No.0638 国家・政治 『世界が日本のことを考えている』 共同通信取材班編(太郎次郎社エディタス)

2012.07.21

『世界が日本のことを考えている』共同通信取材班編(太郎次郎社エディタス)を読みました。

「3・11後の文明を問う―17賢人のメッセージ」というサブタイトルそのままの内容です。『傷ついた日本人へ』の著者であるダライ・ラマ14世と同じく、世界を代表する賢人たちが日本人へのメッセージを寄せてくれました。

本書の帯には「識者から届けられた深い『共感』と『問い』の言葉」と書かれ、帯の裏には次のような内容説明があります。

「ネグリは原発を『怪物』と呼び、アンダーソンは日本のナショナリズムに期待を寄せ、鄭浩承は韓国が日本にいちばん近づいた日々を語る・・・・・共同通信社が東日本大震災後、世界の賢人17人に「3・11文明を問う」というテーマで連続インタビューを敢行―そこから聞こえてくる真摯な問いかけに、われわれはどう答えるのか?」

本書は、以下のような構成になっています。

はじめに「世界は3・11を忘れない」
杉田弘毅〔共同通信社編集委員〕
「人は自分自身を救わねばなりません」
ウ・ブニャ・サラ/アシン・バラ・サミ/ウ・パニャ・シリ〔ミャンマー・僧侶〕
「日本よ、泣かないでください」
鄭浩承〔韓国・詩人〕
「自国のレベルに合わせてエネルギー源の多様化を」
ワンガリ・マータイ〔ケニア・環境保護活動家〕
「市民が力を取り戻す機会」
レベッカ・ソルニット〔米・作家〕
「”全能”のおごりを捨てるとき」
マリナ・シルバ〔ブラジル元環境相〕
「指導者は真実のみを語れ」
エドアルド・シェワルナゼ〔ソ連元外相〕
「人類は原子力を制御できない」
ゲアハルト・シュレーダー〔ドイツ前首相〕
「発揮された日米のパートナーシップ」
ウォルター・モンデール〔米元副大統領〕
「絶望に響く言葉の力」
マリオ・バルガス・リョサ〔ペルー・作家〕
「原子力は『怪物』である」
アントニオ・ネグリ〔伊・政治哲学者〕
「生態系の危機と現代文明」
レスター・ブラウン〔米・環境思想家〕
「民主主義社会で進む統治制度の劣化」
フランシス・フクヤマ〔米・政治思想家〕
「科学者は難問に立ち向かえ」
アブドル・カラム〔インド前大統領〕
「『希望』のナショナリズム」
ベネディクト・アンダーソン〔アイルランド・政治学者〕
「3・11は世界のエネルギー政策の根本を変える」
ヨハン・ガルトゥング〔ノルウェー・平和学者〕
「島の核廃棄物に問題が起きたら、なすすべがない」
シャマン・ラポガン〔台湾・作家〕
「母なる自然のシグナルに目を凝らし、耳を傾けよう」
アピチャッポン・ウィーラセタクン〔タイ・映画監督〕
〔解説〕世界から、そして世界へ
加藤典洋〔評論家〕

まず、この発言者の顔ぶれの豪華さに驚きました。さすがは共同通信社です。
3・11における被災地、被災者の惨状を前にして、国際情勢を追う共同通信の記者たちも「記者として何ができるのか」と自問したそうです。そして始めたのが世界の知識人たちへのインタビュー企画「3・11 文明を問う」でした。
共同通信社編集員の杉田弘毅氏によれば、そこには「世界がこの大震災をどう見ているのか、日本は何をすべきかについて伝えることは、大震災の衝撃で軸を失った感のある日本に、ヒントになるのではないか」という思いがあったそうです。はじめに「世界は3・11を忘れない」において、杉田氏は次のように述べています。

「考えてみれば、巨大な自然災害は定期的に地球のどこかを襲っているし、気候変動が進むなかで、自然災害の脅威をどこの国の住民も身近に感じる。原子力依存から脱却すべきか、それとも成長を支える有力なエネルギー源としてとらえるべきかは、世界共通の課題だ。そうした問題を突きつけた3・11を世界は忘れないだろう。
インタビューのテーマは自然と人間、原子力、科学技術、近代化、文化の役割、国家権力の統治、宗教と人間、文明のあり方、そして日本の将来と、多岐にわたった。
議論されている内容は、東日本大震災を出発点に、人間は何に幸福を見出して生きていくべきか、という普遍的、哲学的なテーマに発展した」

