No.0194 ホラー・ファンタジー 『花まんま』 朱川湊人著(文春文庫)

2010.10.11

花まんま』朱川湊人著(文春文庫)を読みました。

昭和40年代の物語です。『かたみ歌』は東京の下町でしたが、こちらは大阪の下町が舞台です。著者の朱川湊人自身が大阪の出身だそうです。本書は、当時子どもだった主人公が体験した不思議な出来事を集めたファンタジー短篇集となっています。少しだけホラーのテイストも混ざった本書で、著者は第133回直木賞を受賞しました。

とにかく泣ける傑作短篇集

本書には、「トカピの夜」「妖精生物」「摩訶不思議」「花まんま」「送りん婆」「凍蝶」の6つの短編作品が収録されていますが、それぞれに味わいのある名作揃いです。

最初の「トカピの夜」は、大阪の下町に住む隣人たちとの交流を描いています。主人公が住んでいたのは、いわゆる文化住宅(長屋式の賃貸住宅)が6棟ほど集まった地区です。本書には次のように描写されています。

「細い路地の突き当たり、袋小路のなった区画で、それぞれの家が玄関を内側に向けあってコの字型に並んでいた。そのコの字の真ん中は、学校の教室二つ分ほどの細長いスペースになっていて、子供の遊び場になったり、母親たちの社交場になったりした。いわば、屋根のないロビーのようなものである」

そこに住む人々は、みんな同じように貧乏だったので、変な見栄や気取りはまったく必要なかったのですが、その中の1軒には在日朝鮮人の家族が住んでいました。他の家族も、その朝鮮人家族に対しての接し方だけは異なりました。つまり、差別をしていたのです。その家には、チュンジとチェンホという子どもの兄弟がいました。兄のチュンジは体が大きく気性も荒いので近所の子どもたちからも恐れられていましたが、弟のチェンホは小さくて病弱な少年でした。チェンホはみんなと一緒に遊びたくて仕方がないのですが、子どもたちの世界にも差別と偏見があり、寂しい思いをします。

そんなチェンホが病気になって死んでしまいます。明らかに日本の風習とは違う朝鮮式の通夜の場で、主人公は次のように思います。

「両親と一緒に手を合わせながら、私はぼんやりと、チェンホはどこに行くのだろう・・・・・と考えた。
チュンジとチェンホの兄弟は、日本で生まれた子供である。朝鮮語も話していなかったし、見る限り、日本人の子供と何も変わりはなかった。チェンホに至っては、朝鮮料理は辛くて食べられないと言っていたくらいだ。
そんなチェンホが、はるばる海を渡って朝鮮の天国に行くことができるのだろうか。行ったところで、言葉もわからない場所で楽しくやれるのだろうか。それとも、日本の神様が、日本の天国まで連れて行ってくれるのだろうか。いや、もしかしたら、天国には日本も朝鮮もないのかもしれない。死んだ人みんなが、同じところで仲良く暮らす――もしそうだとしたら、どんなにいいだろう」

わたしは、口癖である「死は最大の平等である」という言葉を思い浮かべました。死は万人にとって平等に訪れます。そして、死後の世界とは平等な世界であるはずです。さらには、生きているときも平等な世界であってほしいと願わずにはいられません。

わが社では、昨年の4月1日から9月15日まで、「サンレー隣人ハートフルエピソード」を募集しました。「隣人との心のふれあい・助け合い」「隣人関係における心温まるエピソード」をテーマに体験談を広く募集したのですが、全国から600を超えるご応募をいただきました。入選作品は、ブックレット「となりびと」に掲載されています。

その中に、隣人関係を考える上で忘れてはならない「平等」ということの大切さを強く感じさせてくれるエピソードがあります。兵庫県神戸市の78歳の男性による、以下のようなエピソードです。

