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2013.02.28
『アー・ユー・ハッピー?』矢沢永吉著(角川文庫)を再読しました。
社会現象にまでなった大ベストセラー『成りあがり』から20年以上が経過した、2001年に刊行された『成りあがり』続編の文庫版です。表紙カバーの裏には、次のように書かれています。
「伝説の『成りあがり』は壮大な予告編だった―。
20世紀最後の年、51歳になった矢沢永吉の『いまの幸せ』は、数十年間の『闘い』によって勝ちとられたものだった。
ヤザワの歌、ヤザワのビジネス、ヤザワのアメリカ、ヤザワの恋、ヤザワのハッピー。すべての世代に贈る、新しい時代の幸福論!
オーストラリア事件判決後の追加執筆原稿を掲載!」
オーストラリア事件とは何か。著者は、次のように書いています。
「1998年、オレはオーストラリアで被害総額30億円以上という、とんでもない横領被害に遭った。犯人は長年、一緒に仕事してきたオレの部下だった。
事件はオレにとって大きかった。
金額の問題じゃない。とにかく精神的ダメージが大きかった。
どーんと胸に空洞があるみたいになった。ショックだった。だってそうじゃないか。犯人は側近中の側近だ。やつらが共謀してオレを裏切ったんだ。
背任、横領、公文書偽造、やりたい放題だった。しかも10年間にわたって」
若くしてロック界のスーパースターになった著者は、雑誌で読んだ記事がもとで、オーストラリアに自分の拠点をつくろうと思います。1987年のことでした。屋上にヘリポートも備えた26階建てのビルに、世界に発信していくようなスタジオや音楽学校もつくるという壮大な構想を進めることにした著者は、信頼していた2人の部下をオーストラリアに置きます。ところが、目のとどかないことをいいことに、彼らは巨額の横領をしでかすのでした。
著者は、絶体絶命でした。週刊誌などにも面白おかしく書かれ、誰もが「矢沢永吉も、もう、これで終わり」と思いました。しかし、大きな精神的ダメージを負いながらも、ヤザワはつぶれませんでした。著者は言います。
「つぶれてても、おかしくなかった。
オレだって、ある意味じゃそう思うかもしれない、本人じゃなかったら。
いや、後ろを振り返ったら、いつ消えててもおかしくないくらい、事件事件事件、事故、負け負け、口惜しいこと悲しいことの連続だったとも言える。
だけど、オレはいまここにいる。なぜ? 常識の当てはまらない矢沢だから?
ちがうんだよ、それだけじゃない。
いまだから、そう言えるけど、ほんとに紙一重でがんばってきたからですよ。
オレの友達にも、ガッツあるやつはいっぱいいるけど、そいつらと同じ。必死でやってきただけ、負けたら、次は負けないようにしよう、失敗したら、どうして失敗したのか手探りで探るよね、誰でも。
そういうことを、ひとつずつやってきたのよ。『成りあがり』の永ちゃんだって、そこは同じ。神様はそういうところで、大サービスなんかしちゃくれないから。いや、苦しいことのほうは、大盛りでサービスしてくれたかもわかんないよ」
『成りあがり』の頃と比べて、格段に苦労したというか、人生の辛苦を味わいつくしただけあって、著者の言葉には重みが増しています。たとえば、「生きる」ということについて、著者は次のように語ります。
「人間の一生ってなんだ? 好きな仕事して、メシ食って、酒飲んで、好きなクルマころがして。そして最後には死んで物体になる。そのあいだで、すべった、ころんだ、泣いた、笑ったとやる。そのステージで矢沢永吉という役柄を演じて、最後には消えていく。そういうものだと思う。
死んだらオシマイだ。
でも、生きているかぎりは役柄がある。その役柄をちゃんと演じ続ける。
それが生きるってことだ」
本書を読めば、誰もが「あの永ちゃんでも辛い目に遭うし、借金もするんだ」と思うことでしょう。もっとも、借金の額が一般の人とは桁違いでしょうが・・・・・。
その意味で、本書は「借金返済」についての本という要素を持っています。
正確には「借金返済」をするための考え方の本というべきでしょうか。
理不尽な理由で莫大な借金を背負ったとき、誰でも途方に暮れ、ある人は自暴自棄になります。また、ある人は”うつ病”になって自殺してしまうかもしれません。しかし、そのときに「生きているかぎりは役柄がある。その役柄をちゃんと演じ続ける。それが生きるってことだ」という哲学があれば、なんとか人は生きていけます。そう、人間は言葉や哲学や物語によって生きることができるのです。
わたしも、以前は莫大な借金を背負っていました。
もちろん個人ではなく会社としてですけれども、矢沢永吉の何倍もの額の借金があったのです。傍から見れば「あいつは、もうダメだ」と思ったでしょう。
でも、わたしは「何とかなる」と思っていました。
そのときに心の支えとなったのは、「愚公、山を移す」という中国の寓話でした。もともとは『列子』に由来しますが、毛沢東が『毛主席語録』の中で紹介しており、わたしはこちらを読んで知りました。
