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2011.01.27
わたしのブログ記事『人はひとりで死ぬ』には、非常に多くのアクセスが集まりました。「無縁社会」や「孤独死」に対するみなさんの関心の大きさを改めて痛感しました。
そこで、今度は『無縁社会の正体』橘木俊詔著(PHP研究所)を読みました。サブタイトルは「血縁・地縁・社縁はいかにして崩壊したか」となっています。著者は、京都大学教授を経て、現在は同志社大学経済学部教授です。元日本経済学会会長でもあるそうです。
「一人ぼっち社会」はどこまで広がるのか?
本書の内容は、その目次構成を見れば、だいたいの想像がつくと思います。本書の目次は、以下のようになっています。
「はしがき」
第1章 高齢単身者の激増という悲劇
1.孤独死の増加
2.単身者の急増
3.高齢者の貧困
第2章 家族をつくろうとしない人々
1.未婚者の増加
2.草食系男子と肉食系女子のミスマッチ
3.子どもをつくろうとしない人の急増~少子化現象
第3章 有縁社会だった日本
1.血縁とは何か
2.地縁とは何か
3・社縁とは何か
4.血縁・地縁・社縁という共同体
第4章 低下する家族の絆
1.離婚率がなぜ高くなったか
2.子育てに問題が生じている
3.人間自身の変容と新しき動き
第5章 無縁社会に期待される政策はあるか
1.個人の役割
2.地域共同体に期待できるか
3.企業の役割の変化
4.最後の砦は公共部門とNPO
以上のような目次で、非常にシステマティックな構成になっています。それぞれの項目には最新のデータが掲載されており、データブックとして使いやすいと思いました。
第5章で触れられている「民生委員の役割」も興味深かったです。著者は、次のように述べます。
「社会保障制度の量的な拡大に加えて、国民に福祉サービスを提供するときに、質的な面からもきめの細かい対策が必要であることを強調したい。例えば孤独死に至る前に、高齢単身者がどのような生活状況、あるいは健康状況にあるかを監視するのが、地域の民生委員の役割である。この民生委員制度がうまく機能していないことが孤独死が多発している一つの理由である」
民生委員制度の発端は大正7年(1918年)の大阪府における方面委員制度に始まるそうです。内務官僚だった小河滋次郎が大阪府の顧問を務めていたとき、地区に住む人々で貧困に苦しむ人を発掘する仕事の担当者として方面委員を任命したのです。
重要なことは、方面委員は無報酬の名誉職だったことです。天皇の御聖慮による名誉職だったので、誰も不満は言いませんでした。
しかし戦後になって、昭和21年(1946年)に民生委員制度として再発足したときにも無報酬が引き継がれてしまったのです。名誉職的な色彩が薄くなったことにより、高度氏長期の民生委員は自営業者が減少し、引退者や主婦が増加したそうです。でも、今や民生委員を引き受ける人間はどんどん減る一方です。
著者は、「民生委員の仕事に対して俸給を支払うことを考えてよい」と提案していますが、わたしも大賛成です。さらに、わたしには質の良い民生委員の数を一気に増やし、孤独死を激減させる妙案があります。そのアイデアは、今は言えません。今度いつか、披露したいと思います。
また、第5章の最後に出てくる「NPO組織の重要性」にも共感しました。ピーター・ドラッカーはその晩年、企業よりもNPOに大きな期待を寄せていましたが、著者も次のように述べます。
「NPOであれば、一般的に提供主体が小規模であるから、小品種のサービスに特化せざるをえず、むしろそのことが質の高いサービスなり、サービスを受ける人のニーズに合ったサービスを用意できるかもしれない。このようなNPOが数多く存在すれば、種類の異なるサービスがいろいろなNPOから提供されているのをみて、消費者が自分にふさわしいNPOを選択できることが可能になる。
このことは介護・障害者支援・災害・暴力で悩む人への対処・医療・社会福祉・環境といったように、各種各様の幅広いサービスに対するニーズが高い、いわゆる福祉の分野において、NPOへの期待は大きい」
公共部門がこれらの全分野で国民にサービス提供するのは不可能ですし、公共部門には限界がありますので、NPOの果たす役割があるのです。著者は、NPOに対して、公共部門は監視・指導はもちろん、運営方法へのアドバイス、補助金の支払い、寄付金集めの手伝いなどをすべきだと述べています。そして、各種各様のNPOの情報をうまく集めて国民に提供し、国民が自分にふさわしいNPOをうまく選択できるような役割を果たすべきだとも述べています。
個人的に最も興味深く読んだ箇所は、第3章に出てくる哲学のガイドラインです。著者は、現代の哲学を以下の6つに大別しています。
すなわち、ユーティリタリアニズム(功利主義)、リベラリズム(自由主義)、コミュニタリアニズム(共同体主義)、リバタリアニズム(自由至上主義)、コンサバティズム(保守主義)、マルクシズム(史的唯物論)の6つです。
この中で、わたしが最も注目するのがコミュニタリアニズム(共同体主義)です。著者は、コミュニタリアニズムについて次のように解説しています。
「思いやり、助け合い、ケア、社会保障を議論する際に、特殊な思想を提供するのがコミュニタリアニズムである。この思想は主としてリベラリズム批判から出発し、ウォルツァーなどによって主張されたが、今ではハーバード大学の政治学者であるマイケル・サンデルによって一挙に有名となった。リベラリズムは自由・平等・正義を重視したが、コミュニタリアニズムは個人の属する共同体の基底にある『共通善』を重視する」
ここでいう「共同体」とは、性・年齢・家族・人種・宗教・国家・学校・企業・職業・地域としった、各個人が属性を共有する人々を指し、その共同体に特有な価値観や道徳観を置くものです。この哲学は、「人間は社会的動物である」と述べた古代ギリシャのアリストテレスに起源を持つとされています。
そして、現在は「無縁社会」などと呼ばれている日本社会とは、まさに「共同体社会」でした。著者は、次のように述べます。
「日本の社会が血縁・地縁・社縁で結びついている事実を一言でまとめれば、『共同体主義』が日本社会の特徴ということになる。共同体とは人間はさまざまな特性、例えば性・家族・企業などを共通にする人の集合であるが、これら共通の特性を有する人々の間での善を大切にする思想を共同体主義と呼ぶ。やさしく言えば、共通の特性を有する人々の間の思いやり、あるいは助け合いを尊重する思想と言ってよい」
かつての日本社会は共同体主義の基づいた「有縁社会」そのものであったと著者は述べています。しかし、本書にはその「有縁社会」がいかにして「無縁社会」へと変貌を遂げてきたかという事情はよく説明されているのですが、「有縁社会」の再生については具体的な提案が少なく、主として国の政策に期待しているところが残念でした。
血縁にしろ地縁にしろ「いかに崩壊したか」では済みません。人間というのは、どこまでも血縁と地縁の中で生きなければならない存在だからです。だから、「いかに崩壊したか」ではなく、「いかに再生するか」を説く必要があります。でも、それぞれの本にはその役割というものがあります。
本書の役割は、「無縁社会」の見取り図を提示することかもしれません。