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No.0650 文芸研究 『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』 東雅夫著(学研新書)
2012.08.11
『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』東雅夫著(学研新書)を読みました。
著者は当代一の「怪談スペシャリスト」です。
本書の帯には、「江戸から現代まで300年を見渡す 最新日本怪談入門」と書かれています。また、表紙カバーの折り返しには、次のように書かれています。
「なぜか日本では百年ごとに実話怪談が流行っている。
では、百年前、二百年前には何があったというのか?
江戸の一大怪談ブームから、明治・大正の黄金期、
そして平成の実話怪談ムーブメントまで、
意外な視点でつづる新たな日本怪談文学史、誕生!」
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章:二つの震災の間で
第二章:怪談百年周期説
第三章:文化文政の怪談作家たち
第四章:明治大正の怪談作家たち
第五章:平成の怪談作家たち
「おわりに」
付録「日本怪談文芸年表」
「はじめに」で、著者は次のように述べています。
「まさに世は怪談全盛時代―実はこの現象、平成の現代ばかりでなく、戦前にも、さらには江戸時代にも、奇妙なことにピタリ1世紀、百年ごとに、非常によく似た時代が到来していたのである。
そこで私は考えた。それぞれの時代を代表する怪談作家たちと、かれらが生み出した名作佳品の数々を押さえていけば、日本が世界に誇るべき文化である『怪談』のもっとも良質な部分を、それこそピンポイントで堪能することができるのではないか。
さらには、怪談というものの本質にも迫ることができるのではないか。
以上のようなアイデアのもとに執筆されたのが、本書である」
第二章「怪談百年周期説」の冒頭では、平成の現在からちょうど1世紀ほど前、明治30年代から大正時代にかけて、著名な文化人たちのあいだで「怪談」が一大ブームとなりました。本書には、次のように書かれています。
「泉鏡花はもとより、夏目漱石や小泉八雲、幸田露伴や森鷗外、芥川龍之介や谷崎潤一郎等々、たとえ作品は読んだことがなくても名前くらいは誰でも知っているような文豪たち。鏑木清方や小村雪岱、鰭崎英朋、岡田三郎助らの画家たち。
歌舞伎の尾上梅幸や新派の喜多村緑郎、花柳章太郎などの役者たち。
柳田國男や井上圓了、平井金三、日夏耿之介といった学究たち。
平山蘆江や松崎天民、鹿塩秋菊をはじめとするジャーナリストたち。
まさに文化の全領域にわたって、『おばけ好き』な名士たちが、こぞって怪談を書いたり、描いたり、演じたり、あるいは学問の対象として真剣に調査考察をしたり、夏ともなれば誘い合って百物語怪談会に興じたり・・・・・それこそ『怪談黄金時代』とでも呼びたくなるような光景が年々歳々、繰りひろげられていたのであった」
そして、そうした同時代の怪談ブームを直接の原動力として誕生したのが怪談実話集としての性格を持つ柳田國男の『遠野物語』(1910)だったのです。
「怪談百年周期説」という言葉からもわかるように、著者は1世紀ごとに怪談ブームが到来し、そこには大災害をはじめとして人々に大きなストレスを与える時代背景があったとしています。本書の記述をもとに、わたしが以下に整理してみました。
●300年前(元禄~宝永年間)
『伽婢子』(浅井了意)、 『諸国百物語』(作者不詳)
『西鶴諸国話』(井原西鶴)、『懐硯』(井原西鶴)
『死霊解脱物語聞書』(残寿)、『怪談全書』(林羅山)
・・・・・元禄地震(M8.1)、宝永地震(M8.7)、富士山の宝永大噴火
●200年前(文化文政年間)
『雨月物語』(上田秋成)
『桜姫全伝曙草紙』(山東京伝)、『近世会談霜夜星』(柳亭種彦)
『稲生物怪録』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』 (平田篤胤)
