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No.1960 プロレス・格闘技・武道 『強者の流儀』 朝倉未来著(KADOKAWA)
2020.10.28
『強者の流儀』朝倉未来著(KADOKAWA)を読みました。著者は総合格闘家、YouTuber。階級はフェザー級。1992年愛知県豊橋市生まれ。喧嘩に明け暮れた中学・高校時代を送り、「路上の伝説」とも称される。2013年にTHE OUTSIDERに参戦、史上初の二階級王者となる。2018年にRIZINデビュー、2019年末時点で6戦全勝。トライフォース赤坂に所属し、同ジムのインストラクターも務める。2019年5月にはYouTuberとして活動開始。2020年9月現在の登録者数は150万人を超え、21年3月には200万人突破が予想されています。
本書の帯
カバー表紙には、白のロングTシャツに、サングラス、ペンダントといったファッションの著者の上半身の写真が使われ、金色の帯には「THE OUTSIDER 史上唯一の二階級王者」「総合格闘技団体RIZIN 6戦全勝」「令和最速でチャンネル登録者数75万を突破した最強YouTuber」「‟路上の伝説”が語る成功哲学とは?」と書かれています。
本書の帯の裏
また帯の裏には「朝倉未来 初の著書!」と大書され、「愛知・豊橋で最強伝説を築き、不良少年から今や総合格闘技界を代表する選手へと成り上がった朝倉未来。日本中が注目するそのカリスマ的思考の根源が今、明かされる――」「自分を客観視できることが強さ」「真の自由には責任が伴う」「強い格闘家は頭がいい」「強者は状況を修復する」「アンチ活動は今すぐやめろ」と書かれています。さらにカバー前そでには、「国内最強を誇るフェザー級総合格闘家にして、令和最速でトップYouTuberに上り詰めた‟路上の伝説”朝倉未来が語る強者の流儀とは?」と書かれています。
当ブログの記事で、ひそかに高い人気があるのが格闘技&プロレス関連本の書評記事です。それはアクセス数を見てもわかりますし、初めてお会いした方から「いつもプロレスの記事、読んでます」などと言われて驚くことが最近増えました。わたしが読んできた格闘技やプロレスの本は、ブログで取り上げた後、書評サイトである「一条真也の読書館」の「プロレス・格闘技・武道」のコーナーに保存しています。そこに本書『強者の流儀』を加えるか、どうか、かなり悩みました。というのも、もともと、わたしはヘビー級や無差別級のファイターを好み、フェザー級などの中量級には関心がないのです。
しかし、著者の身長が177センチと知って、少し考えが変わりました。わたしと同じ身長ではないですか! それに試合では66キロ以下にまで絞ってきても、著者の減量前のウエイトは70キロ台だそうです。著者が活躍するRIZINの統括本部長を務める髙田延彦氏を相手に2度も完勝したあの「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーも身長178センチであることを考えれば、これぐらいの体格で最強戦士がいてもおかしくありません。
その後、「みなさま、ごきげんよう!」の挨拶で始まる著者のYouTube動画を観たら、とても面白く、著者自身に好感を持ちました。じつは、少し前の「街のケンカ自慢をスパーリングに誘う」とか「北九州の成人式に突撃してみた」などの動画はたまたま観たことがあったのですが、そのときは「プロのくせにヤンチャな奴だな」とか「北九州を馬鹿にしやがって!」と思いましたね。「こっちが北九州の成人式を正常化しようと奮闘しているのに、ふざけんなよ!」とも。
また、恩人である前田日明氏と対談したときの動画のタイトルが「前田日明と対談してみた」となっており、「年長の恩人を呼び捨てとは何事か! そこは前田日明さんだろう!」と腹が立ったのです。でも、対談の最中は「前田さん」と言っていましたけどね。その後も彼の他の動画を観続けたら、そんなに悪い奴ではないことがわかりましたし、何よりも格闘技の実力は本物とわかって、一気に興味を持ったのです。
