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No.0577 国家・政治 『立ち上がれ日本人』 マハティール・モハマド著、加藤暁子訳(新潮新書)
2012.04.07
『立ち上がれ日本人』マハティール・モハマド著、加藤暁子訳(新潮新書)を読みました。
帯には、「アメリカに盲従するな!」「中国に怯えるな!」「自らの国に誇りを持て!」、そして「MESSAGE FROM MALAYSIA」と書かれています。2月のシンガポール訪問時に読んだ本です。
著者は、「哲人宰相」として知られた元マレーシア首相です。1925年、マレーシア北部ケダ州生まれで、エドワード7世医科大学卒。在学中の46年、統一マレー国民組織(UMNO)の発足に携わり政治活動を開始。81年から2003年まで22年間にわたって首相を務めました。大変な「親日派」として知られ、日本を手本にしたルック・イースト政策を実施しました。
わたしは先日、マレーシアで著者にお会いしましたが、非常に温厚で知的な方でした。
本書は、訳者で元毎日新聞特派員である加藤暁子氏が、新潮社から「日本が元気になる処方箋」をマハティール氏に書いてもらえないかという申し出を受けたことから生まれました。加藤氏がマハティール氏に数回インタビューをして、またマハティール氏から電話帳数冊分になる過去の演説集を貰ったそうです。それをもとに、加藤氏が叩き台を作り、それにマハティール氏が修正・加筆をしました。そうして誕生したのが、本書です。
本書のカバーの折り返しには、次のように書かれています。
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか―。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい。マレーシアの哲人宰相が辞任を機に贈る、叱咤激励のメッセージ。」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「訳者まえがき」
序章 日本人よ誇りを持て
第1章 ルック・イースト―日本への憧れ
第2章 教育こそ国の柱
第3章 中国に怯えるな
第4章 日本人こそイスラム世界を理解できる
第5章 富める者の責任
解説 アジアの哲人宰相(加藤暁子)
「訳者まえがき」の冒頭には、次のように書かれています。
「マハティールという人は実に不思議な人です。
直接会ってみてわかったことですが、背はそんなに高くないし、話し方はソフトで、もの静かな人です。英語の発音はけっして流暢ではなく、どちらかといえば訥々としているのです。しかし、世界が受けとめる印象はまるで逆です。きっと、1つ1つ選びながら語る言葉が的確で、ときに相手の胸にぐさりと打ち込まれるせいでしょう」
序章「日本人よ誇りを持て」で、著者は次のように述べています。
「発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。
首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。これは第二次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。
かつて読んだソニーの盛田昭夫元会長の本に描かれた、日本国民の強い愛国心と犠牲を払っても復興にかける献身的な姿は、私に深い感銘を与えました。
労働者は支給される米と醤油だけで一生懸命働き、近代的な産業を育てるため寝る暇を惜しんで技術を磨いていったのです。
日本人の中でも私がとりわけ尊敬するのは、戦後の日本を築いた盛田昭夫氏と松下幸之助氏です。いずれも先見性を持ち、パイオニア精神と失敗を恐れずに挑むチャレンジ精神、そして独自の考えとやり方で技術革新を生みました。さらには日本の経済成長を助けるマネージメント能力を兼ね備えていたのが、彼らのすばらしいところです」
著者は、「アジアはいつも日本を仰いでいた」と言います。そして、第1章「ルック・イースト―日本への憧れ」で述べています。
「東アジアの人々は、マレーシアが『ルック・イースト政策』を採用する遥か前から、東の彼方を見続けてきました。日本が明治維新後に近代化の道をたどりはじめたころ、東アジアの多くの国々は、侵略的な欧米の自由貿易論者に開国を迫られていました。