『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)、『東海道四谷怪談』(鶴屋南北)
・・・・・幕藩体制の矛盾の露呈、財政の窮乏、諸外国からの圧力
●100年前(明治末~大正時代)
『怪談』(小泉八雲)、『高野聖』(泉鏡花)
『夢十夜』(夏目漱石)、『遠野物語』(柳田國男)
『百物語』(森鷗外)、『妖怪百談』(井上円了)
『人面疸』(谷崎潤一郎)、『金の輪』(小川未明)
『妙な話』 (芥川龍之介)、『冥途』(内田百閒)
・・・・関東大震災(M7.9)、ハレー彗星来襲(1910年)
以上のリストを見ると、時代の幅が長すぎると思う人もいるかもしれませんが、たしかに1世紀ごとに怪談がブームになっていることがわかります。この流れで見ると、1995年の阪神・淡路大震災(M7.3)およびオウム真理教事件から2011年の東日本大震災(M9.0)へと至る現代が一大怪談ブームであると言えるかもしれません。
現在、日本の文芸界には「平成ホラー・ジャパネスク」と著者が名づけたムーブメントが見られます。そこでは、日本の風土に固有の恐怖や怪異の伝承世界を追い求めてやまない作家として、坂東眞砂子、篠田節子、恩田陸、小野不由美の「新鋭女流ホラー四天王」をはじめ、小池真理子、宮部みゆき、そして京極夏彦といった人々が本書でも紹介されています。彼らの怪談はベストセラーとなり、いくつかは映像化もされてきました。間違いなく、現代日本は怪談ブームのさなかにあるのです。
100年周期の怪談ブームは、民衆の無意識の不安の表れなのでしょうか。ブームの期間が長すぎることは事実であり、たとえば200年前の怪談ブームの期間は約20年間、100年前のブームに至っては約30年間となっています。まあ、「怪談百年周期説」に関しては、参考意見程度にとどめておいたほうがいいかもしれません。
多くの怪談愛好家たちにスルーされがちな「怪談百年周期説」よりも、本書の白眉は、著者の考える怪談の本質にあります。第五章「平成の怪談作家たち」で、著者は自身が編集長を務める「幽」を「怪談小説専門誌」ではなく「怪談専門誌」と銘打った理由を次のように述べています。
「およそ怪談くらい、その名を冠する諸ジャンル――怪談小説、怪談実話、怪談漫画、怪談映画、怪談芝居、怪談噺等々のジャンルが、相拮抗して存立してきた分野も珍しいと思うのだ。特にポイントとなるのが『実話』で、恋愛映画とかSF漫画とはいっても、恋愛実話、SF実話というものは、ジャンルとして想定しにくい。まあ、『犯罪』ならば、実話でも小説でも大丈夫だろうが、犯罪漫画とか犯罪芝居、犯罪噺というのは・・・・・」
そんなこんなで「幽」では「怪談小説」「怪談実話」「怪談漫画」を三本柱に据えることになったそうですが、ここには「怪談」というジャンルの特殊性が見事に語られています。
そして、誰でも知っているように、日本では昔から「怪談」は夏の風物詩として受容されてきたことを指摘しつつ、次のように述べます。
「心胆を寒からしめることで銷夏の一助とする。だから蒸し暑い夏場が怪談のシーズンなのだ――という解釈は、感覚的には得心させられるけれども、実のところ俗説である。むしろ注目すべきは、お盆の風習との関わりなのだ。
釈迦の弟子・目連尊者が、餓鬼道にあって苦しむ母親を救うための供養をしたという『盂蘭盆経』の伝承にもとづく盂蘭盆会は、日本古来の祖霊信仰と結びついて、近世にいたると精霊会、魂祭などの名称で民間に定着をみた。
陰暦の7月なかば(地方により時期に異同あり)、家々の門前で迎え火を焚き、精霊=祖先の霊や新仏、さらには無縁仏までをもお迎えし、供物を捧げて冥福を祈る。夜となれば寺社の境内や集落の広場で、慰霊のための舞踊がにぎやかに催される・・・・・今に続く盆踊りの行事には、踊りの輪の中に精霊を迎え入れ、生者と死者がもろともに歌舞に興ずるという祖霊供養の性格が色濃く認められるのであった」
ちなみに慰霊・鎮魂と舞踊といえば、中世以来の夢幻能が連想されます。
