スピリチュアリズムもあった。つまりそれは、単なる西洋文明の唯物論や合理主義などの一方的な流入の時代ではなかったということだ。西洋の科学主義と東洋の神秘主義、東洋の霊術と西洋の科学技術、西洋のスピリチュアリズムと東洋の近代主義――これらが複雑に入り乱れてぶつかり合う、大激流の時代がここに始まったのである。それはまさに、科学(合理主義)とオカルト(神秘主義)が競演する大エンターテインメント、150年の歴史の始まりでもあった」
また、「当事者だから書ける時代の息吹」として、著者は「これまでのオカルト研究者たちがつくった年表や説明を読むと、すべてではないにしろ、オカルトの歴史を『情報のコレクション』として考えているかのように扱ったものが多いのは残念だ。これでは心の通っていない文字の羅列としか思えない。オカルトの歴史が無味乾燥の『デジタル化された情報』程度にしか扱われていない気がしてしかたがないのである。 そのデータベースを見て、『あるなし論争』を続けているだけでは、まったく不毛な議論だけが続けられていることになる。インターネットに情報がないから根拠が怪しいとか、情報が仮にあっても、偏った狭量な論述だけを信じてしまうケースが極めて多いのも問題だし、なによりもまして奇異でトンデモ度の高い情報が噂になり、独り歩きする」と述べています。
さらに、「神聖で神秘的な奥行きをもっているものがオカルト」として、著者は「 『古事記』には何度読み返してもオカルティックなロマンが漂う。私には『古事記』をオカルトではないというほうがおかしいように思われる。シュメール神話や易経などもオカルトの薫りが漂う。『聖書』も同様だ。オカルトこそ神聖さそのものである。今日でも多くの科学者がキリスト教を信仰しているが、その敬虔なキリスト教徒の科学者たちが、モーゼが海を割って渡ったという話をどう説明するというのだろうか。キリストが水の上を歩いた話や目の見えない人を見えるようにしたという奇跡はどう考えるのか。 ところが、能力者がスプーンを曲げたという話をすると、ろくに検証をしたこともない人たちが『インチキだ』『手品だというほうが科学的だ』などと言い張ったりするのは、どういうことだろうか」と述べています。
そして、著者は「オカルトは、歴史のなかで強くなった宗教のみが牽引するものでもない。どうあっても説明しきれない現象や能力というものが、この世界に、そしてそれぞれの時代に普遍的にかつ平等に存在するのだ。人知の及ばない世界は存在し続けている。そこには、科学と宗教を究めた人たちほど、『触れるべきではない』と思わずにいられないような、深い奥行きや不可思議さと力、『神が秘めたもの』と感じざるを得ない神秘性があるのだ。そして神は時々、それを具現化する。その時代の人々の傲慢さを正すように、である」と述べるのでした。
序章「西洋文明が流入し、千里眼や霊術家が活躍」では、超能力研究で知られた福来友吉博士と、彼が研究した御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子、三田光一といった人々についての記述が詳細かつ要を得ていて興味深かったです。著者は、「福来が残した教訓 マスコミと世論に翻弄されないために、何をすべきだったか」で、以下のように述べています。
「振り返ると、福来友吉という人は、超能力の研究・発展に寄与した面がある一方で、その研究の進め方には問題がなかったわけではなかった。当時の帝大の背景を調べると、総長まで務めた山川健次郎にしても、実は海外で交霊会に立ち会ったりしている。1912(明治45)年1月に創刊された東京帝国大学の心理学研究会の機関誌『心理研究』の創刊号を見ると、霊からの交信を受けた自動書記の写真が掲載されているのも興味深い」
つまり当時の東京帝大では、不可知論やスピリチュアリズムを避け、かつ錯覚や思い込みを排除しながら、超能力(千里眼)を人間の可知的な能力としてきちんと説明しようと研究対象にする姿勢が見受けられたというのです。この事実を踏まえた上で、著者は「福来は、研究当初からテレパシー的現象は認めるが、一方で心霊現象や呪術的現象には暗示の作用が多いと見ていたことがうかがえる。では、どこに問題があったのだろうか」と問題提示し、それは、御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子、三田光一らの千里眼から念写に至るまでの、物理学を根底から覆しかねない超能力研究の論議が起きたときに、メディアを巻き込んだ一大ブームをつくり上げてしまったことであるとして、「福来が積極的にマスコミに登場し、好奇心だけで動くマスコミが『やれ本物だ』『やれ偽物だ』と書き立てたことにより、社会を揺るがす大騒動へと発展してしまったのだ」と述べています。これは著者の卓見であると思いました。
