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No.0596 ホラー・ファンタジー | 死生観 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』 東野圭吾著(角川書店)
2012.05.08
昨夜は、満月の夜でした。丸い月の下で、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾著(角川書店)を読みました。
数々のベストセラー小説を生んだ、現代日本を代表する人気作家の最新作です。
本書の帯には「あの時の回答は、あなたを救いましたか?」と大きく書かれ、「悩み相談お任せください―。時空を超えて交わされる、温かな手紙交換。過去と現在が鮮やかに繋がったとき、すべての真実が明らかになる。すべての人に贈る、感動と驚愕の物語。」と続きます。さらに帯の裏には、次のように書かれています。
「夢をとるか、愛をとるか。現実をとるか、理想をとるか。人情をとるか、道理をとるか。家族をとるか、将来をとるか。野望をとるか、幸せをとるか。
あらゆる悩みの相談に乗る、不思議な雑貨店。しかしその正体は・・・・・。
物語が完結するとき、人知を超えた真実が明らかになる。 」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
第一章:回答は牛乳箱に
第二章:夜更けにハーモニカを
第三章:シビックで朝まで
第四章:黙祷はビートルズで
第五章:空の上から祈りを
それぞれの章ごとのストーリーは短編としても読めますが、実際は長編として全ての話が最後には繋がっていきます。ラストに向かって各エピソードが収束されていくスピード感はかなりのもので、著者の筆力に敬服しました。
タイトルの「ナミヤ雑貨店」は、郊外の寂れた住宅地にあるシャッターが下りたままの古びた雑貨店です。でも、その雑貨店は時間を超える不思議な場所なのです。その店に入ると、過去のある時代にタイムスリップしますが、過去の空間は家の中だけで、外に出た瞬間に現在に戻ってしまいます。なかなか、ややこしい構造なのです。すでに閉店してから年数が経っている雑貨店のシャッターが閉まっていますが、なぜか悩みの相談が書かれた手紙が、小窓に投函されます。たまたまその店には、泥棒3人組が忍び込んでいました。彼らは現代人なのですが、タイムスリップしているために過去の人からすると未来人となります。
少しだけ難を言うと、この3人組の人物描写が今ひとつもの足りず、わたしはどうしても彼らに感情移入ができませんでした。物語のキーパーソンとなる3人ですので、ちょっと残念でした。しかしながら泥棒3人組は、さまざまな相談者からの手紙を受け取り、それなりに真剣に答えます。そして時空を越えるもう一つの空間である牛乳箱に手紙を入れることで、過去の人々とつながりを持つのでした。
ちなみに、主人公の3人組も含めて、あらゆる登場人物が「丸光園」という児童養護施設と繋がっていきます。そのあたりの著者の筆運びも見事でした。
「タイムスリップ」をテーマにした小説といえば、ハインラインの『夏への扉』、筒井康隆の『時をかける少女』に代表されるようにSFに分類されることが多いですね。映画でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といったSF映画の名作が思い浮かびます。
しかし、本書『ナミヤ雑貨店』の場合はSFというよりもファンタジーに属します。著者本人も「タイムスリップ」というテーマが好きだそうです。すでに『時生』という作品を発表していますが、久しぶりに書きたくなったとか。
「もし、過去の人間と手紙のやりとりができるとしたら、自分はどんなことを書くだろう―そんなふうに考えたのがきっかけでした」と著者自身が語っていますが、今回の作品では、人がタイムスリップするのではなく、手紙が移動するというアイデアが面白いですね。もっとも、このアイデアは著者のオリジナルであるとはいえず、朱川湊人氏の作品集『かたみ歌』の中の「栞の恋」ですでに使われています。
さて、本書の中にはナミヤ雑貨店のおじさんが相談の返事として書いた手紙の数々の名言が出てきます。商売に行き詰まって夜逃げを計画している中学生に宛てた手紙の最後には、「どうか信じていてください。今がどんなにやるせなくても、明日は今日より素晴らしいのだ、と」という言葉が登場します。あれ、「今がどんなにやるせなくても、明日は今日より素晴らしい」って、どこかで聞いた気が?