日本がこの問題をどう解決するか、彼らは固唾を呑んで見守っていたのです。
『中国の文化は野蛮な外国に比べて優れている』というような言葉は、開国を迫る西側諸国の軍事力の前には通用しませんでした。彼らは単にアジア諸国の産品ほしさのために植民地化を企て、次々と成功を収めていったのです。イギリスの実質的な植民地となった中国では、多くの港が欧州の貿易基地に転換させられ、19世紀半ばにアジアで独立国として残ったのは日本とタイだけというありさまでした。
そんななかで日本は欧米の覇権主義をかわし、新たな行政システムを導入し、経済を近代化していきました。江戸から明治へ。歴史的にみて、明治維新は日本にとって大きな転換点でした。明治天皇の時代に下された決断の数々は、多くのことを教えてくれました。そしてその決断を実行した明治の先人を、私は心から尊敬しています」
このように大の親日家である著者は、日本を賞賛するだけではありません。なぜならば、日本人に対して次のように苦言も呈しています。
「はっきり申し上げれば、いまの日本人に欠けているのは自信と愛国心です。日本が『愛国心』という言葉に過敏になる理由は、私にもわかります。確かに、過去に犯した多くの過ちを認める用意と意思は持たなければならない。しかし半世紀以上も前の行動に縛られ、恒常的に罪の意識を感じる必要があるのでしょうか。
ドイツを見てください。誰が彼らに、戦争中のナチスの残虐な行為を謝罪して回るよう求めているでしょうか。しかし日本ではどの首相も、2世代も前の人間がやらかしたことを謝罪しなければならないと思っている。これは不幸なことです。
日本が再び軍事大国になることはないという、近隣諸国の不安を取り除くための保証さえあれば、謝罪の必要はありません。
そもそも、軍事主義と愛国心はまったく別のものです。愛国主義的になることは、決して悪いことではありません。愛国主義は国が困難を乗り越える上で大きな助けとなりますが、祖国を守ることはどんな国家にとっても重要なことでしょう。
世界の一市民として生きていくためにどう倫理観を構築していくか、日本の大人が若者に伝えることが急務です」
わたしにとって最も興味深かったのは、第4章「日本人こそイスラム世界を理解できる」でした。「日本人こそイスラム世界を理解できる」とは、わたしの持論でもあるからです。自らがイスラム教徒である著者は、イスラム教について次のように述べています。
「イスラム教は誤解された宗教です。非イスラム教徒のみならず、イスラム教徒自身も、イスラム教の本質を間違って理解している。誤ったイメージばかりが先行し、正しく理解されていないために、イスラム教徒と非イスラム教徒、あるいはイスラム教徒同士の間でも深刻な対立が起こっています。これは世界にとって、とても不幸なことです」
21世紀を迎えたばかりの国際社会を震撼させた2001年の9・11同時多発テロ以来、日本でもイスラム教に対する関心が高まっています。日本人にとって馴染みの薄い宗教ゆえに、イスラム教理解に苦労しているビジネスマンなどを見かけることがあります。彼らはいずれもキリスト教の視点からイスラム教を見ていることに気づきます。正直言って、日本人のイスラム教に対するイメージは、キリスト教を中心とする西洋史観に強く影響されています。
著者もヨーロッパ中心の歴史観からの脱却を訴え、次のように述べています。
「世界史を振り返ると、ヨーロッパ人ほど領土拡張に熱心だった人たちはいません。他の国にある富まで欲しがり、常にそれを手に入れようと動いてきました。彼らの国境線が変わり続けたのは、互いに戦争をして領土の奪い合いを繰り広げたからです。海洋航海の技術をおぼえると、自分たちのためにさらに領土を拡大しようとしました。そして世界中に勝手に自分たちの旗を立て、国境線を引いてきたのです。
イスラム世界が広がっていた7世紀以来、ヨーロッパ人はイスラム教徒に対して脅威を感じてきましたし、十字軍を派遣した時代もありました。
その根底には、常に領土の拡張と回復があったのです。
キリスト教とイスラム教は歴史上、宗教的に対立してきたかのように思われています。もちろん、多少は宗教上の問題もありますが、基本的には領土をめぐる争いなのです。人間は宗教の中身をめぐって対立することは少ない。それに付随する領土問題や政治問題で紛争が生じるのです。それを混同してはいけません」
