No.0697 エッセイ・コラム | 宗教・精神世界 『生命の暗号』 村上和雄著(サンマーク文庫)

2013.03.26

村上和雄シリーズの3冊目は、『生命の暗号』(サンマーク文庫)です。
「あなたの遺伝子が目覚めるとき」というサブタイトルで、帯には「誰もが無限の可能性を開花できる!」「バイオテクノロジーの世界的権威が提言する”遺伝子オン”の生き方」と書かれています。

本書は、以下のような構成になっています。

プロローグ:生命の不思議を解読する
第1章:遺伝子が目覚めるとき
第2章:遺伝子で環境が変わる
第3章:遺伝子ONにして生きる
第4章:この生命設計図の不思議
第5章:だれが生命の暗号を書いたか

生命科学の研究が猛スピードで進み、2003年にはヒトやイネの全遺伝子暗号の解読が完了しました。これを受けて、遺伝子研究の世界的権威である著者は「まえがき」で次のように述べます。

「人間は自分の体の設計図を解読する技術を手にしたのです。この遺伝子解読で生命の謎が解けると期待されたのですが、その解読が進むにつれ、話はそう感嘆ではないこともわかりつつあります。そもそも、たった1つの細胞のことも、究めれば究めるほど深く、けっして簡単ではありません」

生命の謎を解くカギは遺伝子が握っていると言えますが、遺伝子を操っているのはいったい何か。著者は言います。

「それぞれの遺伝子は、見事な調和のもとではたらいています。ある遺伝子がはたらき出すと、ほかの遺伝子はそれを知って仕事の手を休めたり、いっそう作業のピッチを上げたりすることで、実にうまく全体のはたらきを調整しています。このような見事な調整が、たまたま偶然にできたとはとても思えません。
この見事な調整を可能にしているものの存在を、私は1990年ぐらいから『サムシング・グレート(偉大なる何者か)』と呼んでいます。この正体は、もちろん目には見えず、感じることもなかなかできませんが、その存在はあるに違いないと、生命科学の現場で私は実感するのです」

本書は1997年に刊行された単行本を2004年に文庫化したものですが、このとき、クローン人間の問題が大きく取り上げられていました。まさに遺伝子の世界における大問題といえますが、著者は次のように述べています。

「クローン人間の議論で問題となるのは、技術そのものよりも人間の欲望です。たとえば、自分のコピーのようなものを残したいという個人の欲求の実現を、どこまで尊重すべきなのか。これらのことを可能にするのは科学・技術ですが、それを行なおうと決断するのは人間であり、人間の欲望に基づいています。この決断のとき、人間を含めたすべての生物の『生命』は、人間の工夫や知恵でつくられたものではなく、『サムシング・グレート』からの贈り物であることを思い出す必要があると思います。そんなに思い上がってはいけない―と私はいいたいのです」

また、著者は高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功し、世界的に注目を集めましたが、これについても次のように謙虚に語っています。

「高血圧に関係しているレニンという酵素が見つかって、百年以上になります。気の遠くなるほどの長い年月を、先輩たちがレニンに取り組んできたわけです。そんな成果をこの時期に、私がまとめることができるのも何かの縁、それこそ『サムシング・グレート』の存在を感じるところでもあります」

本書には、科学の本質についても言及されていますが、「科学上の大発見、大発明はナイト・サイエンスから」という項が興味深かったです。ナイト・サイエンスというのは科学の裏の世界で、これが大発見や大発明につながることが多いといいます。著者は言います。

「表面に出てこない科学の世界を、私はナイト・サイエンス(夜の科学)と呼んでいます。これに対して、私たちが大学で講義をしたり、研究室で顕微鏡をのぞいたり、学会で研究を発表するのは、デイ・サイエンス(昼の科学)なのです。
デイ・サイエンスは理性的で客観的、いつも論理の筋が通って整然としていますが、ナイト・サイエンスのほうは、直感・霊感・不思議体験などからたいへんなヒントを得る―一般のヒトが見たら、およそ科学者らしくないことに私たちはかかわっているのです。デイ・サイエンスは結果、ナイト・サイエンスはその結果が出るまでのプロセスといってもよいものです。
事実、これまでの科学上の大発見や大発明の大半は、ナイト・サイエンスからはじまっているといってもいいすぎではありません。デイ・サイエンスが左脳的ならナイト・サイエンスは右脳的、私流にいえば遺伝子発想的なのです」

さて、「遺伝子が人間のすべてである」といったような考え方があります。フランシス・クリックといえば、遺伝子DNAの構造モデルを提出したことで知られますが、彼には『DNAに魂はあるか』(講談社)という著書があります。同書の結論は、「遺伝子には魂はない」という結論ですが、これに著者は反論します。

「遺伝子は物質としての人間の連続性を伝えていくが、魂というものはそれとは別次元で考えなければならないもののようです。
ということは、遺伝子が全部読み取られたとしても、魂のことはわからない。魂がわからないということは、生命の本質もわからないことだと思います。いままでは心と魂をごっちゃにして議論することが多かったためにわかりにくかった、心と魂を分けて考えれば、生と死の問題がかなりよくみえてくるようになります。魂は私たちの根源的なものなので大切であることは事実ですが、生きているときは肉体も心も大切。この2つがあってはじめて生きていられるからです。そして生命の設計図である遺伝子は、この2つにかかわっていると考えれば、私たちが遺伝子とどうつきあえばよいのかも、自ずとわかってくるのではないでしょうか」

本書の中で最も驚くべき内容は、遺伝子は体だけでなく心にも影響を与えるというくだりでしょう。さらに、なんと人間は自分の意思で遺伝子のスイッチをONにできるというのです。たとえば、人は涙を流したとき、遺伝子をONにしているとか。これについて、著者は次のように述べています。

「人が涙を流すのは多くの場合、感動したときです。『人間の涙にはなんと詩があることか』といったのはハインリッヒ・ハイネです。感極まるとなぜだか涙が出てきますが、生理的にいえば、涙が出るのも遺伝子がはたらいているはずです。ここからも心のはたらきが遺伝子にいかに影響を及ぼしているかがわかります。
感動で涙をこぼすと、人はよい気持ちになります。たとえ悲しいときでも、ワンワン泣くとさっぱりする。これはよい遺伝子がONになったということです」

ちなみに、涙の本質について、わたしは『涙は世界で一番小さな海』(三五館)に書きました。まだ読まれてない方は、ぜひ御一読下さい。

最後に、著者は次のような言葉で本書を締めくくります。

「生命に関しては、まだまだわからないことだらけです。私は『生命とは何か』という問題を、たんに科学の面だけでなく、精神性や宗教性の面からも、一生をかけて究めていきたいと念願しています。そして、生命の親である『サムシング・グレート』とともに楽しみ、ともに喜ぶ世界を知りたいと思っています」

本書は、生命科学の現場から、人がもつ無限の可能性と眠れる遺伝子をONにする生き方を指南する書であると言えるでしょう。

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