そして本書を読むことに決めたのですが、その前に本書のアマゾン・レビューに目を通してみました。最も参考にされているレビューは1点でした。droさんというレビュアーが「強者の意味を履き違えていると思う」のタイトルで、「ケンカ時に、公園にある自転車で攻撃していたと書いてあるのを見て読むのをやめた。自転車には所有者がおり、その方はどう思うのか、そんな簡単なことも考えることができないのか。いい歳した大人がこんなことを堂々と本に書く精神年齢の低さに呆れましたケンカ自体も、空手を習っていたのであればそれは勝つでしょう。それはただの弱いものイジメです。優位な勝負ばかりでケンカに明け暮れたと言うことでしょうか。そもそも格闘家のほとんどは、自分を律しケンカ自体を買わないよう努めています。普通にそういった方達の方が強者に該当するのではないでしょうか」と書いています。なるほど。
次に参考にされているレビューは5点で、らなとーむさんというレビュアーが「自分自身に生きるということ」のタイトルで、「YouTubeで『ぼったくりバー』と検索すると上位にくる動画がある。その1つが再生数1千万回を超える著者の動画である。バーに入店→会計→法外な料金を請求される→断る→威嚇されるという定番の流れになるのであるが、彼は怯えるのでも声を荒げるのでもなく淡々と対応し極々自然体のうちに店員を納得させてしまい、当初の約束通りの前金のみを支払い店を後にする――多少強面ではあるものの若干20代の青年が、である。視聴された方ならば彼の豪胆さと神経のず太さに舌を巻いたであろう」と書かれています。なるほど、なるほど。ここで紹介した2人のレビュアーの発言には、それぞれ共感するところがあります。このようなアンチもファンもたくさんいて、いわゆる「朝倉未来現象」といえるブームが起きているのでしょう。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
「朝倉未来とは何者か」
第一章 強者の流儀
第二章 強者の準備
第三章 強者のメンタル
第四章 強者のYouTube
第五章 強者の人間関係
「おわりに」
「はじめに」では、著者は「この本には『強者の流儀』と銘打ちました。自分のことを強者と言ってしまうのは微妙ですが、少なくとも、強くあろうと思っていることは確かです。そうでなければ、総合格闘技のリングに上がり、闘い、そして、勝ち続けることはできません。言わば、この本に書いているのは、何もしないでいたら弱い存在である僕が、それでも強くあり続けるために持ち続けている考え方であり、習慣です」と述べています。
「朝倉未来とは何者か」では、「僕は1992年7月15日に愛知県豊橋市で生まれました。父は設備関連の職人で、母は看護師でした。下には同じく総合格闘家をしている弟の海と、妹がいます」「小学生になると空手と相撲を始めました。小さい頃から、強くなりたいと思っていたんです。体力もあって、マラソン大会ではいつも優勝していましたし、空手の大会でも全国2位までにはなりました」「中学生ぐらいから、いわゆる不良の道に入りました。なりたくてなったわけではなく、親や学校、先輩などからの押しつけや、社会に対する違和感に反発していたら、いつのまにか不良と呼ばれていたんです」と自己紹介しています。
第一章「強者の流儀」の「強い人には余裕がある」では、著者は、日常においても、格闘技においても「余裕がある人には強さを感じますね」と言います。では、余裕があるとはどういうことかというと、日常的なところでは、あまり怒らない、動じないということだそうです。わたしは気が短いので、けっこう耳が痛い言葉ですが、著者は「怒っている方からしても、意図して怒っているんでなければ、非常に損だし不幸なことですよ。だって、すでに起こってしまったことに囚われて、イライラしてしまっているわけですから。時間というのは巻き戻らないので、起こってしまたことのためにイライラして、悪い気分のまま時間を使ってしまうというのが一番不幸です。そういう点では、人を許せる余裕があることが、強さなんだと思います」と述べています。20代にして、この達観ぶり。うーん、一本取られた!(笑)
