No.0614 経済・経営 | 評伝・自伝 『私、社長ではなくなりました。』 安田佳生著(プレジデント社)

2012.06.07

 『私、社長ではなくなりました。』安田佳生著(プレジデント社)を読みました。

 33万部を超えるベストセラーになった『千円札は拾うな。』を書いた著者のことは知っていました。そして、著者が経営する採用代行会社のワイキューブからは何度かDMがわが社に届きました。NHKでも華々しく紹介されたワイキューブには民事再生法が適用され、一時は「時代の寵児」であった著者も社長ではなくなりました。本書は、あまりにも正直に赤裸々に綴られた「社長の失敗本」です。

 本書のサブタイトルは「ワイキューブとの7435日」で、帯には寂しげな著者の横顔の写真とともに「私たちは本当に子どもだった。そして私利私欲の塊だった。」と書かれています。また、本書の「もくじ」は以下のようになっています。

「まえがき」
1章:満員電車からの脱出
2章:営業カバンからの脱出
3章:劣等感からの脱出
4章:アポ取りからの脱出
5章:資金繰りからの脱出
6章:引け目からの脱出
7章:社長からの脱落
「あとがき」

 「まえがき」の冒頭には、次のように書かれています。

 「熊本への出張からの帰り、私は東京の品川駅前の喫茶店で役員2人と落ち合った。最後の役員会をするためだ。2011年3月10日。東日本大震災の前日のことである。
 このまま会社を続けていくのか、それとも民事再生に踏み切るのか。熊本から帰る飛行機のなかで、私の腹は固まっていた。
 開口一番、『いままでありがとう。民事再生しよう』。そう言ったとき、2人がほっとしているのがよくわかった。本当はずっと前に決断していなくてはならなかったのだ。売上が15億円にまで落ち込んだ会社が、42億の借金を返せるはずがない」

 そして、「まえがき」の最後には次のように書かれています。

 「ワイキューブは私たちが子どものように夢を見てつくった会社である。
 私たちは本当に子どもだった。そして私利私欲の塊だった。
 なぜ私たちが会社をつくったのか。なぜこんなにも、むちゃくちゃな経営をしたのか。
 そして、なぜ破綻させなくてはならなかったのか。
 そのことを、きちんと話さなくてはならないと思う」

 「なぜこんなにも、むちゃくちゃな経営をしたのか」と書かれていますが、ワイキューブは、とにかく派手な経営で知られていました。昔から「豪華なオフィス・美人秘書・高級外車」は会社倒産の前兆と言われますが、それどころか、社内にワインセラーやバーがあったり、高級品を揃えたセレクトショップを作ったり、社員にタクシーで通勤させたりしていました。このような奇抜なことを次々に打ち上げて、「ユニークな企業」としてメディアに露出していました。本書を読めば、外から見て華やかな企業の内側がどうだったのか、よくわかります。

 著者はリクルートの出身ですが、良くも悪くもリクルートの遺伝子を受け継いでいる経営者であると思いました。「仕事を遊びにする会社」を売りにした元祖は、リクルートです。一般社員が社長を「さん」づけで呼ぶ、まるで大学のサークルのような雰囲気がありました。ブライダル業界の経営者にはリクルートの出身者が多いのですが、彼らにも著者と同じ雰囲気を感じることがあります。

 1章「満員電車からの脱出」では、次のように著者の人生観が語られています。

 「私は自分が興味のあることや、やると決めたことは根気よく続けられるのだが、意味の見いだせないことについては、まったくやる気が起きなかった。
 いまでこそ、社会のルールや決まり事が少しは理解できるようになってきた。そうはいっても、他人の決めたルールや価値観に沿って生きることに意味を見いだせない性格は、基本的には変わっていない。『生きているのと呼吸しているのとは違う』と誰かが言っていたが、まさにそのとおりだと思う。これを私なりに表現するなら、『生きているのと死んでいないのとは違う』とでも言い換えられるだろう。
 波風立てずに秩序を保って生きていれば、誰もあなたの呼吸を止めはしない。そうすれば息はできる。呼吸をしているという意味では、生きているといえるのかもしれない。
 けれども、私にとってそれは『生きている』ことにはならない。ただ『死んでいない』ということにすぎないのだ。生きていることと、死んでいないこと。
 どちらが正しいかはわからないが、少なくとも、『死んでいない』だけの人生は私には窮屈でならなかった。誰かが勝手に決めた常識や既成概念から自由になりたい。思い切りラクに生きたい。そのために必死にもがいてきた。
 それが、これまでの私の人生だったのだ」