1章「軍国主義の下、オカルトが統制・利用される」では、大本教および出口王仁三郎についての記述が興味深かったです。巨大なカリスマであった王人三郎によって、大本教は日本での影響力があまりにも強くなり過ぎたために2度にわたって国家から大弾圧を受けますが、「『大本』以後の潮流 戦争推進派と反戦派のそれぞれの呪術的根拠とは」として、著者は「当時の精神世界には、大本関係者はもちろん、それ以外の霊術家も含めて、明治時代の前半期に非常に過激な自由民権運動を推進した『前歴者』が大勢いたことも大きな特徴であった。霊能力開発を目指し、岐阜に太霊道本院を開設した田中守平(1884~1929)は、天皇に『国威発揚』を求めて直訴しようとして逮捕された。 明治から昭和にかけて活動した霊術家で、人体の生命エネルギーがラジウムであるとして人体ラジウム学会を興した松本道別(1872~1942)は、1905(明治38)年9月5日に発生した日比谷焼き討ち事件の首謀者として刑務所に入れられた。彼らはみんな、かつては自由民権運動の推進者、もしくは賛同者であった」と述べています。
著者によれば、そうした動きの背景には、「国や軍部が弱腰ではなく、もっと強硬な海外政策を進めるべきだ」という、一部の大衆の欲求や不満があったといいます。その不満と欲求は、やがて軍部を突き動かし、暴走させてゆくことにもなるわけですが、やがて「八紘一宇」を掲げた軍部主導のオカルトはカルトに変貌、軍部と大衆は暴走を始め、出口王仁三郎が警告した「日本を焼け野原にする」大戦争へと突入してゆくことになります。著者は、「国民の総意を結集した『念力の戦争』は敗北を喫する。暴走した念力では、原子力には勝てなかったのである」と述べています。
2章「知識人たちが空飛ぶ円盤や心霊に傾倒」では、「科学とオカルト 日本人が失った、オカルトに対する身近な日常感覚」という項が素晴らしかったです。著者は「エアロビクスにしても、レイキにしても、UFOにしても、名前やイメージを変えて逆輸入しただけであって、昔から日本にあるものだった。空飛ぶ光体や丹田呼吸法、それに霊の存在といったオカルト的なものは、日本人の生活の身近にあるものだった。ところが、欧米の思想が介在することによって、むしろ距離が開いてしまったように感じる。まるで、身近だったオカルトが、日本人の日常感覚から遠ざかってしまったようだ」と述べています。
逆にいうと、西洋発のオカルトは、日本人がオカルトと距離を置くことを狙ったのかもしれないとも思えてくると、著者は言います。少なくとも、結果的にそうなったように思われるとして、「アメリカ的キリスト教の教義は、神秘性を人間の遠くに置いている。その思想を日本に流し込んだともいえなくはない」と述べ、さらには『一方で、それによって日本人は宇宙の奥行きをより深く感じるようになったことも事実だ。だが、神秘的なものが生活に根づいているという『身近さ』が失われてしまったのは残念なことである。宇宙の奥行きと神秘的なものの身近さの両方が、私には必要に思われる。もっとも神聖なものをもっとも奥に据えて愛でる、その尊厳を大切にする。しかしそこに常に眼差しを向ける、好奇心をもつことが大事なのだ。それを日本人は何千年もやり続けてきた。その構造こそが、日本のオカルティズムであると私は思う』と述べます。これは、非常に奥の深い日本的オカルトの本質論ではないでしょうか。
オカルト的考えをもつのはいいが、そう考えるなら科学を介する必要があるという風潮ができ上っています。それは日本人の悲哀であるとして、著者は「科学がまるでオカルトのエージェントになった感がある。そうなると、オカルト本来の神秘性は遠のき、身近で楽しいものではなくなってしまうのだ。そういう気持ちの悪さがいまの世の中にはある。オカルトと私たちの間に科学を挟むことによって、より安全になると考える向きもわからなくはない。時の権力者は、オカルトと人々がつながることを恐れているからだ」と述べます。
続けて、著者は「バチカン(ローマ教皇庁)の奥にはかつて、異端審問局があった。いまはそれが科学局と名前を変えている。つまりバチカンは、科学的に宇宙観測をしながら、神の息吹がどこにあるかを考えるようになったと聞いている。かつて異端審問局では、奇跡的な事象が発生したときに、奇跡認定するのは異端審問のチームが出かけていって判定した。いまは科学というものを一つの名刺代わりにして、キリスト教の正当性を主張するようになった。科学で証明できないものは、次々と切り捨てていくこともある。気がつくと、他国の精神文化に対しては、非常に手きびしいやり方をおこなっていたといえなくもない」と述べるのでした。