「敷居をまたげない人は居ない」

戦前の私の小学生のころの話である。
妹が十円札三枚が入っている朝鮮名で、朝鮮宛の切手の貼ってない手紙を拾って来た。私の町内の外れに十軒ほどの朝鮮人が住んでいたが、その中の妹と同級生の子が居る家へ行けば「落とし主が分かるだろう」と、母と妹が尋ねて行った。就学が遅れて妹より年かさの同級生の高村さんの家では「朝鮮の親元への送金を落とした」と、父親が泣いていた。
父親は、古布・古新聞などを集めて生計を立てていたが、自分らは食べるものも食べずに、朝鮮の親元へ送金していた。家計が大変なことを知っていたので、父親がその時にかき集めた一銭玉十数枚を「謝礼」として出したが、母は断ったらしい。
そして母は、これを機会に「娘さんをうちに遊びに来させてください」と言うと、その母親が驚いたように「遊びに行ってもよいのですか」と言う。当時は町内で「朝鮮の子どもと遊んではいけない」と言われていた。
その年かさの娘さんは遊びに来て、妹たちに朝鮮の遊びを教えたり、私の母の台所を手伝って朝鮮料理を作ったりした。それが近所では少しずつ評判になっていった。
娘さんが遊びに来るようになり、数日すると町内の顔役が来て「朝鮮人に敷居をまたがさないでくれ」と言う。すると、まだ元気であった祖母は「うちの敷居をまたげない人は居ない。人種差別をしてはいけない。そんなことを言いに来るのなら、うちの敷居をまたがないでくれ」と帰ってもらった。朝鮮人蔑視の時代だから勇気の要る言葉である。
それ以後は、他の子どもも朝鮮の子と少しずつ遊ぶのが増えていくのであった。
終戦直後の祖母の葬式には、「このぐらい居たのか」と思うほどの多くの朝鮮人が参列した。他の部落からも参列したと思う。そして朝鮮人たちが集団帰国をする時には「最期に日本で良い思いをしたことは忘れない」と、多くの人があいさつに来た。
(『となりびと~サンレー隣人ハートフルエピソード集』より)

「トカピの夜」以外では、やはり表題作の『花まんま』が泣けます。父親が亡くなった家族がいます。主人公は、母と2人で幼い妹を大切に育てています。その妹が4歳になった頃から急に人が変わったように大人びてきます。それには、信じられないような理由がありました。

妹はある女性の生まれ変わりだったのです。その女性はデパートのエレベーターガールでしたが、変質者の客に刺されて若い命を落とします。前世の家族に一目会いたいと懇願する妹に根負けして、主人公は彼女が昔住んでいたという町に妹を連れて行きます。そこには、本当に、幼い妹が語ったとおりの家があり、家族が住んでいました。

そして、彼女がその家の娘の生まれ変わりであるという証拠こそ、妹が作った「花まんま」だったのです。花まんまとは、色とりどりの花で作ったママゴト用の弁当です。生前の娘がよくそれを作っていたことを思い出した父親は狼狽します。

そして、娘の生まれ変わりである小さな女の子を抱き締めようとするのですが、そのとき、現生の兄である主人公が立ちふさがります。少年は、とても悲しそうな目をした老人に向かって、こう言うのです。

「ごめんな、おっちゃん。でも、この子には、立派なお父ちゃんとお母ちゃんがおるんや。お父ちゃんはもう死んでもうたけど、この子が生まれた時に、アホみたいにバンザイ、バンザイって言うたんや。お母ちゃんは俺とこの子のために、一生懸命働いてくれてる。そのお父ちゃんお母ちゃんのために、おっちゃんに、この子を触らすわけにはいかんのや」

少年がそう言ったとき、ぽかんと開いたままの老人の口の奥から、嗚咽のような音が漏れ出します。もちろん、わたしも泣きました。こんなに泣けた小説は久しぶりです。

「花まんま」のテーマは、「生まれ変わり」です。生まれ変わりは、古来から人類のあいだに広く存在した考え方です。

世界には、輪廻転生を認める宗教がたくさんあります。ヒンドゥー教や仏教といった東洋の宗教が輪廻転生を教義の柱にしていることはよく知られていますね。日本でも、生まれ変わりは信じられてきました。江戸時代の国学者である平田篤胤は、「生まれ変わり少年」として評判だった勝五郎のことを研究しました。