 著者は、高校時代、とにかく朝の満員電車が嫌でたまらなかったそうです。毎朝が「吊り革戦争」だったそうで、次のように書いています。

 「満員電車では、ドア付近のポジションをめぐって熾烈な争いが起きる。
 私には、同じ吊り革をねらうライバルがいた。
 40代くらいのサラリーマンのおっさんである。
 毎日毎日、同じ吊り革を奪い合っていた。私はまだ体が小さかったので、1週間の6日のうち、吊り革を奪取できるのは2日くらいだった。
 吊り革をとられると、私は電車の奥に流し込まれてしまう。そして遅刻。
 反対に私が吊り革を奪うと、敗れたおっさんは、人波に押されて車中深くに消えていった。当時、その光景を見ることが、何よりのよろこびだった。
 そんなことを3年間続けてきて、高校卒業が間近に迫ったある日、私は思った。やっとこの満員電車から解放される。このおっさんと吊り革を奪い合うこともなくなるのだ。
 さらに、こうも思った。でも、このおっさんはどうだろう。
 これからもずっとこれを続けていくのだろうか。相手が私ではない誰かに代わるだけで、相変わらず吊り革を奪い合うのだろうか。
 そもそもこのおっさんは、いつから吊り革争奪戦をやっているのだろう。
 そう考えた途端、怖くなった。私だってこのまま流されていけば、このおっさんと同じように吊り革戦争に明け暮れる人生を送ることになる。今日も明日もあさっても、満員電車にもみくちゃにされながら会社に向かうのだ。
 そうやって、自分が何も求めていない場所にはめ込まれていくのだろう。
 そんなのは真っ平ごめんだった」

 うーん、言いたいことはたくさんありますが、続けて著者の言い分を聞いてみましょう。

 わたしがシャンパンが好きなことは御存知かと思いますが、著者もシャンパン好きだそうです。「シャンパンとイチゴ」と題して、次のように書いています。

 「1990年には、映画『プリティ・ウーマン』が大ヒットした。主演のジュリア・ロバーツがまだ22、3のころの作品だ。あの映画を観て、ジュリア・ロバーツが演じた主人公のようなシンデレラ・ストーリーにあこがれる女性は多かったと思う。
 一方、私はリチャード・ギアが演じた青年実業家にあこがれた。
 強烈に印象に残っているのが、リチャード・ギアがペントハウスでシャンパンとイチゴを頼むシーンだ。シャンパンを飲みながらイチゴを食べるのである。
 これこそが『できるビジネスマン』の象徴だと思った。
 シャンパンを飲むときには、イチゴをかじる。私もよく真似したものだ。
 たまにシャンパンのなかにイチゴを入れる人がいるが、あれはいけない。
 『シャンパンにイチゴ』ではなく、あくまで『シャンパンとイチゴ』なのだ。
 シャンパンとイチゴについてはどちらでもいいことだが、とにかく私はリチャード・ギアのようになりたくて、将来は社長になると決めたのだ。
 まったく不純な動機である。しかし、人間なんてみんな不純なものだろう」

 あいやー、映画で見たカッコいい「リチャード・ギアのようになりたくて、将来は社長になると決めた」とは、あまりにも能天気というか、不純な動機というか、やっぱり子どもですね。非常に正直な人だとは思いますけれども。
 でも、世の中には、「リチャード・ギアのようになりたくて」とは思わなくても、「リッチマンになりたくて」社長をめざす人はゴマンといるのではないでしょうか。

