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No.0281 人間学・ホスピタリティ 『「人間らしさ」の構造』 渡部昇一著(講談社学術文庫)
2011.02.28
『「人間らしさ」の構造』渡部昇一著(講談社学術文庫)を再読しました。
「現代の賢人」として知られる著者には膨大な著書がありますが、その中でわたしが最も愛読している1冊が本書です。著者の最高傑作ではないかと思っています。
人間の「生きがい」とは何か
本書は、徹底して「人間とは何か」を問いますが、まずその本性について問います。
人間の本性は善であるのか、悪であるのか。これに関しては古来、2つの陣営に分かれています。東洋においては、孔子や孟子の儒家が説く性善説と、管仲や韓非子の法家が説く性悪説が古典的な対立を示しています。
西洋においても、ソクラテスやルソーが基本的に性善説の立場に立ちましたが、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も断固たる性悪説であり、フロイトは性悪説を強化しました。
そして、共産主義をふくめてすべての近代的独裁主義は、性悪説に基づきます。
毛沢東が、文化大革命で孔子や孟子の本を焼かせた事実からもわかるように、性悪説を奉ずる独裁者にとって、性善説は人民をまどわす危険思想であったのです。
さて、人間が生きていく上で、「生きがい」というものが重要な問題となります。
人間の生きがいについて、著者は本書で一つのたとえをあげています。
ここに1個のどんぐりがあるとします。
そのどんぐりにとっての生きがい、つまり本望は何でしょうか。
それはコロコロと転がって池に落ち、そこでドジョウに見守られながら腐ってしまうことではないでしょう。また石の上に落ちて乾上がってしまうことでも、鳥か何かに食べられてしまうことでもないでしょう。どんぐりの生きがいは、しかるべく豊穣な地面に落ちて、亭亭たる樫の木になることではないでしょうか。
どんぐりを割って、いくら顕微鏡で調べてみても、その中に樫の木の原型は見えません。しかし、しかるべき条件に置かれれば、やがて芽が出て、何十年後には大きな樫の木になります。つまり、どんぐりの中には樫の木になる性質が潜在しているのです。
同じことは人間についても言えるのではないでしょうか。
人間の女性の子宮のなかで、卵が受精すれば受精卵となります。この受精卵を取り出して100万倍の電子顕微鏡で見ても、そこに人間は見えません。しかしこの受精卵は、しかるべき条件に置かれるならば、やがて小さな赤ん坊になるのです。
したがって受精卵という微細な蛋白質か何かの粒のなかには、将来、1.5メートル以上の人間になる可能性が潜在していることになります。受精卵にとっての生きがいは、堕胎されたり、流産になったりして、下水に流されて、汚水処理場で他の汚物と一緒に処理されてしまうことではなくて、ちゃんとした人間になることでしょう。
ここまでは、どんぐりも人間も同じことです。ところが人間には、生物的存在としての肉体の他に、自意識とか、心とか、精神と呼ばれるものがあります。
受精卵の生物的生きがいは人間に成長することでよいでしょうが、この心のほうの生きがいはどうなるのでしょうか。
マズローなどの心理学者は、「自己実現」という言葉を唱えました。
どんぐりが樫の木になるのも自己実現ですし、受精卵が人間になるのも自己実現です。
どんぐりも可能性のかたまりですし、受精卵も可能性のかたまりです。
わたしたち人間も、自分の可能性を展開しているときに生きがいを感じますし、自己実現は生きがいそのものと言ってよいでしょう。
本書を読んで、わたしは会社や仕事を自己実現の場とすること、そこに生きがいを感じさせること、それこそがハートフル・マネジメントの核心であると確信しました。