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2013.03.23
村上氏は、京都大学農学部農芸化学科を昭和33年に卒業し、米国オレゴン医科大学、京都大学、米国バンダービルド大学で研究し、昭和51年、筑波大学に助教授として赴任。直ちに教授になられ、基礎医学に関する酵素や遺伝子の研究に従事。昭和58年に高血圧の黒幕である酵素〝レニン〟の遺伝子解読に成功し、世界的な業績として注目を集めました。
村上氏の著書は多いですが、まず最初に取り上げるのは、『サムシング・グレート』(サンマーク文庫)です。村上氏の処女作であり、代表作です。本書は、1986年に天理教道友社より刊行された『人間 信仰 科学』を改題死、大幅に加筆・訂正しています。天理教の出版社から処女作を刊行していることからもわかるように、著者自身も天理教の信徒です。もともと両親が熱心な信者であり、著者のお兄さんは東大の法学部を卒業しながら天理教の教会長になったそうです。
本書の「序文」は、著者の京都大学時代の恩師である平澤興が書いています。神経解剖学、特に運動生理学の研究で世界的権威として知られました。その平澤興が、「天理教の教祖中山みき様は、人間の体が親神様からの借りものであると教え、『人間身の内は、かしもの、かりもの』と述べておられるが、これほど簡単で、これほど深い偉大な言葉があるであろうか」と書いています。
すべてのいのちは、大自然から見ればその貸しものであり、人間から見れば借りものである。平澤には、この大自然は神仏と同じように思えました。さらに、もう1つ驚くことがありました。天理教の「陽気暮らし」という言葉です。平澤は「これほどわかりやすくて、これほど偉大な言葉があろうか」と絶賛しています。人類の多くがノイローゼ的になるような時代において、人類にとって最も望ましいことは、ストレスのない、心のやすらぎのある文化だというのです。
この「序文」執筆当時の平澤は満85歳でしたが、最もありがたいことが3つあると述べています。次の3点です。
第1に、人間に生まれてきたこと
第2に、人間として無限の可能性を与えられているということ
第3に、今日も元気でいるということ
そして、最後に「陽気暮らしこそは、この地上での最高の生き方であり、これほど不思議な真理を一口で言った言葉はほかにあるまい」と述べた後、「村上博士も、大局においては、私と同じ心の流れをもっておられるようである。自信をもって私はこの書をおすすめする」と結ばれています。
もちろん、本書の最初の書名が『人間 信仰 科学』であったことから、平澤もこのような序文を書いたのでしょうが、『サムシング・グレート』と改題されても別に違和感はないように思います。村上氏の「サムシング・グレート」の思想はまさに天理教の「親神様」を言い換えたものであり、「陽気暮らし」こそは村上氏が一連の著書で説く理想の生き方にほかなりません。
では、著者の代名詞ともいうべき「サムシング・グレート」とは何か。本書で、著者はレニン研究で世界初を連発する偉業を達成したとき、それぞれの成功は〝人智を超えた何かの意思〟が働いたとしか思えない劇的な出会いであったとして、次のように述べています。
「これは天のたすけがなければ完成していない。私はこの仕事を始めるとき、信仰的には、この仕事をサムシング・グレート(人間を超えた巨いなるもの)への私のお返しにしたいと心を定めた。私に今できることは、与えられた職場で、みんなを勇ませて、精いっぱい働くことである。その結果、化学の研究の場において、一つの大きな目標に向かって、心を一つに結び、各人の役割を自覚して、それぞれが努力するとき、不思議なたすけが得られるということを体験した」
そう、「サムシング・グレート」とは「神」とも呼ばれる人間の世界を超えた偉大な存在です。これだけ進歩した生命科学・遺伝子工学をもってしても、大腸菌の構成材料の設計図がわかって構成材料自身はつくれても、大腸菌という生命体は創造できません。そして、生命が偶然に生まれる可能性は100・・・と0が4万個並べた時に1回だけというとてつもない偶然だといいます。
この宇宙に1個の生命細胞が偶然に生まれる確率は、宝くじを買って1億円が100万回連続で当たるくらい奇跡的なことだそうです。その細胞を、わたしたち人間は1人につき60兆個も持っています。さらに、ヒトの遺伝子暗号は、約32億の科学の文字で書かれています。これは本にすると、1ページ1000字で、1000ページある大百科事典にして、計3200冊分にもなります。 そんな遺伝子暗号を書いたのは誰か。その正体を、アインシュタインは「宇宙の真理」といい、マザー・テレサは「サムシング・ビューティフル(美しい何ものか)」と呼びました。それを著者は「偉大なる何ものか」という意味で、「サムシング・グレート」と名づけたわけです。素晴らしい言葉ですね!