 さらに、著者は「やりたくないことを避ける」ために、社長になりたかったそうです。1章の最後で、著者は次のように述べています。

 「学生のなかには、『自分のやりたいことをどうやってみつければいいのか』と悩む人がいるようだが、これまでそんなことは考えたことがない。私の場合、満員電車での通勤を避けるためには、社長になるという選択肢しかなかったのだ。『やりたくない』ことを排除するには、どうすればいいかを考えた結果が社長だったというだけだ」

 ふつうは社長になりたいという人は、「ビジネスで成功したい」とか「自分の実力を試してみたい」という人が多いのではないでしょうか。
 しかし、著者は次のように述べています。

 「私はビジネスで成功したかったというよりも、立派な受付のある会社の社長になりたかっただけなのかもしれなかった。大きなビルや立派な受付に対する劣等感を克服することが、私にとっての目的になっていた。
 このころから私は、劣等感から逃れるためにオフィスに相当のお金をつぎ込むようになっていったのかもしれない。ただし、立派な会社のみせかけだけを真似ても、それで私の何かが満たされるわけではなかった」

 動機がちょっと変なまま社長になった著者は、何事にもトリッキーな戦略を好むようになります。たとえば、反感を買うようなセミナーのタイトルをつけたこともありました。「サルならわかる経営の真実」というタイトルで、4時間半のセミナーとDVDでひとり6万円のセミナーだったそうですが、失敗しました。著者は他にも、「素材が悪いヤツは育たない」「犯人は社長です」のような挑発的なメッセージを次々と投げていきました。

 派手な経営で名を馳せてきた著者は、「経営者の仕事とは、お金を使うことである」とまで言うようになります。本書でも、次のように著者の金銭哲学が語られています。

 「無借金経営こそが健全な経営だと言う人もいるが、それでは会社は大きくならない。逆に資金さえあれば、いくらでも会社を大きくできる。私は事業で得た利益を残すことよりも、どこに使うかを考えるようになった。
 資本主義社会では資本力のある会社が強いということもみえてきた。
資本力さえあれば、銀行から資金を借りることもできる。
 たとえば、資本金1千万円の会社が1千万円の利益を出すのと、資本金1億円の会社が1千万円の利益を出すのとでは、どちらの可能性が高いかを考えてみる。
 どちらも同じ1千万円の利益だ。
 1千万円の資本金で1千万円の利益を出すには、元金を倍にしなくてはならないが、1億円を1億1千万円にするには、1割増やせばいいだけだ。資本金の倍の利益を出すのは現実的にはとても難しいが、1割の利益であれば不可能ではない。
 そういう考えのもと借入金を増やし、投資していった」

 本来、経営者というものは利益を出すことに努力します。「利益とは未来資産である」と言ったのはドラッカーですが、利益が出なければ基本的に会社は存続できません。しかし、著者は次のように書いています。

 「私には利益を残すという発想がなかった。利益を残すことに興味がなかったといってもいい。利益を残すくらいなら、人やブランドに投資するほうが何十倍も効果があると思っていた。お金を残しておいてもそのままでは増えないが、そのお金を人に投資して、その人が成長すれば、会社の業績に大きく貢献してくれる。
 その結果、計り知れない投資効果を会社にもたらしてくれる。そう信じていた。
 極端な話、利益など残らなくても、優秀な人材と会社のブランド力があれば、売上や利益はいつでもついてくるものだと思っていた。キャッシュフロー経営を信奉していたのだ。
 私はワイキューブのブランディングへ多額の資金を投入していった」

 著者が構想するワイキューブのブランド戦略は、とどまるところを知りませんでした。得意先の立派なオフィスを訪ねるたびに、「お客さんのオフィスは素敵ですよ。私たちもおしゃれなオフィスに引っ越しましょうよ」と社員が著者に言ってきたそうです。そのときの著者の対応が次のように書かれています。