昔、華北に住んでいた北山の愚公という老人の物語です。彼の家の南側には、その家に出入りする道をふさぐ太行山と王屋山という2つの大きな山がありました。愚公は、息子たちを引き連れ、鍬でこの2つの大きな山を掘り崩そうと決心しました。利口者の老人がこれを見て笑い出し、こう言いました。「お前さんたち、そんなことをするなんて、あまりも馬鹿げているじゃないか、お前さんたち親子数人で、こんな大きな山を2つも掘ってしまうことはとてもできやしないよ」と。
愚公は、答えました。「私が死んでも息子がいるし、息子が死んでも孫がいる。このように子々孫々つきはてることがない。この2つの山は高いとはいえ、これ以上高くなりはしない。掘れば掘っただけ小さくなるのだから、どうして掘り崩せないことがあろうか」と。愚公は知恵者の誤った考えを反駁し、少しも動揺しないで、毎日、山を掘り続けました。天からこの様子を見て、これに感動した上帝は2柱の神を下界に送って、2つの山を背負い去らせたといいます。
わたしがこの寓話を読んだのは15年ほど前で、その頃、東京から北九州市へ居を移したばかりでした。父が経営する会社が深刻な危機に陥り、明日にもどうなるかわからないという時でした。当時、わたしはプランナーとして活動しており、著書も定期的に書き、将来の展望も見えはじめた時期でした。少しだけ悩みましたが、「長男としての務め」とわりきって覚悟を決め、北九州市に本社を置く父の会社に帰ったのです。そのとき、拡大しすぎた事業内容と、年商を超えるほどの膨大な借金という2つの山が瀕死の会社にのしかかっていました。
正直、途方に暮れましたが、「愚公、山を移す」を心の支えとして、とにかく広げすぎた事業は「選択と集中」でシェア1位の営業エリアのみに絞り、不採算事業からも次々に撤退しました。借金も、とにかく返して返して返しまくりました。
その結果、会社は適正規模で順調に発展していきました。おかげさまで、数年前に借金もほとんど完済しました。
ピーク時の借入金は、12年前のわたしの社長就任時で約半額ぐらいになっており、父とわたしの2代でなんとか返済したことになります。
リクルート事件後に実に1兆円を返したリクルートや、佐川事件の後で8000億円を返した佐川急便など、膨大な借金を10年あまりで返済したケースは他にもあります。しかし、わが社もその売上規模などを考えるとリクルートや佐川急便と同じくらいの難易度の返済を実現したという自負があります。
もちろん、わたし1人の力で返したのではありません。社員全員の努力の結果ですし、特に実の弟には助けられた部分が非常に大きかったと感謝しています。
いずれにせよ、わたしは、なんとか絶望の底から這い上がることができました。
そのとき、社長であるわたしが絶望していたら、とても会社の借金は返せなかったでしょう。借金のある間は、「なにくそ」を口癖にして頑張りました。
競合他社がガンガン設備投資をしているときも、それを横目で見ながら「なにくそ」とつぶやいて、教育や企画といったソフトの分野に力を注いできました。
今から振り返れば、あのとき金がなかったからこそ、社長のわたしをはじめとして、わが社の社員たちは知恵を出す習慣がついたように思います。それは、少しは資金に余裕ができた現在でも、わが社の大きな財産になっています。
また永ちゃんと同じように、わたしも部下に裏切られたこともあります。その男の言っていることはすべてウソでした。また、後輩の社員に廃車同然のボロ車を高い値段で売りつけたり、とにかく悪い奴でした。彼は一時は小さな出版社を経営していたようですが、今ではビジネスホテルにアダルト映像を提供する仕事をやっているそうです。ある人が、フェイスブックに彼の写真が出ていることを教えてくれました。運転免許証のショボイ顔写真をそのまま使ったものでしたが、そこには疲れきった中年男の顔がありました。とても暗い表情で写っていました。わたしは、それを見て、「ああ、こいつは幸せじゃないな」と悟りました。まったく腹は立たず、ただただ彼が哀れでなりませんでした。
感謝の気持ちをなくした人間に幸せはありません。ウソをついたり、人を裏切る人間は不幸になります。それでも、人生は綺麗事ではすみません。人生は「闘い」です。本書の最後に、著者は次のように語っています。
「『アー・ユー・ハッピー?』ということばには、たぶん、『アー・ユー・ファイティング?』という意味が、隠れているのかもしれない」
この言葉は、わたしの心に沁みました。サクセス・ロードをひた走る永ちゃんもカッコいいけど、人生のどん底から這い上がる永ちゃんもカッコいい!
本書は、ぜひ『成りあがり』と併せて読むことをおススメします。
本書を読んで、わたしは「オレも借金返せて、少しは男になったかなあ」と思いました。そして、なんだか自信のようなものが湧いてきました。
おかげさまで、胸を張って生きていけそうです。
永ちゃん、どうもありがとう!