No.0685 コミュニケーション 『プロカウンセラーの聞く技術』 東山紘久著(創元社)

2013.03.08

『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久著(創元社)を再読しました。
「聞き上手」になるための極意を、「聞く」ことのプロであるカウンセラーが実例を含めてわかりやすく説いた本ですが、かなり評判が良いようです。帯には、大ベストセラー『聞く力』(文春新書)の著者である阿川佐和子氏が推薦文を寄せており、「この本を読むと、自分が今までどれほど人の話を聞いていなかったかに気がついて、思わず吹き出してしまう」と書かれています。

序「人はなぜ聞き上手になりたいのでしょうか」で、著者は次のように述べます。

「『沈黙は金、雄弁は銀』『言多きは品少なし』『一度語る前に二度聞け』など、しゃべることよりも、聞くことの大切さが世間一般では強調されています。仏像を見ると、耳が大きく口の小さい像が、圧倒的に多いのがわかります。つまり、神仏はわれわれの願いを聞いてくれる存在なのです。同じように多弁な聖者はあまりいません。聖者は、己を人にわからせる必要がないからです。カリスマ性はあるかもしれませんが、少なくとも私には、多弁な聖者は信じられません」

神仏や聖人ではない一般人でも、話すことより聞くことをよしとします。それでは、どうして聞くほうが大切で、話すほうは二の次なのか。著者は、その理由を次のように説明してくれます。

「これは情報の発信者と受信者の行動を考えるとわかりやすいでしょう。情報の発信者は、受信者の反応が返ってこないことには、相手が情報をどう思ったかわからないのです。受信者は、情報の受け取りも放棄も、自分の気持ちしだいです。情報がいらなければ捨てることさえできるのです。いらないダイレクトメールのように。その意味で発信者が情報をコントロールしているように見えますが、じつは本当にコントロールしているのは、受信者のほうだといえるでしょう」

話をするのも、話を聞くのも、人間関係に影響します。聞き上手になることこそ、人間関係を良くする王道なのです。わたしは、かつて『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)を書きましたが、そこでも会話、それも聞くことの重要性を訴えました。著者は、次のような言葉で序文をしめくくります。

「われわれは、真実の人間関係、嘘のない人間関係、信頼のできる人間関係をもちたいとつねづね思っています。そのためには、相手の話を聞くことが必要になります。「聞く」ということは、ただ漠然と耳に入れることではありません。聞くことは理解することなのです。音や言葉を聞くことは簡単ですが、相手を理解することはむずかしいことです。また、しゃべることは、対人恐怖症でないかぎり、案外楽にできるのですが、聞くことは苦行になることさえあります。しかし、相手理解は聞くことからしか生まれないのです」

本書の【目次】は、以下の通りです。31の項目タイトルが、そのまま「聞く技術」のポイントとなっています。

1.聞き上手は話さない
2.真剣に聞けるのは、1時間以内
3.相づちを打つ
4.相づちの種類は豊かに
5.相づちはタイミング
6.避雷針になる
7.昔の主婦は聞き上手
8.自分のことは話さない
9.他人のことはできない
10.聞かれたことしか話さない
11.質問には2種類ある
12.情報以外の助言は無効
13.相手の話に興味をもつ
14.教えるより教えてもらう態度で
15.素直に聞くのが極意
16.聞き上手には上下関係なし
17.寡黙と「いま・ここ」の感覚
18.嘘はつかない、飾らない(オープンということ)
19.相手の話は相手のこと(わかるが勝ち)
20.評論家にならない
21.共感とは芝居上手
22.LISTENせよ、ASKするな
23.話し手の波に乗る
24.言い訳しない
25.説明しない
26.話には小道具がいる
27.お茶室は最高の場
28.したくない話ほど前置きが長い
29.聞きだそうとしない
30.秘密の話には羽がある
31.沈黙と間の効用

この中でも、特にわたしは8番目の「自分のことは話さない」が大事ではないかと思います。自分のことを話さずに、相手の話を聞いてあげることが大事なのです。著者は、次のように述べます。

「自慢話を聞いてあげることは人間関係をよくしますが、自慢話をすることは人間関係を悪くします。自慢話を自慢と感じず、親子や身内のように心から喜びあえる関係で話ができれば最高ですが、自慢話に聞こえるのは、聞き手か話し手のどちらかに、なんらかの差別感があるからです」

学生時代ならともかく、社会人になってから知り合い、長く続いている友人関係には、両者の経済状態・教養水準・文化水準があまりかけ離れていないケースが多いといいます。ここでは、学歴は関係ありません。著者は言います。

「アメリカへ行った人が注意されることに、スープの食べ方がありますが、アメリカでは音をたててスープをすするようなことをしますと、それだけで友人を失ってしまいます。これはなぜかというと、文化が人間関係のベースになる、快・不快の感情と関係しているからです。人間関係で不快になる要因の最大のものは、嫉妬と羡望で、その基底は差別感が支配しているからです。経済状態・教養水準・文化水準がかけ離れていても、友人関係が維持できる人は、それだけお互いに差別感のない人間関係をもっているのです」

