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No.1931 宗教・精神世界 『近代仏教スタディーズ』 大谷栄一・吉永進一・緊道俊太郎編(法蔵館)
2020.08.17
『近代仏教スタディーズ』大谷栄一・吉永進一・緊道俊太郎編(法蔵館)を再読しました。「仏教からみたもうひとつの近代」というサブタイトルがついています。安藤礼二氏による一連の折口信夫論に登場する大正期の日本仏教に興味を抱いたので、本書を読みました。仏教の視点から描かれる新しい近代史入門に知的興奮を覚えました。
本書の帯
本書のカバーには宗教学者の内藤理恵子氏によるイラストが使われています。ちなみに本文中の人物相関図に出てくる数々の似顔絵も内藤氏によるもので、これが仏教者の印象を捉える意味で非常に良い効果をあげています。帯には「日本近代化の背景には、常に仏教の存在があった――。」「学校では教えてくれない近代史!」「日本が先進国への階段を駆け上がるなかで仏教が担った役割を追求し、知られざる近代史の姿を紹介する!」
本書の帯の裏
帯の裏には、以下の内容紹介があります。
「廃仏毀釈などの逆境を乗り越え、常に時代の最先端とリンクし、近代社会に影響を与え続けた『近代仏教』。その歴史と周辺分野を、歴史学・宗教学・文学・社会学などを専門とする気鋭の研究者29名が豊富な写真と人脈相関図を用いながら、活き活きと描いた新視点の近代史入門!」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第1章 「近代仏教」とは何か?
第1節 「近代仏教」を定義する
第2節 日本の近代仏教の特徴とは?
第3節 「仏教の近代化」とは?
>第4節 「近代化と仏教」の関係とは?
ちょっと一息① 風刺画にみる近代仏教
第2章 近代日本の仏教史をたどる
第1節 近代の衝撃と仏教の再編—-幕末・維新期
第2節 新しい仏教 のはじまり—-明治期
第3節 社会活動の展開—-大正期
第4節 戦争協力への道—-昭和前期
ちょっと一息② 文学からみた近代仏教
第3章 よくわかる近代仏教の世界
第1節 グローバルに展開する
1 世界中の宗教者が集まった万国宗教会議
2 海外布教する仏教教団
3 世界を探検する仏教者たち
4 来日した海外仏教者たち
5 仏教交流の場としてのアジア
6 欧米の仏教ブームとアジアの社会参加仏教
>第2節 学問と大学のなかで発展する
1 仏教学はどのように成立したのか?
2 僧侶を育てる大学へ
3 京都学派のとらえた仏教
>第3節 メディアを活用する
1 新しいメディアが仏教を変えた!
2 京都と東京の仏教書出版社
3 ラジオ説教の時代
第4節 社会問題に対応する
1 社会事業に取り組む仏教者たち
2 部落解放と真宗信仰
3 教誨師の百年
第5節 イデオロギーと結びつく
1 修養と教養を発信する仏教界
2 戦場のなかの禅
3 超国家主義にみる仏教
第6節 新しい方法で実践する
1 グローバル化する仏教瞑想
2 坐法と呼吸法のブーム
3 儀礼の伝統と新しい儀礼
4 近代化する葬儀
第7節 他宗教と関係する
1 キリスト教と出会った仏教
2 ユニテリアンの与えたインパクト
3 反宗教運動との衝突、新興類似宗教への批判
4 戦没者を祭祀する
ちょっと一息③ 仏教系新聞・雑誌のなかの広告
第4章 近代仏教ナビゲーション
第1節 初心者のための人脈相関図
1 西本願寺系――禁酒から改革、そして国際化へ
2 浩々洞――師、清沢満之との生活
3 求道学舎――浄土真宗説教師・近角常観の舞台
4 新仏教運動――体制批判した青年仏教徒たち
5 国柱会
――一世を風靡した日蓮主義のネットワーク
6 ユニテリアン
――近代仏教と深いつながりのキリスト教
7 明治二〇年代の海外仏教者たち
――オカルトワールドと仏教
8 大正~昭和初期の海外仏教者たち
――鈴木大拙夫妻と神智学
9 哲学館系――明治の新仏教運動の一大拠点
10 東京帝国大学系――仏教学の誕生
11 京都帝国大学系――歴史学・民俗学での展開
12 女性仏教者――信仰に生きた姿
第2節 初心者のためのブックガイド
1 近代宗教史研究の必読文献
――入口はどこにある?
