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No.0539 哲学・思想・科学 『絶望名人カフカの人生論』 フランツ・カフカ、頭木弘樹編訳(飛鳥新社)
2012.02.02
『絶望名人カフカの人生論』フランツ・カフカ、頭木弘樹編訳(飛鳥新社)を読みました。
カフカといえば、「20世紀文学」の巨人として知られるチェコ出身のユダヤ人作家です。その著作は、数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成っています。本書は、主にカフカの日記や手紙から絶望的な言葉をピックアップして紹介したものです。
本書の帯には、「今までになかった”絶望の名言集”!」と赤字で書かれ、「誰よりも落ち込み、誰よりも弱音をはき、誰よりも前に進もうとしなかった人間の言葉」と書かれています。また、「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」というカフカの言葉が紹介されています。本書を開くと、その冒頭には「すべてお終いのように見えるときでも、まだまだ新しい力が湧き出てくる。それこそ、おまえが生きている証なのだ。もし、そういう力が湧いてこないなら、そのときは、すべてお終いだ。もうこれまで」という言葉が掲載されています。本の装丁は黒を基調としていますし、なんだか暗いムードですね。
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに カフカの肖像―いかに絶望し、いかに生きたか」
第一章 将来に絶望した!
第二章 世の中に絶望した!
第三章 自分の身体に絶望した!
第四章 自分の心の弱さに絶望した!
第五章 親に絶望した!
第六章 学校に絶望した!
第七章 仕事に絶望した!
第八章 夢に絶望した!
第九章 結婚に絶望した!
第十章 子供を作ることに絶望した!
第十一章 人づきあいに絶望した!
第十二章 真実に絶望した!
第十三章 食べることに絶望した!
第十四章 不眠に絶望した!
第十五章 病気に絶望・・・・・していない!
「あとがき 誰よりも弱い人」
いやはや、この目次立ては強烈ですね。よく、ここまで「~に絶望した!」という章タイトルが作れたものです。そして、以下のようなカフカの絶望の言葉が並んでいます。
「頑張りたくても頑張ることができない」
「手にした勝利を活用できない」
「人生のわき道にそれていく」
「気苦労が多すぎて、背中が曲がった」
「散歩をしただけで、疲れて三日間何もできない」
「やる気がすぐに失せてしまう」
「死なないために生きるむなしさ」
「親からの見当違いな励まし」
「教育は害毒だった」
「会社の廊下で、毎日絶望に襲われる」
「愛せても、暮せない」
以上の言葉は「目次」から拾ったものですが、この他にもカフカの絶望の言葉の数々が本書には満載です。
それにしても、なぜこのような絶望の言葉を集めた本を出版したのでしょうか。こんなネガティブな言葉を読みたがる読者が存在するのでしょうか。世の中には多くの名言集があり、その中には生きる希望が湧いてくるようなポジティブな言葉が溢れています。しかし、著者は「本当につらいとき、こういう言葉がはたして心まで届くでしょうか?」と疑問を抱くのです。
そして、「心がつらいとき、まず必要なのは、その気持ちによりそってくれる言葉ではないでしょうか。自分のつらい気持ちをよく理解してくれて、いっしょに泣いてくれる人ではないでしょうか」と述べるのです。
著者は、ここで「ピュタゴラスの逆療法」という考え方を紹介します。ギリシャの哲学者で数学者のピュタゴラスが、心がつらいときには「悲しみを打ち消すような明るい曲を聴くほうがいい」と言ったのです。これが「ピュタゴラスの逆療法」なのですが、現代の音楽療法でも「異質への転導」として最も重要な考え方の1つになっています。
一方、ギリシャの哲学者アリストテレスは、ピュタゴラスとは反対のことを主張しました。すなわち、悲しいときには、悲しい音楽を聴くほうがいいというのです。これは「アリストテレスの同質効果」と呼ばれ、現代の音楽療法でも「同質の原理」として、こちらも最も重要な考え方の1つになっています。
著者は、ピュタゴラスとアリストテレスの両者の意見について次のように述べています。
「両者の意見は、まっこうから対立しています。
でも、じつは両方とも正しいことが、今ではわかっています。
どういうことかと言うと、心がつらいときには、
(1) まず最初は、悲しい音楽にひたる=アリストテレス「同質の原理」
(2) その後で、楽しい音楽を聴く=ピュタゴラス「異質への転導」
というふうにするのがベストで、そうすると、スムーズに立ち直ることができるのです。
たとえば失恋したときには、悲しい歌詞やメロディーのほうが耳に入ってきやすく、しっくりくるもの。その気持ちのままに、まずは失恋ソングにひたりきればいいのです。
そして、ひたりきったら、今度は明るい曲を聴くようにすれば、自然と明るい気分になることができるのです。最初から明るい音楽を聴いても、心にしみ込んできません」
なるほど、これはよく理解できますね。著者は、この音楽療法における理論を読書においても応用しようとしているわけです。そして、心がつらい人、絶望している人へは、まずアリストテレスの「同質の原理」が必要になります。ここで、悲しい音楽に相当するものとして「カフカの絶望の言葉」があるわけです。自身がカフカの研究家の著者は、カフカについて次のように書いています。