21世紀というキリスト教による西暦とは関係なく、イスラム世界は明らかに次なる時代に向かっています。元来のイスラムはメッカに発生した「都市性」や「共同性」、商業によって培われた「柔軟性」と「合理性」を備えたシステムでした。
西洋の近代とは相容れなくとも、そこに近代化を拒む要素はまったくない。世界的に脱・西洋化が叫ばれている今こそ、イスラムが近代化を果たし、人類社会に巨大な輝きを放つことを切に願います。
『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に書きましたが、もとよりイスラム教は、他宗教や異民族に寛容な平和宗教でした。その意味で、「やおよろず」の寛容性で異国の宗教である仏教や儒教を受け容れてきた日本の神道に似ています。
つまり、神道を「こころ」の支えとする日本人なら、イスラム教も理解できるはずなのです。アッラーの前には全人類が平等であるという究極の思想に立って、地球最大の平和エンジンとなりうる可能性をイスラム教は秘めているのではないでしょうか。そのように、わたしには思えて仕方がありません。
第5章「富める国の責任」も、非常に共感できる内容でした。「地球税」が世界を救うと訴える著者は、次のように述べます。
「ある国でビジネスをするならば、その国に税金を支払うのは当然のことです。ならば世界全体が1つの共同体である限り、グローバリゼーションで利益を上げた者は『地球村』に税金を支払うべきではないかと、私は常々考えています。いわば「地球税」です。なにも、そんなに大きな額を期待しているわけではありません。税引き後利益の0.5%でもいい。その財源を発展途上国のインフラ整備に振り向け、外資が直接投資しやすい環境を整えればいいのではないでしょうか。
発展途上国に道路や橋、鉄道、空港、港、発電所、水道設備など、人々の生活向上に役に立つものを建設し、基本の流入を図るのです。かつて日本や豪州が東南アジアに「友好橋」を建設したことに似ています。インフラは誰が建設してもかまいません。目的は政府に財源をもたらすことではなく、インフラの整備それ自体にあるからです」
さらに著者は、「豊かな国々は、貧しい国々を助けることが重要です。マレーシア自身が、まさにそれを経験しています。日本をはじめとする豊かな国が私たちに投資し、富んだ市場を形成することで、私たちは豊かになりました。この経験を踏まえてマレーシアは、『隣人を富ます政策』を採用しています」と語ります。
「隣人を富ます政策」とは、なんと素晴らしい言葉でしょうか! ぜひ、このマハティール元首相のハートフル・ポリシーがマレーシアのみならず、アジア全域、そして世界中に広がることを望みます。
最後に、著者は日本人に対して、次のように訴えます。
「いまのところ日本は、私たち東アジアの国々から生まれた唯一の先進国です。そして、富める国には隣人に対してリーダーシップを発揮する義務があります。潜在的な大国である中国をうまく御しながら、その責務を果たせるのは西側諸国ではありません。それは、東アジアの一員たる日本にしかできない役目なのです。
いつまでも立ち止まっている余裕はありません。それは日本にとっても、東アジアにとっても、世界にとっても、大いなる損失でしかないのです。最後にはっきりと申し上げたい。日本人よ、いまこそ立ち上がれ―と」
著者は、単なる理念だけの政治家ではありませんでした。90年代後半の通貨危機の際に、アセアン諸国はIMFに支援を求めました。
しかし、首相であった著者はマレーシアを自前で建て直しました。自国民の利益を鑑みて行われた決定でしたが、きわめて具体的で現実的な政策によって自主再建を実現したのです。このような決定を堂々と下せるリーダーによる日本への苦言は傾聴に値すると言えるでしょう。
解説「アジアの哲人宰相」で、訳者の加藤氏も次のように述べています。
「『孤高の人』『原則の人』『信念の人』という形容がマハティールにはふさわしい。大国と同じ土俵で戦い、大国の1人勝ちに抗ったマハティールは、アジアの哲人宰相であるだけでなく、世界を代表するリーダーだといえる」
このような「哲人宰相」にして「世界を代表するリーダー」に直接会えたことは、わたしの生涯忘れられない出来事となりました。マハティール元首相との出会いは、加藤暁子氏のおかげです。加藤氏に感謝いたします。