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No.0070 哲学・思想・科学 『友愛革命は可能か』 小林正弥著(平凡社新書)
2010.05.15
『友愛革命は可能か』小林正弥著(平凡社新書)を読みました。「公共哲学から考える」というサブタイトルがついています。
著者は、千葉大学法経学部教授。専門は、政治哲学・公共哲学・比較政治です。
わたしは、昨年末に「フリーメイソン」についての著書を書くつもりでしたが、当然ながらそのきっかけとなった「友愛」についても資料をかなり読み込みました。なので、「もしかしたら、本書と同じような本を自分が書いたかも」と思いながら、読みました。
公共哲学から考える
経営学者にして社会生態学者でもあったピーター・ドラッカーは、次なる社会としての「ネクスト・ソサエティ」の姿をさぐりました。わたしは、これからの社会は、人間の「こころ」が最大の価値を持つ社会になるのではないかと思っています。すなわち「ハートフル・ソサエティ」です。それは「愛」や「慈悲」や「仁」にあふれた社会です。
そして、鳩山由紀夫首相のいう「友愛社会」のことでもあります。鳩山首相は、今回の政権交代の以前から一貫して、「友愛」の思想を唱えています。祖父である鳩山一郎は日本を代表するフリーメイソン会員であったことで有名ですが、「友愛」の思想を説いた名著として名高いクーデンホーフ=カレルギーの『自由と人生』や『友愛の世界革命』なども自ら翻訳しているほどです。
鳩山一族の「友愛」思想のルーツは、明らかにクーデンホーフ=カレルギーにあります。彼は、現在のEU(ヨーロッパ共同体)誕生の元になった「汎ヨーロッパ運動」の中心的人物として知られ、ヒトラーの弾圧を受けました。映画「カサブランカ」で、最後にハンフリー・ボガードからスペインに逃亡させてもらうイングリッド・バーグマンの夫のモデルでもあります。
クーデンホーフ=カレルギーは伯爵であり、鳩山家は日本有数の名家ですので、彼らの唱える「友愛」には貴族的なイメージがつきまといます。そのため、著者は鳩山一族が唱えてきた「友愛」を「上流の友愛」と呼びます。そして、もう一つ、下層の人々の救済を含む「友愛」を「民衆的友愛」と呼び、その代表的思想家として賀川豊彦の名をあげます。
賀川豊彦は、『死線を越えて』などのベストセラーを書いた作家であり、自らスラム街に飛び込んで多くの貧しき人々を救済した社会運動家です。なんと、ノーベル文学賞候補(1947・48年)に2回なり、さらにノーベル平和賞候補(1954~56年)に3回もなった人物です。また、シュヴァイツアーやガンジーと並ぶ「20世紀の3大聖人」とも呼ばれたこともあります。このように世界的名声がきわめて高いにもかかわらず、これまで日本ではほとんど忘れられた存在であり、主著の『死線を越えて』でさえ、昨年になって復刻されるまではまったく読めない状況でした。
しかし、この賀川の思想が最近になって見直されてきています。彼の「友愛」を基本にした経済思想が、リーマン・ショック以降の経済に対する大きなヒントとなり、さらには貧困社会を乗り越える具体案を多く秘めているというのです。
わたしが深い関心を抱いたのは、賀川が「相愛扶助」とか「友愛互助」といった言葉を使っていたことです。というのも、わが社は互助会ですが、その理念は「相互扶助」であり、これを略して「互助」といっているわけです。
わたしたちの目指す理念と、賀川が唱えた「友愛」に大きな接点を見出したのでした。そこで、早速、賀川豊彦についての入手しうるすべての文献をアマゾンで注文しました。おそらく、賀川の思想は、これから執筆する「隣人」についての著書にも参考となるでしょう。賀川の「民衆的友愛」について知っただけでも、本書を読んだ価値はありました。
もちろん、他にも興味深く読んだ部分は多かったです。たとえば、著者は「友愛」という抽象的概念について徹底的に分析していきます。
まず、『広辞苑』などを参照しても明らかなように、「友愛」は「兄弟愛」という概念と分かちがたく結びついています。その意味で、弟との「兄弟愛」もままならない鳩山首相が声高に「友愛」を説くのは違和感があるのですが。(笑)
それはともかく、古代ギリシャに生まれた「友愛」の思想が、フランス革命では「自由」「平等」と並ぶ理念にまでなった歴史的経緯を著者は丹念に説明してくれます。そして、狭義の「友愛」はギリシャ哲学の「フィリア」に近く、広義の「友愛」はキリスト教の「アガペー」に近いという明快な説明に至ります。
「フィリア」を日本語にすると「友情」、「アガペー」は「隣人愛」になるでしょうか。当然ながら、「隣人愛」とは、ご近所を愛することではありません。それは、「同胞愛」であり、「博愛」に通じる広い「愛」のことですね。
そして、著者は、心理学者エーリッヒ・フロムの名著『愛するということ』の内容を引きながら、愛には質的な階梯があり、それを上昇してゆくものだと述べます。それにしても、「友愛」の定義をめぐって延々と続く抽象的な議論。皮肉などではなく、わたしは大変面白く読みました。でも、この抽象的議論に飽き飽きする読者もいるかもしれません。しかし、「抽象的思考」というものは非常に大切なのです。
一般に「抽象的」というと、あまり良いイメージを持たれないのではないでしょうか。「抽象的な言葉ではなく、もっと具体的に」とか「抽象的な議論はもうヤメだ!」といった具合にです。その反対に良い意味で使われるのが「現場」という言葉でしょう。しかし、「現場」が大事なことはもちろんですが、「抽象」も大事なのです。