世界的科学者である著者にとって、科学とは何なのか。著者は、次のように述べています。
「ある科学者は、DNAの模型を見たとき、その美しさに打たれて、『これはやっぱり神業だ』と感嘆したという。生命科学の最先端の現場に立つ科学者ほど、同じような感慨に打たれる傾向がある。いや、生命科学者だけではない。古くはライプニッツから20世紀のアインシュタインまで、そして日本でいえば、湯川秀樹博士から朝永振一郎博士に至るまで、世界有数の科学者は、一様に深い哲学・世界観をもち、人間の理性を超えた巨いなる存在の前にきわめて謙虚であった。研究の成果が、現実に、自然の成り立ちを際限ない巨大さと偉大さをきわ立たせたからでもあったろう」
さらに、著者は科学の誕生の瞬間に思いを馳せます。
「考えてみれば、科学と宗教の出発点は同じであった。大自然の精妙きわまりない営みと、人間および各種生物の不思議さに気づき、その背後に、人間を超えた大きな力や法則を感じとったとき、宗教と科学は誕生した。大きな力を崇めて、おだやかな運行を願い祈りはじめたとき、人は宗教を自らのものとした。大きな力の秘密を、理性でさぐろうとしたとき、科学は芽生えた」
わたしは、宗教も科学も「法則」の追求がその根底にあると思っています。そのことを拙著『法則の法則』(三五館)に書きましたが、「法則」の追求とは、著者のいう「大きな力を崇めて、おだやかな運行を願い祈る」ことに通じるのです。
本書の「あとがき」で、著者は次のように書いています。
「私は本書で、自分のことを含め、私を育ててくださった多くの人々や、私どもの研究について語った。それは、生命科学の現場で見た、全人類の親であるサムシング・グレートの素晴らしいはたらきについて語ることでもあった。
生きていることは、科学的にみても、まったく不思議なことであり、いのちを生み出された巨いなる存在の前に、私は自然と頭が下がった。私は、自分がすぐれていると思ったことはない。また、いつでも喜びにあふれた”陽気暮らし”の境地には、ほど遠い日のほうが多い。そのような私でも、目には見えない大きな力のおかげで幸せに生かさせていただいていることを、科学研究の場で知らせてもらった。このことを、できれば多くの人に知っていただきたかった。それで、本書では、ある場合には恥をしのびながら、自分について語った」
村上和雄氏と
昨年11月、わたしは著者の村上和雄氏とお会いしました。東京のホテルオークラにて「ダライ・ラマ法王と科学者の対話~日本からの発信」というイベントが開催され、わたしは東京大学医学部の矢作直樹教授のご招待で参加し、仏教と現代科学の最先端の話を聴きました。そのイベントの実行委員長を務められたのが村上氏で、その時のレセプション・パーティーでお会いし、いろいろと意見交換させていただきました。
最近、矢作直樹氏と村上和雄氏の対談本である『神(サムシング・グレート)と見えない世界』(祥伝社新書)も刊行され、話題を呼んでいます。また、矢作氏とわたしの対談本も、もうすぐPHPより上梓される予定です。
最後に、村上和雄先生という新たな心の師をわたしに与えていただいたことをサムシング・グレートに心より感謝したいと思います。