文化・文政年間に武蔵国多摩郡で実際に起きた事件ですが、勝五郎という名の八歳の百姓のせがれが「われは生まれる前は、程窪村の久兵衛という人の子で藤蔵といったのだ」と言い出しました。仰天した祖母が程窪村へ連れていくと、ある家の前まで来て、「この家だ」と言って駆け込みました。また向かいの煙草屋の屋根を指さして、「前には、あの屋根はなかった。あの木もなかった」などと言いましたが、すべてその通りでした。これが日本で最も有名な生まれ変わり事件です。

輪廻転生を科学的に研究し、世界にその名を知られたのが、アメリカのヴァージニア大学心理学部教授イアン・スティーブンソンです。世界的ベストセラーとなった彼の著書『前世を記憶する20人の子供』(叢文社)には、驚くべきエピソードがずらりと並んでいます。

たとえば、1958年生まれのレバノン・コーナエル村の3歳児イマッドは、「わたしは前世はクリビィ村に住み、屋根裏部屋には銃を隠しもち、赤いハイヒールのジャミレという女を記憶している」と語り、自動車を見るたびに顔色を変えました。

これに興味を抱いて現地に飛んだスティーブンソンは、結核で1949年に25歳で死んだイブラヒムの部屋を探しあてました。そして、「屋根裏部屋にはライフルが」「赤いハイヒールのジャミレは彼の恋人」「イブラヒムは従兄弟のすさまじい自動車事故死に衝撃を受けた」など、彼がイマッドの前人格であることを確認したのです。スティーブンソンを中心とするヴァージニア大学研究チームは長い年月をかけ、世界各地から生まれ変わりとしか説明のしようがない実例を2000以上集めました。

重要なことは、この子どもたちの半分は西洋の子どもだということです。西洋では、インドやチベットなどのアジア地域と違い、輪廻転生の考え方が現在のところ、一般的ではありません。やはり輪廻転生の例が圧倒的に多いのは、インドです。中でも、シャンティ・デヴィの例がよく知られています。

1926年にデリーで、デヴィという女の子が生まれました。彼女は「自分は前にマットラという町で生まれ、前世での名前はルジです」と両親に対して言いました。また、1935年に所用で訪問してきた男性を「自分の前世の夫の従弟です」と断言し、周囲を驚かせました。その男性はマットラから来ており、10年前にルジという妻を亡くした従兄がいると告白しました。デヴィに何も知らせず、ルジの夫がデヴィの家に連れてこられると、デヴィは即座に夫を認め、彼の腕の中に身を投げたそうです。またマットラを訪れたデヴィは、さまざまな人や場所を正確に指摘することができたばかりか、死んだルジの親類縁者とその地方の方言で話したといいます。

チベットでは、ダライ・ラマが活仏(いきぼとけ)として崇拝されています。ダライ・ラマ1世から現在の14世まで、まったく血のつながりはありません。その地位の継承は、前のダライ・ラマの生まれ変わりとしての化身さがしによって決まるのです。高僧が祈祷と瞑想によって場所をさがしあてます。候補の子どもが前のラマが使用していた品物をあてると、新しいラマとして即位するのです。この中には、異言語を話す子どもの事例がたくさんありました。つまり、それまで彼らが接したことがない外国語、それも昔の古い言葉を話す子どもが多かったのです。

また、勝五郎やイマッドやデヴィのように、幼い子どもが自分の住んでいる場所から非常に遠く離れた所を正確に知っていて、しかもそこで何年も前に起こった出来事を詳しく知っているという例も少なくありませんでした。スティーブンソンによると、前世の記憶を語り出すのは幼年時代に多いそうです。その平均年齢は2.6歳で、4歳から6歳頃になると記憶を失いはじめるそうです。