 「そこで、規模が小さい各地の拠点から順にオフィスを改善していくことにした。
 まず名古屋支社をニューヨーク風に、次に福岡支社をバリ風に、そして大阪支社はメキシコ風にした。なぜこのようなスタイルにしたのかと聞かれても、とくに理由はなかった。ただのノリである。福岡支社などはアジアに近いという、ただそれだけの理由でバリ風になった。東京の本社オフィスはといえば、社員が増えるにつれてワンフロアでは収まらなくなり、フロアの数が増えていっていた。
 入居したときは7階のワンフロアだったのが、6階と5階を借り増していた。
 2004年には、ついに1階フロアに進出した。
 入り口を入ってすぐの場所にカフェスペースやワインセラーを設け、床面には大理石を敷き詰めた。一般の人がお店と間違えて足を踏み入れることもあった」

 驚くべき浪費ぶりですが、そのころ、著者の本が何冊か続けて出版され、贅沢なオフィスが大きな話題になりました。著者は、次のように述べています。

 「本が売れたからメディア取材が増えたのか、メディア取材が増えたから本が売れたのかはわからない。どちらともがお互いに作用していたのだと思う。
 最初の本が売れてから、いろんな出版社から『次はうちで出しませんか』との声がかかるようになった。ビジネス本の作家には、いろんな出版社から立て続けに本を出している人もいた。だが、彼らの動向を見ながら、わかったことがあった。
 ひとりの作家が瞬間的にたくさんの本を出しても、読者はその人の本をすべて買うわけではなく、そのうちの1冊か2冊を買うのがほとんどだ。
 すると1冊ごとの売上は伸びない。つまり、短期間でたくさんの本を出しても、けっきょくは短いブームで終わってしまうことが少なくないのだ。
 私は作家になるつもりはなかったし、会社の売上を上げるためにはある程度売れ続けなければならないと考えていた。そのためには、同じような本を一度に出しすぎないほうがいい。出版社からの誘いがあっても慎重に対応しようと思った」

 このあたりの著者の出版に対する考え方は非常にクレバーですね。わたしにとっても、大いに参考になりました。

 それにしても、オフィスへの莫大な投資の元は取れたのか。これに関して、著者は次のように述べています。

 「市谷のオフィスへの投資に関しては、元は十分に取れた。
 メディアに取り上げられた分を広告費に換算すると、年に1億円から3億円くらいにはなっていたはずだ。5年間くらいはコンスタントにメディアに露出していたから、合計すれば10億円以上になったと思う。オフィスへの投資は1億5千万円くらいだったので、得られた広告効果に比べれば安いものだった」
 さらに、著者は高級品を揃えた自社ブランドの設立へ向かい、次のように述べます。
 「自社ブランド『Y-style』の立ち上げも、社内にバーをつくったのと同じころだ。
 社員におしゃれな一流品を身につけてもらおうという目的で始めたが、オリジナルのスーツやシャツ、ネクタイだけでなく、傘、マグカップ、水までつくって販売した」

 5章「資金繰りからの脱出」には、次のように述べられています。

 「利益を出してくれたら、いくらでも給料を払います―。
 多くの経営者は、利益が出たら、その分を給料として配分するのが正しいと思っている。利益が先で、給料はあとからついてくるという考え方だ。しかし、このような採用条件でいい人材が集まるかといえば、なかなかそうはいかない。そこで考えたのは、先に給料を上げてしまえばいい人材が集まるのではないかということだった」
 さらに、著者は暴走しました。次のように述べています。
 「入社2年目以降の社員であれば、業績にかかわらず、新幹線のグリーン車で移動できるというルールもつくった。社員を優遇して、モチベーションを高めるためだった。
 のちに、社員全員のタクシー通勤も提案したが、逆に社員の反発を食らった。
 そこまでやる必要はないという理由だった。
 年収アップを実施したとはいえ、その分の原資が自分たちにあったわけではなかった。給料はすべて、借り入れ資金だった。
 私は経営とはそういうものだと思っていた」

 ここまで社員を甘やかした会社が実在したとは驚きです。現在の著者は、このときの真意を次のように述べています。

 「いまになって考えれば、社員の給料を上げたり、グリーン車に乗せたりしたのは、社員のモチベーションを上げたいという理由だけではなかった。
 社長としていい給料をもらったり、社長としての特権があったり、自分だけがいい思いをする引け目から解放されたいという思いのほうが強かったと思う」