2 近代仏教研究の必読文献1
――定番といえばまずこれだ!
3 近代仏教研究の必読文献2
――これからどこへ向かうのか?
4 トランスナショナルな近代仏教史
――国境を越える!
5 精神主義の研究
――浩々洞同人たちの信仰
6 新仏教運動の研究
――社会主義者から芸術家まで
7 近代真宗史の研究
――近代仏教研究の中心軸
8 近代法華・日蓮系の研究
――その幅広い影響をつかむ
9 禅のグローバル化
――禅がZENになるとは?
10 仏教学の形成と展開
――大学と仏教の結びつき
11 近代仏教と戦争
――仏教は戦争を肯定したのか?
12 日本仏教と植民地主義
――仏教は植民地で何をしたのか?
13 近代仏教と社会活動――医療・福祉・差別
14 近代仏教と民俗――生活のなかの仏教
15 近代仏教とキリスト教――排斥と対話
16 近代仏教とジェンダー――女性と家庭
17 法華系新宗教の研究――法華信仰の伝統と革新
18 近代仏教の写真集――撮された民間の信仰世界
第3節 初心者のためのリサーチマップ
1 図書館とアーカイブ
――学びと調査のスタートライン
2 博物館――近代の仏教者の足跡をたずねて
3 建築物――モダンな仏教のモダンな建物
ちょっと一息④ 近代仏教者たちのポートレート
「参考文献一覧」
「年表」
「あとがき」
「索引」
「執筆者一覧」
以下、わたしが強く興味を抱いた箇所を紹介します。
第2章「近代日本の仏教史をたどる」の第2節「新しい仏教 のはじまり—-明治期」では、「出版事業の諸相」として、「すでに明治期から着手されていた仏教の原典研究は、大正期に入ってさらに蓄積され、豊かな成果が生まれた。南条文雄が会長となって刊行が進められた『大日本仏教全書』と、高楠順次郎(1866~1945)・渡辺海旭を都監として浄土宗の小野玄妙(1883~1939)が編集主任を務めた『大正新脩大蔵経』が代表的な成果となる。このほかにも仏教典籍の集大成、各宗の基本宗典の編集、大辞典の編纂が一挙に進められたが、このとき宗門系大学の学者たちが果たした役割は大きかった。仏教界にとって、こうした仏典の編纂・出版は、信仰の原点の再確認であると同時に、それぞれの信仰を科学的・考証学的次元でとらえなおし、広く近代社会に解放する試みでもあった。また高楠は、『大正新脩大蔵経』の刊行事業と並行して、大正13年5月から雑誌『現代仏教』を主宰した。『現代仏教』は、仏教を軸にしながらもさまざまな知識人が執筆する総合雑誌のような性格を持った。ちなみに、『現代仏教』では、昭和8(1933)年7月に『明治仏教の研究・回顧』と題する特集を組み、明治期の仏教を総括している」と書かれています。
第3章「よくわかる近代仏教の世界」の第1節「グローバルに展開する」では、「世界中の宗教者が集まった万国宗教会議」として、「シカゴで開催された万国宗教会議は、さまざまな意味で近代仏教史のターニング・ポイントになった。西洋と東洋の宗教伝統が一堂に会したこの宗教会議を通して、世界の諸宗教と比肩しうる”日本仏教”のアイデンティティが模索されるようになる」と書かれています。また、「コロンビア万博と万国宗教会議」として、「米国シカゴ市で開催されたコロンビア万国博覧会に合わせて、万国宗教会議(the World’s Parliament of Religions)が開催されたのは明治26(1893)年のことである。白亜の殿堂を並べた『ホワイトシティ』を中心とする大博覧会は、2700万人を超える入場者を集める大盛況であった」と紹介されています。