「攻守のバランスは将棋から学んだ」では、著者が子どもの頃に父親から教わった将棋をずっとやっていて、今でも携帯のアプリなどで楽しんでいることが明かされます。将棋の戦略に基づいた考え方を人生にも当てはめているような感じがするそうですが、それくらい将棋から学べるものは多いとして、著者は「攻めてばかりでは勝てない、というのがその分かりやすい学びの1つですね。僕はもともと攻め一辺倒だったので、最初の頃はなかなか将棋で勝てなかったんですよ。単純に攻めているだけでは守りが疎かになってしまう。格闘技でも同じですね。それから将棋の場合、様々な特徴を持った駒を使いますよね。それが自分の兵隊になるのですが、兵隊ごとの特徴をしっかり活かすようにすないと効率がよくならない。駒を生かすも殺すも、そして勝負に勝つも負けるも僕次第です」と述べます。非常に説得力のある将棋論だと思います。
「陰口は言うな」では、万が一、自分がアンチ活動をしてしまっている側だという人がいたら、絶対に今すぐやめたほうがいいと忠告し、さらに「陰口のようなアンチ活動をしている時点で、日常のコンディションとしてもうダメだと思いますが、もしもその人の生活を見ることができたら、人間関係に問題があったり、金銭面に問題があったり、職業に問題があったり、その他の行動で問題があったりと、様々な悪い環境、悪環境にのまれていることだと思います。逆に、そういう行動をやめれば、日々の生活を切り替えて、変わっていけるかもしれない。だから、いずれにしても陰口やアンチ活動は、今この瞬間にやめるのが吉だと思います」と、著者は述べます。成功者の考え方ですね。
「強い格闘家の四要素」では、著者が具体的に強い格闘家について考えます。RIZINに関連する格闘家では堀口恭司選手、那須川天心選手、それからK-1の武尊選手らの名前を挙げる著者は、このレベルの選手の第一の共通点として「頭がいい」ということを指摘します。いわゆる学校の勉強ができるとかそういう意味ではなく、頭を使って準備し、闘っているという意味です。それに加えて必要なのが「基礎的な身体能力の高さ」です。それを持った上で必要なのが「努力の継続」です。最後が「意志の強さ」です。まさに、最後にものを言うのがこれで、著者は「特に、実力が拮抗した選手同士の対戦の場合、最後に勝敗を分けるのは気持ちの部分です。もちろん気持ちだけでは勝てませんが、何としても勝つという強い意志を持っていなければ、厳しい勝負を取り切ることはできません」と述べています。
「人生のテーマは『自由』」では、自由に生きるために必要なものとして、「ぶれない軸」「信頼できる少しの仲間」「お金」とともに「責任」を挙げているのが印象的でした。著者は、「過去の若気の至りではありますが、昔、僕は暴走族をやっていたことがありました。そのときの僕は、暴走族をやることで凄く自由を感じていたんですよ。社会のルールに縛られず、昼も夜もなく、風を感じながら好きにバイクに乗ったり喧嘩に興じたりしていた。でも、それって非常に無責任な状態だったんですよ」と述べます。
続けて、著者は「自分で生計を立てているわけでもないし、法律に触れているからいつ逮捕されるかもわからない。逮捕されるからには誰かに迷惑をかけていたということだし、逮捕によって当然家族や周りの人にも迷惑がかかります。こんな無責任な自由っていうのは本物じゃない。偽物なんですよ。本当の自由とは何か。それは自分が全ての行動の責任を持っているということ。自由がそういうものだと知った上で、何かの行動の結果に対して、いつも解決したり対応できたりということができる状態のことです。自分の身勝手な行動のせいで、自分の周りの人に迷惑をかけたり、悲しませたりしているようでは、自由ではないんです」と述べるのでした。まったく、その通りですね。
