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No.0703 人間学・ホスピタリティ | 心理・自己啓発 『幸せの遺伝子』 村上和雄著(育鵬社)
2013.04.05
村上和雄シリーズの9冊目は、『幸せの遺伝子』(育鵬社)です。
「『ひらがな言葉』が眠れる力を引き出す!」というサブタイトルがついています。
帯には「ありがとう。おかげさま。いただきます。」と大きく書かれ、続いて「日本人が大切にしてきた見えないものへの感謝と祈りの言霊が、幸せの遺伝子を“ON”にする! 遺伝子工学の世界的権威による渾身の書」とあります。
本書の構成は、以下のようになっています。
「まえがき」
第一章:「ひらがな言葉」に宿る日本の心
第二章:幸せを招く「ひらがな言葉」
第三章:遺伝子がよろこぶ生き方
第四章:サムシング・グレートにつながる道
本書の表紙カバーの折り返しには「幸せの遺伝子を目覚めさせる15の習慣」として、次の15項目が紹介されています。
1.日本型食事を腹八分目
2.運動をする
3.生活環境を変えてみる
4.人との出会いを大切にする
5.何かを求める強い気持ちをもつ
6.明るく前向きに生きる
7.ストレスを味方につける
8.ハングリー精神をもつ
9.感動する
10.感謝する
11.よろこばす
12.気持ちいいセックスをする
13.はたらく=助け合う
14.自分の花を咲かせる
15.目標をもつ
本書には、幸せになるためのヒントがたくさん紹介されています。
東日本大震災により、日本人は自然の恐ろしさを強く感じるとともに、家族や地域の人々の絆を実感しました。著者は、今回の試練について「お互いに助け合い、生かされていることへの感謝の祈りを捧げるような精神をもつならば、必ず乗り越えられる」と断言します。
「まえがき」で著者は、次のように述べます。
「古来、日本人は神仏を尊び、自然の恵みに感謝し、大自然との調和のなかで、お互いに助け合って生きてきました。
それは、私たちの体が、60兆個もの細胞による調和的なはたらきによって『生かされている』ことにも通じるものがあります。日本人は、そうした目に見えないもののはたらきに対する感謝の祈りを捧げる『祈りの民』であり、日本には『祈りの国』としての伝統がいまなお息づいているのです。
それを端的に表しているのが、『ありがとう』『おかげさま』『いただきます』などの『ひらがな言葉』です。これらの外国語に翻訳することが難しい『ひらがな言葉』には、日本人が大切にしてきた価値観や生き方が凝縮されています」
そして著者は、次のように「ひらがな言葉」の核心に迫ります。
「『ありがとう』『おかげさま』『いただきます』『もったいない』『つつしみ』など日本独自の言葉に共通しているものは、感謝と利他の心です。利他の精神とは、自分よりもまず他人の幸福や利益を考えて、譲り合ったり助け合ったりすること。自分の利益をあとまわしにするというと、損な生き方のように思われるかもしれません。しかし、この姿勢が自分をも大きく活かすことになるのです。なぜなら、それは遺伝子が望む生き方であり、私たちの能力を最大限に発揮させる生き方だからです」
本書には、著者の遺伝子学者としての視点から「死」についても言及されており、大いに勉強になりました。生命科学の現場では、遺伝子レベルで「死とは何か」について、熱心に研究されているそうです。遺伝子には死もプログラミングされており、それは「アポトーシス」と呼ばれる現象です。
アポトーシスとは細胞の自殺という意味ですが、遺伝子には次々と細胞を誕生させるための情報だけでなく、不要になった細胞を「死に追い込む」ための情報もプログラムされているといるそうです。
わたしたちの体内では、絶え間なく新陳代謝が起こっています。
毎日、何千万という数の細胞が死に、やはりおびただしい数の細胞が次々と生まれてきます。わたしたちの体は、骨を除いて、3〜4ヵ月ですべての成分がほぼ完全に入れ替わるのです。それゆえに、わたしたちは生命を正常に保つことができるのです。つまり、死は生と対立するものではありません。それどころか、誕生と死はペアなのです。死ななくては、生きることはできないのです。
