No.0320 哲学・思想・科学 『宇宙にとって人間とは何か』 小松左京著(PHP新書)

2011.05.04

『宇宙にとって人間とは何か』小松左京著(PHP新書)を読みました。

「小松左京箴言集」というサブタイトルがついています。そう、本書は日本SF界の巨匠による「名言集」ではなくて「箴言集」なのです。

小松左京箴言

本書の「はじめに」は、小松左京マネージャーである乙部順子氏が書かれています。乙部氏は本書について、「ふつう箴言集というと、二、三行の短い言葉が1ページに1つ載っているようなものになります。しかし、小松の場合は、『箴言』というよりも『問答』といったほうが正解かもしれません。思考過程が重要なのです」と述べています。

また、一方では鋭い直感力の持ち主でもあり、さらには小松左京の知は「総合知」であるがゆえに、考えることも気宇壮大になる傾向があると分析し、次のように述べます。

「宇宙への進出、環境破壊、ボーダレス文明社会・・・・・。以前からSFの世界でとりあげられていた『未来的な』トピックスが、いまや、現実のものになっています。これからの時代は、文系の知、理系の知といった専門分野にとらわれない総合的認識、有り体にいえば、『SFを書くのに必要な知』が、リアルに必要になってくるのではないでしょうか。しかしいま、小松のような『総合的な知』をもっている人間が、だんだん少なくなっているような気がいたします」

もともと、本書を企画したのはPHP研究所の西村健氏です。西村氏は小松左京について、「知識の幅がこんなに広く、こんなに深い方はいらっしゃいません。私は、現代日本最高の『知の巨人』は小松左京だと考えています。その小松さんが考えたこと、小松さんの知が到達した地平がどんなものかを、一望のもとに見渡せる本をつくりたい」と語ったそうです。本書では、「知の巨人」の到達点を一望のもとに見渡すために、以下の7つの章を用意しています。

第1章:宇宙と未来
第2章:歴史と文明
第3章:人間と社会
第4章:日本と世界
第5章:知と感覚
第6章:科学と自然
第7章:SFと文学

それでは、わたしの心に引っかかった小松左京の言葉を並べてみたいと思います。まずは、第1章の「宇宙と未来」に関する言葉から。いきなり、超スケールの発想が飛び出します。

「―宇宙と、その歴史の巨大さと、その中に目ざめている人間の微小さは、一種の感動をさそわないでしょうか? その感動は、富の、権力の、自尊心のといった、くだらない些事をこえて、人間の”なすべきこと”の、新しい地平を展望させる、動機とならないでしょうか?」
(1966年「ミクロンなみの小さな人間」より)

「宇宙よ・・・・・しっかりやれ!
そんな言葉が、突然胸の底に浮かんだ。―と、ふいに何百億光年もの直径をもつ、巨大な宇宙が、ひどく親しいもののように感じられた。―巨大で、無骨で、無細工で―途方もない浪費と、途方もない試行錯誤をくりかえしながら、一歩一歩それ自身の”進化”のコースを、手さぐりで進んでいる宇宙・・・・・」
(1967年「神への長い道」より)

なんと、宇宙を励ますとは! そのスケールの大きさには、まったく仰天しました。続いて、第2章「歴史と文明」では、「死」についての洞察の鋭さに感心しました。まずは、現代人は失ったのは「死」であるという次の発言から。

「考えてみれば、この目まぐるしくあつ苦しい繁栄の時代にあって、われわれが決定的に失ったのは―われわれ自身の『死』ではないか? さわがしく陽気な、スピーディな生活の中から、文明は『死』を完全に駆逐した。『生』一色にぬりつぶされたこの時代において、われわれは、われわれにとって唯一の直接的な存在である『魂』の形を見うしなったのではないか? われわれは、も早や、自分の『死』を―したがって、それに画然とふちどられた『生』そのものを、明確に意識できなくなりつつあるのではないか?―現代社会において、死とは、突然今までの仲間が、まわりから『欠除』するという以上の意味をもたない。転生と継代の秘儀をさとれない。あきれるほどのおしゃべりの中には、『死』と『魂』の話題はない」
(1964年「エリアを行く 紀伊半島」より)