第二章「強者の準備」の「練習は量より質」では、著者は「練習で重要なのは量ではなく質であり、そして継続」であると言い切ります。また、無駄なことをしないとして、ウェイトトレーニングもランニングも一切しないことを明かします。なぜなら、総合格闘技の試合で勝利することに直接結びつかないからだそうです。著者は、「ベンチプレスやランニングの危険なところは、とりあえず体に負荷はかかるから練習を『やった気になる』というところ」だとか。とにかく、スパーリングを中心にした練習をやっているそうです。
「総合格闘技の奥深さ」では、現在の総合格闘技の状況を見ると、ボクシングが強くてテイクダウンディフェンスが上手い人たちが現在のトップ層に位置しているとして、著者は「柔術がめちゃくちゃ強かったとしても、組技に持っていくことができない。組技になったとしても、パウンドの強さに差があってそれでやられてしまう。日本人選手は打撃に苦手意識があるので、組技で勝とうとしますが、フィジカル差で負けてしまうことが多い。さらに近接の打撃戦を嫌ったり、撃ち合いになると目を瞑ったりする。これでは勝てません。外国人のトップファイターはみんな打撃ができているので、この点では日本人だけが遅れていると僕は思います。まずは打撃で勝利することを考えるべきです」と述べています。
「臆病に考える」では、試合が決まるということは対戦相手が決まるということなので、その相手に勝つことを目的として練習するとして、著書は「その際にいつもしているのは、相手を過大評価するということです。本当の実力は、正直、試合の映像を見れば分かってしまうのですが、それでもそれより相手を強く見積もっておきます。そうすると、試合後に『こんなものか』と思うのですが、その状態こそが勝利の秘訣です」と述べます。一例として、谷地祐介選手との試合では、谷地選手が自分よりも重い階級の選手なので相当なパワーだと想定して練習したそうです。おそらくテイクダウンされるだろうと想定し、テイクダウンされたときにすぐに起き上がれるように練習しました。実際の試合ではテイクアウトされることはありませんでしたが、仮にそうなっても大乗なように準備をしていたので、余裕をもって試合を展開できたわけです。
「RIZIN グスタボ戦はこう備えた」では、著者の試合の歴史で最大の山場となったルイス・グスタボ戦について語っています。
グスタボは直前のRIZINで谷地選手と試合をしてKO勝利していたので、この試合は何度も見たそうですが、その際気づいたのは、テイクダウンされたときに下からの対処があまりできていないということでした。著者は、「相手の攻撃でポイントになるのは右ハイキックと飛び膝蹴りかなと見ていたので、そこに合わせる練習を考えました。印象としては、攻撃はできるなという感じでしたね。僕は相手の弱いところで戦うことができるので、試合によってスタイルが変わります。もし試合中に想定外のことが起きたら、プランも変更しないといけないですし。そもそもプランも1個だけで試合に臨むことはなくて、大体10個は持っていきます、あまりプランが潰れずに済んだら、ラッキーという感じですね。ただ、それまでの人生ではプランを使い切るなんてことはなかったんですけど、グスタボ戦ではほとんど使い切ったという印象です。それで焦ったということはないですが、厳しい勝負になりました」と述べています。
第三章「強者のメンタル」の「メンタルの強さの根源は‟死ぬ覚悟”」では、著者は「プロ格闘家と他の職業の人を比較したときに、決定的に違うのは、リング上で死ぬ可能性があるということです。そうでなければリングドクターが常に試合についているなんてことはないですよね」と述べます。ステージでパフォーマンスをしているときの事故などとは全然違うし、減量や水抜きに失敗して命を落とすこともあるとして、「格闘家は武士に似ていますね。すぐ近くに死の可能性がある。だから、逆に言えば覚悟がなければリングの上には立てないと思います。少なくとも、僕はリング上で死ぬことへの恐怖感はほとんどないんです。いつ死んでもいいな、とすら思っています」と述べます。
また、著者は以下のようにも述べるのでした。
