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No.0187 宗教・精神世界 『火・水(KAMI)』 鎌田東二・近藤高弘著(晃洋書房)
2010.09.30
『火・水(KAMI)』鎌田東二・近藤高弘著(晃洋書房)を読みました。
著者のひとり、鎌田東二さんより本書が送られてきました。早速、今朝早起きして一気に読みました。ちょうど、鎌田さんがご自身の公式サイトに連載されている「ムーンサルトレター」で本書について書いています。
新しい死生学への挑戦
本書のサブタイトルは、「新しい死生学への挑戦」となっています。鎌田東二さんは14年前に「天河護摩壇野焼き講」を組織され、「世直し」の志を胸に秘めて粛粛とその活動をされてきました。本書には、その全記録が収められています。
本書の帯には、編集工学研究所所長の松岡正剛さんが、次のような推薦文を寄せています。「コンドーの火、カマタの水。二人が揃って、土であって天である器を生んだ。これは貴くて、これは慶ばしい。世には『告げる器』というものがあっていい」
著者のお二人は、他ならぬ、わが義兄弟です。ブログ「義兄弟」にも書きましたが、お二人とも、それぞれ日本を代表する宗教哲学者であり、造形美術家です。二人の兄貴の最初の共著となる本書は、まったく新しい「死生観」についての書です。そして、その中心に位置しているのは、「解器(ほどき)」という存在です。新時代の骨壷のことです。
鳳凰をイメージした解器(製作:柿坂神酒之祐)
近藤高弘さんは、骨壷ではなく「解器(ほどき)」と命名しました。「解脱(げだつ)」という仏教の精神を意味する「ほどく」をもじった造語で、「ほとけ」にも通じます。
鎌田さんによれば、神道とは「むすび」の宗教で、仏教とは「ほどき」の宗教であるといいます。わたしたち人間の生は、仏教的に言えば「生老病死」という四苦の中にあり、神道的に言えば「産霊(むすび)」の生成化育の中にあるのです。生を「むすび」ととらえることができるとしたら、死は、その「むすび」固めたかたちが「ほどかれていく」過程であると、鎌田さんは述べています。
燃えさかる天河火間
2009年11月、奈良県にある天河大弁財天社の鎮魂殿(禊殿)前に近藤高弘氏の設計による「天河火間」が完成しました。わたしもそのプロジェクトに参加させていただきましたが、天河火間こそは「世界一美しい窯」だと思います。
その「世界一美しい窯」で最初の解器が焼かれました。鎌田さんの亡くなられたお母さんの解器です。解器は、ちょっと特殊な仕方で作られます。それが、単なる「骨壷」とは異なるところです。一度作ったものを素焼きし、天河の護摩壇の中に投じて焼き上げます。が、それを一度こなごなに粉砕します。そして、自分によってゆかりのある地で(鎌田さんは天河大弁財天社の天河火間のところで作りました)、その粉々にしたものを新しい粘土に混ぜて作り直します。さらに素焼きをしたのち、次の年の2月3日に行われる護摩壇野焼きの火の中に投じるのです。
ですから、「解器」という骨壷は、「素焼き2回、護摩壇2回、合計4回の火を経験してきているのです。そのようにして、念入りに作られた骨壷は、まさに「念念入り骨壷」で、一般に市販している骨壷とはモノが異なってきます。
世界でたったひとつの骨壷「解器」製作のムーブメントは、これから大きく広がっていく予感がします。まさに、新しい葬送儀礼のあり方のひとつではないかと思います。解器については、『葬式は必要!』(双葉新書)でも紹介しましたが、大きな反響がありました。
解器が焼かれる天河火間の両脇には「水」を表現するガラスが配されています。窯の中では、「火」が燃えるわけですから、「火」と「水」のハーモニーで、まさに「火水(かみ)」の空間です。
最初に天河火間を見たとき、わたしは沖縄の亀甲墓を連想しました。亀甲墓は、母親の子宮のイメージです。でも天河火間のデザインは、近藤さんいわく「宇宙船のイメージ」だそうです。なるほど、わたしも常々「人間の死とは宇宙的な事件である」と考えていますので、大いに納得しました。
本書を読むと、ますます「人間の死」が「宇宙的な事件」であると思えてきます。この世での人生を卒業した後は、魂の故郷である宇宙に還ることが自然に思えてきます。
そういえば、天河で鎌田東二さんと一緒に見上げた中秋の名月は、この世のものとは思えない美しさでした。その月を見上げたとき、わが魂が疼いたことを思い出しました。あれは、帰巣本能のせいだったかもしれません。
天川で見上げた中秋の名月