 そんなに引け目があったのなら、社長の給料も安くすればいいし、自分だけがいい思いをしなければいいのにと思うのですが・・・・・当時の著者は、そういった考えは思い浮かばなかったようですね。

 なんと、ワイキューブ社内にはネイルマシーンまであったそうです。さらに、著者は次のように書いています。

 「福利厚生のために、海の家も買った。海の家とワンシーズン300万円で契約して、社員なら誰でも飲み放題、食べ放題で自由に使えるようにしたのだ。そこに行けば、きれいな海を目の前にシャンパンが飲めるというのがウリだった。
 青森の農場と契約して、社員に農業体験の場を提供したこともあった」

 ここまで来ると、もう「すげえ」としか言えませんね。

 なぜ、このような浪費を繰り返したのか。その理由について、著者は次のように述べています。

 「いま振り返れば、私にとってワイキューブとは社会との接点であり、もっといえば社会そのものだった。30代で離婚し、40代半ばで再婚するまで、社会とつながっていたのは、平日会社にいる時間だけだった。友人と呼べるのは、ワイキューブの関係者くらいしかいなかった。寂しくても、『寂しい』とは口にできなかった。
 いま思えば、会社にバーをつくったり、パティシエを雇ったりしたのも、社員に『会社に来たい』と思ってほしかったからだ。
 みんなが楽しく会社に来てくれれば、そこが私の居場所にもなる。
 私はワイキューブという会社を経営することで、自分の居場所をつくりたかったのだ」

 これを読むと少しだけしんみりしてしまいますが、それでも最終的に多くの社員を路頭に迷わせ、取引関係にも多大な迷惑をかけたわけですから、経営者としての著者の責任は重大です。けっして、「自分の居場所をつくりたかったのだ」などという子どもじみた言い訳は通用しません。

 著者の子どもじみた発言は、「あとがき」にも次のように登場します。

 「怒られるのを承知で言ってしまうが、私はこの20年間を本当に楽しんだ。
 後悔も未練もまったくない。もう一度同じことをやってみろと言われたら、喜んでやってしまうだろう。最後の数年間を含めてつらかったこともたくさんあったが、そんなものとは比較にならないくらい私は人生を楽しんだ。大好きな人たちに囲まれながら、大好きなオフィスで仕事をする。これ以上の幸せがあるだろうか」

 それにしても『千円札は拾うな。』にはじまって、『検索は、するな。』『下を向いて生きよう。』など、著者の本のタイトルはどれもトリッキーというか人目は引くけれども直球勝負ではありません。こんなところにもリクルートの遺伝子というか、子どもっぽさを感じてしまいますが、これらの本のタイトルはそれにしてもプロのコピーライターが考えそうな捻りは効いています。おそらく、著者ではなく、出版社側がつけた奇をてらったタイトルなのでしょう。一般に、読者は本の書名というものは著者がつけたに違いないと思うものですが、本当は編集者がつけたものが多いのです。

 くだんの『葬式は、要らない』なども版元の社長がつけたとか。そうしてみると、最初の『千円札は拾うな。』も出版社側が用意したタイトルで、著者の発案ではなかったのかもしれません。

 そうだとすると、ネットなどで、著者の前に「千円札を落としてみたい。さて、拾うかな?」とか「今なら1円だって拾うんじゃないの?」などと書かれているのを見ると、ちょっと気の毒になります。もちろん、最終的にはタイトルなどの責任は著者が取るわけですが、若さゆえに踊らされてしまう部分があったのでしょう。
 わたしは、ふと思いました。「すると、もしかしたら、あの言葉もその類なのかな」と。あの言葉とは、かの有名な「金で買えないものはない」です。
 金で買えないものがないはずはありませんが、お金は大事にしなければいけませんね。え、千円札が落ちていたら、どうするかですって?
 もちろん、わたしは拾って交番に届けますよ。いや、ほんとに。

 最後に、経営者がここまで自身の失敗について語った本書は、凡百のくだらない社長の自慢本よりもはるかに読む価値があると思います。特に、「目立ちたい」とか「いい格好がしたい」と考えがちな若い経営者には必読書ではないでしょうか。

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