「花まんま」に出てくる妹も、前世の家族に会いに行ったのが小学1年生、すなわち6歳ぐらいでした。その後は、彼女から前世の記憶は薄れてゆきます。日本では昔から「七歳までは神のうち」などと言いましたが、7歳までなら前世の記憶が残っているのかもしれませんね。

それにしても、著者の朱川湊人氏の筆力には脱帽しました。わたしと同じ年齢だそうですが、「羨ましさ」などを通り越して同級生としての「誇り」さえ感じます。もう1人、わたしが「誇り」に感じる同級生作家がいます。重松清氏です。

2人とも直木賞作家であり、2人の作品を読むと、わたしの心は懐かしさでいっぱいになります。奇しくも、本書の解説を重松氏が書いています。それによれば、本書のどの作品をとっても、「昭和」の懐かしさが濃密に漂っているのですが、時代や場所を特定する固有名詞は意外なほど少ないそうです。

「昭和レトロ商品博物館」の展示品のようなアイテムは、たとえ使われていても、それをことさら強調するのではなく、あくまでもさりげなく使われているというのです。重松氏は、次のように述べています。

「テレビ番組や流行歌、ファッション、大きな事故や事件など、その時代と直線的につながる固有名詞―勝手に名付けるなら『時代名詞』を物語にちりばめれば、浅いレベルでのノスタルジアは容易に確保できる。しかし、朱川さんは『時代名詞』に頼ることなく、懐かしさを物語の土台にまで沁み込ませた」

これは、すごく納得できます。重松氏の小説を読んでいても強烈な懐かしさを感じるのは、単なる「時代名詞」に触れたときではありません。たとえば、主人公の少年が友達から「おまえ、ウソついたやろ」と言われて「ウソなんか、ついとらん」と言い返します。それでも、自分がウソをついたと友達が言い張ったとき、次のようなセリフが炸裂します。

「そんなに言うんやったら、オレが昭和何年の何月何日何時何分何秒にウソを言ったのか、言うてみい!」

記憶に頼って書いているので正確ではありませんが、たしか重松氏の何かの小説にこんなセリフが出てきたような気がします。こういった物言いに触れたとき、わたしの中の少年時代が一気に蘇り、たまらない懐かしさを感じるのです。ならば、朱川湊人はどこで濃密な懐かしさをつくりあげているのでしょうか。

重松氏は、次のように述べています。

「禁欲的な『時代名詞』の用い方と同時に、一読明らかなのは、語りの話法である。『トカピの夜』で見ていくと、〈ずいぶん昔のことなので〉〈実を言うと〉〈なぜ誰とも遊ばずにいたのかは思い出せないが〉〈何年が過ぎても、あの日のことは忘れられない〉〈今でもはっきりと耳に残っている〉〈今から思えば〉〈まったく記憶にはないが〉〈後に私が読んだ本によると〉〈あれから三十余年の時が流れた〉・・・・・物語る〈今〉と物語られる〈ずいぶん昔〉との間を、朱川さんの語りは自在に往還する。もちろん、それは『トカピの夜』にかぎった話ではない。本書所載のすべての、いや、朱川さんがお書きになるすべての作品の大きな特徴として、そのナラティブの伸びやかさがあることは、いまさら言挙げするまでもないだろう」

さらに重松氏は、「本書の懐かしさを静かに、しかし確かに支えているものは、古き良き時代への郷愁ではなく、むしろ逆――差別や偏見をも含む、時代に落ちた翳りなのではないか」と分析しています。

著者が本作で第133回直木賞を受賞した直後、重松氏は「オール讀物」誌上で朱川氏と対談しています。その内容も本書の「解説」に紹介されていますが、昭和40年代から今へと続く「社会の翳り」を取り上げるという興味深い内容でした。あれは、「VOGUE NIPPON」誌上での蓮舫大臣へのインタビューの内容よりもずっと良かったですよ、重松さん!

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