「彼は何事にも成功しません。失敗から何も学ばず、つねに失敗し続けます。
彼は生きている間、作家としては認められず、普通のサラリーマンでした。
そのサラリーマンとしての仕事がイヤで仕方ありませんでした。でも生活のために辞められませんでした。結婚したいと強く願いながら、生涯、独身でした。
身体が虚弱で、とくに父親のせいで、自分が歪んでしまったと感じていました。
彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完です。
死ぬまで、ついに満足できる作品を書くことができず、すべて焼却するようにという遺言を残しました。そして、彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。それも、『世界が・・・・・』『国が・・・・・』『政治が・・・・・』というような大きな話ではありません。日常生活の愚痴ばかりです。『父が・・・・・』『仕事が・・・・・』『胃が・・・・・』『睡眠が・・・・・』。
彼の関心は、ほとんど家の外に出ることがありません。彼が感心があるのは自分のことだけなのです。自分の気分、体調、人から言われたこと、人に言ったこと、やったこと、されたこと・・・・・。そして、その発言はすべて、おそろしくネガティブです」
さらに著者は、「カフカの絶望の言葉には、不思議な魅力と力があります。読んでいて、つられて落ち込むというよりは、かえって力がわいてくるのです」と述べています。
プラハに生まれたカフカは、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆しましたが、常に不安と孤独の漂う不条理な小説を多く残しました。ガルシア=マルケス、サルトル、ナボコフ、安部公房、ミラン・クンデラ、エリアス・カネッティなど、多くの作家たちがカフカを尊敬しています。
わたしは、高校時代に彼の『変身』や『審判』や『城』を読んで、大きな影響を受けました。わたしは、カフカという作家の本質を「幻想文学」の巨人であると思っています。また、『海辺のカフカ』の著者である村上春樹氏も「幻想文学」の作家だと認識しています。カフカも村上春樹も、その小説世界はまるで「夢」の世界を思わせます。
そういえば、「幻想文学」の巨人の言葉を集めた本を以前読みました。『オスカー・ワイルドに学ぶ人生の教訓』です。ワイルドは『ドリアン・グレイの肖像』などを書いたイギリス・ヴィクトリア朝の作家です。
はっきり言って、この本にはガッカリしました。ワイルドの言葉は世間の常識を徹底的に疑うものですが、社会性というものが皆無です。文学的な価値はともかく、このような社会性のない言葉から人生を学ぶ、ましてや人間関係を学ぶなど、的外れもいいところだと思いました。
本質的にワイルドは谷崎潤一郎のように猛毒を秘めた作家であり、それがゆえに魅力があるのです。下手にワイルドの言葉を「薬」にしようなどとせず、その「毒」をとことん楽しめばよいのではないかと思ったのです。
本書『絶望名人カフカの人生論』も、最初はカフカの言葉から人生を学ぶといったコンセプトなのかなと思いましたが、実際に読んでみると少々違いました。カフカの絶望の言葉を並べて、「こんなに絶望している人間がいる!」とばかりに、その絶望ぶりを観賞するといった内容だったのです! まあ、「自分より不幸な人の姿を見て、自分を慰める」といった要素が多分にあることは否めませんが、それでも現実に心がつらい人を癒す力があるのではないでしょうか。
ベストセラーにもなったという本書が成功した理由の1つは、「はじめに」でアリストテレスの「同質の原理」とピュタゴラスの「異質への転導」を紹介したことではないかと思います。これによって、ふつうなら相手にされないような超ネガティブな言葉の数々に存在意義を与えてしまったわけです。実際、「同質の原理」と「異質への転導」という2つの音楽療法の理論には、わたしも大きなインスピレーションを与えられました。わが社が推進しているグリーフケア活動にも非常に参考になります。
最後に、本書に出てくるカフカの言葉でわたしの心に強く残ったものを2つ紹介します。
1つは、「ぼくは彼女なしでは生きることができない。しかしぼくは、彼女と共に生きることもできない」という言葉です。これは「日記」に書かれた言葉ですが、まさに心理学でいう「アンビバレント症候群」そのものです。カフカは、2度婚約して2度婚約破棄しました。結婚の申し込みも、破棄もカフカからだったそうです。この言葉を知れば、それも納得できますね。
もう1つは、「いつだったか足を骨折したことがある。生涯でもっとも美しい体験であった」という言葉です。この「骨折への賛美」には仰天しました。それにしても「生涯でもっとも美しい体験」とまで言うのは、なぜでしょうか。編訳者の頭木弘樹氏は、次のように解説しています。
「心の傷というのは目に見えない曖昧なもので、時間をかけてもなかなか順調に治っていくものではありません。しかし、身体の傷ははっきりと目に見えますし、ある程度までの傷なら、時間とともにみるみる癒えていきます。そこにカフカは美しさを感じたのではないでしょうか。リストカットをする人にも通じる心理です」
昨年、足を骨折した自分としては、ちょっと複雑な思いがしました。