そうです、桑田佳祐の「月光の聖者達~ミスター・ムーンライト」の歌詞の一節ですね。「明日は今日より素晴らしい」という言葉は、最高の祈りの言霊だと思います。そして、この言葉は本書全体を貫くメッセージにもなっています。なんでも、著者の東野圭吾氏は桑田佳祐氏の大ファンで、両者の間には親交があるそうです。自分が感動した歌の歌詞を、自分が書く小説の中に入れ込むなんて素敵ですね。いや、うらやましいなあ!
「月光の聖者達~ミスター・ムーンライト」はわたしもカラオケでよく歌う名曲ですが、かのザ・ビートルズの「ミスター・ムーンライト」のオマージュとして知られています。
本書の第四章「黙祷はビートルズで」には、ビートルズのエピソードがたくさん詰まっていますが、彼らが初来日したとき、JALから羽田空港に降りてきてキャデラックで首都高速を走りましたが、そのときに流れていたニュース映像のBGMが「ミスター・ムーンライト」でした。多くの日本人はこのときに初めて「ミスター・ムーンライト」という曲に遭遇したわけですが、じつはビートルズのオリジナル曲ではなかったそうです。その事実を、わたしは本書で初めて知りました。
両親と夜逃げをする中学生は、大のビートルズ・ファンでした。その頃、ビートルズの解散のニュースが世間で話題になっていました。
ちょうど「レット・イット・ビー」というビートルズ映画が上映されており、それを観ればビートルズ解散の理由がわかると囁かれていました。ビートルズの音楽を聴くことが「生きる」ことそのものでもあった彼は、両親にねだって夜逃げの当日に1人で映画を観に行きます。映画を観ているうちに、彼には事情がおぼろげながらわかってきました。本書には、次のように書かれています。
「『レット・イット・ビー』は、リハーサルとライブ映像を組み合わせたドキュメンタリー映画ということになっている。しかし、こういうものを作ろうという意図のもとに撮影されたわけではないようだった。それどころか、メンバーは映画を作ること自体に消極的な様子だ。いろいろな事情が複雑に絡み合って、仕方なく撮影を許可したという感じだった。
中途半端なリハーサルの合間に、メンバーたちのやりとりが差し込まれる。それもまた中途半端で意味不明だ。懸命に字幕を目で追うが、誰の真意も全く読めない。
しかし映像から感じ取れるものはあった。
心が離れている、ということだ。
喧嘩をしているわけではない。演奏を拒否しているわけでもない。
とりあえず四人は、目の前の課題をこなそうとしている。
だがそこから何も生まれてこないことを全員がわかっている、そんなふうに見えた」
最後は、ビートルズがビルの屋上で演奏をします。彼らにとって最後のライブとなるわけですが、そこにも熱は感じられませんでした。噂では、この映画を観ればビートルズ解散の理由がわかるということでした。
しかし実際には、わかりませんでした。スクリーンに映っていたのは、実質的にはすでに終わっていたビートルズであり、どうしてこんなふうになってしまったのかは不明なままだったのです。でも少年は「実際は、別れというものはそういうものかもしれない」と、帰りの電車の中で考え直します。本書には、次のように書かれています。
「人と人との繋がりが切れるのは、何か具体的な理由があるからじゃない。いや、見かけ上はあるとしても、それはすでに心が切れてしまったから生じたことで、後からこじつけた言い訳みたいなものではないのか。なぜなら心が離れていなければ、繋がりが切れそうな事態が起きた時、誰かが修復しようとするはずだからだ。それをしないのは、すでに繋がりが切れているからなのだ。だから船が沈んでいくのを傍観しているように、あの四人はビートルズを救おうとはしなかったのだ」
彼は、現実に父親とも母親とも繋がりが切れつつありました。そんな境遇にある中学生の言葉は、読者の心に痛切に迫ります。