脳機能学者の苫米地英人氏は、現代人にとって、知識よりも情報を総括して高い視点から見る力、つまり抽象度を高くして見る力が必要とされると述べています。「抽象度が高い」というのは、より多くの情報を包括できるということです。
例えば、「チワワ」という情報に対して、「犬」という情報は、チワワも含んでいるのでより抽象度の高い情報となります。また、「犬」という情報よりも「哺乳類」、さらには「生物」という情報の方が抽象度の高い情報です。このように、情報の範囲が広ければ広いほど、抽象度が高いことを意味します。
そして、政治家や経営者といったリーダーほど、できるだけ高い抽象度で物事を判断しなければなりません。そういえば、「東京自由大学」の海野和三郎学長とのコラボで「いのちを考えるゼミ」を開催したとき、海野学長は鳩山首相について「物の見方の次元が非常に高い人かもしれない」と言われていました。評論家の佐藤優氏も同じことを発言していたそうです。たしかに、鳩山首相の「友愛」発言は、次元が高いというか抽象度が高いことは間違いないと思います。
では、そんな抽象度が高い理念を現実の政治に生かすことはできるのか。
かつて、中曽根康弘元首相は、鳩山「友愛」論に対して、「甘くて、すぐに溶けるソフトクリーム」と評しました。奇しくも理想主義者である鳩山首相は、小沢一郎幹事長という、最高に現実的な政治家とタッグを組んでいます。著者は、次のように述べます。
「鳩山首相に期待したいのは、友愛という理念に即して、それを可能な限り粘り強く実現する姿勢である。小沢幹事長との力関係についての議論がしばしばなされているが、私は聖徳太子と蘇我馬子との関係を思い出す。当時の実権は蘇我馬子が握っていたが、聖徳太子はその支持のもとで可能な限りの理想主義的政策を実現させた。同じようなことを鳩山首相には期待したい」
なんと、著者は、鳩山首相に聖徳太子の為政を求めているのです!
本書の正直な感想をいうと、せっかく情報量も多く、「友愛」思想の系譜も丁寧に述べられているのに、著者の政治そのものに対するパッション、あるいは現実の政治家や政党に対するシンパシーが強すぎて少々暑苦しく感じてしまいます。
ずばり言うと、鳩山由紀夫および民主党への想いが強すぎるのです。鳩山政権の支持率を大きく下げる原因となった実母からの献金問題や普天間基地移設問題なども、力づくで擁護しようとする姿勢が目立ちます。実際に著者は民主党政権に大きな期待を寄せているのでしょうが、これでは本書そのものが色眼鏡で見られてしまい、せっかくの良書が、もったいないと思いました。
それにしても、著者は熱く読者に語りかけます。
「はじめに」の最後は、「『友愛』の理念が人びとに深く理解され、実践されることによって、『友愛公共革命』に発展していってほしいものである。これが、かつてのフランス大革命に匹敵するような世界史的意義を持つ『日本友愛大革命』となってゆくように願いつつ、本書を世に贈りたい」と結ばれています。
また、「あとがき」の最後は、次のような結びです。
「愛とは人間にとって最も大切な理念であり、それを政治的・社会的に表す時に友愛の理念が現れる。日本政治の中心において、友愛という言葉、愛の理念が輝き、人びとの心に希望と光明を灯したことには、まさに歴史的な意義がある。しかし、愛の政治、友愛政治は、決して一政権の理念に止まるべきものではなく、本来、今後のすべての政治、全世界の政治の理念となるべきものである。日本の歴史的な政権交代が、政権交代を超えて、歴史的な友愛大革命への展開の起点になることを願いたい。日本だけでなく、まさに地球全体に及ぶような世界友愛革命がここから始まることを望みたい。そして、本書が愛という理念を大革命へと展開する起爆剤となり、友愛世界の建設に寄与することを祈る次第である」
いやあ、こんなに熱いアジテーションは久しぶりです。わたしも自他ともに認める理想主義者であり、よく読者から「一条さん、熱いですね!」と言われたりします。そのわたしから見ても、この著者は筋金入りの理想主義者であり熱い人ですね。
著者は、わたしと同い年です。この年代特有の熱さというものがあるのでしょうか。(笑) それにしても、政治学者というより政治家としか思えない文章です。学者として、それなりのリスクを負う覚悟を、本書からは強く感じます。そして、その著者の覚悟というものを、わたしは高く評価したいと思います。いくらリスクを負っても、それを物ともしない学者といえば、わが義兄弟である鎌田東二さんです。
著者は、その鎌田さんとも知り合いとのことで、本書を贈呈されたとか。機会があれば、一度お目にかかって、「友愛」について語り合ってみたいと思います。
ただ、わたしは「友愛」には大きな関心がありますが、現実の政治にはまったく関心がないことが本書を読んで再確認できました。「近代日本最高の知性」と呼ばれた小林秀雄は、名著『考えるヒント』の冒頭で、「ソクラテスには、自分の考えも、他人の考えもない。ただ正しく考えるということだけである」と書いています。それについて、哲学者の池田晶子は、著書『新・考えるヒント』(講談社)で、次のように述べています。
「この言葉を、哲学者からではなく批評家から聞くということは、文字通り皮肉なことである。ソクラテスが政治に関与しなかったように、小林も政治を遠ざけた。(中略)政治とは、自分の考えと他人の考えという二分法を疑わないことに他ならないからである」
「友愛」という思想そのものの源流がプラトンにあることを本書『友愛革命は可能か』でも紹介されていますが、ソクラテスはそのプラトンの師です。誰が考えても人類普遍の理念である「友愛」を政治に落とし込むことは、やはり想像をはるかに超えるほど困難なことなのでしょう。