「東洋において、自殺はタブーではないのだった。―いや、むしろ、宗教的行為として、讃美されていた。
いや、自殺を犠牲を、きびしいタブーにしたキリスト教こそ、きわめて特異な存在ではないか? エジプトをはじめ、古代王国に見られる殉死の風は別として、自殺は古代オリエントでも、ある種の英雄的、精神的行為と見なされて許容されていたのではないだろうか?」
(1965年「エリアを行く 紀伊半島」より)

わたしは、日本人がひたすら「生」を謳歌していた高度経済成長期の真っ最中に、このような「死」の哲学を著者が持っていたとは驚きました。続いて、第3章「人間と社会」では、さまざまな視点から「社会の中での人の幸せ」をかたります。まずは、「絆」についてから。

「人間同士は、愛によってむすばれるのではない。”魂”に対する相互の敬意によってだ」
(1965年「女のような悪魔」より)

「老人は、せまりくる老齢とともに、かえって強まってくるエゴイズムや現世への執着を、みずからの手で克服し、断ち切らねばならない。しかも、自ら、若い世代の『お荷物』にならずに生きて行けるだけのものは、壮年の終りまでに維持しておかねばならない。―まがりなりにも、この二つができなくては、一人前の『老人』になれなかったのだ」
(1967年「”後生”学の提唱」より)

「―人間の中には、一生のうちの何度か、『無垢の感動』を体験する時があって、その感動は、文明や文化のシニシズムが、いくらうす汚い冷笑でもって否定し、おとしめようとしても、本人にとっては絶対に消し去ることのできないものであり、その時人間は、三十四億の他人が、いかに冷笑しようとも、この感動は『俺のもの』だという、絶対的な自己存在の中に立っているのである」
(1969年『やぶれかぶれ青春記』より)

「信頼で包みこまれるとそれを裏切れなくなる。夫婦は人生の伴侶、同志、幾山河を共に越えて闘っていく戦友のようなもの。
この味わいと、そこから生ずる安定感はすばらしいものである。
愛せる男より、信頼できる男を選びなさい」
(1974年『恋愛博物館』より)

第4章「日本と世界」では、著者の独自の視点が光ります。

「日本人は、意識の底のほうに、日本人は一つだ、というものがあり、日本のなかでの対立も結局、日本の問題だと見ることは大変上手です。が、ヨーロッパの人たちは、いろいろな対立があっても、さまざまなやり方がある。対立だけを強調していったら共倒れになってしまう。だから一致点を一生懸命さがして、対立をまずそのままにしておいて、一時的にでも一つの平和をつくり上げる事ができる、また、平和というものは、そこに対立があってもいいんだ、と考えるのです。この考え方は日本人には理解しにくいようです。ここのところが日本人に欠けていると思います。
その結果、日本人のような考え方と、ヨーロッパ人のような考え方を合わせると、初めて”地球家族をめざす”上での世界的構想の意識が出来上がると思われるのです」
(1974年「地球家族をめざして」より)

第5章「知と感覚」では、じつに心が温まるエピソードが出てきます。

「かつて、とり入れがすんだあとの晩秋の農村で、これも果実はすべて収穫され、葉もおちた柿の木の頂きに、たった一つののこされた赤い実が、秋の陽にかがやくのを見た時、ふしぎな感動を味わった。―それが鴉のためにのこしてあるのだ、ときいた時、幼い心に、一種のうれしさがみちるのを感じた。もっと大きくなって、本当はそれが神さま―『自然』にお礼として捧げられているのだ、という説明を聞いた時、感動はより一層大きなものになった。自然は暴奪しつくすべきものではない。『すべてを奪うものは、やがてすべてを失う』といった、功利主義的な説明ではなく、それは原理的道義としてそうすべきではないのだ、という、農業社会の礼節、節制が、かぎりなく美しく感じられたからである」(1970年『ニッポン国解散論』より)