しかし、その40年後、彼はあるBARで映画「レット・イット・ビー」を再び観賞します。アップル・ビルの屋上でビートルズが演奏を始めるクライマックス・シーンで、彼は奇妙なことに気づきます。映像の中のビートルズが彼の記憶とは少し違っていたのです。
「映画館で見た時には、彼等の心はばらばらで、演奏もまとまりのないように感じた。だが、今こうして見ると印象は違う。四人のメンバーは懸命に演奏をしていた。楽しんでいるようにも見えた。たとえ解散を目前にしていても、四人で演奏する時には昔の気持ちに戻れたのだろうか」と本書には書かれています。
彼は、映画館で見た時にひどい演奏に思えたのは自分の気持ちに原因があったことに気づきます。あのとき、両親から心が離れていた彼は、心の繋がりを信用できなくなっていたのです。しかし、かつて住んでいた街を40年ぶりに訪れた彼は、自分のことを両親がいかに心配し、深く愛していたかを思い知ります。そして、ウイスキーを飲みながら、今は亡き両親の冥福を祈るのでした。
この場面は本書の中で最も感動し、わたしの涙腺は緩みました。第四章「黙祷はビートルズで」は、独立した作品としても素晴らしい名作です。
本書では、「ナミヤ雑貨店」の他に児童養護施設「丸光園」が重要な舞台となります。第五章「空の上から祈りを」には、丸光園を創設し、自身の人生を丸光園に恵まれない子どもたちへの世話に捧げた1人の女性が登場します。
丸光園の初代園長であった彼女が亡くなる前の最期の言葉が「心配しないで、私は空の上からみんなの幸せを祈っているから」というものでした。この「空の上から祈りを」は、「明日は今日より素晴らしい」と並ぶ本書のメッセージであると言えるでしょう。
そして、わたしは「空の上から祈りを」とは「月から祈りを」という意味に受け取りました。わたしが、月こそ死者の世界であり、なつかしい故人は月から愛する人の幸せを祈っていると、多くの著書で訴え続けてきたことはご存知かと思います。
本書は、ミステリーでもSFでもなく、ファンタジーです。そして、もともと、月とファンタジーは分かちがたく結びついています。
とくに荒俣宏さんなども指摘しているように「昼間の月」というものが重要なシンボルになると思います。ときどき、太陽が地上に残っているときにも空に月が見えることがあります。奇妙ではありますが、昼間に月はちゃんと存在するわけです。
ゴーストみたいに白くて透明な昼間の月。これこそ、ニュートンの林檎のごとく大きな発見をわたしたちに与えてくれます。すなわち、別世界というものは存在するのだという真実を。アリスの不思議の国、オズの国、ネバーランド、ナルニア国、ミドルアース・・・あらゆる別世界はこの現実世界と並行して存在するのです。そして、おそらくは霊界さえも!
月とはそれらすべての別世界のシンボルです。別に月そのものが出ても出なくても、ファンタジー作品の本質的とは、月を語った「月の文学」なのですね。
そして、大事なことは本書で起こった不思議な出来事の数々は、すべて満月の夜に起こっているということです。本書の冒頭9ページに、主人公の泥棒3人組が忍び込んだ建物と小屋の隙間から夜空を見上げる場面があります。
そして、そこで著者はしっかり「真上に丸い月が浮かんでいた」と書いているのです。本書のもう1つのメッセージが「明日は今日より素晴らしい」です。この言葉も、おそらくは月の下でつぶやかれるべきでしょう。なぜなら、この言葉の出自は「月光の聖者達~ミスター・ムーンライト」という名曲だからです。
生者には、「明日は今日より素晴らしい」。死者には、「空の上から祈りを」。そして、その両方ともに月に関連したメッセージなのです。
ということで、大の月狂いであるわたしは、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』という「月の文学」を非常に気に入ってしまったのでした。
最後に、バスの事故、山岳遭難、竜巻、地震、津波・・・・・人間が亡くなる形はさまざまです。でも、すべての死者は空の上から愛する生者を見守っている。そのように、わたしは心から信じています。