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No.0675 国家・政治 『取り戻せ、日本を。』 渡部昇一著(PHP)
2013.02.20
『取り戻せ、日本を。 安倍晋三私論』渡部昇一著(PHP)を読みました。
サブタイトルの通り、返り咲いた安倍晋三総理について書かれています。著者は、これまでパスカル、ヒルティ、アレキシス・カレル、西郷南洲、渋沢栄一、中村天風、幸田露伴、野間清治、新渡戸稲造、本多静六といった人々の人物論を書いてきましたが、いずれも歴史上の人物、つまり故人でした。安倍晋三という現役の政治家について書くことは、きわめて異例と言えるでしょう。そこまで、著者は安倍晋三という政治家に思い入れを抱いているのです。
本書の冒頭には、次のように書かれています。
「三年三ヵ月の長きにわたって、日本を覆っていた黒い闇が晴れました。ようやく、この国の将来に一筋の光明が差したのです。光の只中にいるのは、安倍晋三・内閣総理大臣です。あたかも外国が支配していたかのような、売国的な政治が終わり、『日本を、取り戻す。』と政権公約した安倍総裁率いる自由民主党が、再び政権の座に就きました。民主党は、このたびの総選挙で壊滅的な敗北を遂げました。わが国にとって、なによりの慶事と言えるでしょう」
この思いは、多くの日本人が抱いたことと思います。だからこそ、あれだけの歴史的圧勝が実現したのです。
本書は、以下のような構成になっています。
第一章:もう一度、「美しい日本へ」
第二章:日本人の、日本人による、日本人のための政治を
第三章:東京裁判史観こそ「諸悪の根源」
第四章:憲法が生まれ変わる日
第五章:総理の靖国参拝が実現する
第六章:「国を売る政治」から、「国益を守る政治」へ
第七章:国家戦略を支えるエネルギー問題
第八章:今度こそ「戦後レジームからの脱却」を
この8つの章タイトルがそのまま本書のメッセージとなっていますが、単なる安倍総理へのエールにとどまらず、著者ならではの「渡部節」が炸裂しているところが興味深いです。たとえば、第四章憲法が生まれ変わる日には「市民運動家の正体とは」という項があり、次のように書かれています。
「ようやく、売国奴的な政権は幕を閉じました。とても喜ばしいことです。ただ、ここで改めて、民主党政権にとどめを刺しておく必要があるでしょう。
振り返れば、かつての学生運動にしても、とどめを刺さなかったのが失敗でした。安保闘争の後、ソ連が崩壊し、毛沢東が死に、鄧小平が改革開放路線を始め、かつて学生運動に興じた連中もやることがなくなり、一見、大人しくなりました。正直に申し上げれば、われわれも油断していたのでしょう。連中があれでクシャンとなったかと思ったのです。
ところが、彼らは往年、学生運動から市民運動に転じました。意識的に『国民』という言葉を使わず、『市民』と言いながら政権をとったわけです。その象徴が『市民運動家』だった管直人さんの内閣でしょう。形状記憶シャツではありませんが、案の定、すぐに本性を出しました。本家返りしたのです」
それにしても、「とどめを刺す」とは、なんというストレートな物言い!
これも著者の国を愛する心から出て表現だと思います。
まさに、憂国の賢人・渡部昇一ここにあり!
さらに第六章「『国を売る政治』から、『国益を守る政治』へ」の「日本に美しい虹をかけよ」では、著者は次のように喝破します。
「われわれは改めて、日本を侵そうとする者の存在を、はっきり意識しなければなりません。保守派はマルクス主義に勝ったと思っていましたが、その実、『人権』『人道』『平等』『環境』といった、一見、善なる言葉の陰で、左翼的価値観は浸透拡散し、日本人はそれに蝕まれています。『日本の敵』はマルクス主義の看板を隠し、『民主』とか『市民』を名乗ることでインヴィジブル(invisible)な存在になりました。しかし、消えてなくなったのではありません。闘いは終わっていません。国会の中にも、自民党の中にも、マスコミにも、まだまだそうした勢力は健在です。矛を収めてはいけないのです」
これも、非常に納得できる言葉だと思います。
著者は、もともと安倍総理の祖父である岸信介を認めていました。その孫である安倍総理も若い頃からずっと「総理になってほしい」と応援してきたそうです。第一次安倍政権は1年間という短い期間でしたが、著者はきわめて短期間で次々と新政策を打ち出したことを評価しています。平成18年12月には、改正教育基本法を成立させました。廃止された教育勅語に代わる愛国心や伝統の尊重といった道徳面の強化を実現したのです。平成19年1月には、防衛庁を防衛省に昇格させました。さらには集団的自衛権の行使で下地をつくりました。しかしが、その報告を目前にして、病気による退陣を余儀なくされました。まことに残念なことです。
ここで、著者はとてつもないことを次のように述べます。
「当時の安倍総理に大きな失敗があったとすれば、健康を害し、体調が悪かったあのとき、議場で倒れなかったことです。もし、議場で倒れ、救急車で運ばれていれば、その後『政権を投げ出した』といった批判を浴びることはなかったでしょう。実際、安倍さんは、『難病』指定されている持病が悪化し、いつ倒れてもおかしくない体調だったそうです。だからこそ、最後まで踏ん張るべきでした。かえすがえすも悔やまれます。もちろん安倍さん自身の責任は免れませんが、周囲にいた側近の責任も重大です」
いやあ、こんなことは並みの学者や政治評論家ではとても言えないでしょう。安倍総理個人と親しく、かつ、古今東西の名著を読み込んで豊かな教養を持った著者ならではの発言だと思います。
著者は、退陣した安倍氏が無役となっていた当時、直接会う機会があったそうです。そのとき、著者は正直、驚いたとか。ああいう形で辞任し、身内からも厳しい批判にさらされていた渦中にあったにもかかわらず、安倍氏のどこにもトラウマを感じられなかったからです。著者は、「ああ、この人はスケールが大きいな」と思ったそうです。
わたしも安倍氏が退陣されてしばらくしてから北九州市内のホテルでお会いする機会がありましたが、著者と同じような印象を持ちました。その元気な様子に、「もしかして、この人なら再登板もあるのでは?」と思いました。
第二次安倍政権の前にはやるべき事、そして果たすべき責任が山積みになっています。なんとか、それを乗り越えて、「戦後レジーム」を脱却し、「美しい国」日本を復活させてくれることを期待しています。
そして、わたしが心の底から安倍総理に取り戻してほしいものは2つ。1つは、横田めぐみさんらの北朝鮮の拉致被害者です。もう1つは、日本の憲法です。
『取り戻せ、日本を。』という書名にならえば、「取り戻せ、日本人拉致被害者を。」であり、「取り戻せ、日本の憲法を。」です。
本書には、孔子の「君子は本を務む。本立ちて道生ず」という言葉が紹介されています。『論語』の学而扁に出てきますが、「物事の根本が確立すれば、自ずと道は開ける」という意味です。本書には、いかに政治家として、また総理大臣として、安倍総理がその根本を確立させてきたかが述べられています。これからの安倍総理の行動から片時も目が離せません。