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No.0266 論語・儒教 『「論語」に学ぶ人間学』 境野勝悟著(致知出版社)
2011.02.10
今朝、「知のダンディ」こと齋藤貞之先生からお電話がありました。
今秋から特任教授として教壇に立つ北九大ビジネススクールの講義シラバスを作成してほしいとの内容でした。講義のテーマは「組織とリーダーシップ」ですが、わたしはドラッカーはもちろん、ぜひ『論語』についても重点的に語りたいと思っています。
『論語』こそは、究極のリーダーとしての「君子」についての書物だからです。
そして、君子とは何よりも人間学の達人に他なりません。
というわけで、『「論語」に学ぶ人間学』境野勝悟著(致知出版社)を読みました。
痛快講演録!
著者は「こころの教育」をテーマとしている人物で、私塾を開きながら、各地で講演などを精力的にこなしています。その洒脱な人柄と古典に精通した講演は、経営者のみならず、一般ビジネスマンや主婦まで、幅広いファンを持つそうです。
本書は基本的に著者の講演録であり、5つの講演から成っています。
それぞれの講演は章として独立しており、キーワードが掲げられ、章扉にはシンプルかつ核心をつく言葉が添えられています。それぞれ、見ていきたいと思います。
第一講「和」
「人が幸福であるかどうかは、すべて対人関係で決まります。親子、男女、兄弟、友人・・・・・今、すべての人間関係が子供の社会まで腐敗してしまっています」
第二講「礼」
「『和』の大切さを知って、いくら仲良くやろうとしても、『礼』というしっかりした秩序がないと、諸事がうまく運ばず、人間関係は必ず破綻します」
第三講「道」
「自分のいのちの根が、しっかりとつかめないと、自分がどう生きていったらいいのかという自分自身の『人生の道』は、いっこうにわかってきません」
第四講「仁」
「『仁』とは、『人偏』に『二』を加えた字で、二人の人という意味です。人間が二人出会うと自然に生じる心の働きとはなんでしょうか。それは『親しみ』と『愛』です」
第五講「楽」
「人生をどう生きるのかを知ると、人生が好きになる。が、それではまだ足りません。人生を楽しまなくては、幸福な人生とはいえないのです」
それぞれの章(講)のキーワードを見ると、「和」であるとか「道」とか「楽」であるとか、非常に日本人が好みそうなキーワードが多いことに気づきます。そう、本書は『論語』についての本でありながら、日本人について縦横無尽に語ったユニークな「日本人論」でもあるのです。特に、著者は「和」こそ日本文化の神髄であり、『論語』の最大のメッセージでもあるといいます。本書の第五講の最後に、著者は次のように述べています。
「孔子の思想を一口でまとめようとするなら、人が、平和に、仲良く生活するには、天の徳である『仁』の心、人と人とがおたがいに、思いやる心が、必修であったということです。人と人とが信じ合って『和』して生活してこそ、みんなが楽しんで、ゆっくり生きていく世界が生まれてくるのです」
「和」の思想は、最近話題の「八百長」という言葉にもつながるように思います。
大相撲についての一連の報道を見てみ明らかなように、「八百長」というと完全に悪であると思われていますが、もともとは必ずしも悪い意味ではありませんでした。
「八百長」は明治時代に実在した「長兵衛」という名の八百屋の店主に由来するといわれています。彼の通称が「八百長」でしたが、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間でした。囲碁の実力は長兵衛が優っていましたが、彼は時々わざと負けて伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていたといいます。それで気を良くした伊勢ノ海五太夫は、長兵衛から大量の野菜を購入し続けたというエピソードが残されています。
転じて、大相撲でわざと負けることを「八百長」というようになったのですが、もともと気配りで相手を喜ばせるという人間関係を良くするための知恵だったのです。
これは、白黒きっちりつけるというデジタル的発想ではなく、きわめてファジーなアナログ的発想といえるでしょう。そして、このアナログ的発想こそ日本人の「こころ」の癖であり、「何でもあり」とか「いいとこ取り」といった文化にも通じるように思います。
はっきりと白黒つけるだけでは、衝突を生み、争いしか起こりません。
すなわち、「八百長」は明らかに「和」の文化に通じているのです。
さらに、著者は「あとがき」で次のように述べています。
「『和を貴しと為す』と、孔子は、平和への熱い思いを抱いた。人は、すべての生命の源流である宇宙の生命(大徳)とよく和し、これを敬し、人と人ともあたたかく和し、深く敬し合わなくてはならないと、暴君への怒りは自制して抑え、乱暴な物言いはけっしてせず、寛大な態度で説きつづけた。
孔子が描いた理想的な社会は、まずなによりも人と人が尊敬し合い、人と人とが思いやり、各人が人格を修養し、ときあらばいろいろな趣味にも励み、この一回こっきりの人生を、仲良く楽しく成長していくことであった」
著者のこの言葉は、まことに格調高く、まるで『論語』の中に出てくる漢文を日本語訳したような錯覚をおぼえました。著者の『論語』への思い、人間学への理想は、この一文に集約されているのではないかと思います。