「世界の歴史と文化の祭典であるこの博覧会には、人類の進化の過程を『展示』する極めて多彩な民族や文化の痕跡が集積された。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』と並ぶ主著の1つである『人間の由来』のなかで表明した、『人類の進化』の過程を見事に陳列する、この博覧会に連動して開催されたのが万国宗教会議である」とも紹介されています。さらには、「万国宗教会議と世界の十大宗教」として、「万国宗教会議のオープニングでは、『世界十大宗教』を表現するために、コロンビアの鐘が10回鳴らされた。『十大宗教』のカテゴリーは決して一定ではないが、この会議には、少なくとも形式上はキリスト教、ユダヤ教、ビンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、イスラム教、仏教、神道、儒教、道教の代表が参加している」と書かれています。
また、「来日した海外仏教者たち」として、「神智学やスウェーデンボルグ思想、あるいはそれらと近い関係にあったスピリチュアリズムなど、オカルト的とか神秘的といった印象を与えるが、19世紀末にかけては世俗的な傾向が強く、合理主義的であり、少なくともキリスト教伝道福音主義よりは仏教に接近しやすかった。さらにそれらの霊的思想は菜食主義、動物愛護、社会主義、女権運動といったプロテスト運動と結びつきやすく、彼らが理想視していた仏教にも、そのようなエートスが投影された。書物によって伝えられ、彼らの思想によって染め上げられた『仏教』ではあるにせよ、キリスト教に代わる霊的な思想を求めた人々は、学問的興味ではなく、宗教として真剣に仏教を実践しようとしたのである」と書かれています。
さらに、「日本の神智学ブーム」として、「『欧米仏教徒』たちの日本仏教への影響で、最も大きな社会的な事件となったものは、オルコットの第1回来日である。彼がスリランカ仏教復興の功労者であることは時日をおかず日本に伝わっていたが、その招聘に名乗りをあげたのは、京都で英学校を主宰していた平井金三(1859~1916)である」と紹介されています。
第6節「新しい方法で実践する」では、「儀礼の伝統と新しい儀礼」として、「儀礼というと、現代人には馴染みが少ないかもしれない。だが、教団や僧侶にとっては自分たちのアイデンティティに関わるほど重要だ。近代日本の仏教にとって、儀礼はどのような意味や役割を持っていたのだろうか?」と書かれています。
また、「儀礼と教団」として、「明治を迎えた仏教界にとって神仏分離政策の影響は極めて大きかった。神宮寺の廃止や寺院からの神像撤去、神社内での仏教儀礼禁止などの命令は、廃仏毀釈の一因ともなった。とくに、天台・真言・日蓮といった山岳修験との関わりが強かった宗派では大きな影響を受けた。神や神像に対する儀礼が大きく制限されることとなったからである」と書かれています。
続けて、以下のように書かれています。
「明治政府は明治5(1872)年に一宗一管長制を命じ、地方分権的な組織体制であった仏教教団の刷新を図ろうとした。仏教界は、それまで緩やかに結ばれていた宗派を強制的に統合し、1つの教団(宗)として再構築する必要に迫られた。当然のことながら統合過程において、宗旨・教義の統一はもちろん、儀礼の統一も大きな問題となり、それが原因で種々の対立が引き起こされる。たとえば、東京・増上寺を大教院とし統一された浄土宗は明治11年に東西分裂し2つの教団にわかれているが、教団内政治機構の不協和とともに、儀礼の統一失敗が分裂の一因とされている。真言系教団では、事相(儀礼・儀式の実践法)が教相(教理・教義)と同様に非常に重んじられるため、事相の行い方や作法の違いはそのまま分派・分裂の要因となり得た」
さらに「儀礼と『旧仏教』」として、「来世や先祖、神などが実在していることを前提とした儀礼が何の疑いもなく行われていたのである。そのような伝統教団を、最初に非難したのが啓蒙的知識人であった。彼らは既存の仏教界を、旧時代の因習に縛られ、新時代に対応しようとしない『旧仏教』と非難した」と書かれています。結果的には彼らの主張は「旧仏教」の儀礼に大きな変革をもたらすことはありませんでした。彼らの主張があまりに革新的だった点もその理由ですが、明治20年代後半になると「旧仏教」の死者供養や祈禱が極めて重要かつ新たな意味を持つようになったからです。本書には、「日清戦争を契機として、僧侶による戦没者儀礼や戦勝祈願が再評価されたのである。僧侶が行う戦争関連の儀礼は、戦争遂行を国是とする当時の日本において誰もが支持すべきナショナルな行為として社会的認知を獲得していったのである」と書かれています。