この「たった一つのこされた柿」のエッセイを作家の瀬名秀明氏が読んだとき、強い印象を受けたそうです。瀬名氏は、このエッセイに象徴されるように、小松左京の作品を「思いやりのSF」と表現していますが、まったく同感です。一見、考証ガチガチのハードSFと思われている小松作品の底には、大きな愛が流れているのです。この生命への温かい視線は、第6章「科学と自然」にも見られます。

「生命というものは、それ自体として価値があり、それゆえに存在しづつける権利があるのではないだろうか?」
(1967年『未来の思想』より)

「今西錦司先生に感心したのは、先生はホテルに入るとクーラーをとめて、網戸もあけちゃうんです。『蚊がきますよ』というと、『蚊だってとにかく血を吸って生きる権利があるからおれは食わせる』(笑) あれには感心しました。ああいう考え方は、採用が非常にむずかしいけれども、とくに集団的にそういう考え方を採用すると、人間の文明の進歩が鈍るところがある。それにもかかわらず、それを採用しなければならない時期がくるかもしれない、という気がすることがありますね」
(1971年『地球を考える 小松左京対談集Ⅰ』より)

そして、第7章「SFと文学」では、次のように堂々と語ります。

「何百億年の宇宙の年齢と、何百億光年の広がりを、類推できる『理知』と、さらに『観測されない』宇宙のむこう側についてまで、その翼をのばすことのできる『想像力』をもった存在として、その広大な宇宙の中に、限定された時代の、限定された条件、わずか百年たらずの存在期間といった、さまざまの『制約』にがんじがらめにしばられながらほうり出されている『実存』の、その偶然性と孤独と、可能性の深淵を、『実存的に』体験させるのがSFだ、といえそうです」(1969年「SFと未来学」より)

「歴史というものは、おそろしく厄介な、人間の情念がからんでいる。集団的な『怨念』だの、ファナティックな『予言』だのが、学問の顔の裏にひそんでいる・・・・・。だからこそ、SF的なあつかい―自由な、論理の『遊び』を通じ、歴史の『毒』を中和し、相対化する事が、何らかの意味を持つのだと思います」
(1974年、豊田有恒『タイム・ケンネル』文庫版解説より)

「『SFこそ文学なり』というのが私の信条です」
(1882年『未来からのウィンク』より)

最後に、いま最も注目されている作品である大ベストセラー『日本沈没』の上下巻から、わたしの印象に強く残った言葉を1箇所づつ紹介したいと思います。

「『この国ではな。―何事もほろびず、何ものも死なず、や。この世界の表舞台からはひきさがらはっても、消滅や死滅したんやない。一時ちょっと、表からひっこみはるだけで、どこかで―世界の裏側で、みんな生きてはる、と考えとるんやな。お盆やら、決められたお祭りのときは、そのひっこんで隠居してはる人が、また出て来はる。その時は、主客としておむかえし、その日一日は、その隠居してはった神さんやご先祖さんを、主人公にして、みんなでおもてなしせんならん。―おかしな国やな。宗教いうたら、何でもあるが、何一つ主導権をにぎってへん。そのかわり、どんなものでもきちんとうけいれ、ちゃんとお守りするマナーはある。このマナーだけは―それ自体が、世界に類のない精神文化といっていいものやな』
(1973年『日本沈没・上』より)

「日本が沈む・・・・・。信じられない話だが、沈んでしまうというのだ。一億の人間が、敗戦のあと、戦中戦後の地獄の中から、辛抱と労苦を積みかさねてきずきあげてきたいっさいの富が、自分の半生を犠牲にしてやっときずきあげた生活が、あと数ヵ月で、一切合財海の底に沈んでしまうというのだ。そしてその先に―退避用の船や飛行機に乗りおくれまいとする阿鼻叫喚の先に、今度は、見たこともない他国の、間借りした土地の上に、難民バラックやテントの中の、あの肩身のせまい、こづかれとおす、当てがいぶちの生活がはじまるのだ」
(1973年『日本沈没・下』より)

この『日本沈没』の文章を読んで心が動かない日本人はいないのではないでしょうか。こんな凄い作品を高度成長の最中に書いた小松左京。わたしは、「知の巨人」の「総合知」を前にして、ただただ呆然とするばかりです。

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