ここからは、わたしが感銘を受けた賢人たちの言葉を紹介したいと思います。

「人類は災害を克服できるでしょうか」という問いに対して、ミャンマー僧であるウ・ブニャ・サラ氏は次のように述べます。

「50年前と比べ、人間と自然の質は低下しました。人は物欲が深まり、利己的になり、互いへの思いやりを忘れ、道徳心をなくしてしまったのです。こうしたことが結果的に自然を破壊し、気候変動や新たな疫病の流行につながっているのです。災害を生み出すのは人間なのです。われわれは考え方を変えなければならないときに来ています。巨大な自然の力である大災害はこのことに気づかせてくれるのです」

また、同じくミャンマー僧のアシン・バラ・サミ氏は「物質主義を発展させるのであれば、心と精神も鍛えなければなりません。そうでなければ破滅に向かうことになります。心はとても重要なものです。物質主義への過度の依存は危険です」と語ります。

「科学技術は人を幸せにできるでしょうか」という問いに対しては、アシン・バラ・サミ氏は「私たちは『老い』と『死』から逃れることはできません。天界に住む者たちさえ死ぬのです。永遠に存在するものなどありません。ミャンマー人であろうが、日本人であろうが、動物であろうが、この点は平等です。科学が貢献できるのは、生まれてから死ぬまでの間の人生においてであり、老いと死を止めることはできないのです。これを心にとどめておくべきです」と述べています。
これらのミャンマー僧の叡智の言葉を読んで、わたしは「世界平和パゴダ」のウ・ケミンダ大僧正のことを思い浮かべました。若い頃にミャンマーから来日されて、日本の土となられた上座部仏教の重鎮だった方です。

次に、ブラジル元環境相のマリナ・シルバ氏の発言が心に残りました。

「文明の方向を変えるのは抵抗が強く、難しいことではないでしょうか」という質問に対して、シルバ氏は次のように答えています。
「人類は変革を起こすことができる存在です。私が気に入っている言葉に『石が足りなくなったために石器時代を脱したのではない』というのがあります。石油が枯渇して初めて石油に依存する時代を終える必要はまったくありません。人類にはそれが可能です。福島の事故は、人類に教訓を与えてくれた大きな転機だと考えます。人類は、一刻も早く方向転換をすることが必要です」

2010年のノーベル文学賞を受賞したペルーの作家マリオ・バルガス・リョサ氏への質問は、「東日本大震災だけでなく、戦争など今なお世界の多くの人々は苦悩のなかにいます。文学は彼らに何を与えられるのでしょうか」というものでした。リョサ氏は、「作家はつねに自分の時代に立ち向かわなければならない」というジャン・ポール・サルトルの言葉の実践を心がけていると告白した上で、次のように述べます。

「小説は単なる楽しみ、余興という考えは捨てるべきです。もちろん文学は虚構を描きますが、文学が描く虚構を理想と対比することで今の社会の不正を浮かび上がらせ、『現状には満足できない。変えよう』と立ち上がり連帯する力を読者にもたらすことができます。人々が生きている日常にある言葉の壁、宗教の壁、偏見の壁を打ち破り、孤独な者同士をつなげられます。文学とは偏見を防ぐものです。言葉は行動であり、読者の人生に足跡を、大きな影響を長く残すものです。文学は読み継がれることで、未来の世代にも共有されます。作家は文学を通して行動するのです。実際、多くの作家が行動し正義を実現してきました」

この言葉から、わたしは京都で先日ご一緒した作家の玄侑宗久さんの生き様を連想しました。

また、リョサ氏は「歴史を振り返れば、混乱し不安定な時期ほど素晴らしい小説が生まれている。ラテンアメリカでは人々がこれからどんな将来が来るか見通せないときに、よい文学が生まれた。混乱、不条理でなく理にかなったよい社会を求める心が小説に託された」とも語っています。混乱を迎えた日本でも文学が華やかに実り、大きな変革の前触れとなるのでしょうか。たしかに、わたしには「ポスト3・11文学」とでも呼ぶべき作品群が生まれているような気がします。さらに、リョサ氏は文学を超えた芸術や文化そのものについても次のように述べています。