「本当に死んでもいいと思っているからこそ、心の底から開き直れるのだと思います。死んでもいい、どんな怪我をしてもいいから、リング上では死ぬ気でやろう。その気持ちが背中を押してくれる。開き直ると、僕は生を感じます。死ぬことを実感するとき、生きていることもまた実感できるんです。不良時代、いつも危ない戦いをしてきました。ひどいときは、悪い人から殺害予告などを受けていました。こういう危険な境遇でのストリートファイトが好きだったのは、そんな戦いの中でだけ、自分の生を実感できていたからなのだと思います。そういう乗り越えの中で、自分のメンタルも鍛えられてきたのでしょう。本当に死んでもいいやと思えるなら、目の前の壁を必ず越えることができるでしょう。もしもあなたが死んでもいいと思っている状況なら、他にできることが必ずあるはずです」
「夢への挑戦が人を変える」では、「夢を持ち、挑戦するということは非常に大切なことです」と訴え、著者は「挑戦しないと失敗もしない。そして、失敗やミスがあったら、それを改善していけばいい。そうしたら最終的には失敗じゃなくなります。これは仮定の話ですが、もしも僕がとてつもなく強い相手と試合をすることになり、仮にそれで負けたとしても、その試合をしなかった場合の僕よりも、試合に臨んだ僕の方が間違いなく強くなっています。成長できるからです。だから、挑戦においては短期的な成否や勝ち負けは関係ありません。それを通じて自分を成長させていけば、最後には目標を達成することができます」と述べています。著者には、いま、プロボクシング5階級制覇のフロイド・メイウェザーJrとの夢の対戦が噂されています。軽量の那須川天心を子ども扱いしたメイウェザーですが、「朝倉未来なら、やってくれるかも?」と期待しているファンは多いと思います。この試合が実現したら、わたしも観に行きたいですね。
「不安は『努力』で乗り越える」では、「こんなに努力してもダメだったらもう仕方ない」と思えるかどうかが重要だとして、著者は「格闘技の試合の場合は相手がいるのでどうなるか分からないところもありますが、僕は死んでも負けたくない、リング上では死んでもいいという覚悟で戦っているので、それでも負けたなら仕方がないですよ。ただ、相当なところまで諦めないでしょうし、負けるときですら、人が感動するくらい格好よく負ける自信があります。世界で戦うということは、自分が負けるなんて想像もしたことがないような強者たちと競い合うということなので、何があるか分かりません。そういうところで戦うためにも、限界まで努力する必要があるんです」と述べます。
第四章「強者のYouTube」の「ただ物事をやるだけの企画は面白くない」では、日本でもトップレベルの人気を誇るYouTuberとなった著者が、人気動画を創る秘訣について語っています。著者は、「僕の動画の企画では、僕が主にシナリオや構成を考えています。その僕から見て、企画をやるときに重要なのは、視聴者の意表を突く、ということです」と述べます。確かに、著者の動画はよく寝られていて、面白いです。他の格闘技の選手とのコラボやスパーリングもいい。特に、ボクシングや空手、K-1の選手など、打撃系の選手とのスパーリングを見ると、格闘家としての著者の天才ぶりがよく分かります。
ただし、初期の頃からの企画である素人の喧嘩自慢とスパーリングをするというのはいただけませんね。観ていて不快な気分になります。著者はプロの格闘家なのですから、もっとプライドを持ってほしい。最近、YouTubeを軸に活動しているお笑い芸人の宮迫博之が酒気帯びなのに著者とスパーリングして、「脳が揺れる」などと悲鳴を上げていましたが、あれは本当に危険です。取返しのつかない事故に繋がりかねません。素人とのスパーリングは止めたほうがいい。
それから少し前に、6キロの巨大ラーメン完食に挑戦する大食い企画がありましたが、これもアスリートとしては有り得ないでしょう。第一、身体に良くないです。前田日明氏も「水抜きは腎臓を悪くするぞ」と心配していたではないですか。格闘家を引退した後のこととか、動画作成のためのスタッフの生活などを考えて、YouTuberとしての活動も大切にしているのでしょうが、このままでは本末転倒になってしまう不安を感じます。著者は、もっと自分を大切にするべきです。なんといっても、著者は日本格闘技界の希望の星なのですから!