そして、「新しい儀礼」として、「もともと日本において宗教者が結婚式に関与することは決して一般的ではなかったが、キリスト教式結婚式に触発されながら仏式結婚式は創作されていった。国柱会の創設者・田中智学は、仏式結婚式を公式に表明した最初の人物と言われている。その後、明治25年に真宗本願寺派・藤井宣正が東京白蓮社会堂において、同35年には曹洞宗・来馬琢道、浄土宗・藤田良信らが仏式での結婚式をあげている」こう書かれているのでした。
第4章「近代仏教ナビゲーション」の第1節「初心者のための人脈相関図」では、「国柱会――一世を風靡した日蓮主義のネットワーク」として、「『日蓮主義』という言葉をつくったのが、田中智学(1861~1939)である。智学は坪内逍遥に相談しながら、この言葉を造語した。明治34(1901)年のことである。日蓮主義とは、智学が伝統的な日蓮の教えを近代的に編みなおしてつくり上げ、独自にネーミングした近代仏教思想のことである」とあります。
また、「昭和期に入り、智学の仏教ナショナリズム(国家主義)思想は、国家主義や超国家主義の動向と結びつき、多くの軍人や右翼活動家の思想や活動を感化した。大東亜共栄圏のイデオロギーである『八紘一宇』は、智学の造語だった。日蓮主義の功罪を見極めることが重要である」とも書かれています。この国柱会ですが、宮沢賢治も熱心な会員だったことでよく知られています。
また、「ユニテリアン」として、「平井金三(1859~1916)は明治20年前後に京都の仏教系英学塾を基盤として野口善四郎(1861~?)とともにオルコット招聘のために動き、その後平井・野口は、ともに明治26年のシカゴ万国宗教会議に参加。帰国後、野口がユニテリアンに加わり、平井は野口の紹介もあって明治22年頃加入。平井はシカゴにおいて諸宗教の一致した地点である『総合宗教』について論じ、帰国後もこの方向で議論を展開させたが、これは既存の仏教教団から受け入れられず、これを一因としてリベラルな議論が許されるユニテリアン協会に加わった。しかし平井・野口ともに1900年代後半には協会内の人間関係の問題などもあってユニテリアンを辞している」と書かれています。わたしは、この「総合宗教」という言葉に魅せられてやまない者の1人であることを告白しておきます。
そして、「明治20年代の海外仏教者たち――オカルトワールドと仏教」として、「神智学運動が社会的に影響力を持ちはじめるのは、1880年代半ばからで、在印英人の新聞記者A・P・シネット(A.P.Sinnett,1840~1921)が執筆した、創立者ブラヴァツキーの心霊現象と神智学思想を伝える2冊の神智学書、『隠れた世界』(1881年)、『秘密仏教』(1883年)が欧米で反響を呼んでからである。同時期に、オルコットは『仏教問答』(1881年)を編集し、セイロンでの仏教復興運動に活躍した。ダルマパーラは当初は熱心な神智学徒でオルコットのよき協力者であったが、のちに両者は対立離反する」と書かれています。シカゴ万国宗教会議の帰途に訪欧した真言宗僧侶の土宜法龍も、ヨーロッパで神智学やスピリチュアリズムを見聞し好意的に評していました。
本書を通読してみて、近代仏教の魅力を改めて認識しました。結局、近代仏教の魅力とは、キリスト教、神智学、さらには心霊学(スピリチュアリズム)とも接近し、世界の諸宗教と交流して「総合性」を志向したことにあるような気がします。本書に登場する平井金三もそうですが、宮沢賢治、南方熊楠、出口王仁三郎、折口信夫、海外ではトルストイやタゴールなども含めて、人類の普遍思想を探求するようなロマンがこの時代の仏教には感じられます。今後も、近代仏教について学んでいきたいです。