「これからの世界は文学や美術や音楽など、人間のあり方、価値を示すものが役割を果たすはずです。かつて日本は『飢餓に対する戦い』に勝利し、豊かになることで世界の模範となりました。今度は物質主義ではなく、経済的な豊かさと文化的な価値を融合した新しい市民文明をつくる戦いでも模範となってほしいと、わたしは考えています」

イタリアの政治学者であるアントニオ・ネグリ氏は、『帝国』や『マルチチュード』などの世界的ベストセラーの著者として有名です。冷戦後のグローバル化した世界の覇権状況を鋭く分析していますが、21世紀に入ってから激動する世界について、ネグリ氏は次のように述べています。

「9・11は西洋に対するイスラム圏の反発の強さを示し、西洋の覇権では両者の溝は克服できないことを分からせました。リーマン・ショックは西側の経済・財政システムの腐敗がいかに根深いかを証明しました。
そして東日本大震災は、自然を克服する努力には限界があり、20世紀後半から出現した『原子力国家』は幻想だったことを明らかにしました。原子力の危険は発電所の事故という惨事だけではないのです。米スリーマイル島原発事故は原子力破局の始まりであり、旧ソ連のチェルノブイリ事故は科学技術の弱さを見せつけました。一方、福島事故は政治・産業システムの巨大な問題を浮き彫りにしました」

ネグリ氏は「帝国」に対するものとして「マルチチュード」に期待を寄せています。マルチチュードとは「多様な群」といったような意味ですが、ネグリ氏によれば、それは労働者階級でも大衆でもなく、「ネットワークによって1つになった個々の個人」であるそうです。彼はコンピューターによるネットワーク時代の運動を高く評価していますが、その主体となるものこそマルチチュードだとか。
また、ネグリ氏はインタビューで「原子力国家」という言葉を使いました。
なんとも刺激的な言葉ですが、国家は原発の安全性を保証するため、「地震や津波が来ても大丈夫」などのウソに始まり、最後は国家の魂までも原子力に売ってしまうという意味だそうです。まさに、「原子力国家」は現在の日本に当てはまる言葉ですね。

アメリカの政治思想家であるフランシス・フクヤマは、冷戦終結を予告した『歴史の終わり』の著者として、世界中に衝撃を与えました。
そのフクヤマ氏は、「福島原発事故が示したのは技術文明の行き詰まりではない。先進諸国が共通して直面する統治制度の危機だ」と指摘します。また、新たな科学技術を安全に使えるかどうかは、「制度の力強さ」にかかっているそうです。
危機の背景の奥底には、利権、縁故、無意味な対立で身動きできなくなっている自由民主主義制度の劣化があるとフクヤマ氏は見ています。「科学技術の進歩がもたらす未知の危険が今後の人類の課題だと、指摘したことがありますね」というインタビュアーの発言に対して、フクヤマ氏は次のように述べます。

「科学技術の進歩は、制御不能の巨大な機械のようなものだと考える人がいます。制御もできなければ、進歩の速度を抑えることさえできないと考える。それは間違いです。一見、制御不能のように思えても、かならず最後には制御して、安全に使えるようになる。まえの話に戻れば、日本政府の監督がしっかりとし、(的確な)アクションをとり、東電の災害対策がしっかりしていれば、大災害にはならなかったはずですし、電力はきちんと供給できていたはずです。だから、問題は結局、科学技術の応用にあたり、さまざまなリスクを制御することができる強靭な制度を持てるかどうかにかかってきます」

「わたしが特に危険を指摘したのはバイオテクノロジー(生命工学)分野です。すでにさまざまな実験が行われ、『もしこの技術を応用したらたいへんだ』という懸念も出ています。ただ、そうした技術でも、制御に努めれば、正しい目的に使うことができるはずです。すべての危険をなくすことはできませんが、危険を減らすことはかならずできます」

「想像の共同体」から「こころの社会」へ

アイルランドの政治哲学者であるベネディクト・アンダーソンは、ナショナリズム研究の第一人者として知られます。また、『源氏物語』や『枕草子』を愛読しており、さらには小津安二郎の映画のファンという知日派でもあります。アンダーソン氏には『想像の共同体』という著書がありますが、大変な名著です。わたしも『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を書く上で参考にしました。この名著については、本書でも次のように書かれています。