そして、著者は人間関係を良くする神髄のようなことを語ります。

「人間は自分の考えに共鳴してくれる人が好きです。自分の信奉者をもちたいと思います。カリスマ性の強い人は、とくにこの傾向が強く、聞き手になったときも、相手の立場に立って聞くというよりは、相手の話を自分の領域に誘いこむチャンスをねらっています。
詐欺師やある種のセールスマンの聞き方もこれに似た傾向があります。セールスマンの信条に「物を売るより、自分を売れ」というのがありますが、本来のセールスマンは品物のよさで勝負するのが常道でしょう。自分を買ってもらうことが悪いのではありませんが、自分の何を買ってもらうかを明確にしておかないと、相手を暗示にかけて、一種のマインドコントロール下で物を買わせることになってしまうのです」

また、16番目の「聞き上手には上下関係なし」も重要です。著者は、次のように述べています。

「観察するとすぐにわかりますが、上司と部下が会合をもつと、それが私的なものでも、上司のほうが多く話しています。ときには上司しか話をしないで、部下はみんな聞き役ということも珍しくありません。このような関係は、教師と児童・生徒の間でも、私的な関係である親子間でも起こっています。つまり、特別な場合を除いて、教師と生徒では教師が一方的に話していますし、親子間でも親の発言のほうが圧倒的に多いのです。順位の下の者は、報告以外に話をすることを許されない場合だってあります。ここでも子どもの話をよく聞いてやる親は、子どもから尊敬されて、子育てがうまくいきます」

18番目の「嘘はつかない、飾らない(オープンということ)」も大事です。人間にはいろいろなタイプの人がいますが、著者は次のように述べます。

「暗い人でも人間嫌いな人でも、人間は誰でも関係ができてくると、その相手にだけはオープンになるものです。『蓼食う虫も好き好き』ということわざは、蓼のような辛みのある葉でも、好きな虫はいるという意味ですが、どんなにいやな感じに見える人でも、オープンな関係になれば好きになれるのです。人間関係とは本当に理屈ではいかない、不思議なものです。さまざまな夫婦の関係を見てみると、このことがよくわかります」

しかし、「オープン」ということの意味を誤解してはなりません。著者は、「オープン」について次のように説明を加えています。

「オープンになるということは、自分の欠点や失敗談を話すことではありません。自分の欠点や失敗談は、より痛いところ、もっと大きい欠点、もっと決定的な失敗をかくすためであることが多く、オープンに見えてじつは防衛的なのです。自分の本当の痛みはなかなか自分から人には話せないものです。とくに関係者には。だから欠点や失敗談を話しても解決ずみの話なので、聞かされた相手はとくにオープンにはなりません」

さらに、22番目の「LISTENせよ、ASKするな」には、「聞く態度の基本は、聞き手と話し手が対等な人間関係をもっていることです。報道関係者のようなプロでも、子どもをインタビューするのはなかなかむずかしそうです。それは、たいがいの大人が子どもと話をするときにこの基本を守っていないからです」と書かれていますが、まったくその通りですね。

27番目の「お茶室は最高の場」では、茶室という非日常空間が人間関係に与える影響とともに、作法というものがいかに人間同士の魂を結びつける力を持っているかが次のように語られます。

「作法が非現実にさまよう魂を現実に結びつけていったのです。現実ばかりでは、深い話はできません。しかし、非現実の世界ではあやうすぎます。儀式や作法はこれらを結びつける役割をもっています。
われわれ人間は、人生の節目や受け入れがたいことがあると、作法の究極の形である儀式をします。死が人間にとっていちばん受け入れがたいことですので、死にまつわる儀式は他の儀式よりたくさんあります。お通夜、本葬、初七日、ふた七日、み七日・・・・・・満中陰、新盆、一周忌、三回忌・・・・・・と50年以上儀式がつづくのです。この間、縁者は喪に服します。現代人は服喪をしないので、あとで神経症に苦しむとさえ精神分析では言われているほどです。お誕生日やお正月、結婚式など、人生の節目には儀式がついています」

これは、わたしが『礼を求めて』(三五館)で主張したこととまったく同じです。同書のサブタイトルは「なぜ人間は儀式を必要とするのか」です。著者は儀式のことを「作法の究極の形」と表現していますが、儀式の存在理由は人間の魂を安定させることに尽きます。もちろん、そこには神仏の存在もあるわけですが、人間のために儀式があると言っても間違いではないのです。
そして、死にまつわる儀式こそは、人が人であることの基盤なのです。

「聞く技術」を学ぶために本書を開いたのに、葬儀の重要性が説かれていたので、わたしはなんだか嬉しくなりました。そして、グリーフケアの時代を迎えた今、葬儀後に「愛する人を亡くした人」の話を聞くことが求められてきます。
現在、わが社には20名の上級心理カウンセラーがいます。主にグリーフケアのサポートのためにカウンセラーの資格を取得したのですが、彼らにも本書を読んでほしいと思います。本書では、臨床心理士として活躍する著者がカウンセリングで重要視される「聞く」技術を一般向けに紹介しています。この貴重なノウハウをぜひグリーフケアの現場で活かしたいと思います。

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