浜野安宏氏と
3章「オカルトが物質文明に反旗を翻す」では、オカルトが物質文明に反旗を翻す流れが紹介されています。マルクス・共産主義を掲げて学生運動に入っていった左翼の若者たちは、内ゲバを繰り返し、殺し合い、泥沼に落ちていきます。理想の世界が来ると信じていた彼らは、傷心し、絶望し、打ちのめされたわけですが、挫折した彼らの中には、何もせずに質素に暮らし始めた人々がいました。洗いざらしのジーパンをはいて、髪の毛を伸ばし放題伸ばして、世の中から「ヒッピー」と呼ばれた人々です。そのヒッピーの中から、いろいろな運動家が登場しましたが、著者は浜野安宏氏(1941年~)を取り上げます。浜野氏といえば、一条真也の新ハートフル・ブログ「浜野安宏さん」に書いたように、わたしも親しくお付き合いさせていただいてきましたので、本書に名前が出てきたときは大変驚きました。
浜野氏について、著者は「1960年代には『ゴーゴークラブ』というダンスクラブをプロデュースして、サイケデリック・アートを広め、ゴーゴーブームを巻き起こした。1971(昭和46)年には『質素革命』という本を書いて、人間の原点に立ち戻り、本当の人間の生き方を探そうと訴えた。 彼の提唱した質素革命によって、田舎で生きようとしていたヒッピーたちが、今度は町にあふれて、都市づくりやファッション・ムーブメントなどに参加、町のなかにヒッピー文化をもたらした。 質素な食事、天然素材の使用、ファッション的な都市開発などがその文化の中核にあった。こうした都会と精神主義が一体化した象徴的な場所が、東京の原宿であったり、吉祥寺であったり、下北沢であったりした。私も浜野氏とは親しくしていた時期もあり、原宿の歩行者天国の集会に参加したこともある」と述べています。
5章「精神世界と自己啓発が密接に結びつく」では、「オカルト現象の本質 時間を超越することを知れば、すべてを理解できる」という項が非常にユニークな著者の見解が示されており、興味深かったです。著者は以下のように述べています。著者は、「古代の恐竜や類人猿が、時間を超えて現代に出現すれば、それはネッシーや雪男ということになる。遠い未来からきた飛行物体があれば、それはUFOとして目撃されるのである」と述べ、さらに「超常現象とは、基本的に時間超越の現象であると私は思っている。時間を超越する『場』のようなものが存在し、そこでわれわれは過去のモノと出くわしてしまったり、未来のモノと遭遇したりする。幽霊と出会うことも、過去の人に会うようなものである。つまり、時間という壁を取り除くだけで、超常現象はほとんど説明できてしまうのだ。 時間を超えたある種の量子の絡み合い現象のようなものが起きているとすれば、超常現象は理解しやすくなる」と述べるのでした。これを読んだとき、わたしは絶大なインパクトを受けました。
オカルトに対する著者の思想はさらに深みを増します。終章「情報の渦に惑わされないオカルト的生き方のススメ」では、「精神世界とオカルトの役割 これからも続く『無限の智』への挑戦」として、著者が13歳の頃から59歳となる今日までずっとオカルトの世界で生きてきた結果としてわかったことを以下のように述べています。
「精神世界、オカルト、スピリチュアルと呼ばれる世界は、社会の不安や、一般大衆が無意識のなかで引っかかっていることが、現実の社会現象や物質世界より先んじて現れているということである。つまり、オカルト的な世界には、ある種の予言性があるのである。ノストラダムスの予言がどうだとか、これから出てくる予言者の予言がどうだとかといった話とは別に、オカルト界そのものが予言性や予知性をもっている。そのため、オカルト界で起きる現象をつぶさに見ていけば、意外にも未来の傾向がわかるのである。社会の裏面史や抑圧されたもの、大衆の不安、悲しみ、恐れといったものが、やはり抑えきれなくなると、最初にそれが現象として噴出してくるのが、オカルトの世界なのだと私は思う。オカルトは未来を読み解くバロメーターといえるのではないか」