「著作『想像の共同体』でアンダーソン氏は『国民とはイメージとして心に描かれた想像の共同体である』と表現し、世界を揺さぶった。つまり、『国民』とはもともとあったものでなく、近代国家の成立の過程で、権力者が統治に便利なように人為的にそのイメージをつくり、人々が信じていったものだという。アンダーソン氏はこの著書で、反動的で遅れたものとされたナショナリズムの肯定的な役割を、歴史や地理的条件を越えて世界中の事例をもとに紹介。また各地のナショナリズムの相互連関性も浮かび上がらせた。文明化された現代を生きるわれわれには、ナショナリズムがなぜ死を賭すこともいとわない気持ちに人をさせるのかが理解しづらい。だが、アンダーソン氏は、歴史を動かすのは社会構造の変化とともに人々の情動であると説いた。世界中で翻訳され、歴史学、政治学、国際政治学、文化人類学などに横断的に影響を与えた」

また、現在の世界における最重要問題の1つに原子力問題があります。原子力の将来について、アンダーソン氏は次のように述べています。

「広島、長崎の経験は、原子力が人類を破滅させる力を持つことを分からせました。福島の事故は単に放射能汚染だけでなく原子力は制御できないという恐れを与えています。核兵器は戦後二度と使われていないし、平和を維持し核兵器を使わせないための運動もさかんです。原子力をめぐって人類はさまざまな進歩を遂げています」

「広島、長崎の経験」という言葉が出てきましたが、アンダーソン氏は日本に深い関心を持っています。その流れの中で、アジアで唯一の侵略国となって日本のナショナリズムを支えた天皇制に目を向け、それを理解しようとします。
偶然の結果から生じた人間の集合体を小説、新聞、そして物語を通して「国民」としてつくっていくというアンダーソン氏のナショナリズム理論からすれば、その成功例が日本であり、核となったのは天皇制度ということになります。
どうやらアンダーソン氏は、東日本大震災に揺さぶられたこの国にとって、あらためて天皇制度がきわめて重要な意義を持つと考えているようです。わたしも同感です。天皇の存在は「日本人のこころ」そのものであると思います。そして震災後、そのことが広く再認識されているように思います。

最後に、解説「世界から、そして世界へ」で、評論家の加藤典洋氏が「世界の識者といわれる人々が、じつにさまざまな境遇からこのインタビューの場にやってきていること」に驚いたと書いています。そして、「パッチワークだとすれば、何とめくるめく端切れの組み合わせで作られたキルトであることだろう。世界の片隅に生を享け、さまざまな試練をくぐり、今、ここにいる」と詩的な表現を用いて述べています。加藤氏によれば、本書に集められたインタビューからわかることが1つあるそうで、次のように述べています。

「それは、原発をどうするかという問題はすぐれて一社会にとって政治、経済、倫理を網羅した、総体的で、また、実存的な問いなのではないかということだ。総体的とは、原発は、それに答えるのに、すべての要素を考慮に入れなければならない、ということだ。政治、軍備の問題から経済、環境、生活基盤の問題、また倫理と自然の問題まで。この問題は、現在、社会のすべての要素に左右されると同時に、すべての要素に影響を与える無比の『総体性』をもっている。また、実存的というのは、原発は、それをもつ社会にとって、イエスと言うか、ノーと言うかで、答える社会の今後を、根本的に変えてしまう問題だということだ。わたしたちは、そのことをわかったうえで、この将来を決定する重大な態度決定を行わなければならないのである」

わたしたちは、いま、節電の夏を迎えています。わたしの住む北九州市でも、九州電力が計画停電を行っています。
また周知のように、北九州市は震災瓦礫の受け入れを断行しました。わたしは、これを「隣人の時代」にふさわしい快挙であると思っています。震災も原発事故も、けっして過去の出来事ではありません。

わたしたち日本人の現在と常に直結した問題なのです。世界から寄せられた賢人たちのメッセージを胸に抱きながら、震災後の日本人の生き方を世界に堂々と示さなければなりません。なぜならば、世界が日本のことを考えているからです。

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