さらに著者は、次のように述べます。
「誕生と死はペアですから、死だけを遠ざけるわけにはいかない。死を遠ざけたまま、死とまったくつきあわずにすむのなら、それでもいいかもしれません。しかし、どんなに長生きしても、いつかは死が訪れます。どんな人間も、どんな生物も、生まれた瞬間から死に向かって生き始め、どこかで終焉を迎える。これは絶対不動の生命のルールです。
あらゆる生物が不死だったら、地球上はとんでもないことになります。だから、おそらくサムシング・グレートが生き物という多くの命を生かすため、また次の世代を生かすために、このルールを決めたのでしょう。それを怖いからといって目をそむけていたら、生きることもおろそかになってしまう気がします」
ここで、著者は「メメント・モリ(死を思え)」という有名なラテン語を持ち出しながら、さらに次のように「死」についての独自の考えを述べます。
「私は、人間の体には死をほんとうに見すえたときにオンになる遺伝子があると思っています。死には逆らえない。だから、それをどう受容して、いかに最後の花を咲かせるか。死刑囚が素晴らしい作品を残したりするのは、死を見つめて生きているからだと思います。今日しかない、いましかない、という気になれば、日ごろできないことができるわけです」
医学の進歩や健康ブームによって日本人の寿命が延びています。世間には健康のためなら死んでもいいという人もいますが、著者はそれには懐疑的で、「死んでもいい」という心境について次のように述べます。
「人生を輝かすことができるかどうかは、『この人のためなら死んでも惜しくない』と思えるような人や、『これが達成できるなら私は死んでも構わない』と思えるようなものと出合えるかどうかが、大きな分かれ目になる気がします。人間はどんなに長生きしても、いずれは死ぬわけですから、死を超えるものに打ち込めることほど幸せなことはないと思うのです。
自分が死んだあとにも業績は残ります。それが後世の人に役立つこともあります。その意味で、『これに成功したら、おれは死んでも惜しくない』といえるような対象をもっている人は非常に幸せだといえます」
この言葉には非常に感銘を受けました。まったく、その通りだと思います。
著者は、21世紀を生きるわたしたちの使命について考えるとき、それは科学文明と精神文明を調和させることに尽きると言います。そして、今こそ日本の出番であるとして、次のように述べます。
「ダライ・ラマ14世だけでなく、アインシュタインも日本の将来に期待していましたが、私も精神文明と科学文明を調和できるのは世界で唯一、日本民族だけだと思っています。科学立国になりながら、自然と敵対するのではなく、自然を敬い、自然とともに暮らしてきた。こんな国はほかにありません。東洋の思想と西洋の科学技術文明のバランスを取れる国は、日本しかないのです」
著者は、いま一度、「日本人の心」の原点に立ち返って、サムシング・グレートの存在を感じることが一番大切であるとして、最後に次のように述べます。
「太古から大自然と共生し、『ありがとう』『おかげさま』『いただきます』『ごちそうさま』『もったいない』という思いを何千年と受け継いできたのが日本民族です。この50年や100年で、枯れてしまうような精神文化ではありません。その心を温めて育めば、きっと、大きく開花すると思います」
わたしも現在、「ありがとう」「おかげさま」「いただきます」「ごちそうさま」「もったいない」と毎日毎日、声に出して言っています。
考えてみれば、これらの日本語を英語に翻訳すれば、すべて「サンクス」や「サンキュー」で間に合うわけです。日本語には、かくも感謝の心を表すバリエーションが豊富なのですね。著者もいうように、これらの言葉はサムシング・グレートへの感謝の言葉なのです。なぜなら、人間の、そしてわたしの遺伝子暗号を書いたのはサムシング・グレートなのですから・・・・・。
本書は非常によみやすく、とても大切なことを教えてくれる本です。
科学者にして哲学者である著者の1つの到達点かもしれません。
なお、『死が怖くなくなる読書』(現代書林)でも本書を取り上げています。