また、「科学とオカルトが両立するために」として、著者は「いまだに科学とオカルトがしっくりこない最大の理由は、オカルトを信奉する人のパラダイムと、科学を信奉する人のパラダイムが相容れない部分が根強く残っていることにある」と指摘した上で、「科学は、オカルトを分析する際、『エネルギー』を探究しようとする。たとえば超常現象が起きた場所や超能力者から、電磁波や熱エネルギーが放出されていないか、などと考えて調べる。しかしながら、オカルトには、いわゆる物理学者が思うような『エネルギー』は存在しない。エネルギー伝達系ではないのだ。あるのは、同調とか共鳴という現象に近い『意味ある偶然の一致』、すなわちシンクロニシティ的現象があるだけだ。そのシンクロニシティ的世界では、思ったものや祈ったものが目の前に出現したり実現したりする。祈りや思いが原動力なのだ」と述べています。
一方、オカルト側は、それを証明できないし、言葉では説明しきれないというジレンマがあるとして、著者は「科学が求める、『同じ条件下で何度も繰り返して現象を起こさせる』という再現性をクリアできないのだ。超能力や霊能力は、心が少しでも乱れると、発現しないことが間々ある。それを物理学的に説明しようとしても、疑似科学にしかならない」と述べます。さらに、著者は「オカルトは、単純にいえば、見える世界と見えない世界の接点的な領域にあるものだ。そこをうまく見つめ続けることによって、精神力やオカルト的な能力を見いだしたり鍛えたりすることができると私はいまでも信じてやまない。そして、その延長線上には必ずや、新しい科学の到来があると確信している。思想や哲学を含む新しい科学のパラダイムが誕生する可能性が、オカルト研究のなかにはあるのだ」と喝破します。
そして、「精神世界から、人生の広がりを実感する」として、著者はこう述べるのでした。
「精神世界でいろいろいわれてきたことを改めて研究することによって、なにか重要なものを生み出せないかとする社会学や宗教学、それに本当に優しいホスピタリティーとはなにかとか、霊的な癒やしをもたらすスピリチュアル・ケアの仕方とか、そしてときとして時空を飛び越えて襲いかかるスピリチュアル・ペイン(霊的な痛み)にどう対処するか、などの研究も起こり始めている。とくに、現代医学では治療できない『霊的な痛み』をどう取り除くかという問題は、喫緊の課題になっているように思われる。現代医学は、肉体的な痛みを治すことに力を入れるあまり、霊的な痛みをなおざりにしてきたからだ。単なる気のせいにして、痛みの本当の根源である『情の報せ』を無視してきた。それは同時に、オカルトもなおざりにされてきたということでもある」
ここで著者のいう「スピリチュアル・ケア」は「グリーフケア」とともに、わたしが客員教授を務める上智大学グリーフケア研究所の二大研究テーマとなっています。著者は息子さんを亡くされたそうですが、グリーフケアについて考えるところも大きいのではないでしょうか。
秋山眞人氏から贈られた本
『THE KEY TO THEOSOPHY』
なんと、著者ブラヴァツキーのサイン入り!
じつは、わたしは東京で生活していた頃に、著者と親しくさせていただいていました。最初は、株式会社エス・エス・アイ取締役会長で自己啓発書の作家でもある田中孝顕氏の紹介で、六本木にあったWAVEのカフェでお会いしました。その後、中華料理店で会食し、大いに意気投合。帰りに車でご自宅マンションまでお送りしたところ、ご自宅に招いて下さり、書斎に案内されました。書棚には古今東西のオカルト関係書が並べられていましたが、その中からブラヴァツキーの『神智学の鍵』の原書(初版本)をプレゼントして下さったことを思い出します。しかも、その本はブラヴァツキーのサイン入りでした。その後、秋山氏には小倉紫雲閣で開催された「大葬祭博」というイベントで講演および気功の実演をしていただきました。
当時、わたしは(株)ハートピア計画という企画会社を経営していましたが、出版事業を開始するにあたり、著者に『気を啓く』という本を執筆していただきました。さらには、一条真也の読書館『ルポ 現代のスピリチュアル』、『オカルト』にも書きましたが、ハートピア計画で「超能力」をテーマにした本を企画し、清田益章さん、秋山眞人さん、わたしの3人で鼎談本を作ったことがありました。東京都港区高輪の泉岳寺に隣接したUFOの形をした「サンレー高輪ビル」の2階で、3人で大いに語り合いました。その本は残念ながら刊行されませんでしたが、大変なつかしい思い出です。そんな思い出のある著者の最新刊である本書は日本のオカルトの近現代史をコンパクトに興味深くまとめた好著であると思いました。何よりも、オカルトにかける著者の情熱と信念に胸を打たれました。秋山さん、お元気そうで何よりです。また機会があったら、ぜひお会いしたいですね!