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No.0094 コミュニケーション 『共感の時代へ』 フランス・ドゥ・ヴァール著、柴田裕之訳(紀伊國屋書店)
2010.06.14
『共感の時代へ』フランス・ドゥ・ヴァール著、柴田裕之訳(紀伊國屋書店)を読みました。「動物行動学が教えてくれること」というサブタイトルがついています。
著者はオランダの動物行動学者で、霊長類の社会的知能研究における世界の第一人者として知られています。『裸のサル』の著者であるデズモンド・モリスは、本書について、「これは、人間の優しさの生物学的ルーツについての大切でタイムリーなメッセージだ」と評しています。
動物行動学が教えてくれること
ドゥ・ヴァールの最初の著書は『チンパンジーの政治学』(産経新聞出版社)といいます。同書では、人間の政治家と比較して、チンパンジーの権力闘争にからむ追従や画策を描きました。大ベストセラーになり、著者は「一夜明けたら有名人になっていた」ほどです。世界15カ国以上に翻訳され、2007年には「タイム」誌の「世界で最も影響力のある100人」の1人に選ばれています。
さて、著者の最新作である本書では、「共感」がテーマとなっています。ドゥ・ヴァールは、競争社会の理論的支柱となった『利己的な遺伝子』の著者であるリチャード・ドーキンスと真っ向から対決する宿敵としても知られています。彼は、「利己的な遺伝子」というメタファーがもたらした行き過ぎた競争社会に異を唱え、「共感」の重要性を訴えます。
「はじめに」の冒頭で、いきなり、「今時、強欲は流行らない。世は共感の時代を迎えたのだ」と高らかに宣言します。そして、本書のメッセージは著者の次のような言葉に要約されるでしょう。
「利己的な諸原理に基づく社会を正当化するために、たいてい生物学的な特質が担ぎ出されることは確かだが、その同じ特質がさまざまな共同体をまとめる接着剤を生み出してきたことも、けっして忘れてはならない。この接着剤は、私たち人間以外の多くの動物の間にも見られる。他者と調和し、活動を連携させ、困っている者を気遣うという行為は、私たちの種に限ったものではない。人間の共感には、長い進化の歴史という裏付けがある。」
生物や進化というものを考えずに、政治や経済は語れません。なぜなら、社会は人間から成っており、その人間は生物としての進化の歴史の上にあるからです。「共感」が進化の歴史の中で、生存のためにいかに重要な価値を持っていたかを理解しなければなりません。
著者は、人間の体と心は社会的な生活を営むためにできていると主張します。それができないと、わたしたちは絶望的なまでに落ち込むというのです。だからこそ、独房監禁は死刑に次いで重い罰だというわけです。人間に必要なものこそ「絆」であるとして、著者は次のように述べます。
「絆を結ぶのは私たちにとってじつに有益だから、確実に寿命を伸ばしたければ、結婚して、その結婚を長続きさせるに限る。ただしこれには、配偶者を失ったときのリスクが高いという泣き所がある。人は配偶者を失うと絶望し、生きる意欲が萎えることが多い。残された配偶者が交通事故やアルコール濫用、心臓病、癌で命を落とすのは、そのためかもしれない。配偶者を失った人は、その後の半年間、死亡率が高くなる。年長の人より若者、女性より男性のほうが、その傾向が強い。」
そして、それは動物の場合も少しも違いはない、と著者は言います。実際に、それが原因で著者はペットを2度失っています。飼っていたコクマルガラスとシャム猫が、それぞれのパートナーを失ったことによって食欲がなくなり、ついには死亡してしまったのです。配偶者のみならず近親への愛着を断ち切れない動物の話も多く、著者は次のような事例を紹介しています。
「霊長類の母親が、死んだ赤ん坊を肌身離さず暮らしているうちに、とうとう骨と皮が残るだけになってしまう例は珍しくない。一週間前に赤ん坊を亡くしたばかりのケニアのメスのヒヒは、亡骸を残してきたサバンナの低木の茂みを認めると、激しく動揺した。彼女は高い木に登ってあたりを見回し、ふだんはヒヒが群れからはぐれたときに使う、悲しげな声を発した。ゾウも仲間の亡骸の所に戻り、日にさらされて色褪せた骨を見下ろし、厳粛に立ち尽くすことが知られている。一時間もかけて、何度も骨をひっくり返しては匂いを嗅ぐこともある。ときには骨を運び去るが、骨を『墓所』に戻すゾウも目撃されている。」
動物たちの「共感」は、「相互扶助」へと通じます。1902年に刊行されたロシアの貴族ピョートル・クロポトキンの著書『相互扶助論』では、動物の協力的な集団は、そうでない集団を凌ぐと主張されています。つまり、集団の中で共感しあい、互いに支援するというネットワークを築くことは、生存のための非常に重要な技能であるというのです。それは、進化論を唱えたダーウィンの考えにも一致するものでした。
動物の中には、当然ながら人間も含まれます。わたしは拙著『ハートフル・ソサエティ』の最終章を「共感から心の共同体へ」と題し、これからの社会において「共感」というものがますます重要になっていくと述べました。それは、「情報」の問題とも深く関わっています。
ネクスト・ソサエティとしての「心の社会」は、ポスト情報社会としてとらえられがちですが、ある意味では、新しい情報社会であると言えます。情報には2種類あります。コンピュータで処理できる「記号系」情報と、コンピュータでは処理できない「非記号系」情報です。
記号系は、音(声)にはじまり、言葉、それを記した文字、静止画としての絵、それがビデオのように動く動画などで、これらは「知的情報」と呼ばれます。
一方、非記号系は、舌で感じる味、鼻で知る香り、皮膚で感じる肌ざわり、心と心のコミュニケーションとしての以心伝心、さらにはインスピレーションのような第六感の世界まであり、これらを「心的情報」と呼ぶことができます。
これまでの情報社会とは、記号系の知的情報が中心の「知的情報社会」でした。しかし、これからは非記号系の心的情報が中心の「心的情報社会」すなわち「心の社会」となります。
思いやり、感謝、感動、癒しなど、人間のポジティブな心の働きは今後ますますその価値を高めていきますが、社会というものが複数の人間の集まりであることを考えれば、関係性が重要な問題となります。そして、心の関係性というものを考えたとき、「共感」というキーワードが出てくるのです。
人はどんなときに共感するのでしょうか。たとえば、感動的な映画を観終ったとき、卒業式で仲間たちと別れを惜しむとき、映画館や学校の講堂には間違いなく、共感が生まれていると言えるでしょう。わたしは、古来から人類に共感を与えてきたものとして、神話と儀式の存在が最も重要であると思っています。
映画とは神話の代用品であり、卒業式とは儀式の本質です。結婚式や葬儀といった冠婚葬祭も、共感の大きな舞台となっていますが、これもまた儀礼そのものです。人類の偉大な精神の営みである哲学・芸術・宗教も、すべては母なる神話と儀式から生まれてきました。
人間の共感の源泉こそは、神話と儀礼にあり! 人間とは、つまるところ、「物語」を消費するサルなのです。本書を読んで、わたしはそのようなことを考えました。