そう、世界にも稀な幽霊劇といえる夢幻能もまた、見えないモノとの交感に由来する芸能でした。また、歌舞伎の祖とされる出雲阿国は、京都で盆踊りの原型である踊り念仏を主宰と伝えられています。能にしろ歌舞伎にしろ、近世の芸能には、慰霊と鎮魂の宗教儀礼としての要素が秘められているのです。
さらには、「日本最初の怪談実話集」と呼んでも過言ではない仏教説話集『日本霊異記』も、近世における怪談文芸の最初の成果とされる仮名草子『伽婢子』も、いずれも著者は僧侶でした。近代において語りとしての怪談の担い手となった噺家や講釈師のルーツもまた、近世仏教の説教僧であったとされています。これらの史実を踏まえて、著者は次のように述べます。
「要するに、われわれ日本人は、怪異や天変地異を筆録し、語り演じ舞い、あるいは読者や観客の立場で享受するという行為によって、非業の死者たちの物語を畏怖の念とともに共有し、それらをあまねく世に広めることで慰霊や鎮魂の手向けとなすという営為を、営々と続けてきたのであった。
たとえば、菅原道真の御霊伝説にせよ、あるいは四谷怪談にせよ、怪談というものは、総てを奪われ、ついには命まで落とした人たちの思いが、現実には何もできない、だからこそ現実を超えた物語として発動する・・・・・という構造を共通して抱え持っている。
しかも、そうして生まれた物語を、私たちは延々と繰り返し、演劇や映画の形で上演したり、物語として本に書いたり、さらには天神様のように神社を建ててお祀りしたりして、その出来事を延々と語り伝えてきているのだ。
仏教における回向の考え方と同様に、死者を忘れないこと、覚えていること――これこそが、怪談が死者に手向ける慰霊と鎮魂の営為であるということの要諦なのだろう」
そう、怪談の本質とは「慰霊と鎮魂の文学」なのです。
本書の最後で、著者は「ガレキの下から人の声」という奇妙な話を紹介しています。
これは、東日本大震災から16日が経過した2011年3月27日の朝、石巻市の津波被災地で「ガレキの下から人の声が聞こえる」という情報が警察に寄せられ、自衛隊などによって大がかりな捜索が行われたというものでした。しかし100人態勢で捜索したにもかかわらず、結局のところ生存者も、遺体も、何も見つかりませんでした。著者は、「これを怪談として捉えたら」と考えて、次のように述べています。
「大がかりな捜索がおこなわれたこと、多くの人たちが必死に探し求めてくれたこと。
それ自体が、せめてもの供養に、手向けになったとは考えられないだろうか。
現実には何もできない、してあげられない、だからこそ、せめて語り伝える物語の中で何とかしたい。何かをなしたい。そこにこそ、怪談という行為の原点があり、この世において果たすべき役割があるのだと、私には思えてならないのである」
そう、「慰霊と鎮魂の文学」としての怪談とは、残された人々の心を整理して癒すという「グリーフケア文学」もあるのです。
東日本大震災以来、被災地では幽霊の目撃談が相次いでいるそうです。
たとえば、2012年1月18日付のMSN産経ニュースでは、「『お化けや幽霊見える』心の傷深い被災者 宗教界が相談室」という記事が紹介されています。津波で多くの犠牲者を出した場所でタクシーの運転手が幽霊を乗車させたとか、深夜に三陸の海の上を無数の人間が歩いていたとかの噂が、津波の後に激増したというのです。
わたしは、被災地で霊的な現象が起きているというよりも、人間とは「幽霊を見るサル」であり、「死者を想うヒト」なのではないかと思います。故人への思い、無念さが「幽霊」を作り出しているのではないでしょうか。そして、幽霊の噂というのも一種のグリーフケアなのでしょう。
夢枕・心霊写真・降霊会といったものも、グリーフケアにつながります。恐山のイタコや沖縄のユタも、まさにグリーフケア文化そのものです。そして、「怪談」こそは古代から存在するグリーフケアとしての文化装置ではないかと思います。怪談とは、物語の力で死者の霊を慰め、魂を鎮め、死別の悲しみを癒すこと。
ならば、葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づきます。葬儀で、そして怪談で、人類は物語の癒しによって「こころ」を守ってきたのでしょう。
本書を読み終えたわたしは、心の底から「怪談は必要!」と思いました。